2019年7月3日、カザフスタンは、2017年7月に国連で採択された核兵器禁止条約(Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons: TPNW)(※1)の24番目の批准国となった。かつてソ連の構成国として、核兵器の実験場に利用され、歴史的に旧ソ連時代の核兵器開発に大きく貢献した。1991年に独立したときには1,410基もの核兵器が配備され、世界4位の核兵器保有国となっていた。これほど核兵器とのつながりが深いカザフスタンは、なぜ核兵器禁止条約を批准したのであろうか。

セミパラチンスク核実験場付近、クルチャートフ市(写真:Alexander Liskin/Wikimedia [CC BY-SA 3.0])
カザフスタンとソ連の核兵器
カザフスタンは、人口約1,900万人をかかえる世界最大の内陸国家であり、その国土はアジアでは中国とインドに次ぐ広さである。1949年8月29日にソ連による最初の核実験が実行された場所となった。実験場となった北東部に位置する都市セミパラチンスク(後にセメイと改名)は国際的にその名が知られている。1960年代後半から1970年代にかけて米ソ間ではデタント(Détente)と呼ばれる緊張緩和の時期が続いたが、1970年代末から再び緊張状態に陥るいわゆる新冷戦の状態に入った。この新冷戦は1980年代中盤まで続くのであるが、その緊張状態の中で、ソ連が保有する核兵器の量はピークに達していた。
そのソ連の核兵器のうちカザフスタンには1,410基以上の戦略核兵器と戦術核兵器が配備されていた。そしてその中には、通称サタン(Satan)と呼ばれる大型の大陸間弾道ミサイル(Intercontinental Ballistic Missile: ICBM)であるSS-18が104基配備されていた。このSS-18ミサイルは、迎撃を困難にするために多弾頭化されており、1基のミサイルで10発の核弾頭を運搬し、その弾頭のそれぞれが別のターゲットに向かって落下していくミサイルであった。つまり、ソ連にとって切り札ともいえる兵器がカザフスタンには104基も配備されていたのである。1991年7月にアメリカとソ連の間で締結された両国の核弾頭をそれぞれ6,000発まで削減する第一次戦略兵器削減条約(Strategic Arms Reduction Treaty Ⅰ: START I)では、このSS-18を重ICBMと新たに定義して削減の対象としており、アメリカにとってカザフスタンに配備されたSS-18が大きな脅威であったことが窺える。
1991年ソ連崩壊とともに独立したカザフスタンには、旧ソ連時代の核兵器が残されており、独立した時点でカザフスタンは同じく旧ソ連の核兵器が残されていたベラルーシ、ウクライナとともに核兵器の保有国となった。そのため、START Ⅰの枠組みで、米ソ両国とカザフスタン、ベラルーシそしてウクライナは、核兵器をロシアに移管することに合意するリスボン議定書を締結した。その後1995年4月までに1,410発の核弾頭のロシアへの移送を完了させている。
セミパラチンスク核実験場と反核市民運動
ソ連が最初に核実験を行ったセミパラチンスク核実験場は18,500㎢という広大さである。この実験場では、1991年8月29日に実験場が閉鎖されるまでに450回以上の核実験が実施された。そのうち116回は地表での核実験であり、1963年にソ連を含む多国間で締結された部分的核実験禁止条約により地下以外の核実験が禁止されて以降、340回の核実験が地下で実施された。一連の核実験による放射能汚染は、核実験場が閉鎖された現在でも住民に多大な健康障害を及ぼし、核実験による放射能の影響により6万人が死亡したとされる。核実験による医学的影響を明らかにする目的で2003年に行われた広島大学原爆放射線医科学研究所の報告書によると、セミパラチンスクの被ばく対象地域において9割の人々が爆風や閃光などの被爆体験があり、脱毛などの放射線障害が認められた。この調査の対象地域の人々は、核実験について何も知らされず、放射能の危険性についての知識も持ち合わせていなかった。彼らが放射能の影響を知るようになったのは、核実験が実施されるにつれ、家族が白血病や皮膚病にかかったり、周辺の動物の毛が抜けるなどの変化が起こることで異変に気付いたからであった。この研究調査によると、他の都市へ移った被曝地域の人々はセミパラチンスク出身であることを隠すという。これは、被曝者に対する差別や偏見があることを指摘しており、被曝者に対して幾重の苦痛を強いるものである。
