新型コロナウイルスの感染拡大によって、世界銀行が定める極度の貧困ライン(1日あたり1.9ドル未満)以下で生活する人の数は、20年ぶりに増加すると言われている。その数は最大1億5,000万人にまで上ると言われており、これは世界の人口の9.1~9.4%を占める。このような状況下で、様々な国が対策の一つとして現金給付を行っている。さらに、これは新型コロナウイルスが終息してもなお、深刻な貧困状態が続くと考えられる。そこで、貧困に対する有効な打開策として、通常時から現金給付を行う制度がある。それが、「ユニバーサル・ベーシック・インカム(Universal Basic Income)」である。本記事では、ユニバーサル・ベーシック・インカムに対する期待や懸念、また実際の実施例などを紹介していく。
ユニバーサル・ベーシック・インカムとは
ユニバーサル・ベーシック・インカムとは、生きていくために必要最低限の収入を国民に保障する仕組みで、「基本所得」や「基本配当」などと言われることもある。「ユニバーサル」とは、「普遍的」という意味で、特定の人々に向けたものではなくすべての人々に向けたものであることを指す。ベーシックとは、「基本的である」ことを表し、最低限の生活を送るために必要な金額であることを示す。そして、インカムというのは「収入」という意味である。つまり、ユニバーサル・ベーシック・インカムとは「最低限の生活を送るために必要な、すべての人を対象とした収入」を表すのである。ユニバーサル・ベーシック・インカムに近い政策は、様々な形ですでにいくつかの国で実施されたことがある。しかしながら、その全てが実験的・部分的であり、ユニバーサル・ベーシック・インカムの条件を必ずしも満たしてはいない。というのも、スタンフォード・ベーシック・インカムラボによると、ユニバーサル・ベーシック・インカムとは、以下の5つを満たすものを基本的には指す。(1)全ての人々に支払われ、特定の人々を対象としないこと、(2)無条件に給付されること、(3)世帯ごとではなく個人に給付されること、(4)定期的に給付されること、(5)現金で支払われ、受給者の現金の用途が自由であることである。しかし、これまで実施されてきた、または現在実施されているユニバーサル・ベーシック・インカムは、その多くが家計調査に基づいたり、条件付きであったり、または一部の地域で実験的に導入されていたりと様々な形態を取っている。
ここで、ユニバーサル・ベーシック・インカムの実施には莫大な資金が必要になるのは言うまでもないが、その資金調達先は主に3種類あると言われている。一つ目は国の債務、二つ目は税収、三つ目は政府外からの資金調達である。政府外からの資金調達とは、例えば石油収入の一部より設立された基金などを指す。また、ユニバーサル・ベーシック・インカムに類似する概念として「負の所得税」というものがある。この概念は決して新しいものではなく、1960年ごろにノーベル経済学賞受賞者のミルトン・フリードマン氏に支持された考えで、一定以下の収入に対して、収入に応じて一定の現金が給付される仕組みである。ただし、これは収入があることが前提であり、すべての人に給付するユニバーサル・ベーシック・インカムとはこの点で異なる考え方である。ここからもわかるように、ユニバーサル・ベーシック・インカム及びそれに類似する概念は、一定期間提唱されてきた。しかし、ユニバーサル・ベーシック・インカムをめぐっては賛否両論があり、以下でユニバーサル・ベーシック・インカムを取り巻く期待と懸念を詳述する。

Stanford Basic Income Labのデータを元に作成(2021年現在)
ユニバーサル・ベーシック・インカムを取り巻く期待と懸念
では、ユニバーサル・ベーシック・インカムを支持する意見を見ていく。はじめに、ベーシック・インカムによって、人々は一定の収入を得ることができ、貧困の減少に繋がると言われている。また、一定の収入を保証することで被雇用者が悪条件の仕事を辞めるという決断を促し、雇用主が劣悪な労働条件で従業員を雇用し続けることを防ぐことにも繋がる。その結果、雇用条件の向上などを通じた貧困減少も期待できるという意見もある。
また、貧困減少は社会の他の側面への影響も大きい。一定の収入を得ることで、診察料を払うことができ、疾患等の早期段階で病院の診察を受けるため、深刻化する前に治療を早く受けることができる。また、一定の収入を得ることで栄養状態が改善し、健康状態も改善する。結果として保健衛生状況は改善されるだろうと言われている。教育に関しては、学費や教科書、制服などの教育にかかる出費をカバーでき、教育水準の向上も図ることができると期待されている。また、収入が安定すると金銭的なプレッシャーから解放され、家庭が安定するため家庭内暴力などの発生が減少すると考えられ、家庭内の安全性を高めるとも考えられている。
