日本が損をしている。ニュースメディアは世界を捉えるのに必要不可欠の情報源だが、現在の国際報道の乏しさと偏りは日本の公益を妨げている。
本来ならGNVではこのような議論点を検討することはない。GNVは世界を包括的かつ客観的に理解することを重要視しており、特定の国の立場や利益の観点からではなく、できる限り複眼的に世界の事象を捉えようとする。思想的な立場を取るとすれば、日本のような富と権力が集中している経済強国ではなく、人類にとって最も深刻な課題が集中する場所、世界の人口のマジョリティを構成している経済的「弱者」の状況発信を優先する。できる限り「人間ファースト」の方針で発信することに努めている。
しかし、国籍上所属する「自国」を中心に世界を捉えようとする人はけっして少なくない。その中でも世界との関わりにおいて、自国をより豊かで、より安全で、より強いものへとしていくことを最優先する人もいる。GNVとは相反する思想とも言えるが、実は共通点もある。グローバル化がここまで進んだ世界では、不足し、偏る現状の国際報道の問題は世界のためにも、日本のためにもなっていない。
つまり、「自国ファースト」の考えを持っている場合であっても、国際報道がもたらす問題点については共感できるのではないだろうか。そこで今回の記事では、あえて日本の国益の観点から、包括的かつ客観的で、充実した国際報道の重要性を探る。

チリ付近の太平洋(写真:NASA Johnson / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
国際報道の現状とその問題
GNVはこれまで様々な角度から日本の国際報道の量と質の課題を分析し、発信してきた。「報道されない世界がある」をスローガンとしているが、逆に普段から「報道される世界」の方が狭いといっても過言ではない。世界の事象に割り当てられる報道量が少なく(全報道の10%程度)、それらがスポーツ報道の半分以下であることを考えると、伝えることができる世界の限界が見える。その中でも、報道される地域の分配が大きく偏っている。現状の主要な報道の注目はアメリカ、中国、朝鮮半島、西ヨーロッパに著しく集中しており、それ以外の国や地域に関する報道量があまりにも少ない。アフリカ大陸と中南米への報道量を合わせても国際報道全体の5%程度に過ぎず、南アジア、東南アジア、中央アジア、東ヨーロッパ、中東などの地域も断片的にしか取り上げられない。これらの地域からもわかるように低所得国に関する報道の乏しさが特に目立つ。主要三紙と言われる朝日新聞、毎日新聞、読売新聞だけでなく、日本経済新聞においてもこの傾向が見られ、娯楽化が進んでいるSNSのニュースの偏りはさらに顕著であると言える。
偏った国際報道の背景には様々な要因があるが、取り上げられる場所と話題の大きな決め手のひとつは自国との関連である。日本の政府、企業、人などが直接関係する事象が新聞における国際報道の約10% を占めている。日本人の活躍や偉業が注目され、バラエティ番組になれば称賛される傾向も見られる。しかし逆に、国外での日本企業の不祥事やスキャンダルに関する報道が少ない。
日本と直結する事象以外の国際報道では、貿易や安全保障上の関係が非常に深いと思われる国々が国際報道を独占する。また、世界で発生している問題をめぐっては、報道機関が率先して取り上げていくのではなく、自国政府が取り上げてからそのリードを追うという傾向も見られる。国連の持続可能な開発目標(SDGs)、気候変動問題、プラスチックゴミ問題に関する報道がその例であろう。さらに、どのメディアにおいても最大の報道対象国であるアメリカでの関心が日本の報道に影響している部分があるとも推測できる。

東京の地下鉄にて(写真:Elvin / Flickr [CC BY-NC 2.0])
