世界には、貧困や飢餓、不平等や気候変動など様々な問題が山積し、時に人々の安全保障を脅かし、人間らしく尊厳のある暮らしをすることすら阻む。8億人もの人が極度の貧困状態で暮らし、人や国の不平等は広がる一方である。これらの問題への早急な解決に向けて、2015年に国連が持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs、以下SDGs。)を定めた。17の目標には2030年までに解決しなければならない貧困や労働、不平等、気候変動など世界の課題が記されている。
このSDGsという言葉、日本でも耳慣れたものになったのではないだろうか。SDGsという言葉が日本社会へ浸透してきた背景には、SDGsという言葉が報道を含め様々な場面で使われていると考えられる。また、最近では政府や企業、NGOなど様々なアクターがこの目標を用いたキャンペーンやイベント、プロジェクトを行なっている。しかし、SDGsの問題の本質を正確に捉えた言説は果たしてどれくらいあるのだろうか?今回は報道に着目してSDGsがどのように報じられているのかを分析していく。

United Nations Department of Public Information / 博報堂クリエイティブ・ボランティア
SDGs策定の背景
報道の分析をする前に、もう少し詳しくSDGsについて見てみたい。SDGsは2015年9月にニューヨーク国連本部で開催された「国連持続可能な開発サミット」の成果文書として、「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」として打ち出された。SDGsは世界の様々な課題に対して17の達成目標と169のゴールを定めている。SDGsが取り扱う分野は既述の貧困の撲滅だけでなく、ジェンダーや教育、保健・医療、環境問題、労働の問題さらには食や平和など多岐にわたる。それら一つ一つの目標が、相互に関連し合いながら包括的かつ包摂的に、全ての形態、様相の貧困を終わらせること、不平等と戦うことそして気候変動に取り組むことを目指さしているのがSDGsである。
しかし、このような国際的な開発目標が定められたのはSDGsが初めてではない。例えば、2000年には2015年までに解決が必要な世界の課題として、ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals: MDGs)が定められていた。MDGsでは、一部の目標については達成したものの、完全な目標達成には至らなかったという問題が残った。貧困の解決はMDGsの第一目標して掲げられていた。「2015年までに1日1ドル未満で暮らす世界の人口の割合を1990年の水準と比較して半減させる」 という目標は、2015年の時点で達成されたとされている。しかし、これは中国の急速な経済成長やインドの発展に依るところが大きい。世界全体では、一部の地域において極度の貧困状態にある人口割合の半減は達成されなかった。極度の貧困状態にある人口が集中しているアフリカ大陸全体では貧困者の数だけで見れば、半減どころか、貧困者数が増えている。その他にもMDGsが目標としていた、5歳以下の子どもの死亡率や妊産婦の健康の改善などは、改善傾向にはあるものの、目標の数値には届かなかった。
そこで、次の15年に向けて世界の課題解決を目標として打ち出されたのがSDGsである。MDGsでは主に途上国の課題に焦点を当てていたのに対して、SDGsは世界を包括的に捉えて課題の解決を目指す。これは、SDGsの「ゴール17:パートナーシップで目標を達成しよう」にも現れている。今日の世界の様々な課題を解決するためには、多様な主体が世界の問題に関わり、解決に向けて世界全体が協力し合いアクションを起こす必要がある。また、MDGsでは特定の地域で目標達成に大幅な遅れが見られたこともあり、SDGsの根幹をなすコンセプトとして「誰1人取り残さない(“no one will be left behind”)」というスローガンが掲げられた。
どのように報道されているのか?