ユニバーサル・ベーシック・インカムは貧困減少の他にも、人々の生活や社会の様々な側面で良い効果をもたらすと考えられている。一定の収入によって生活が保障されることで、リスクを恐れずに起業する人が増加し、社会や経済に役立つ新規事業が生まれる可能性も高めるだろう。さらに、大人においても教育や職業訓練を受けるなど、自身の将来への投資を促す効果も期待されている。一定の収入を得られるため、人々は芸術活動やボランティア活動にこれまでよりも長時間従事するようになり、社会がより豊かになるとも考えられている。
さらに、ユニバーサル・ベーシック・インカムに寄せられる期待として、社会保障制度のコスト削減と制度の効率化を図ることができるという考えもある。なぜなら、既存の社会保障制度は支援目的ごとに制度が個別に運営されているため、欠陥や重複が多く存在し、コストが大きいうえに、支援を必要としている人に効率的に支援が行き届いていないと考えられるからだ。例えば、類似する状況にある家庭でも、一部の家庭は複数の社会保障制度の恩恵を受ける一方で、他の家庭は制度の対象からこぼれ落ちて恩恵を受けられないといったものである。そこで、個人が金銭の用途を決定できる単一のシンプルな制度に置き換えることで、より社会保障制度を合理的にすることができる。さらに、既存の社会保障制度は家計調査等に基づき支給の有無や支給額、控除額が決定されるため、その調査や管理に大きなコストがかかっている。ベーシック・インカムはすべての人々に一律に一定の給付を与えるため、そうした調査や管理のコストがかからない。以上より、ユニバーサル・ベーシック・インカムは既存の社会保障制度の合理化とコスト削減に貢献できると言われている。
また、ユニバーサル・ベーシック・インカムの導入によって消費が増え、経済が潤うと報告する研究がある。米ルーズベルト研究所によると、アメリカの全成人に月額500米ドルを給付した場合、消費が増加し導入から8年後にGDPが最大6.8%増加すると推定されている。最後に、機械化やAIの導入によって将来的に職を失う人々の収入を補填することができるだろうという意見がある。アメリカでは、2032年までに機械化によって労働者の3分の1が職を失うと予測されている。今後、機械化やAIの導入による労働力の需要が小さくなる可能性は非常に高く、それによる人々の雇用機会及び収入減少にユニバーサル・ベーシック・インカムは対応できると考えられている。

ベーシック・インカムについて議論が交わされたOECDフォーラム(写真:OECD Organisation for Economic Co-operation and Development /Flickr)[CC BY-NC 2.0]
次に、ユニバーサル・ベーシック・インカムに対する批判的な意見も見ていく。はじめに、ユニバーサル・ベーシック・インカムは人々の労働のインセンティブを排除し、多くの人を政府に依存させるだろうという批判が頻繁にされている。つまり、一定の収入が保証されていると人々は働く必要性を感じなくなり、働く意欲が低下するというものだ。実際に、ユニバーサル・ベーシック・インカムの金額が大きくなると自主的な辞職が加速度的に上昇するという予測もある。ユニバーサル・ベーシック・インカムの財源が税収の場合、人々が労働の意欲を失い辞職することで、労働者の税負担がさらに大きくなり、より沢山の人が辞職するという悪循環が想定されるためだ。
また、先述の米ルーズベルト研究所の研究結果とは反対に、ユニバーサル・ベーシック・インカム導入によってGDPが減少するという予測も報告されている。米ペンシルベニア大学ウォートン校のケント・スメッターズ氏らによると、アメリカでは全成人に月額500米ドルのベーシック・インカムを給付した場合、導入から8年後までに債務は63.5%増加し、GDPが6.1%減少すると予測されている。また、導入から13年後までには、債務は81.1%増加し、GDPも9.3%減少するという。つまり、ユニバーサル・ベーシック・インカムのGDPへの影響に関しては意見が大きく分かれている。
GDPが減少するという予測の背景には、実施に必要となるコストがある。ユニバーサル・ベーシック・インカム実施に必要な費用が莫大であるという指摘が頻繁になされているからだ。英バース大学で行われた予測モデルでは、最も安く見積もったとしてもイギリスで年間約1,900億米ドル相当が必要になるという。また、低所得国では、生活を保証する収入の金額は比較的小さくなるものの、財源は限られているため、高所得国同様に運用に関してはコスト面のハードルが高い。例えば、コートジボワールでは、不自由なく生活できる収入は年間7,318米ドル相当と推測されている。これは、世界銀行が定める極度貧困ライン(1日1.9米ドル)を大きく上回る。また、コストがかかることは、すなわち、財源が税収の場合、資金調達源の一つである国民に対する課税も大きくなることを意味する。したがって、納税という国民の負担が大きくなる可能性も指摘されている。