40年もの間放射能の脅威に晒され続けたセミパラチンスクでは冷戦終結直前の1989年2月にも地下核実験が実施され、汚染のレベルは上昇した。これに対して共産党セミパラチンスク地域書記長ケシリム・ボスタエフ(Keshrim Boztaev)は、ソ連指導部に核実験の即時停止を訴えた。また、カザフスタンの詩人オルジャス・スレイメノフ(Olzhas Suleimenov)は、カザフスタン国民に核実験に反対するために団結するよう呼びかけた。当時の首都であったアルマティーで数千人が参加するネバダ・セミパラチンスク運動(※2)と呼ばれる反核運動が立ち上がった。ネバダ・セミパラチンスク運動のリーダーであるスレイメノフは、後にアメリカを訪問しアメリカに対しても核実験の停止を呼びかけ、核実験の停止と実験場の閉鎖を要求する100万以上の署名が集められた。このような市民運動の圧力を受けて、ソ連最高評議会は、1992年1月に核実験場を閉鎖することを決定した。実際に核実験場が閉鎖されたのは予定よりも早く、独立前の1990年10月に国家主権宣言を出していたカザフ・ソビエト共和国の大統領ヌルスルタン・ナザルバエフ(Nursultan Nazarbayev)は1991年8月29日にセミパラチンスク核実験場を閉鎖した。

核実験が残したクレーター、セミパラチンスク(写真:CTBTO/Flickr [CC BY 2.0])
核不拡散、核実験禁止とカザフスタン
STARTのリスボン議定書にはソ連から独立したウクライナ、ベラルーシ、そしてカザフスタンの3ヵ国が核不拡散条約(※3)に参加することも取り決められており、これに従ってカザフスタンは1993年12月13日に核不拡散条約を批准した。核不拡散条約に参加することにより核兵器保有を否定したカザフスタンであるが、核兵器に反対する政策はこれだけにとどまらない。2002年5月には、包括的核実験禁止条約を批准し、2006年の9月には中央アジア5カ国で他国の核兵器の配備を禁止し、領域内における核兵器の不存在を約束する非核兵器条約に署名した。中央アジアに非核兵器地帯が設置される以前、すでに中南米、南太平洋、アフリカ、東南アジアの4つの地域に非核兵器地帯が設置されているが、中南米のトラテロルコ条約といったように各地域の条約にはそれぞれ署名された土地の名前が通称として与えられている。中央アジア非核兵器地帯の場合を見ると、その条約の通称は、「セメイ条約」もしくは「セミパラチンスク条約」となっている。この名称からも明らかなように、カザフスタンのセミパラチンスクは、核兵器に反対する動きの象徴となっているのである。
2009年3月21日にセメイ条約が発効したことにより、法的にカザフスタン領域内での核兵器の不存在が約束されたことになる。さらに同年12月2日の国連総会において、カザフスタンの提唱により8月29日を国際反核実験デーとすることが宣言された。このように核軍縮不拡散に積極的に取り組むカザフスタンであったが、近年においてもその姿勢に変更は見られない。冒頭の核兵器禁止条約を交渉する締約会議においては、カザフスタン代表が、「カザフスタンでは150万人が核実験の影響を受けている」と述べ、その核実験の被害者こそが反核運動の中心であったとして、被害者の支援を強調すべきだと主張した。最終的に合意された核兵器禁止条約の前文には、「核兵器の使用による犠牲者(ヒバクシャ)ならびに核兵器の実験による被害者にもたらされた受け入れがたい苦痛と被害に留意し」、と文言が挿入されており(※4)、これはカザフスタンの主張に沿うものであるといえよう。

サターン(SS-18)のICBM(写真:Clay Gilliland/Wikimedia [CC BY-SA 2.0])
カザフスタンの安全保障と原子力平和利用
市民レベルでの反核運動が活発であり国としても積極的に核軍縮・核不拡散に取り組むカザフスタンであるが、核兵器や放射能と無縁となったわけではない。旧ソ連時代の核兵器が配備されていたことは先に述べたが、カザフスタンは1994年からロシアが主導し旧ソ連国家で構成される集団安全保障条約機構(Collective Security Treaty Organization: CSTO)に加盟しており、国家の安全保障をロシアの核兵器に依存している側面を持つ。カザフスタンは核軍縮・核不拡散を推進しているが、無条件で核兵器を放棄したわけではなかった。たとえば、リスボン議定書の締結に至る過程では、ロシアへの核兵器移管を受け入れることに関して、その代償に政治、経済そして安全保障上の保証を要求した。また、1992年5月にはメディアのインタビューで当時のナバルザエフ大統領は、ロシアに移管した核兵器が完全に破壊される保証がないとして、独立後のカザフスタンは少なくとも15年間は核兵器を保有し続けると主張した。
