2019年9月、エクアドルの首都キトにある国会前で、レイプ被害者や近親相姦に対する中絶規制を緩和する法改正案が否決されたことに対し、デモが起こった。警察が唐辛子スプレーを用いてデモ参加者を退散させるなど、激しい衝突も生じた。中絶がこんなにも大きな問題になったのはなぜなのだろうか。この記事では、エクアドルにおける中絶問題を歴史的観点、政治的観点、社会的観点から見ていく。

女性に対する暴力を国会で議論する様子(写真:Asamblea Nacional del Ecuador/Flickr [CC BY-SA 2.0])
問題の背景
そもそも中絶とは、早期に子宮から胎児を取り出し、妊娠状態を終わらせることである。具体的な方法としては吸引、掻き出しによって胎児を取り出す外科的手段、薬物を用いる非外科的手段がある。中絶を行う理由は、大きく3つに分けられるだろう。1つ目は、母親や胎児に健康上の問題があることだ。2つ目は、本人やその家族が妊娠を望んでいないないことである。これにはレイプによる被害、経済的理由、年齢、教育や仕事への支障、予期せぬ妊娠などが含まれる。そして3つ目は社会的理由、つまり社会的に妊娠が望まれない場合である。宗教上、文化的に婚外妊娠をタブー視する思想がある地域などでは中絶を選択せざるを得なくなることがある。
中絶を選択する理由には様々なものがある中で、実際に中絶が許されるかどうかは、国ごとで大きく異なっている。下図は、世界各国を中絶に関する法規制の厳しさによって色分けしたものである。規制は、性と生殖に関する権利センター(Center for Reproductive Rights)によって5つにカテゴリー分けされている。規制が緩やかな方から順に、「要求に応じて許される」、「社会的、経済的理由による中絶を認める」、「健康上、治療上の理由であれば認める」、「母親の身体に危険があるときは認める」、「完全に禁止」という分け方である。このうち、エクアドルは「健康上、治療上の理由であれば認める」のカテゴリーに含まれている。人口で言えば世界の半分以上の女性が少なくとも社会的、経済的理由であれば中絶が認められていることを考えると、エクアドルの法規制は世界的に見ても厳しいといえるだろう。
それでは、エクアドルの中絶に関する現行法を具体的に見てみよう。現状では、母親の命に重篤な危険があるときか、精神障害のある女性がレイプされたことによる妊娠しか中絶が認められていない。この法律は1938年からあり、違反者は2年以内の懲役に処される。つまり、精神障碍者でない人がレイプされて妊娠したとき、健康上問題がないにも関わらず中絶をしたとすれば犯罪となり、刑務所に入れられてしまうということである。 なぜエクアドルでは、中絶に対して厳しい法規制があるのか、歴史的観点から見てみよう。エクアドルは1534年から植民地化され、スペインの支配下に置かれた。その中で、スペインの宗教であるカトリックの教会がエクアドル国内の上流階級と結びつきを強め、社会に浸透しながら力を強めていった。 現在ではエクアドルの人口の94%がカトリック教徒であり、その教えとして神から与えられた命を失う行為は禁止されている。中絶もその1つとされており、キトの大司教は「神は命の神であり、死神ではない」と述べ、中絶の規制緩和に反対している。つまり、エクアドルで中絶が強く反対されているのは、カトリックの考えが根強くあるからだといえる。
![(写真:grebmot / pixabay [pixabay license] https://pixabay.com/service/license/)](http://globalnewsview.org/wp-content/uploads/2019/10/gv-g6-012-2-e1572487374537.jpg)
首都キトにあるバシリカ教会(写真:grebmot/pixabay [pixabay license])
それでは、現在でもキリスト教徒、特にカトリック教徒が多く、教会の力が大きい他のラテンアメリカ諸国の法規制はどのようになっているのであろうか。多くのラテンアメリカ諸国は、レイプによる妊娠の場合、中絶を認めている。アルゼンチン、ボリビア、ブラジル、チリ、コロンビア、メキシコ、パナマなどがそうである。その一方、ホンジュラス、ニカラグア、エルサルバドルでは完全に中絶が禁止されている。このように、同地域内でも、中絶に対する対応は異なる。
中絶の現状
エクアドルでは中絶が強く規制されていると述べたが、実際にはどれほどの中絶が行われているのだろうか。調査によると、2004年から2014年の間に431,614件の中絶が報告された。平均すると出生1,000人に対し115人の割合である。この調査における「中絶」は、自然流産と人工中絶のどちらも含めたものであるが、これら二者を明確に区別することは困難である。エクアドルと同等の社会経済レベルである国の妊娠中絶率が1,000人中34人から45人であることを考えると、エクアドルの中絶件数は他国と比べて多いといえるだろう。地域間でのデータを見てみると、中絶の発生件数は人口が多いとより増加する傾向がある。ただ、人口に対する発生割合は、人口が多いからと言って必ずしも大きいわけではない。下図は、各地域での出生1,000人当たりの中絶件数を示したものである。地域によって発生率が異なっているが、教育や医療システムが未発達であると中絶の割合が増加することが示唆されている。
