2022年4月2日、イエメン紛争が当事者双方の合意のもと2か月間に渡る全面的な停戦を開始した。停戦が合意されて以降、前線での武力行為の減少や、不足していた燃料の輸入の増加により、人道危機の改善が見られた。そして停戦協定の期限が切れる6月2日から、更に2か月間停戦を延長することが決まった。また長年暫定大統領の座に座っていたアブド・ラッボ・マンスール・ハディ氏が4月7日に大統領を辞職し、新たに出来た大統領評議会に大統領権限がイエメン国外のサウジアラビアで委譲された。
イエメン紛争は2014年に始まった武力紛争で、主にハディ暫定大統領を追放して首都を制圧したフーシ派と、首都を追放されたハディ政権とそれを支援するサウジアラビア中心のアラブ諸国との間の戦いである。これらの勢力以外にも複数の勢力が関与し、激しい武力紛争が7年間続いていたイエメンでは、食糧不安や医療サービスの不足による病気の蔓延など、世界最悪の人道危機と呼ばれる事態に陥っている。
過去にも数回GNVでも執筆された話題ではあるが、最新の進展だけでなく、この紛争の背景や複雑性、人道危機について今一度取り上げていきたい。

アデン近郊の空爆で破壊された建物(写真:EU Civil Protection and Humanitarian Aid / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0] )
イエメン紛争の略史
まずはイエメン紛争の略史を述べる。北イエメン地域は1918年にオスマン・トルコの支配下から王国として独立し、その後1962年に王政が廃止されイエメン・アラブ共和国が成立した。南イエメン地域は19世紀からアデンがイギリス領であったが、1967年南イエメン人民共和国として独立した。イエメン共和国は1990年に南北イエメンが統合して成立した国である。南北が統一して間もなく、南北間の権力や資源の差などの問題から対立しており、1990年から1994年にかけて武力紛争が起こるなど、不安定な状況にあった。
2004年にシーア派の分派のザイド派勢力フーシ派が武装化し、アリ・アブドゥラ・サレハ大統領率いる政権への反政府運動を開始した。サレハ氏はイエメン共和国の初代大統領として1990年から権威主義体制を続けていた。経済や政治に関する不満に加え、2003年のイラク侵攻などアメリカによる戦争へのサレハ政権の支持などが原因で、フーシ派とサレハ政権間の対立は激化し、フーシ派は反政府運動を繰り返し行った。しかし当時の戦場は主にフーシ派の本拠地であるイエメン北部のサアダ州に限られていた。
2011年に中東・北アフリカで起きた一連の民主化運動である「アラブの春」により、サレハ大統領が失脚した。その後大統領代理を務めていたハディ氏が新たに大統領に就任したのだが、2年間の任期(※1)だけを与えられた暫定政権であった。
2014年にフーシ派が首都サナアを制圧し、第二の都市アデンへ向かって南下を進め始めた。政府の拠点は南部都市アデンに移動され、翌年2015年にはハディ大統領はサウジアラビアに逃亡した。アデンは大統領不在という形になり、政府(以下暫定政府)としての機能・統治が困難になっていく。そしてフーシ派の進出に対し、フーシ派を抑え、ハディ政権を復活させることを名目としてサウジアラビアがアラブ首長国連邦(UAE)などの他のアラブ諸国と共に連合を組む(以下サウジアラビア連合軍)。そして暫定政府側につき、地上軍の派遣や空爆を開始する。一方この状況を復職の機会と捉えたサレハ前大統領は、フーシ派に加勢する。さらにこの混乱を利用して、アラビア半島のアルカイダ(AQAP)やイラク、シリアを拠点としていたイスラム国(IS)などの過激派勢力もイエメンでの勢力を拡大する。

サウジアラビア空軍F-15C (写真:Saudi88hawk / Wikimedia Commons [CC BY-SA4.0])