一見、このような報道の傾向は日本の国益や読者・視聴者の関心を反映しており、妥当だと思う人もいるかもしれない。しかし残念ながら世界情勢も国益も、さらには読者・視聴者の関心でさえ、そう単純ではない。日本の経済や社会が機能するのに必要なモノは世界各地から集められており、日本の安全を脅かす事象は国境周辺ばかりで起こっているわけでもない。また、日本が世界でどのような立ち位置にいるのかも日本の利益とも関わっている。以下では物流、安全保障、評判の3つの観点から世界を知る重要性について考えたいと思う。
物流とものづくり
日本との貿易シェアからみて、確かに中国とアメリカの存在は大きい。この2カ国からの輸入でいえば、全体の30数%を占める。しかしその残りの60数%も当然重要であり、日本の経済が成長し、社会の機能を維持するためには、普段報道されていない地域からの多くの輸入物の存在が必要不可欠である。
例えば、カロリーベース食料自給率が38%しかない日本において、世界とのつながりとして食料をまず挙げることができる。日本が世界から輸入する様々な食品を見てみると、ラテンアメリカからは、鶏肉(輸入シェアではブラジルが1位)、コーヒー(ブラジル1位、コロンビア2位)、大豆(ブラジル2位)、水産物(チリ2位)、食塩(メキシコ2位)、アボカド(メキシコ1位で90%を超えるシェア)などが目立つ。アフリカからはカカオ(ガーナ1位、コートジボワール4位)、タコ(モーリタニア1位、モロッコ・西サハラ3位)、バニラ(マダガスカル1位)など、いずれの食品も輸入シェアの60%以上を占めている。東南アジアになると様々な農水産物において依存度がさらに高まるが、中南米やアフリカで報道される主要な国と比較して、報道はそれほど増えない。
当然輸入されているものは食料だけではない。衣類などの繊維製品(東南アジアが輸入全体の約30%を占める)や他の生活必需品も世界各地から多く輸入している。また、多くの商品とその包装素材に使われているプラスチックの製造や、生活と運送に欠かせない燃料として石油の存在も非常に大きい。日本が輸入している原油の75%以上は報道の対象となりにくいサウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタール、クウェートから運ばれて来ている。

製油所、日本、室蘭(写真:こまっちゃん / Wikimedia [CC BY 3.0])
また、日本は多くの製造品を輸出もしている。例えば日本製の自動車や電化製品は世界各地で大量に販売されている。このものづくりと輸出には石油以外にも、様々な鉱物資源も必要である。その多くはアフリカや南米に埋蔵されている。例えば、携帯電話、パソコン、ハイブリッド・電気自動車のバッテリー等に必要なコバルトは、世界の埋蔵量の49%がコンゴ民主共和国(1位)にあり、リチウムの58%はチリ(1位)、14%はアルゼンチン(3位)に埋蔵されている。その他に様々な産業に使われている白金属の91%は南アフリカ(1位)、銅鉱石の21%はチリ(1位)、10%はペルー(3位)に埋蔵されている。
もちろん日本が必要とするモノのすべてが収穫・生産・埋蔵されている場所から直接やってくるわけではない。日本の衣類に含まれている綿花の多くは世界最大の生産国であるインドで収穫され、中国や東南アジアなどを経由して日本に輸入される。コンゴ民主共和国で採掘されたコバルトは主に中国経由で日本に輸入される。さらにものづくり自体もグローバル化している。例えば、日本の自動車メーカーは各大陸に製造工場を構えているし、パソコン用のハードディスクとその部品の多くはタイの工場で製造されている。これらの部品と原料もまた、世界各地から運び込まれている。ゴミですらグローバル化している。日本は海洋船舶の解体、プラスチックゴミ、電子廃棄物を大量に輸出している。世界の物流もものづくりも様々なレベルで密接に絡み合っているのだ。