SDGsの策定の背景には、世界の目を背けることができない課題の数々がある。では、SDGsの背景にある問題、その改善策やその可能性と限界など、SDGsは日本の報道でどのように切り取られてきたのだろうか。読売新聞のデータベースで過去5年(2014年から2018年まで)の記事を検索すると「SDGs」または「持続可能な開発目標」という単語を含む記事は104件あった。
2014年から2018年にかけてSDGs関連の記事が徐々に記事数が増えていっていることがわかる。半年ごとの記事件数の推移をみてみると以下のグラフのようになった。
まず注目したいのが、SDGsが採択された2015年から2017年の後半まで、報道量でみるとSDGsがほとんど話題になっていないということである。しかし、その中でも2016年の前半で報道量が少し増えている。では、2016年の前半で報道量が一時的にやや増加した背景には何があったのだろうか。2016年1月から6月までの実際の報道内容を見ると、第42回先進国首脳会議(G7伊勢志摩サミット)関連の記事が約半数であった。伊勢志摩サミットに先立つ2016年5月20日、サミット議長でもあった日本の安倍首相は「持続可能な開発目標推進本部」で日本のSDGs貢献策を表明しており、SDGsが採択されてから初となるG7サミットでSDGsを意識していたことがわかる。しかし、G7サミットの主要議題には、世界経済・貿易、政治・外交問題、気候変動・エネルギーといった独立した議題と並列して、開発という項目があり、その中でSDGsに触れられるにとどまった。つまりG7サミットでSDGsは意識されはしたものの、主要議題にはならなかった。
分析した記事でも同様の傾向が読み取れた。すなわち、SDGsが記事中に登場はするものの、伊勢志摩サミットに関連させてSDGsの目標達成など、SDGsを何らかの形で主要なテーマとしている記事はなかった。このようなサミットを追いかける形の報道の傾向は、アフリカの貧困問題や、プラスチックゴミ問題を取り扱ったGNVの記事でも明らかになっている。
さらに、2017年後半に記事数が一気に増え、その後2018年前半、2018年後半と3期間で記事数はだんだんと増えていっている。2017年の後半の記事の増加を後押ししたものとして2017年7月にコメディアンのピコ太郎氏が国連ハイレベル政治フォーラムでパフォーマンスをしたことが挙げられる。ピコ太郎氏は同フォーラムで国連版PPAP(Public Private Action for Partnership:官と民の連携に向けた取り組み)を披露した。このパフォーマンスはYoutubeでも25万回以上再生され、SDGsという言葉が日本で認知される一要因になった可能性はある。2017年7月の7件の記事中4件の記事がピコ太郎氏に言及している。そのような流れを受けたのか、2018年にはSDGsもしくは持続可能な開発目標という単語を含む記事の件数が最も多くなった。2018年のSDGs関連の記事は48件、一月に換算すると4件程度という結果になった。2018年のSDGsという単語を含む記事が最も多かった月は11月で13件であった。では、これらの記事で何が報道されていたのだろうか。以下ではSDGsに関連する報道の内容を詳細に分析していく。
万博のためのSDGs報道?
2018年11月の記事数の増加の原因を探ると、13件の記事中、約半数の7件が2025年の大阪万博関連であった。大阪万博は、その開催目的として、「サイバー空間とフィジカル空間を融合させ人に豊かさをもたらす社会」である国家戦略Society5.0とともにSDGsが達成される社会が掲げられている。
万博誘致のために用いられたSDGsの枠組みは新聞の中でも同じように登場している。読売新聞の報道でも万博がSDGs達成を後押しすることを目標として掲げていることに触れ、国際的な課題解決を意識した万博である旨が記述されている(※2)。しかし、実際のところ大阪万博がどれほどSDGs達成に向けて積極的であるのかと考えるとその提案書の具体性のなさからも些か疑問が残る。むしろ、自国のため(万博誘致のため)に「SDGsに貢献」というレトリックを巧みに使っただけという印象を受けるのは筆者だけであろうか。

万博の大阪開催を呼びかける看板(写真:GORIMON/Flickr [CC BY-NC 2.0])
2018年後半でSDGsもしくは持続可能な開発目標という単語を含む記事は27件あり、そのうち10件、3割程度が万博関連の記事であった。その中で、SDGsの掲げる世界の課題について具体的に報じた記事はほとんどない。万博の報道ですら、SDGsが掲げる世界の課題についてほとんど報じていない状況で、「SDGsに貢献する万博」と言えるのだろうか。「SDGsに貢献する万博」という誘致委員のレトリックを追いかける新聞報道という構図はG7サミットでのSDGs報道と共通している。
このように、SDGsや持続可能な開発目標という言葉が様々な方面で使われる一方で、SDGsの背景にある問題と各ゴール達成に向けた正しい理解が促進されているかという点には疑問が残る。そこでSDGsという言葉と関連してどのような事柄が報道されているのか、貧困問題に焦点を当ててさらに掘り下げてみた。すると、今回の分析に用いたSDGsもしくは持続可能な開発という単語を含む104件の記事のうち、「貧困」という単語が含まれる記事は50件あった。しかし、ほとんどの記事はSDGsの概要説明として貧困という言葉が用いられているに過ぎない。世界の貧困や途上国の貧困がSDGsという言葉とともに登場した記事は104件中わずか6件にとどまった。