2017年にはサレハ前大統領とフーシ派が決別した。2016年にフーシ派は、サレハ前大統領がフーシ派を「民兵」と呼んだことを非難し、サレハ前大統領の政党幹部で側近だった者が射殺されると関係が急激に悪化するなど、両者の関係は不安定だった。そして2017年サレハ前大統領が演説で、フーシ派との関係を正式に断つと発表し、サウジアラビア連合軍との対話に前向きだと述べた数日後、サレハ前大統領はフーシ派に殺害された。そして2018年にサレハ支持者はサウジアラビア連合軍に加わった。
対フーシ派勢力にも分断が見られた。南部の分離独立を主張する分離派は、暫定政府・サウジアラビア連合軍と共に長年フーシ派と闘ってきたが、2017年からの2年間で関係が悪化していた。2017年4月、ハディ氏がアデンの知事アイダロス・アル=ズベイディ氏を解任したことがきっかけで、緊張が高まった。翌月にはアデンの住民数千人が街頭でハディ氏に抗議し、南部イエメンの自治や分離独立を求める南部運動が復活した。解任されたアル=ズベイティ氏は南部暫定評議会(STC)を結成し、暫定政府との対立が深刻化する。
2018年1月にSTCがアデンのほぼ全域を掌握、大統領官邸を包囲したことで、両者の戦闘が発生したのだが、UAEはSTCを支援し始めていた。STCと暫定政府・サウジサウジア連合軍の対立により、サウジアラビア連合軍の主要国であるサウジアラビアとUAEとの関係にも亀裂が生じた。2019年8月にもアデンでSTC軍と暫定政府・サウジアラビア連合軍が衝突するなど、その後もアデンの奪還と反撃を繰り返し、多くの死者を出した。ところが同年10月、UAEがアデンからの地上軍の撤退を発表した。
2021年にはフーシ派は北部で政府の最期の拠点であり、石油が豊富な州の中心であるマリブ州への攻撃を開始する。これに対抗してハディ派・サウジ連合勢力は、マリブでの空爆を強化し、多くのフーシ派勢力が殺害され、2021年のマリブでの民間人犠牲者は過去3年間の合計以上の344 人に上った。
2022年1月、マリブ掌握を目指すフーシ派の動きが、UAE が支援する暫定政府・サウジアラビア連合軍の反撃により困難に陥った。これに対してフーシ派はドローン・ミサイルでの攻撃をUAEに仕掛け始めた。2018年からフーシ派はサウジアラビア国内の空港や石油施設を標的にミサイル攻撃をしてきたが、更に攻撃の頻度を増やした。サウジアラビアもサナアや人口密集地への空爆を強化した。2022年1月にはサウジアラビア連合軍によるサアダ州の刑務所施設に対する空爆で、91人の拘留者を殺害、226人が負傷し、過去3年間のイエメンで最悪の民間人死傷事件となった。これらフーシ派対サウジアラビア・UAEの対立の激化により、2022年1月はイエメン国内の民間人死者数が2015年の紛争開始以来、過去最多の月になったと推定される。

イエメン紛争の勢力図(2022年1月現在)(Al Jazeeraのデータを元に作成)
ここでフーシ派と、暫定政府・サウジアラビア連合軍の攻撃は不均衡であることに注意したい。世界最大の武器輸入国サウジアラビアが主導する連合軍は、世界最大の武器輸出国アメリカを筆頭にその他西洋諸国を後ろ盾としており、戦闘機を持たないフーシ派とは軍事力に大きな差がある。実際フーシ派による石油施設などへの攻撃も、回数が圧倒的に少なく、破壊力も小さい上、そのミサイルをサウジアラビア連合軍は迎撃し、大きな被害は抑えられていると報告されている。
関与する複数の勢力
この紛争は暫定政府の背景にサウジアラビアが存在し、フーシ派をイランが支援していることから、サウジアラビアとイランとの「代理戦争」と呼ばれることがあるが、サウジアラビアとイランの紛争へのかかわり方が大きく異なる上、他にも多くの国や武装勢力が関与することで複雑な構造を持っている。以下でこれらの当事者も見てみよう。

イエメン紛争当事者の関係図(2022年4月現在)
まずは、2014年までイエメンを統治していた暫定政府側の勢力を挙げる。イエメン暫定政府とサウジアラビア連合軍、STC、アメリカやイギリス、フランス、カナダなどの西洋諸国である。