これほどまでに物流やものづくりと世界が複雑に関連していれば、その安定を脅かしうる要素も多くなる。世界レベルでの需要と供給の変化、自然災害、人災、国内外の政治的摩擦、武力紛争、条約や国内での政策の導入や変更が挙げられる。例えば、イエメン紛争はサウジアラビアからの石油の供給に影響を与え、コンゴ民主共和国の紛争は様々な鉱物資源に、チリでの政情不安は銅の入手にも響く。農産物だと、コートジボワールの紛争とガーナの政策変更はカカオに、メキシコでの犯罪組織の行動がアボカドに、モロッコによる西サハラ占領はタコの貿易に影響を与える。また、タイでの洪水がパソコンの製造に大きな打撃を与えたこともあった。
さらに、物流の要とも言える貿易ルートも注目に値する。石油の輸入において戦略的に重要視されるホルムズ海峡は有名だが、アフリカの角とアラビア半島を分けるバブ・エル・マンデブ海峡、紅海、スエズ運河も日本とヨーロッパとの貿易においては極めて重要であり、ソマリアからの海賊やイエメン紛争などに脅かされてきた場所でもある。しかし繰り返すようだが、報道においてこれらの地域は取り上げられることが少ない。

水没したホンダの工場、タイ(写真:Water Alternatives / Flickr [CC BY-NC 2.0])
世界情勢とその傾向に関する理解が深まれば深まるほど、このようなリスクを未然に防ぎ、あるいは効率よく対応することができるかもしれない。リスクばかりではない。これらの地域には、これまで逃してきたチャンスが潜んでいる可能性すらある。広い視野で世界を見渡すことができれば、より質の高いものをよりよい条件で入手したり、より効率よく、より持続可能な形での貿易を進めることができるかもしれない。場合によっては状況の正確な把握を通して、世界からも求められる代替品などの開発につながることも十分に考えられる。
安全保障
グローバル化が進んでいる中、日本が考えなければならない安全保障上のリスクも地理的に広がっており、その性質も多様化している。武力関連のリスクも重要だが、環境問題や感染症などがもたらす人間の安全保障へのダメージも大きい。
武力関連のリスクを考える際に、日本国内にいる住民の安全がどのように守られるかは当然重要である。しかし日本にとってのリスクは日本列島内にとどまらず、遠く離れた地域の情勢も安全保障上、無視できない。日本の自衛隊はアフガニスタン戦争やイラク戦争の際にインド洋での給油活動を通じて米軍への戦争支援を行ってきた経緯がある。また、海賊対策のために海上自衛隊をソマリア付近にも派遣してきた。現在もバブ・エル・マンデブ海峡に接するジブチに基地を構えている。さらに、自衛隊を国連平和維持活動(PKO)に派遣することもある。近年では南スーダンへの派遣が注目され、紛争中の国への派遣を継続することの違法性は物議を醸した。同紛争において、国連の安全保障理事会では武器禁輸決議案の不採択に加担することもあった。
また、国外で活動している日本の政府関連機関、企業、NGO、報道機関の職員や旅人、国外居住者なども世界各地でリスクを負うことも少なくない。近年では、日本の国籍を有する人が、アルジェリア、バングラデシュ、シリアなどで紛争やテロ事件に巻き込まれ命を落としているケースが挙げられる。

コンテナ船を護衛する米軍の駆逐艦、エデン湾(写真:Official U.S. Navy Page / Flickr [CC BY 2.0])
世界の環境問題も日本の安全保障を脅かしつつある。これまで大量に排出されてきた温室効果ガスなどが原因で引き起こされている気候変動がその主要な例だ。気温上昇とも関連する熱中症などの疾患が近年増加傾向にあり、今後もさらなる増加が予測される。破壊力も頻度も増す台風・豪雨などの異常気象と、そこから発生する土砂崩れや水害なども人命やインフラの脅威となっている。いわゆる「気候アパルトヘイト」の被害者となっている低所得国と違い、日本は気候変動がもたらすダメージをある程度吸収できる財政力が現時点ではある。しかし今後、気候変動の被害は増えていく一方であり、そうなれば人的被害のみならず経済的な負担も増大していく。また気候変動以外にも、世界全体が抱える大気汚染やプラスチックゴミの問題を逃れることができる国はない。