一方で、ユニバーサル・ベーシック・インカムの資金調達を容易にするために、努力できる部分はあるという支持意見もある。例えば、租税回避や脱税を通じて国外に膨大な資金を流出させている企業や個人を取り締まることで、税収損失を回避することができ、税収を確保することができる。企業の租税回避による世界の税損失は、毎年3,300億米ドルにのぼるという。これは、実際に経済活動が行い利益を得た国から、実質的に経済活動のないタックスヘイブンに利益を移転し、そこで利益を得たように見せかけ、本来かかるはずの法人税を逃れるという仕組みなどによって可能になっている。企業から正しく適切に徴税すれば、多額の税損失を取り戻し、ユニバーサル・ベーシック・インカムの資金になりうると考えられる。
また、世界の極端な格差に着目し、ユニバーサル・ベーシック・インカムにかかる費用の問題解決を提案する意見も存在する。それは、富裕層に対してさらなる課税を行うことで資金調達が可能になるというものだ。クレディ・スイスによると、世界で最も裕福な人々の上位10%が世界の富の85%を所有しているという。世界の9割近くの富を持つ富裕層に対する課税を強化し、それをユニバーサル・ベーシック・インカムの財源とすることで、税の一つの機能である「富の再分配」が可能になる。さらに、貧困の削減を第一目標とするベーシック・インカムを実現するために、持続可能でない経済活動を行う企業に対する政府の補助金を停止することも有効だと考えられている。例えば、世界の化石燃料補助金は、2015年の時点で年間4.7兆米ドルにものぼる。これは、持続可能な開発目標(SDGs)の達成を妨げるものであるため、補助金を停止し、資金をユニバーサル・ベーシック・インカムに充てるほうが適性であるという考えもある。
以上より、ユニバーサル・ベーシック・インカムの概要や一般的に言われている支持意見または批判を紹介した。以下ではさらに具体的に実施されたユニバーサル・ベーシック・インカムに近い事例について時系列順に詳述していく。
実施例:カナダ(マニトバ州)
はじめに、カナダのマニトバ州ドーフィン市とウィニペグ市で1975~1978年に実施された「ミンカム実験」について述べる。最低所得層に該当する人またはその家族は誰でも参加資格を持ち、ウィニペグでは約1,500世帯、ドーフィンでは約600世帯を対象に給付された。給付される金額は家族の人数や年齢、および収入源によって異なるが、月額約250~390米ドル相当が給付された。

ドーフィン(写真:AI/ Flickr)[CC BY-NC 2.0]
この実験から、様々な結果が明らかになった。最初に、この実験を通してベーシック・インカムは人々の健康状態を改善させることがわかった。ベーシック・インカムの給付を受けた人々は、そうでない人々と比較して入院率が8.5%減少し、医師の診察を受ける頻度も減少した。また、高等学校の修了率も向上した。例えば、実験前、ドーフィンの学生は高等学校の卒業率が低く、多くの学生が16歳で退学して農場や工場で働くのが一般的だった。しかし、1976年には、ドーフィンのすべての学生が最終学年に進学することができ、教育水準の向上が見られた。加えて、先述の通り、ベーシック・インカムに対する懸念として、ベーシック・インカムが労働への意欲を失わせるというものがあるが、この実験結果ではその批判は否定されている。4年間の実験を通して、世帯主の労働状況には変化がなく、ベーシック・インカムによって労働のインセンティブは減少しなかったと結論付けられている。一方で、家庭内の主要な稼ぎ手ではないメンバーの雇用率は減少した。具体的には、子持ちの女性と未成年である。なぜなら、子持ちの女性は、保証された収入のおかげで以前のように育児と並行して働く必要がなくなり、より長い育児休暇を取る傾向が大きくなったためだ。また、未成年は一家の家計を支える必要がなくなり学校に通えるようになったためである。
実施例:ブラジル
2003~2010年、ブラジル全土で、約1,360万世帯がベーシック・インカムを受け取るボルサ・ファミリアプログラムが実施された。約4,660万人、ブラジルの全人口の約22%が給付を受けた。このプログラムでは、家計調査に基づき、貧困家庭を対象にベーシック・インカムが給付された。さらに、貧困家庭であること以外にも、受給者は子供を学校に通わせることや予防接種を受けさせることなどが給付の条件だった。1世帯当たりの平均支給額は月額約34米ドル相当であった。
本政策の導入後、国の貧困率は2003年の26.1%から2009年には14.1%に低下し、極度の貧困率は10.0%から4.8%に低下した。また、格差の大きさを示す値であるジニ係数は、2003年の0.58から2009年の0.54 へと小さくなった。本プログラムは対照群を作成していないため、貧困減少や格差是正の結果と政策との因果関係はわからないものの、本プログラムの成果がある程度貢献したことは考えられる。