イエメン暫定政府はフーシ派のサナア侵攻により、ハディ暫定大統領はサウジアラビアに逃亡し、政府は南部都市アデンを拠点としていた。反フーシ派勢力への影響力を失い、指導力もほとんど発揮されておらず、暫定政府は政府としてほとんど機能していない。
サウジアラビア連合軍には2015年時点でバーレーン、エジプト、ヨルダン、クウェート、モロッコ(2019年まで)、カタール(2017年まで)、スーダン、UAEが参加し、イエメンでの空爆と地上作戦を行った。その他ソマリアが領空、領海、軍事基地の連合軍への提供を行ったり、サウジアラビア連合軍がコロンビアから傭兵を集め、派遣したりもしたが、現在では多くの国が連合を離脱している。
南部暫定評議会(STC)は南北イエメン統合前の南イエメンの自治や分離独立を目指す勢力で、2017年に結成された。主にUAEの支援を受けてきている。現在アデン周辺の南部地域を支配している。暫定政府とは対立してきたが、2022年4月から大統領権限を持った大統領評議会は、ハディ前暫定大統領に比べて反フーシ派勢力への影響力が強く、今後の関係が改善する可能性がある。
アメリカは技術支援や武器貿易、情報提供を行うことで、サウジアラビア連合軍の後方支援を行っている。サウジアラビアが輸入する武器のほとんどがアメリカからのもので、標的の選出や戦闘機の整備など何らかの形で、サウジアラビア主導で行われる空中戦に占めるかなりの部分の襲撃に米軍が関与している。
イギリスやフランスなど他の西洋諸国も武器貿易による経済的恩恵を目的として、サウジアラビア連合軍に対し、武器の販売を行なっている。イギリス、フランスはアメリカに次いでサウジアラビアの武器輸入のそれぞれ9%、4%を占めていて、カナダも武器輸出で紛争に加担していると言われている。

フーシ派のスローガンが書かれた旗(写真:Abdullah Sarhan / Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0])(※2)
次に暫定政府・サウジアラビア連合軍と対立している勢力にはフーシ派、イラン、ヒズボラが挙げられる。
フーシ派は2004年に暫定政府に対する反政府運動を開始し、首都サナアを中心にイエメン北部を占領している。
イランはフーシ派への経済的、軍事的支援を繰り返し行っていると言われている。サウジアラビアやUAEの空爆作戦のように直接的に参加したり、フーシ派の攻撃の支持を行ったりしているのではなく、あくまでも間接的な支援に留まると考えられている。
ヒズボラは1982年、イスラエルによるレバノン侵攻後に結成された組織で、結成当初からイランから資金や武器の援助を受けていた。サウジアラビアはイエメン紛争のフーシ派側でのヒズボラの関与を主張しているが、ヒズボラのイエメン紛争への関与の程度は明らかにされていない。
次は上記2つのグループに分類しがたいその他の武装勢力を挙げる。
AQAPはアラビア半島のアルカイダである。東部を中心に勢力を拡大させ、暫定政府側ともフーシ派とも敵対し、イエメン全国で多くのテロ攻撃を繰り返しており、それに対してアメリカはドローンなどによる攻撃を行っている。
ISはイラク、シリアを拠点とした過激派勢力である。ISもAQAP同様に全国でテロ攻撃を行ってきた。ISはAQAPより規模と影響力はかなり小さかったと言われていて、AQAPとは対立していると見られている。
人道危機
イエメン紛争は「世界最悪の人道危機」と呼ばれるほど、戦闘員だけでなく多くの民間人犠牲者を出している。2021年末までの直接死と間接死を合わせた推定死者数は377,000人に上り、420万人が避難民となった。紛争による被害といっても被害の種類は一様ではない。ここでは人道被害の原因を暴力による直接的なものと、非暴力による間接的なものに分けて見ていきたい。