世界や途上国の貧困はSDGsと関連づけてどのように語られていたのか、2016年11月8日の記事を例にしよう。この記事では母子保健に関連した活動をする日本に拠点を置くNPOが紹介され、その活動地として南部アフリカに位置するザンビアについて触れられていた。かろうじて途上国がメインテーマとして捉えられるのは5年間で分析対象の記事中に1件だけ見られた。わずか6件の世界の貧困を報じるSDGs関連記事でさえ、貧困国や途上国が主体となっている記事はほとんどないのである。読売新聞という日本最大の購読者数を誇る新聞でさえ、世界の貧困とSDGsを関連して報道することは非常に少ない。さらに貧困だけにとどまらず、不平等や飢餓、気候変動や平和などの問題に関して世界、特にそれらの問題の早急な解決を必要とする地域や人々へのフォーカスは少ない。
SDGsに向き合える報道に向けて
現状の日本のSDGs報道はSDGs策定の背景にある問題およびその解決策を詳細に報じているとは言えない。むしろ、日本国内の事柄について、読者の関心を引くキーワードとして使用されているとも捉えられかねない。
もちろん、何度も述べているようにSDGsはその対象を途上国だけに限定していない。それは経済成長、社会包摂、環境保護というSDGsの根幹として捉えられている課題はどの社会にも存在しているからであると考えられる。例えば、子どもの貧困という言葉が浸透からもわかるように日本社会の中にも貧困や不平等の問題がある。絶対的貧困や飢餓、国と国との不平等などの人間の尊厳を脅かす、早急に解決が必要な問題は世界中にある。これらの問題の解決に向けたアクションを世界のパートナーとして起こすこともまた、急務なのだ。すなわち、SDGsの達成には自国の問題だけでなく世界にも目を向けたアクションが取られなければならない。

タンザニアのある村の水源で水を汲む女性(写真:Bob Metcalf/Wikimedia (Public Domain)
冒頭の繰り返しとなるが、世界にはまだおよそ8億人もの人が極度の貧困状態で暮らし、人や国の不平等は広がる一方である。そして、現在のままのペースでいけば、アフリカで極度の貧困とされる人々が人口全体のおよそ10%となるのが2050年、SDGs達成目標年から20年後となる。換言すれば、このままではSDGsの目標年から20年が経過した2050年になっても、世界で極度の貧困がゼロになることはないというのだ。
「誰1人取り残さない」目標を、最も周辺化された、最も脆弱な人々なしに語ることはできない。そうでなければ、「誰1人取り残さない」という言葉はただの形骸化したコンセプトに過ぎず、我々はSDGsの達成には遠く及ばないであろう。今回見てきたようにSDGsやSDGsの背景にある問題に関して、報道はごく限られた見方でSDGsを報じている。本来、世界について我々に伝える役割を担う報道がこのような状況にある中で、我々はどれだけ世界の様々な問題について理解を深めていけるのだろうか。これまでGNVでも取り上げてきたように、世界の問題と我々の生活は切り離すことができないほど、グローバル化は進んでいる。SDGsに掲げられている数々の問題は、我々に関わる問題なのである。
※1 世界銀行のデータを元の作成。ここで表されている貧困者とは世界銀行が定めた1日1.9ドルの絶対的貧困ラインを元に算出されている。南アジアについては1999年と2015年のデータがなかったため、それぞれ2002年と2014年のデータを用いている。
※2 読売新聞 2018年11月25日「大阪万博 海上の夢空間 2025年開催決定=特集」や 読売新聞 2018年11月25日 「環境と経済成長 両立 大阪人の温かさ 強調 万博 最終PR」など。
ライター:Janet Simpson
実際SDGsが目指しているものと、日本の政府、企業、報道によるSDGsの見せ方との間に、
差があまりにも激しすぎて、全然違うものを見てるかのように思ってしまいます。
日本の政府、企業、報道の見せ方では、「SDGsに貢献しています!」とアピールしながら、
SDGsをいかに自国、自社にとってのチャンスにするものなのか。このようにしか見えません。
アフリカの話をほとんどせずにSDGsを語っているところがあまりに現実離れをしてます。
少なくとも肝心なゴール1(極度の貧困の撲滅)に関しては、このままだと2030年までにその達成に近づきそうにありません。
報道はこのような指摘をしなければいけないのに、結局のところ、アフリカなしで、自国政府と企業側からしか捉えられていません。
ちょっとした募金、ちょっとした工夫、ましてや自国・自社のアピールポイントや祭り騒ぎで済むような話ではありません。
本格的に世界を見つめ直して、本格的に取り組むしかありません。
自分の利益のために、SDGsをレタリックとして使ったという構図が、近年企業が重視しているCSRの話と似ているなと思いました。
企業が利益を得る上で、貧困を助長しているものも多々ある中で、自社のイメージアップという利益を得るために、CSRをレタリックとして使っているように感じています。
なぜCSRを果たす必要があるのか、SDGsを達成する必要があるのか、しっかりととらえ直す必要があると思いました。