日本の政府開発援助(ODA:Official Development Assistance)は1954年に開始された。当初は戦争賠償としての役割を果たしていたこともあり、1970年代の対アジアODAは全体の94.4%を占めていた。1990年代からはその地域分配に変化が見られ、2015年には対アジアODAは52.8%まで減ったが、対アフリカODAが増え、同年15.6%を占めるようになった。アフリカを重要視するようになってきた日本政府は1993年にアフリカ開発会議(TICAD:Tokyo International Conference on African Development)を立ち上げた。TICADはODAにおいてアフリカへのシフトを表すものとも言えるが、この会議を通して、対アフリカODAが日本のメディアでどのように報じられてきたのか取り上げたい。

TICAD Vでの記者会見 写真:TICAD V Photographs [CC BY-ND 2.0]
TICADとは何か
一先ずTICADについて簡単に見てみよう。TICADは、日本政府が中心となり、アフリカ各国の首脳などを招集し、アフリカの開発について協議をする国際会議である。国連、国連開発計画(UNDP:United Nations Development Programme)、アフリカ連合委員会(AUC:African Union Commission)及び世界銀行が共催者となっている。日本政府主催の最大規模の国際会議として位置づけられている。2013年のTICAD Vまでは5年ごと(1993年、1998年、2003年、2008年、2013年)に日本で会議が開催されていたが、6回目の会議からは3年ごとに日本とアフリカ相互に開催されるようになった。TICAD VI(2016年)はナイロビ(ケニア)で開かれた。
TICADへの報道量
では、TICADは日本のメディアによってどれほど注目されたのだろうか。今回は日本の新聞の中で発行部数が最も多い読売新聞を対象にした。会議前の準備段階(開催前の2週間)、会議中、会議後(終了してからの2週間)のまとめなどと、報道を3つの段階に分けている。
上のグラフから読めるように、TICAD IからTICAD IIIまでは、関連報道の記事数及び文字数が非常に少なく、TICADに対する読売新聞の関心が低かったと言える。しかし、TICAD IV(2008年)をきっかけにして、関連報道の量が大幅に増え、TICAD V(2013年)に関しても関心が高かった。2000年代から注目されるようになったアフリカにおける経済成長が関連していると思われる。アフリカは世界経済における「最後の辺境」とも呼ばれ、外部からの投資も増えた。ところが、2016年に開かれたTICADⅥへの注目度が大きく減少し、TICAD IIに対する報道量と同レベルで終わった。これに関しては、アフリカでの経済成長の停滞がある程度関連しているのかもしれない。また、TICADが日本国内ではなく、初めてアフリカ(ケニア)で開催されたことが大きく影響しているとも言える。日本の報道機関はアフリカに配置している特派員が少なく、読売新聞を含む大手新聞はケニアに特派員を配置していない。そのため、長期取材はコストがかかり、派遣できる人数も減る。日本開催のTICADに比べて取材体制に大きな差があると考えられる。
社会報道から経済報道へ
次に、これらのTICAD関連の記事の内容に注目をしてみたい。TICADは「アフリカの開発」を中心としているが、「開発」は幅広く、貧困対策の側面もあれば全体的な経済成長の側面もある。また、アフリカの開発のみならず、この会議を通じて、日本にとってのメリットを求める声が政府内外に少なくなく、アフリカの経済成長に連れ、TICADの性質がこれらの声を反映させるようになっていったともいえる。このような傾向は読売新聞でどのように報じられたのだろうか。
TICADに関する記事で取りあえげられていたテーマに分けて分析してみた。下のグラフには特に目立ったテーマの変動をまとめた。
TICAD IからIIIまでは、報道量が少なかったものの、従来の開発援助において重要視される貧困問題や教育、保健医療の課題が報道で大きく取り上げられた。特に、TICAD IIIは2000年に国連で採択されたミレニアム開発目標(MDGs:Millennium Development Goals)が脚光を浴びた背景があり、これらの社会問題が注目されたと考えられる。ところが、2008年に開かれたTICAD IVになると、このような貧困層を中心とした社会的課題より、日本の経済界から見たアフリカへと、報道の関心が日本政府の関心とともにシフトしていった。2000年代に経済成長が見られたアフリカは、日本の企業にとってのビジネスチャンスの対象地として重要視されるようになり、TICADの内容も報道もこの傾向を反映していたと言える。TICAD VIには肝心な貧困問題などの社会的課題がほとんど読売新聞に登場しなくなった。

TICAD VIで演説するセネガルの大統領 写真:World Bank Photo Collection [CC BY-NC-ND 2.0]
安保理改革と中国が報道の中心に
さらに、TICADに関する記事で目立ったテーマの変化としては「安保理改革」と「中国」がある。特に、これらのキーワードはTICAD VIで最も登場の割合が大きかったことがわかる。まず、「安保理改革」はアフリカの開発を議論する場であるTICADとは直接的な関係がないのだが、TICAD IからTICAD VIまで関連テーマとしてもれなく登場している。安保理の常任理事国入りを目標としてきた日本にとって、50ヵ国以上のアフリカ首脳を招致し、話し合える場として大きな意義がある。安保理改革を実現するためには、国連加盟国の多くの賛成票が必要だが、アフリカ諸国は国連加盟国の4分の1をも占めている。特にTICAD VIにおいて「安保理改革」とのつながりが目立った。
また、「中国」という存在がTICADに関する報道で大きく注目されるようになった。「中国」はTICAD IVから記事の内容でに登場しはじめ、TICAD VIにはその割合が8倍以上に跳ね上がり、アフリカの社会課題などに関する報道量を大きく上回った。「中国」はTICAD VIで最も注目されたテーマとなった。この背景には、急増していた中国企業によるアフリカ進出及び2000年に立ち上げられた中国・アフリカ協力フォーラム(FOCAC)などがある。中国に関しては、日本政府も報道機関も日本の経済戦略や安全保障上の課題との関係性を意識していると考えられる。
このように、各TICAD別のテーマを分析したことによりTICADに関する報道の内容は社会関連のものから経済関連(特に日本の経済界の視点)のものへと変遷していき、さらに、中国や安保理改革といったテーマにも関心が移った。つまり、アフリカ側の開発をテーマにしているより、日本にとってのアフリカの存在が報道では重要視されている。このような報道の傾向はTICADの主催者となっている日本政府の優先順位も日本企業の利害関係も反映しており、報道機関の基礎的な方針である「自国中心主義」が目立つ。

働くお母さん(ブルキナファソ) Hector Conesa/Shutterstock.com
第7回アフリカ開発会議(TICAD VII)は、2019年横浜市にて開催されることが予定されている。世界の貧富の差が拡大していく中、アフリカの経済成長も停滞している傾向が見られている。他国が必要としている天然資源を供給する大陸としての存在でいる限り、この状況が改善されるとは考えにくく、アフリカにとっての開発課題は依然として大きく残っている。
日本の利害関係、日本の観点からアフリカを見ることも必要かもしれないが、それが対アフリカ報道の中心となってしまうと、アフリカが抱えている開発問題を理解することができない。TICADが「アフリカの開発をテーマしている国際会議」とされている以上、報道機関もアフリカ開発に関する報道を考えなおす必要があるのではないだろうか。TICAD VIIが新たなターニングポイントになることを期待する。
ライター: Sooyeon Kim