2018年10月2日、ジャーナリストのジャマル・カショギ氏がトルコ・イスタンブールのサウジ総領事館で殺害された。遺体は総領事館内で切断されたとされている。カショギ氏はサウジアラビアで新聞やテレビを通して報道活動に関わっていたが、身の危険を感じ2017年にアメリカに亡命した。その後、ワシントン・ポスト紙などでコラムを書き、たびたびサウジアラビアについてコメントを発信してきた。今回のあまりにも残酷で衝撃的な事件は、アメリカの報道関係者に近いこともあり、日本を含む世界中のメディアで大きく取り上げられている。
日本とサウジアラビアは深い関係にある。近年、同国に日本の通信、金融関連などの大手企業が進出していたり、なんといっても日本はサウジアラビアの石油に大きく依存している。では、今回の事件は日本のメディアにどのように映っているのだろうか。これまでの日本の国際報道の傾向としては日本と関係の深い国が大きく取り上げられる場合が多く、サウジアラビアのように普段あまり報道されない国に関しても、日本との関係が強調される傾向が強い。しかし、世界が大きく絡む今回の事件に関して、日本の報道で現れないのはまさにその肝心な「日本」の立場なのだ。この記事では、この観点から対サウジアラビア報道を探る。

ジャマル・カショギ氏、2018年3月(写真:POMED [CC BY 2.0])
報道では見えてこない日本とサウジアラビアとの関係
日本経済に必要不可欠な石油なしには日本とサウジアラビアの関係を語ることはできない。サウジアラビアは日本にとって最大の原油供給国であり2017年のシェアは40.1%も占めている。日本にとっては圧倒的に大きな存在だ。その他にも脱原油依存を目指すサウジアラビアでは、原油関連以外でも日本の大手企業に大きな動きがある。その中で特に目立つのがソフトバンクである。ソフトバンクはサウジアラビアに巨大な投資ファンドを設立し、世界最大級の太陽光発電施設開発のために投資した総額は21兆円規模にものぼるという。また、2018年6月時点で、日系企業94社がサウジアラビアに進出している。
サウジアラビアは2017年から未来投資イニシアチブ(FII)、いわゆる「砂漠のダボス会議」を開催しており、ソフトバンクの孫正義会長兼社長がこのイベントの諮問委員会の委員を務めている。2017年のFIIでは、孫氏の他に、日本の国際協力銀行やみずほファイナンシャルグループの代表もスピーカーとして参加した。2018年10月のFIIでは、孫氏や三菱UFJフィナンシャル・グループの代表がスピーカーとして参加を予定されていたところ、今回の事件が起きた。
この事件を受けて、参加を予定していた世界銀行や国際通貨基金の代表、米財務長官など各国政府の代表者の他に、数々のメディアや企業関係者が相次いで辞退を表明した。日本からの参加者の辞退は直前まで報告されていなかったが、この事件が原因でソフトバンクの株価が7%下がったことが欧米では広く報道されている。

2017年のサウジアラビア未来投資イニシアチブで発表するソフトバンクの孫正義会長兼社長(写真:BreakingTravelNews [CC BY-ND 2.0 ])
では、カショギ事件は日本の報道でどのように取り上げられたのだろうか。毎日新聞の報道を分析してみた(※1)。まず、事件を取り上げるのが遅く、はじめて報道したのは事件発生から約1週間後であった。トランプ米大統領が事件について発言すると本格的に報道することとなる。その後の15日間のサウジアラビアに関する報道量は約3万字にのぼり、事件発生前の1年間にわたる対サウジの全報道量に匹敵する文章量となっていた(※2)。今回の事件への注目度の高さと、サウジアラビアが普段は報道の対象となっていないことは明らかである。
ところが、この事件をめぐり日本と関連する内容について毎日新聞(28記事中)に載せられた記事はたった一つにすぎない。10月22日に三菱UFJ銀行の頭取がFIIへの出席を取りやめたことについて短く触れられただけであった。石油供給に対する言及は一切なかった。また、日本の安倍首相、官房長官、外務大臣など政府関係者からの反応やコメントを得るどころか求めた形跡すらなかった。
他の新聞やテレビにおいても同じような傾向が見られる。例えば、読売新聞でも、同期間において日本と関連する内容へは触れられていない。また、サウジアラビアがカショギ氏の死亡を認めた翌日の10月20日に放送されたテレビ朝日の『サタデーステーション』では、この事件がトップニュースとして扱われ、日本と関連する内容が取り上げられた。しかし不思議なことに、それはムハンマド・ビン・サルマーン皇太子が「大の日本好き」で、日本がサウジアラビアと進めてきたアニメの共同制作に今回の事件が影響しないかという懸念にとどまり、問題の本質に触れることはなかった。その翌日に放送されたTBSの『サンデーモーニング』でもトップニュースとして放送されたが、サウジアラビアの概要の説明で日本が石油を輸入していることには触れたものの、今回の事件と今後の日本との関係性について触れることはなかった(※3)。
NHKでは、石油の価格に影響が出るかどうかの懸念が示され、朝日新聞と日本経済新聞ではソフトバンクの投資ファンドにどのような影響が出るのかについて軽く触れられたものの、日本政府がどのように反応しているのか(あるいはすべきなのか)、日本企業は今後サウジアラビアとどのように付き合っていくべきなのか等について問うこともなければ議論の場を提供することもなかった。