2019年に否決された法改正案は、レイプによって妊娠した場合の中絶を認めるものでもあった。現在、エクアドルではレイプによる妊娠が問題視されている 。2015年から2018年の間では、14,000件のレイプが報告されており、その内718件の被害者は10歳未満の少女たちである。また、2008年から2018年にかけて20,000人以上の14歳未満の女子が出産している。14歳とは、エクアドルで親の同意なしに結婚できる年齢である。2012年の調査によると、4人に1人の女性が一生のうちに性暴力を受けており、エクアドル国内で、女性の多くが被害に遭っているのである。その加害者は、全くの他人ばかりではない。友人、家族、または同僚などからの被害も起こっている。親戚からのレイプは、近親相姦の問題も引き起こしている。
レイプされて妊娠した場合、精神障碍者でない限り誰が中絶しても違法になるものの、富裕層であれば安全な条件での中絶、もしくは他国に行って中絶するための資金調達が可能である。しかし、貧困層の女性はそれができないため、特に安全面に問題があるものを選ぶしかなく、それは妊産婦の死を引き起こしている。具体的な死亡原因として、中絶の過程での大量出血、感染症、中絶に用いる薬物による中毒などがある。2004年から2014年の間で、エクアドル国内での中絶に関する妊産婦の死亡者は報告されているものだけで189人に上った。2014年には、中絶に関連する死が母親の死因の15.6%に上っている。
これは中絶問題そのものだけでなく、エクアドルでの医療環境に関する問題とも言えるだろう。また、妊婦が中絶後に、合併症の治療を行うために公立病院に行くと、病院の医師から警察へリークされる危険もある。
政治的抗争と中絶問題
今回のデモのような、政治に対して中絶の規制緩和を求める働きかけは初めてのことではなく、2013年にも同様の動きがあった。しかし、当時の大統領ラファエル・コレアは「憲法では受胎の瞬間から生命を守ることが保障されている」とし、中絶の非犯罪化に強く反対した。そして議会が中絶を合法化することを決定するのであれば辞任すると述べた。
![クリニックを訪れるラファエル・コレア元大統領 (写真:Agencia de Noticias ANDES / Wikimedia [CC BY-SA 2.0])](http://globalnewsview.org/wp-content/uploads/2019/10/gv-g6-012-3-e1572489183557.jpg)
クリニックを訪れるラファエル・コレア元大統領(写真:Agencia de Noticias ANDES/Wikimedia [CC BY-SA 2.0])
これまでも中絶を規制する法律があったにも関わらず、なぜエクアドル国内で中絶の合法化を求める勢力が強まったのだろうか。現在エクアドルでは、国会議員137人の内57人、つまり41.6%が女性議員と、女性の政界進出が進んでいる。近年までは中絶は個人の問題と考えられており、中絶規制の法律はあるが実際に逮捕されることは少なかった。しかし、2010年ごろから政府の取り締まりが厳しくなり、中絶関連の捜査、訴追などが急増した。2009年から2014年の間で、40人の女性が中絶によって訴追された上、2015年以降は少なくとも378件の訴追が報告されている。このような傾向から、法改正を求める人々が増えた。 例えば、9月のデモでは、女性政治家だけでなく数百人の女性活動家が緑のスカーフをシンボルに、自らの主張を掲げた。また、活動家グループの1つラス・コマドレス(Las Comadres)は、9月のデモでは「女の子は母親ではない」というスローガン、つまり子供が妊娠した場合、中絶を認めるべきだという考えを掲げた。その団体の名前には友達、助産師、名付け親などの意味が含まれている。彼女たちは2015年より、短期的な目標として薬剤を用いた安全な中絶の促進、長期的な目標としては中絶の合法化を目指している。今回の国会では、法改正に必要な賛成票70票には5票及ばず、法案が否決された。しかし、女性活動家がその後もレニン・モレノ大統領に法改正を要請するなど、彼女らの運動の存在感が大きくなっていることが分かる。
![2019年の法改正案に対して記者会見を行う女性活動家たち (写真:Asamblea Nacional del Ecua / Flickr [CC BY-SA 2.0])](http://globalnewsview.org/wp-content/uploads/2019/10/gv-g6-012-4-e1572490632377.jpg)
2019年の法改正案に対して記者会見を行う女性活動家たち(写真:Asamblea Nacional del Ecua/Flickr [CC BY-SA 2.0])
このように、中絶問題に対する働きかけの規模は大きくなっている。しかし、中絶に関する法改正案が否決された後でも、エクアドルでは経済問題に対する新たな大規模なデモが起こっており、中絶問題の国内における優先順位は下がってしまっている。ただ、次期大統領候補として有力視されている政治家、ジェイミー・ネボットは、中絶規制を緩和すべきだと断言している。このように、中絶に関する問題は一朝一夕で解決するものではないが、これから国民たちの声が国会に届き、女性たちがより良い選択肢を持てるようになることを期待したい。
ライター:Moe Minamoto
グラフィック:Saki Takeuchi
エクアドルの中絶問題がここまで深刻であるとは知りませんでした。また、カトリックが中絶に対して否定的であるというのは聞いたことがありましたが、国によって様々なんですね。
中絶する権利は女性にあるに決まっていますが、国は介入してはいけません
「犯罪、倫理的タブーを通して宿った命」についても、母体をしのいで優先すべき命があるという考え方には問題があるとは思うのですが、どう正当化(説明)すればいいのでしょうか。難しい問題だと思います。
エクアドルで中絶が規制されていることにも驚いた上に、性暴力を受けている女性があまりにも多いことに衝撃を受けた。中絶を合法化する法案が否決されたのは、宗教的な理由のほかに何かあるのか気になった。