国際問題への対策を語る文脈の中でよく取り上げられるものとして「政府開発援助」、通称ODA(Official Development Assistance)というものがある。紛争、災害の被害、あるいは貧困や保健医療、教育問題などの長期的な開発問題への対策を議論すれば必ずと言っていいほど話題に上がるODA。高所得国から低所得国への支援という意味で比較的良いイメージとして定着している「支援」であるが、実態としてはさまざまな問題を抱えている。今回の記事ではODAの実態と問題点について取り上げる。
目次
国際支援の歴史
まず現代の国際支援を分析するために国際支援というものがどのような歴史をたどり発展してきたかを概説する。
支援というものは昔からさまざまな形で行われている。宗教団体や非政府組織(NGO)、財団や個人の富豪などが様々な理由で他者を支援するという歴史が古くから存在している。国家はその中でも支援の主要な当事者であり、いつの時代も様々な形で他国に対して「支援」を行ってきた。その多くは「支援」という名目で同盟国に対して自国の安全保障を担保するためや、自国の貿易を有利にもっていくため、外交的な支持を集めるためなど、戦略的に行われてきたと言える。現在の国家による国際支援制度は第二次世界大戦期にその原型が形成されたということができる。
第二次世界大戦が終結に向かう1944年にブレトンウッズ会議にて世界銀行と国際通貨基金(IMF)を両軸に国際経済を支えていくシステムが構想された。その一環として戦後復興のための国際復興開発銀行(IBRD)が世界銀行グループ創設の初期からの機関として設立され、当初はヨーロッパの再建を主目的として運用された。しかしIBRDが行うのは主にローンであるためいわゆる字義通りの支援とは多少異なる。
またアメリカは1948年にマーシャルプランを策定し、ヨーロッパ諸国の国家再建のための支援を行った。このようなアメリカの姿勢には対ソ連の思惑があった。当初ソ連を含む東側諸国もマーシャルプランの支援対象に含まれていたが、ソ連はアメリカ帝国主義の一環であるとして受け入れを拒否した。これが結果的に東西冷戦構造を固定化することにつながる。逆にソ連は東側諸国の結束を強めるために1949年に経済相互援助会議(COMECON)を結成。当初は東側諸国の中でもヨーロッパ諸国への支援が行われるようになった。この時点では日本などの一部の国を除くアジア・アフリカなど、非ヨーロッパ諸国は支援を受けることがほとんどなく、これが後の格差に大きな影響を与えたとの見方もある。
1948年のマーシャルプランを契機に欧州経済協力機構(OEEC)が設立された。そのOEECを前身にして1961年にアメリカとカナダを加え経済協力開発機構(OECD)が発足しヨーロッパ主体のものからよりグローバルなものへと変容を遂げた。OECDは1960年に開発援助委員会(DAC)を創設し、政府開発援助(ODA)の調整やルール作りの活動をしている。ODAとはDACによって「開発途上国の経済発展と福祉を促進し、特にその目標を設定する政府援助」として定義されている。1969年にはODA を「ゴールドスタンダード」つまり対外援助の中核を担うものであると設定し、今でも開発援助の主な資金源となっている。
1970年の国際開発援助会議にて専門家の提言などを踏まえて開発途上国(※1)が適切な発展を遂げるために必要な資金を賄うためにDAC加盟国はODAを自国の国民総所得(GNI)に対して0.7%拠出することが数値目標として設定された。これは国際連合総会決議としても採択され、今現在もベンチマークとされている。
ODAの不足と偏り
ODAという制度は現在適切に機能しているのだろうか。答えはNOと言わざるを得ない。まず支援の量が絶対量として圧倒的に不足している現状がある。2022年のデータでは上述のGNI比0.7%というODA額を達成できたのは30カ国いるDAC参加国のうちデンマーク、ドイツ、ルクセンブルク、ノルウェー、スウェーデンのわずか5カ国 のみであった。これは2022年が特段少なかったわけではなく、1年前も同じでありそれ以前も似たような水準である。支援額として1位であるアメリカもGNI比で換算すると0.22%である。30カ国全体で平均をとっても0.36%であり、0.7%という目標までは程遠いことが見て取れる。しかもこれは後の章で詳述するようにウクライナへの支援といったイレギュラーな多額の支援を含むものであり、例年であればもう少し低い場合が多い。