イエメン南西部にあるラヒジュ州の難民キャンプ(写真:EU Civil Protection and Humanitarian Aid / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0] )
直接的なものは紛争関連の暴力行為によるものであり、戦闘員だけでなく民間人も多く犠牲になっている。フーシ派とサウジアラビア連合軍ともに被害への責任はあるが、サウジアラビアによる空爆が最も深刻な被害をもたらしているとされる。2015年から2022年3月までのデータによると、サウジアラビア連合軍によるイエメンでの空爆は、確認されているだけでも25,000回以上行われていて、20,000人近くの民間人が死傷している。また、広範囲に小さな爆弾をばらまくクラスター爆弾は民間人に深刻な被害をもたらし、2015年と2016年のクラスター爆弾の犠牲者の91%が民間人で、攻撃時だけでなく、不発弾によっても負傷している。
一方この紛争でより問題となっているのが間接的な原因である。2021年末までの推定死者数377,000人の大半が食糧や水、医療サービスの不足などの間接的原因で亡くなっている程、大きな被害をもたらしている。これらの死因の影響を最も受けやすいのが栄養不足の影響を受けやすい幼い子供たちで、2021年には5歳未満の子供はこの紛争のために9分に1人が亡くなっている。
また2022年人道支援を必要とする人は約2,070万人で、これはイエメン国内のおよそ3人に2人に当たる。また人口のおよそ半分以上にあたる1,740万人が食料不安に陥っている。腸内の細菌感染によって引き起こされ、急性水溶性下痢と嘔吐を特徴とするコレラによっても2016年の発生以降多くの人々が影響を受けている。2016年10月から2020年12月までに250万件以上件のコレラの疑いがある症例が報告されていて、これは1949年におけるWHOのコレラ記録開始以来世界最大の値である。

子供の栄養状態を検査する医師(写真:EU Civil Protection and Humanitarian Aid / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
間接的な原因による人道危機を深刻にしているのが、紛争当事者による港や都市の封鎖であり、食糧や医療品、支援物資、燃料の不足と生活必需品価格の高騰を引き起こしている。サウジアラビア連合軍は2015年からフーシ派の武器の密輸を防ぐという名目で、軍隊を使って飛行機の着陸とイエメンへの船の接岸を阻止してきた。特にホデイダ港での燃料封鎖は大きな問題となっていて、そこはイエメンの商業用燃料の半数以上が経由する港だった。またエネルギー生産地域への空爆も、そこへのアクセスを不可能にし、燃料不足を引き起こした。燃料不足は医療品や支援物資の輸送を妨げるだけではない。発電機が使用できなくなることで病院の運営や清潔な水の確保が困難になり、コレラや急性水溶性下痢などの病気の増加に繋がる。新型コロナウイルスの第4波に加えてジフテリアなどの予防可能な病気の増加により、既に脆弱だった医療体制を崩壊させたのだ。
また最近の世界情勢にも人道危機は大きく影響されている。世界での食糧価格の上昇や、資金不足が相まって国連世界食糧計画(WFP)が送れる食糧援助が削減されている。それに加え、ロシアのウクライナ侵攻は燃料、食糧の価格を高騰させた。ウクライナはイエメンの小麦輸入の31%を占めていたが、2015年に比べて2022年3月現在の価格が約7倍に高騰している。また他国からの人道支援額も少なく、2022年に国連を通じたイエメンへの支援で求められている資金は7月の時点で27 %の額しか集まっていない。
停戦の実現
2015 年以来上記のような悲惨な人道被害を招いてきたイエメン紛争だが、2022年4月1日、ハンス・グランドバーク国連事務総長イエメン担当特使が紛争の2か月間の停戦を確保したと発表し、翌日4月2日イエメン時間午後7時に停戦が発効した。国連はこれまでも停戦の仲介を試みてきたが、暫定政府とフーシ派の反対により合意に至っていなかった。