2017年にサウジアラビアで開催された未来投資イニシアチブ(写真:BreakingTravelNews [CC BY-ND 2.0 ])
しかし反対に、海外のメディアは日本企業の姿勢に注目している。欧米の新聞、テレビ、雑誌などにおいて、ソフトバンクや大手銀行の事件への反応を早い段階から話題にしてきた。また、この問題に対して、イギリスのスカイ・ニュースは、「日本の企業が消費者や株主から受ける圧力は西洋の企業に比べて少ない」という「文化的な」要素を指摘した。ただ、「文化」という観点以前に、日本とサウジアラビアとの接点について報道がされていないため、視聴者は関連性を知ること、もしくは意識する機会を持つこともできないことから圧力が発生しないのも当然である。
アメリカのレンズを通してしか見れないサウジアラビア
日本のメディアが事件に対する日本政府や企業の反応について触れることはほとんどないのだが、海外(特にアメリカ)の反応には大いに関心があるようだ。国際機関、欧米の政府関係者、あるいは企業や報道機関などがどのような反応を示しているのかに関する報道は豊富にある。例えば、事件が報道されるようになってからの15日間で毎日新聞に掲載されている28記事の89%(25記事)はアメリカ政府関係者あるいは企業の反応に言及している。また、事件に関する記事の68%(19記事)はアメリカ、ワシントン総局の記者の署名が含まれている。アメリカの視点から事件を捉えていることは明らかである。同様の傾向は記事の内容、つまり情報源からも窺い知ることができる。同期間の記事の86%(24記事)はアメリカの大手報道機関やトランプ大統領のツイート、記者会見の内容を引用している。
毎日新聞だけではない。例えば、朝日新聞の社説では、アメリカに対して「最大の武器売却相手だからといって、うやむやな幕引きに手を貸すことは許されない」。上記テレビニュース番組からでも同様の傾向が見られる。例えば、10月20日の『サタデーステーション』で、MCからの締めの言葉は「トランプ大統領の姿勢を見ていきたいと思います」。10月21日の『サンデーモーニング』では、サウジアラビアに関する解説で、石油を供給してくれる国なのでアメリカが「人権侵害にも目をつぶってきました」と述べられた。また、「トランプの反応は?」と書かれたテロップが画面に数回表示されていた。

サウジアラビアを訪れるポンペオ米国務長官(写真:US Department of State)
このように、不思議なことに日本のメディアは「サウジアラビアが日本にとって最大の石油供給国だから人権侵害に目をつぶってきた」と日本に対する指摘はしないが、アメリカにはたびたび行っている。日本政府や企業に対して反応を求めることもなければ関心を示すこともないにもかかわらず。
突然現れた倫理観?
今回の事件に対する注目度の高さに関しても疑問が残る。サウジアラビアはこれまでも大規模かつ重大な人権侵害を犯してきているが、なぜ今回の事件だけがここまで報道の対象となっているのか。また、今回に関しては「許されないもの」として描かれ、倫理的な主張も目立つ。この観点も今までにはない新しいものだ。
サウジアラビアはどの指標で見ても、人権侵害に関しては世界最低のレベルである。例えば、政府を批判する人権活動家などを「テロ犯」として、斬首による公開処刑を繰り返しており、ターゲットが国外であれば拉致をすることもある。女性の運転を許しても、その権利を勝ち取ろうと立ち上がった女性たちは現在も刑務所に入ったままである。
また、外交政策でも多くの問題を起こしている。テロ組織への支援が指摘されており、2017年にはレバノンの首相を一時的に拉致した可能性も高い。しかしなんといっても、サウジアラビアによるイエメン紛争への介入が重大な問題を引き起こしている。アラブ首長国連邦等と連合を組み、数年にわたる空爆と陸上での介入によって数多くの一般市民が殺されている。国連もこれは戦争犯罪に該当する可能性が高いと発表している。同時にサウジアラビアはイエメンに対して陸海空の封鎖を実行しており、それが大きな原因となって飢饉が発生し、イエメンの全人口の4分の3(2,200万人)が援助を必要としている。