また、量が少ないというだけでなく、世界が抱えている問題を見渡したときに支援金が適切に配分されているのか、つまり支援のニーズと供給の偏りがないのかという論点がある。現実として大きな偏りが存在している。いくつか大きく支援が偏った例を挙げる(※2)。
2003年はアメリカの侵攻によりイラク戦争が開戦した年であるが、イラクに対して全世界から総額約34億6千万米ドルが支援された。2位であるエチオピアに対する支援額が約4億9千万米ドル、3位のアフガニスタンに対してが約4億5千万米ドルである。しかしここで言及しておきたいのはこの年を見ても他にも大きな紛争は繰り広げられていた。例えばコンゴ民主共和国では紛争によって2002年11月までに第二次世界大戦以降最多とも言われた330万人が命を落とし、その大半は病気や飢えによるものだということが報告されている。それにもかかわらず、コンゴ民主共和国への支援額は7位の1億8千万米ドルであるということを考えるといかに支援が偏っているかがわかるであろう。
また直近の例でいうと2022年にはウクライナに対する緊急支援総額は約43億9千万米ドルであった。2位のアフガニスタンで約38億8千万米ドルであり、3位のイエメンで約27億5千万米ドルである。死者数だけで比較できるものではないものの、あくまでも2022年6月の時点で考えるとウクライナでの死者よりもミャンマーでの紛争の死者の方が多かった。しかしながらミャンマーへの2022年の支援額は23位で4億3千万米ドルであり、ウクライナ政府への支援の約10分の1であった。ウクライナを顕著に支援するという結果に対してアフリカの諸国からは国際会議の場にて度々「ダブルスタンダード(二重基準)」であるとしてそのようなドナー国の姿勢を非難している。
長期開発支援においても類似の傾向が見られる。本来的に支援ニーズが恒常的に高いはずである最貧国への長期的開発支援よりも貧困の度合いが中程度である国への支援が割合として多いというデータもある。例えば2021年のドイツの支援額のうち最貧国への支援はわずか13%であった。このような点からも投資や貿易における良い条件や政治的な支持を得るためなどに援助を戦略的に利用しているというようなことを読み取ることができる。
また別の側面から分析すると使用用途の偏りというものもある。2000年からほぼ毎年、多くの割合の人道支援金が世界食糧計画(WFP)に分配されており、直近の2022年では全ての緊急支援のうち約34%がWFPに提供されていた。WFPは飢餓から世界の人々を救うために活動しており、その功績が認められ2020年にはノーベル平和賞も受賞している。しかしWFPは当初、支援をする中でアメリカ産の農作物を購入することで、アメリカ経済を支えていることに繋がっているのではないかと非難されたこともある。世界中には注目する必要のある問題がさまざまにある中で、食糧関係は非常に大きな問題であるとはいえ、大きく偏りすぎていることは予算配分の中で何らかの恣意性が介入している可能性が示唆される。
このように不足している支援額の中で大きな支援格差が起こっている実態がある。
現地に届かず高所得国内に留まる支援
では他にどのような問題があるのだろうか。各国はODAを目標値のGNI比0.7%に近付けるため苦心しているが、その中で一つ問題になるのは支援金が低所得国に使用されるのではなく、高所得国に使用される、それも自国に対して支払っている場合が決して少なくないということである。2011年から2021年の間にグローバル・サウス(※3)の国が直接受け取った支援金はODA総額の平均40%でしかない。健全な支援とは言えない実態がそこにはある。これはどういう仕組みでなされているのかというと、一つの名目は「難民支援」である。自国に受け入れた難民を支援するための資金として自国の難民支援団体や他の高所得国の難民支援機関に援助をするという例が存在する。例えば2022年イギリスではODA総額の3分の1が国内の難民を支援することに使われた。近年で見るとロシア・ウクライナ紛争での難民の発生時には特にその問題が顕在化した。
他の例としては支援を担う機関が国内での研修や施設運営といった部分の予算もODAとして換算していることがある。例えば、日本では独立行政法人国際協力機構(JICA)が国内に受け入れる研修生の研修費や文部科学省による留学生受け入れ事業の一部もODA費に含まれている。またイギリスでも同じように研修費や留学生の受け入れをODAとして換算している。これらはもちろん低所得国への支援に間接的に関わっていると言えないことはないが、これらの費用をODAとして換算することにより、ODAの大きな部分が自国内で使用され、自国の経済に還元されるという仕組みになっている。