人々の安全を脅かすものはそれだけではない。新型コロナウィルスのパンデミックが示すように、感染症は日本にも大きな害をもたらす。発生源や感染ルートがどこであろうと、これだけ世界が密接に関わる中で、世界で起こる感染症は日本にとっても脅威になりうる。現状では、大きな問題になってから政府が慌てて対策をとる傾向が目立つが、新型コロナウィルスのような感染症流行の危険性は以前から知られており、警鐘を鳴らしてきた研究者やジャーナリストも少なくない。新たな感染症の危険性に対する認識と危機感が一般国民の間にも浸透していれば、大きなパンデミックに発展する前に、予防的な政策の必要性を政府に訴えることができたのかもしれない。
このような感染症の流行と環境問題は切り離すことのできない問題だ。動物から人間に伝染する新型感染症は人間の自然界への進出から生じることが多いとされており、森林伐採と新型感染症の発生との関係は複数の研究で証明されている。また、感染症のみならず、様々な疾患の治療に使われる薬の原材料は破壊されていく自然界から採取されており、世界の生物多様性の減少が感染症対策などにも響く。
世界の現状が見えていないと、感染症などへの対策が遅れる場面が他にも数多くある。例えば、これまで日本への影響が少なかったデング熱が世界で急増しており、日本にも上陸してきた。また、世界で抗生物質が効かなくなってきている危機も指摘されており、新たな薬の開発が急務となっている。

木を伐採する農家、エクアドル(写真:CIFOR / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
武力、環境、感染症の問題、いずれにしろ、外の世界が抱える問題から目を背け、水際対策のみに集中することが賢明な戦略ではない。気候変動や大気汚染・水質汚染は国境と関係なく広まる。感染症については、日本の経済が外の世界との関わりに頼っている以上、入国を止めることは効果的かつ現実的な対策にはならない。たとえ日本から新型コロナウィルスを撲滅させ、国民全員にそのワクチンが行き渡ったとしても、世界のどこかで残れば、ワクチンが効かない新たな形に変異株が現れることは予測されている。世界が抱えている問題を国境線で止めるより、世界全体で未然に防いだり、発生源から広めないための対策の方が日本のためになるだろう。
評判
国益は物理的な「脅威」だけで捉えることができない。自国が「好かれている」かどうかがソフト・パワーの一環としてみられ、日本政府も重要視していることがうかがえる。人や国に対して「親日派」という言葉が様々な場面で用いられるようになっている。加えて世界各地で日本が好意的にみられているという主張が報道やバラエティ番組で強調されている。その背景には報道機関の顧客である読者・視聴者に喜んでもらうためという側面もあるだろう。しかし世界で日本の評判を下げる事象も当然存在しており、より包括的かつ客観的に現実を見つめないとその対策を取ることもできない。
例えば世界における企業の行動が挙げられる。数十年前に遡ると、アパルトヘイト政権下の南アフリカで資源を確保するために南アフリカ国内での差別を容認した結果、日本の人は「名誉白人」として扱われ、その影響はアパルトヘイト崩壊後は負の遺産として残った。また中東諸国の原油や、リベリアのゴムといった資源確保のために抑圧的な独裁政権や反政府勢力と協力する日本の企業の姿もあり、現在もそのような関係が続いているところがある。東南アジアでの森林伐採と環境破壊に加担した日本企業も問題視されてきた。
近年では、南アフリカや東南アジアなどでの日本企業による腐敗事件や不適切な行動などが日本国外で話題となってきた。また、企業に必ずしも非がなくても、その経済活動が大きければ、批判の的となる場合もある。例えば、コンゴ民主共和国での紛争は一時期「プレイステーション戦争」と呼ばれることがあった。背景には2000年に電子機器に必要なタンタルという鉱物資源の市場価格が跳ね上がり、高価なものとして同国でタンタルが紛争資源と化したことが挙げられる。同じタイミングに発売されたプレイステーション2製造のためのタンタル確保にソニーが苦労していたことも報告され、この商品と紛争が結び付けられた。

