アフリカ大陸が日本のニュースメディアに登場することは稀であるが、仮にアフリカで「話題の国」、と聞いたとき真っ先に連想する国はどこだろうか。「南スーダン」を思い出した方も多いのではないか。ここ数年、日本の国際報道でも何かと耳にする機会が多い。

南スーダンの市場 [Gregg Carlstrom/Flickr]( CC BY-NC 2.0 )
実際、2016年の朝日新聞国際面の見出しを調べてみると、アフリカ諸国の国名の内「南スーダン」を含む記事が最も多い。その割合は28.2%。4分の1を占めていた。南スーダンは、日本の報道において最も注目を集めていたアフリカの国の一つなのだ。
2位はエジプトであり、機密漏洩や脱獄関与で終身刑及び死刑判決が出ていたムルシ元大統領の裁判やり直しと、テロの可能性が疑われた航空機墜落事故についての記事が主であった。その他に、リビアやチュニジアに対する報道が比較的多く、北アフリカ報道はアフリカ全体の報道の40%程度となっていた。逆に、大きな武力紛争を抱えているソマリアやナイジェリア、コンゴ民主共和国などに対する報道は乏しく、コンゴ民主共和国に至っては2016年中に世界最大数の避難民を生み出していた。また、ソマリアとナイジェリアは南スーダンと同じように、多大な人道被害が国連などで大きく取り上げられた。なお、2016年の1年で3つ以上の記事が書かれたアフリカの国は7カ国(※1)しかなかった。そのような中で、なぜ南スーダンに最も視線が集まっていたのだろうか。
日本の自衛隊と南スーダンとの関係はまず考えられる。南スーダンには2011年の独立より1万7千人規模の兵士が国連から派遣され、平和維持ミッションに務めてきた。このうち日本は2011年から2017年までに約300名の自衛隊員を派遣していた。ではその南スーダンについての報道内容を示した下のグラフを見て欲しい。
今回、2011年以降の朝日新聞朝刊全ての紙面の記事に関して、見出しに「南スーダン」という文言を含む記事を調査してみた。その内、日本に関連のある(調査方法/基準:)記事の文字数は50%を超えており、「PKO」(国連平和維持活動)の文字を含む記事も半分に近い。
さらに 実は、見出しに「PKO」は含まれていないが、実際の内容はPKOが絡む日本関連の記事も多い(「自衛隊、国連敷地内で医療・給水支援 南スーダン、治安悪化で切り替え(2013年12月23日 国際面)」、「南スーダンへの自衛隊派遣を延長へ(2015年1月31日 総合面)」や「陸自宿営地に流れ弾? 南スーダン(2016年7月22日 総合面)」など。)。
また、次に示す折れ線グラフからは日本に関連のある記事と「PKO」の文言を含む記事の増減が一致していることも分かる。
このことから、 南スーダンについて言及する記事の内、その半数が日本、特にPKOに関連するものだと言える。「南スーダン」についての報道だと言っても、実質は多くが「日本に関する内容でもある」ということだ。
上記折れ線グラフを見てみると、もう1つ分かることがある。日本関連の記事(「PKO」を含む記事)と、それらと関連の無い記事の増減がおおかた一致しているのだ。一方の報道量が多い時期は他方も同様に多く、少ないときは同様に少ない。これには何らかの関係があるのであろうか。報道量が極端に少なくなる間は南スーダンにて「何も起こらなかった」のであろうか。
そうではない。ほとんど報道が為されない裏には、多くの出来事が起きていた。日本に直接関連しない南スーダンそのものについての報道が減った2011年後半以降、南スーダンは時期によって激しい紛争を経験しているのだ。
首都ジュバより300km離れたジョングレイ州ルコンゴレ村 。2011年にはこの村に住むムルレ族と、対立するロウ・ヌエル族の間の権力闘争が激化していた。8月には600人が殺害され、続く12月には3000人が亡くなった。2011年7月の独立に際し、一度は差し置かれたはずの様々な権力闘争。その再燃は留まることを知らなかった。結果としてジョングレイ州では約10万人という一般市民がその地を後にして避難民となった。非常事態宣言がなされた同州には政府による厳正な支配体制が敷かれた。