また他の理由で高所得国内に留まっていることがある。それが医療分野である。以前からも存在した問題であるが、特にコロナウイルスの流行によりその傾向は顕著になった。2019年から新型コロナウイルスが蔓延したことで支援が多額になった。その結果、ODAの国際的な総額は過去最高記録を達成した。
しかし、額面上は過去最高を記録したとしても本当の意味での国際支援がなされているとは考えづらい。つまりここでは額面で見ると確かに増加したかもしれないが、この裏側では高所得国が製薬会社から自国のために買いすぎた余分のワクチンの有効期限切れがせまり、ODAという名目で「処分」していたという側面があることが報告されている。ワクチンをODAの名目でカウントすることはDAC規則によって認められるようになった。しかしその中で期限が切れそうなものがアフリカに届き、期限内に使用し切れず、アフリカで処分せざるを得ない状態に陥ることもあった。また、被支援国が有効期限問題でワクチンの「ODA」を断ることも多かった。さらに高所得国がワクチン購入に支払った実費よりも高い金額でODAがカウントされてきたことも報告されている。このようなことからこれまでもGNVがたびたび指摘してきたように、結局はワクチンや検査キットを研究開発している特定の製薬会社や実業家の懐が潤っている可能性が高い。
現地には届くが効果が薄い、もしくは逆効果な支援
前の章ではそもそも支援が現地に届かないという問題を指摘したが、では現地に支援が届けばそれでいいのだろうか。現地に届いたとしても効果が薄かったり、そもそもその支援自体が逆効果を生み出したりするような例も存在する。まずは効果の薄い例を紹介する。
一つが紐付援助(タイド・エイド)と呼ばれるもので、これを簡単にいうと支援を担う企業・機関をドナー国が指定する援助のことであり、その指定先はドナー国の企業・組織であることが多い。つまり、例えば被援助国のインフラを整備するための支援をしたとしてそのインフラ整備を請け負う会社としてドナー国の企業を指定するといったようなことである。
インフラは被支援国に残るが、高所得国の単価で整備を行わなければいけない結果、被支援国にとって非常に高額なものとなってしまう場合がある。しかもODAの一部が自国企業および自国に還元されることになる。さらにそのODAがローンの場合、被支援国にとって非常に高額なものの債務返済をしなければならない。このような形の支援は非難の対象となるため、表向きには無くす方向に動いている。しかし、表向きには紐付援助ではないと申告しているが現在も実質的には紐付援助の様相を呈している場合が多くある。例えばカナダ政府は2017年の援助が100%紐付援助ではないと申告している一方で、金額ベースで見た時に援助全体の95%がカナダの企業に支払われていたという報告がある。
また日本は紐付援助を伸長している国家の筆頭であり、多くの他の国が技術協力における提携状況を公表する中、公表しない姿勢を貫いており、透明性が欠如していると言える。これは援助が依然として非公式ながら紐付で行われていることを示唆していると考えられる。このような紐付援助はコストの面から見ても被支援国にとっては非常に効率が悪いことが指摘される。日本でこのようなODA事業を請け負う企業や組織の間では「ODAマネー」や「ODAビジネス」という俗語すら存在する。
食料や物品の購入などに関しても紐付を行っている場合が多いがそれに関して遠い国に援助する際に自国の企業から購入することを条件にすれば輸送コストが高くかかる。実際にアメリカの対外食料援助費の約65%は「輸送費」として計上されており、近隣からの購入ならばかからないコストが余分にかかっているとの見方ができるし、コスト面での効率の悪さだけでなく、近くで買う方が現地周辺の経済循環が生まれより効果的な支援にもなる。また、船上輸送における温室効果ガスの排出による地球温暖化などにも繋がりかねず、悪影響は大きい。
ODAを受け取る政府側の問題も指摘されている。例えばとても大きな割合というわけではないが、ODAのプロセスの中で汚職や不正が行われていることも報告されており、現地に届いているが、それが適切に利用されていない例であるといえる。