今回停戦に至った要因として、双方が停戦によって利益が得られるほどに疲弊しきっていたことが考えられている。2022年からフーシ派と暫定政府側との戦闘が激化した一連の出来事によって、紛争が均衡状態に陥った。紛争が均衡していれば、停戦条件をどちらか一方に有利にさせる圧力は働かない。また世界の商品市場の価格高騰による両地域への経済的打撃も要因の一つと考えられている。
停戦開始以来民間人の死者数が大幅に減少し、戦況の改善が見られている。停戦の条件として紛争当事者の全ての軍事作戦の停止を求めたことで、イエメンでの民間人犠牲者の数が、停戦前の2か月間の456人に対し、停戦後の2か月間は265人であり、41%の減少が報告された。2022年停戦前の3か月間、民間インフラに影響を与えた武力行為の大半を占めていた空爆が停止されたことで、停戦開始以降民間インフラへの影響が大幅に減少した。
またサウジアラビアが行っていたホデイダ港への燃料の禁輸措置を緩和したことで、2か月間の停戦期間中に18隻の燃料輸送が許可された。これにより食糧と衣料品がホデイダ港に届けられた。
さらに6年近く禁止されていたサナア空港からの民間航空便のフライトが再開され、週2回ヨルダンとエジプトへの便が決行された。暫定政府・サウジアラビア連合軍が、サナアでフーシ派当局が発行したパスポートの旅行での使用を許可した。安全な移動手段が増えることで、必需品や医療サービスへのアクセスもしやすくなる。
そして6月2日から、4月に締結した停戦合意の延長が決定した。上記のような状況の改善がもたらされた停戦の延長は、更なる状況改善が期待される。
しかし一方で、以前はアクセス出来なかった地域に進出するにつれて、停戦から2か月後の地雷や不発弾などによる死傷者が停戦の2か月前より増加している。また武力行為は概ね減少したものの、当事者双方からの停戦協定違反報告が度々報告されている状況にある。タイズ州では2016年以降フーシ派の支配地域となっていて道路の封鎖が行われてきたが、今回の停戦の条件として封鎖道路の開放が求められているにも関わらず、開放がいまだに進んでいないなどの課題も残っている。
グローバルな問題としてのイエメン紛争
上記の通りイエメン紛争は複数の勢力の政治的目的が絡み合い、それぞれに悲惨な状況をもたらした責任がある。
アメリカや他の西洋諸国は武器提供を中心とした軍事支援を続けており、武器を提供していなくても、サウジアラビアの石油に頼る日本も含め、サウジアラビア連合軍の軍事行動を強く批判・非難する国はほとんどない。その理由の一つには世界の石油価格の調整にはサウジアラビアの協力が不可欠であることが考えられる。そんな中、2022年7月にアメリカのジョー・バイデン大統領がサウジアラビアを訪問する。バイデン氏はロシアへの制裁や中国への対抗を踏まえ、中東の安定的なエネルギー供給に焦点を当てており、これまでもサウジアラビア側で紛争に加担してきたアメリカがサウジアラビアに対して紛争解決の圧力をかけるとは考えにくい。
7年近く続いてきたイエメン紛争は、戦況の改善が期待される新たな段階に入っている。大局的な視点を持ち、この紛争の停戦状況だけでなく、複数勢力の動きや世界情勢がもたらす影響などにも目を向けた上で、今後の動きに注目していきたい。
※1 その後一年間任期が延長された。
※2 フーシ派のスローガンが書かれた旗 アラビア語で「神は偉大であり、アメリカに死を、イスラエルに死を、ユダヤ人を呪い、そしてイスラムに勝利する」と書いてある。
ライター:Chika Kamikawa
グラフィック:Mayuko Hanafusa
イエメンで働く医師の友達がいます。彼は日本で生まれ両親の交通事故に、より孤児となり海外に、渡り勉強して医師に、なりました。彼は,足を銃で打たれ食事もなく薬だけの生活助けてあげたい気持ち有るが,何も出来ない現状助けて下さい!日本に、帰りたがっています。日本に、帰りちゃんと治療させてあげたい