コルタン(タンタル)の鉱山、コンゴ民主共和国(写真:MONUSCO / Flickr [CC BY-SA 2.0])
しかし、評判は特定の事件や国との関係だけの問題ではない。国際関係の全体的な仕組みも問題となる場合もあり、日本政府の政策方針が批判の対象になることもある。改革が求められるアンフェアトレードが蔓延する貿易の現状やタックスヘイブン問題などへの後ろ向きな姿勢が目立つ。難民を受け入れようとしない日本政府の姿勢も批判の対象となっている。また、政府開発援助(ODA)においても、やり方次第で強い反感を買うこともある。
しかし、国の評判は後ろ向きな行動だけではなく、前向きな行動にも左右される。自国の存在感及び評判を高め、維持するには世界におけるリーダーシップの発揮もひとつのカギになるだろう。しかし経済強国の割に日本はどれほど「リーダー」としてのイメージが付いているのだろうか。国際舞台での存在感自体が薄いとも言えるかもしれない。現状では経済規模が世界3位となっている日本だが、アメリカの大手紙ニューヨーク・タイムズにおける国際報道では、報道対象となっている国の中で日本は21位、全体の報道量の1%以下という調査もある。また、ODAを受ける国々の政府関係者に対する調査では、ODAを通じた影響力(influence)においては日本は調査対象の35の国・機関中25位、有用性(helpfulness)においては23位と低くランクインした。特定の地域を挙げると、アフリカ諸国に対するODA拠出額でみれば日本は主要国のひとつであり、1990年代から定期的にアフリカ諸国の首脳を招集し大きな会議も開催している。しかし、アフリカで影響力を発揮している諸外国を紹介する報道記事や研究では日本が取り上げられることは少ない。
世界の舞台でのリーダー役を果たすには、外交の場で他の国や機関が直面している問題を明確化し、議題設定をし、解決策を提案することが求められる。そのためには、各分野で世界を視野に入れて分析できる幅広い人材が重要となる。国際報道の充実はその育成に大きく貢献できるはずだ。
国際報道ができること
日本の国益の観点から、アメリカ、中国など日本との関係が非常に深い国々を優先的に取り上げることは妥当であろう。しかし現状では国際報道の量があまりにも少なく、そしてそのバランスがあまりにも偏りすぎている。世界の大半に対してはその一部を断片的にしか見せず、日本と直接的につなげることができる話題が中心となっている現状があまりにも近視眼的であり、日本のためにもなっていない。

(写真:Tony Webster / Flickr [CC BY 2.0])
報道機関の多くはビジネスであって、利益を考えなければいけない。したがって読者・視聴者の関心を考慮する必要がある。しかし、けっして「関心がないから報道しない」という単純な仕組みではなく、報道機関は重要だと思う話題に対して積極的に「関心」を作り出すことも多い。また、報道機関は企業である以前に、公益性を重要視する機関として位置づけられている特殊なビジネスでもある。容易なことではないが、読者・視聴者がより包括的な国際報道を求めれば、報道機関は現状を変えることができるはずだ。
世界は複雑で広い。すべての人が常に世界のすべての事象や課題を把握し理解することは求められない。しかし、外交官や商社といった国外のアクターと直接的に関わりがある人たちにすべてを任せることができるような世界でもない。そういった意味でも国際報道の充実は、政治家、各省庁や地方自治体、各種の企業、教育研究機関、医療機関、NGOなど様々な立場の人たちに裨益する。世界に関する情報はあらゆるアクターにとって、リスクを減らしチャンスを増やす可能性を秘めている。世界の裏側に暮らす人々や組織が直面する問題、さらにはその対策の成功や失敗は日本に暮らす人にとっても学びをもたらす。場合によっては、自身が抱える問題との共通点を見出したり、解決策を真似したりすることができるかもしれない。あるいは、広い視野を持つことで思わぬイノベーションが生まれるきっかけになるかもしれない。その世界に関する情報を深読みしなくても、少しでも触れることができる機会があるのとないのと、その差が大きい。