また真に支援を必要としている国民の意思と、実際にどのような形でどのくらいの支援を受けるのかを決定する被支援国政府の意思が離れる時には政府の意思が尊重される。しかしそれではせっかく支援をしたとしても、結果的にそこまでの価値を発揮せずに効果的ではなくなってしまう場合が存在する。つまり、被支援国の政府のトップがドナー国に注文をし、ドナー国がそのリクエストに応える。しかし、それは被支援国の首脳自身の政治的な利益のためのプロジェクトで、実際の国民のニーズに見合っていないのだ。一例として、中国が行っている支援の中でスタジアム建設の支援がある。これは真に国民が必要としている生活必需のものではないスタジアムを低所得国内にたくさん建設している。しかもこの建設に対して「条件は付けない」と公式提案しているにも関わらず、被支援国に対して台湾との国交を断絶することを求めるなどしており、自らの国益の追求をしていることが見て取れる。
また支援をすることによって逆効果を被援助国にもたらしてしまう例がある。例えば2009年に日本政府とブラジル政府が主導して合意され、ODAの一環としてモザンビーク内で行われていたプロサバンナ事業である。この事業はモザンビーク北部のナカラ回廊地域を対象として、小規模農家の貧困削減、食糧安全保障の確保や民間投資を活用した経済発展に寄与する熱帯サバンナ地域の農業開発を掲げる事業であった。しかしこの事業はその内容を限定的にしか現地の国民に伝えず、多くを隠した状態で進めようとしていた。この事業は日本とブラジルとモザンビークの三角協力を掲げていたものの、実際には日本とブラジルの2国間外交の結果であり、ブラジルの失業対策として、また両国の安価な食料確保としての思惑が隠れており、モザンビークはあくまでその格好の対象として後から選定されたに過ぎなかったとされた。そのため、モザンビークの小農からは自分たちの農地の強奪にあたるとして非難が殺到した。結果的には反対運動の末、計画は道半ばで頓挫した。
ここまでの国家が支援するという面からは少し離れるが、NGOなどがアフリカの国々に古着を支援することで被支援国の繊維産業を崩壊させてしまった例も存在する。古着の寄付や安い金額での転売などの支援が大国からなされることにより、国内での繊維産業従事者の雇用が奪われ、結果として失業し貧困に陥った。またこのような問題が起こったことに対して被援助国側が古着の流入を規制しようとした際にアメリカ政府側からの圧力がかかったという事例もある。このように安易な援助は国内の状況を好転させるどころか悪化させてしまう例があることもある。
ODAは完全な解決策なのか
ここまででODAのいくつかの問題点を概観した。ではODAの量が大幅に増え、よりニーズに合わせて分配されるようになり、そしてODAがより多く適切な形で現地に届くようになり、効率よく使用されるようになれば対外援助が目標とするような世界は達成できるのだろうか。そのようなことはない。特に緊急支援はあくまで一時的な絆創膏の役割を期待されている。裏を返せば貧困などといった根本的問題の解決には直結しない。根本的な問題の改善に役立つ長期開発支援も存在はするが、支援に依存してしまう可能性があるため、支援それ自体が持続可能とは言えない。
また各国国内にも貧困の原因もそれぞれあるが、貧困の大きな要因としては、高所得国やその企業にとって有利に働く世界の不公平な貿易システムが大きい。つまりはこれまでもGNVが指摘してきたような、アンフェアトレード、タックスヘイブンを利用した不法資本流出といった問題の解決なしに根本的な問題の解決は困難なのである。このような2点は歴史的に広がってきた格差の大きな要因となっている。またコロナなどの世界的な危機が発生した時に顕著に浮き彫りになる格差なども存在している。 今回取り上げたような援助は構造として高所得国が低所得国に対して施すものであるがこの章で触れているような問題は、高所得国から低所得国に対する一種の搾取である。この歪な構造的問題の解決に本格的に取り組まなければ、ODAが果たせる役割は非常に限定的なものとなる。根深い問題の解決への道のりは長い。
※1 通常GNVでは開発途上国・先進国というようなワードは使用せず、低所得国・高所得国というワードを使用するがODAの文脈では公式に開発途上国(developing countries)と書かれているのでここではそれに合わせた。
※2 ここでは国際連合人道問題調整事務所(OCHA)のファイナンシャル・トラッキング・サービス(FTS)のデータを参照した。これらの数字はあくまで国連システムを通した支援の額であり2国間支援などが全て含まれているわけではないことにご留意いただきたい。前提として上記で取り上げる偏りとはある特定の国家への支援に偏るという側面である。またここで扱っているデータはあくまで緊急支援のみであるため、長期の支援などは金額として含まれていない場合がある。
※3 グローバル・サウスとは多義語であるがここではOECDの報告に基づきそのまま使用している。
ライター:Yusui Sugita
グラフィック:Yusui Sugita