ボルサ・ファミリアプログラム(写真:Senado Federal/ Flickr)[CC BY 2.0]
また、ブラジルのマリカ市では、2019年から新たなベーシック・インカムの実験が行われている。約52,000人が月に約25~35米ドル相当を受け取り、2020年4月に給付額は2倍以上の約58米ドル相当に増加した。給付の条件は、マリカ市に3年以上居住していて、ブラジルの最低月収の3倍未満の収入(約615米ドル相当)の家庭に属していることである。この実験の特徴的な点は、ベーシック・インカムがマリカ市のみで使用可能な現地通貨の「ムンブカ」によって支給されることだ。これにより、ベーシック・インカムが何に使用されているのか、および給付を受けた後の人々の行動の変化をより正確に測定することが可能になる。また、この「ムンブカ」を発行するムンブカ銀行は、市民や地元の中小企業に無利子のローンを提供している。
資金調達源は、石油収入による収益であるため、実験は長期にわたって実施可能であると言われている。この実験は始まったばかりであり、結果は出ていない。しかし、受給者の人数が他の実験と比較して多く、また現地通貨を用いて正確にデータを測定することが可能になった本実験の結果は、ベーシック・インカムの普及に向けた議論に大きな影響を与えるに違いない。
実施例:フィンランド
次に、フィンランドで行われた実験を紹介する。2017年から2年間、フィンランドで全国からランダムに抽出された2,000人の失業者に月額670米ドル相当を給付する実験が行われた。給付される条件は、実験開始時に25~58歳であり、最低限の失業保険に加入していることだった。また、受給者は、期間内に就職した場合でも給付を受け取り続けることができる。

フィンランドの社会保障機関(写真:Kotivalo/ Wikimedia Commons)[CC BY-SA 4.0]
では、この実験からどのような結果が得られたのだろうか。ベーシック・インカムの受給者は、そうでない人々に比べて幸福を感じ、精神的な負担やストレスが少ないことがわかった。また、ベーシック・インカムの受給者で経済状況に不安を感じている人は39%であった。これはUBIを受け取っていない人の49%が経済状況に不安を抱いていることと比較して少ない割合であった。つまり、ベーシック・インカムによって自身の経済状況に不安を感じる割合が低くなると判明した。ほかにも、受給者は、ベーシック・インカムを受け取る前よりも、政府や警察といった社会制度に対する信頼度が上昇したと報告している。また、ベーシック・インカム受給者の雇用状況は変化が見られず、失業状態が続いた。
実施例:ケニア
2017年より、ケニアでもベーシック・インカムの実験が行われている。シアヤとボメットという二つの郡で約20,000人を対象に給付されている。本実験では、毎月22.5米ドル相当の給付を12年間続けるグループ、毎月22.5米ドル相当の給付を2年間続けるグループ、約500米ドル相当の一括払いを受けるグループ、そして比較検討のためにベーシック・インカムを受けないグループ、以上の4つのグループが作成され、実験は現在も行われている。

ケニアのボメット(写真: Kiprotich Towett/ Wikimedia Commons)[CC BY-SA 4.0]
2020年の時点で、この実験からベーシック・インカムの様々な影響が判明している。はじめに、受給したすべてのグループにおいて、飢餓を経験する割合が4.9〜10.8%低くなった。また、病院での受診率も2.8~4.6%低くなり、家族の罹患率も3.6~5.7%低くなったという。ほかにも、受給者は鬱になりにくくなったことも発見された。また、ベーシック・インカムの受給者は、非受給者に比べ起業して新規事業を立ち上げ、事業利益を生み出すことも判明した。以上より、ベーシック・インカムが貧困や飢餓を減少させ、心身の健康状態の改善に役立つと考察される。
まとめ
これまでの実施例はすべて実験的で小規模なものだったため、全国的に実施した際にどのような影響が現れるかは不明である。また、ベーシック・インカムの金額設定が比較的小さい実施例が多く、ベーシック・インカムを生活ができるレベルの金額まで引き上げた際に、どのような結果が現れるのかは未知である。また、莫大なコストが必要になるのは間違いなく、その資金調達をどのように実現するかは大きな課題だろう。一方で、そのような課題や懸念を抱えながらも、実験例からは前向きな結果が多数判明しており、また、働く意欲の喪失といった特に懸念されていた問題もそれほど現れていない。加えて、現在多くの人が貧困状況に直面し、今後も新型コロナウイルスの感染拡大や気候変動によってその数が増えることが予測される中、貧困を解決する手段として大きく期待できる政策とも考えられる。したがって、ユニバーサル・ベーシック・インカム普及に向けたさらなる議論が期待される。