マシンガンを携えた、南スーダンの兵士 [punghi /shutterstock.com]
南スーダン一国内だけではない。2012年にはスーダンとの国境紛争 (ヘグリグ・クライシス)が発生した。独立前に詳細を詰めることなく放置されていたアビエイ地域。油田があることから、その領土帰属について両国は対立を深めていた。3月には南スーダン政府軍による突然の武力侵攻が行われ、 対するスーダンは続く4月に空爆を行う。日に日に激しさを増す対立により、南スーダンの「独立」そのものが危ぶまれる程の事態を見かねた国連安保理は5月に停戦要求決議を採択する。それでも対立は続き、8月には約20万人の難民が生まれた。最終的に両国の軍隊がアビエイ地域から撤退したのは翌2013年の3月になってからであった。
また、2013年にはキール大統領(現在まで)と当時副大統領であったマカル氏の権力闘争が発展し、大きな紛争に繋がる。大統領側である政府軍と、副大統領側であった反政府軍の対立は、首都ジュバを中心に大きく繰り広げられた。いくつかの都市が反政府軍の支配に落ち、数千を超える市民が殺害され、それ以上の市民が逃亡を余儀なくされた。2014年1月には両陣営による停戦署名が行われるものの、その後も争いは続いた。同年8月にエチオピア首都のアディスアベバにて和平交渉が再開している。

暫定政府の成立に笑顔で握手する、反政府側だったマカル副大統領(左)と政府側だったキール大統領(右)(2016年4月29日)[United Nations Photo/flicker] (CC BY-NC-ND 2.0)
これらの事件は、日本における南スーダンについての報道でほとんど取り上げられていない。確かに、2013年12月から2014年1月にかけて、一時的に南スーダンそのものについての報道が増加はしている。しかしながら、ジョングレイ州の紛争や南北スーダン国境紛争についての記事はほとんどなかった。特に2013年に至っては4月の1件の記事を除き、11月まで報道が為されていない。11月の報道も紛争にスポットを当てたものではなかった。
南スーダンについての報道量が極端に少なくなる間、同国内で何も起こらなかったわけではない。大規模な紛争を始めとする出来事は確実に存在した。しかし報道量は圧倒的に少なかった。 日本関連の注目が無いから、南スーダンそのものの報道も行われていなかったのだ。 日本に直接関連しない記事が無条件で報道されているわけではなかったかのようだ。
報道量の少なさが問題と言えるアフリカ 。この大陸に位置する国のうち、比較的頻繁にメディアに現れていた南スーダン。しかし、その報道内容は半分以上が日本に関連しており、そうでない報道があっても、それは日本関連の注目を浴びている時期であるから、という現実がある。大規模な紛争があっても、日本が関わる報道が無ければ、報道されない。自国偏重の報道によって見えなくなってしまう世界がそこにはある。また、例え国際報道では自国のレンズから眺めることが重要だとしても懸念が残る。紛争などが発生した時点ではPKOと直接関係がないように見えても、それがいつどこで影響を及ぼすかはわからない。自国との関連を理解するためには問題の全体像への理解が必要不可欠であると言っても過言ではないはずだ。頻繁に名前が挙がるからと言って安心してはいけない。報道の頻度と同様に、その中身、「何が報道されているのか」に目を向ける必要があるのではないか。
先の5月27日には最後まで現地に残っていた約40名の陸上自衛隊隊員たちが羽田空港へと降り立ち 、5年4ヶ月に及ぶ南スーダンでの「自衛隊によるPKO」はその幕を閉じた。しかし、南スーダンでは依然として紛争が続き、世界各国の兵士がPKOとして活動を続けている。
日本からのPKOが終了した今、南スーダンもニュースから姿を消してしまうのであろうか。
【脚注】
(※1)2016年に国際面にて、3記事以上報道されたアフリカの国と地域:南スーダン、エジプト、リビア、チュニジア、ケニア、南アフリカ、モザンビーク
ライター:Tadahiro Inoue
グラフィック:Yosuke Tomino