イエメンに介入しているサウジアラビア軍(写真:Ahmed Farwan [CC BY-SA 2.0 ])
サウジアラビアが使っている武器はアメリカの武器メーカーから購入しており、その武器メーカーに三菱UFJフィナンシャル・グループや三井住友フィナンシャルグループなどが融資してきた経緯がある。さらに、日本政府は、川崎重工のC-2輸送機をイエメン紛争に参戦しているアラブ首長国連邦軍等の湾岸アラブ諸国に輸出することを検討している。
しかし、日本の報道機関がこのような人権侵害に対して関心が薄いのは明らかだ。読売新聞を題材にした分析で、イエメン紛争に関する3年分の報道量はパリで起きた一日のテロ事件をめぐる報道の半分以下であった。カショギ氏殺害前の毎日新聞における1年分の対サウジ報道が以下のグラフにあるが、イエメン紛争よりロシアで開かれたワールドカップでのサウジアラビアの試合に関する報道の方が重要視されているようだ。
報道の番犬役は?
サウジアラビアによるカショギ氏の殺害事件に対する日本の報道を見る限り、対サウジ関係において日本政府や企業は単なる傍観者であり、影響を受けることはあったとしても影響を与える側としての役割や責任、声すらないように見える。しかし当然ながら事実はこのイメージからほど遠いものである。この事件と日本に関連する内容を指摘する数少ない報道の中、朝日新聞GLOBE+の記事の著者は「日本が何事もなかったかのようにサウジとの経済関係を続けていけば、国際社会の厳しい視線は日本にも向けられよう」と警鐘を鳴らす。
国際関係上の親密な関係にある貿易相手や投資相手が重大な人権侵害を継続的に行っている場合、どう反応すべきなのか。日本にいる納税者、消費者、視聴者が自分自身を代表する政府や企業にどのような付き合いを求めるべきなのだろうか。被害者がサウジアラビアやイエメンにいる人であれば、人命より自国への利益を優先する人もいるのかもしれない。しかし現実を知って日本政府や企業へ何らかの変化を求める人も出てくるのかもしれない。いずれにせよ日本不在の現状の報道では、その答えを知ることはできない。

サウジアラビアのリヤド首都(写真:United Nations Information Centre [CC BY-NC-SA 2.0 ])
ライター:Virgil Hawkins
※1 毎日新聞 毎索データベースで東京朝刊、東京夕刊において「サウジ」が見出しに含まれる記事を検索したものである。
※2 2018年10月8日〜22日の報道量は29,245字、2017年10月3日〜2018年10月2日の報道量は30,990字(スポーツ報道を除く)。
※3 このトップニュース前後に番組のスポンサーとして三菱UFJ信託銀行と日立ビルシステムのコマーシャルが流れたが、両社においてもその関連会社がサウジアラビアに本格的に進出している。これらの企業が番組に直接圧力をかけていると言っているつもりはない。しかし、この番組に限らず、全般的にメディアの自国中心主義の思想が根底にあり、海外で活動している日本企業とは多くの場面において相互依存の関係にある。そのため、日本の企業の観点から世界を眺めている傾向があるとも言え、これらの企業が不利にならないように忖度している可能性は否定できない。
サウジが人権侵害を行っており、日本も間接的に加担しているにもかかわらず、日本は他人事としてしか見ておらずその真相が報道されないという現状。もっと日本の報道のおかしさに警鐘を鳴らすべきだと思いました。
興味深く拝読しました。この事件では記事中でも指摘されている通り、「日本」が国としてどう捉えているのかが全く見えてこない上にメディアも追求しない。全く人ごとのように報道する。グローバル化が進んでもメディアはまだまだですね。報道もそうですが企業に対してもこれからはお得だからではなくいかに行動するかが問われる時代になっていくのかと思います。
日本のこの対応が世界からどう見られているのかが気になる。Softbankの株価についてなどは報道されているが、政府はどう思われているのだろうか。
Softbankや三菱UFJについては国外のメディアで本格的に報道されていますが、日本政府に言及している記事は一度も見ていません。印象としては、北朝鮮・中国以外の世界情勢において、海外のメディアにおいても日本政府は存在感が非常に薄い。ほぼ不在です。「政府はどう思われているのか」というか、「思われていない」というところだと思います。
読み応えのある記事をありがとうございます。
日本の外交といえば、アメリカと中朝がメインだと考える日本人が多いと思います。
私自身も恥ずかしながらサウジアラビアとの関係はあまり認識しておりませんでした。
日本が他にどんな国とリアルに関わっているのか、知りたいです。
日本や世界の本当の相関図や相関関係を暴くような記事を読みたいです。