我々はどのようにこの地球で生きるのか、どのように付き合っていくのか、一度問い直してもいいのではないだろうか。
ライター:Virgil Hawkins
自国ファーストの報道が、結果的に自国の首を絞めることになるというのが大変興味深かった。改めて偏った報道はすべきでないと感じたし、世界を包括的に理解することが問題解決や改善につながるのだと思った。
グローバル化に伴って他人事とみなせる問題や事象がなくなってきていることを改めて認識できました。報道側が関心を「作っていく」立場となって情報を発信していってほしいと感じました。
10%は少ないだの偏ってるだのと文句垂れる事は誰でも出来る。では何%なら君は満足するのか。NYTを例に出したが、そのNYTは何ページを国際面に当てているのか。
“そういった意味でも国際報道の充実は、政治家、各省庁や地方自治体、各種の企業、教育研究機関、医療機関、NGOなど様々な立場の人たちに裨益する。”
日本人の精神が内向きになっている。テレビ局に聞いてみればいい。テレビの視聴率は1分単位で出る。海外ニュースになれば、視聴率はどうなるのか。それを知った時、はたしてそんなきれい事が言えるかな?フフフ♡✧。(⋈◍>◡<◍)。✧♡
もちろんどうやって興味を引かせるかという視点もあるだろうが、そもそも新聞の購読者数は減り続けているわけでね。もっとも少子化で内需が崩壊して外需に頼らざるを得なくなるんだから新聞読んどけよ、という話なら理解する。
報道が抱える問題に対して関心がない人に関心を抱いてもらうには、「関心を持つことは日本や自分にとってもメリットがあることなんだよ」と言うことは非常に有効だと思います。むしろ、正義を説いても有効ではないでしょう。
国際報道の少なさ、アンバランスさは情報を受け取る側の私たちに対して不利益があるように感じました。そしてそれを理解したうえで、私たちも情報を受け取る必要があると思いました。
世界を知ることは、日本を知ることだと感じました。よく言われる、日本人の”平和ボケ”にも繋がっているのだと思います。
日本の国際面は米中に偏っていると筆者は批判しています。そして、それは日本の国際的な影響力を下げている。ニューヨークタイムズの国際面において日本は1%しか割かれていない。では米国は日本に対して影響力を持っていないのだろうか。なぜニューヨークタイムズは偏りがあってもよく、日本紙は駄目なのだろう。
このように1つ1つの主張・事実を読むと、矛盾や疑問に気づく事はたやすい。しかし文章にした途端、それが分かりにくくなってしまう。それを補うのは、英語……ではなく、読解力であります。なぜ筆者がこの記事を書いたのか。それは日本を下げるため?それともマスメディアに対してマウントをとるため?
他にも指摘したい点は多数ありますが、長くなるためここまでとします。なぜ日本の国際的な影響力は小さいのか。それは日本の外交はなぜうまくいかないのか、と言い換える事も出来ます。それは当然ながら国主である私に責任があるわけですが、外交官の問題を指摘させてもらえば、明らかに読解力が足りないからでしょう。読解力があれば、この矛盾や論点の本質に気づき、そして筆者の意図の邪推まで出来るわけです。先述の通り、新聞のせいではありません。情報量0のコメントをしている諸君も反省すべきです。この論点の本質を突く私の論法は、日本の主食から名を取り、「ご飯論法(rice logic)」と呼ばれています。みなさまも本質を見抜き、はぐらかさずに生きましょう。
※第一段落はwhataboutismにはあたらない事を明記しておきます。