また、非核兵器地帯の設置に関しても、最初の提案国は隣国のウズベキスタンであり、カザフスタンはそれほど積極的ではなかった。ソ連時代の核兵器をロシアに移譲したカザフスタンであったが、他国の核兵器配備をも禁止する非核兵器地帯を設置することで将来的にロシアの核兵器がカザフスタン領域に配備できなくなることに難色を示していた。旧ソ連諸国によってソ連崩壊後に設置された国家連合である独立国家共同体(Commonwealth of Independent States:CIS)の安全保障条約では、ロシアの核兵器の配備が可能であったが、非核兵器地帯条約に参加すればそれが不可能となる。ロシアに安全保障を依存していたカザフスタンにとってロシアの核兵器の配備禁止は受け入れがたいものであった。最終的にセメイ条約は、他の条約に影響を与えないという特別の条項を入れることでロシアの核兵器が配備される可能性を残した。
さらに、核実験場は閉鎖したものの、カザフスタンはミサイル開発でロシアと協力を続けている。その一つ東部のバシカル湖沿岸に位置するシャリー・シャガン(Sary Shagan)ミサイル実験場であり、ここではロシアの対弾道弾迎撃ミサイルの実験が行われている。そして、カザフスタンは西部に位置しロシアとの国境を接するカプースチン・ヤール(Kapustin Yar)ミサイル実験場では、基地全体の25%を提供している。このカプースチン・ヤール実験場では2019年7月にも核弾頭を搭載可能なICBMの実験が行われ、カプースチン・ヤールから発射されたミサイルはシャリー・シャガン実験場の標的に達成し、実験は成功を収めた。 このように、カザフスタンは実質的にロシアのミサイルの近代化に貢献しているのである。対弾道迎撃ミサイルとは異なりICBMは核兵器を搭載できるため、その開発に対する協力は、核兵器の開発に直結することになる。

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領と会談するカザフスタンのカシムジョマルト・トカエフ大統領(写真:President of Russia [CC BY 4.0])
カザフスタンが批准した核兵器禁止条約の第1条は、核兵器の開発に対する支援を禁止している(※5)。ハンブルク大学のウルリッヒ・キューン(Ulrich Kühn)によると、核兵器禁止条約が発効すればミサイル実験場も閉鎖しなければならないため、ロシアとの関係を続けるには、核兵器禁止条約から脱退するか秘密裏にミサイル実験を行うことになる。現時点では核実験禁止条約を批准する国はいまだ少なく発効のめどが立っていないため、カザフスタンにはロシアとの関係を維持しつつ核兵器の禁止を追求する意向を示すことができる状況にあるといえよう。
さらに、安全保障のみならず、経済的側面でもカザフスタンとって核は重要な位置を占めている。カザフスタンは現在、世界最大のウラン生産国であり、世界のウラン産出量の約40%に達している。2010年に国際原子力機関(International Atomic Energy Agency: IAEA)は、原子力発電の燃料に利用される低濃縮ウラン(※6)を一括管理し市場から供給できない場合にウランを安定供給する備蓄バンクの設置を決定した。これに対してカザフスタンは、この低濃縮ウランバンクの候補地となることを提案し、2015年にはカザフスタン政府とIAEAとの間で備蓄バンクを設置する合意が締結された。そして2019年の10月にはカザフスタンの施設に低濃縮ウランが搬入され、世界で初めて低濃縮ウラン備蓄バンクの運用が開始された。このように、カザフスタンは核物質による汚染という被害を受けながらも、原子力平和利用の分野において国として力を入れており、必ずしも国家として核関連技術の全てに反対しているわけではないのである。
国際的にセミパラチンスクの核実験による汚染が認知される中で、カザフスタンにとって核の問題は、国際社会に対して協力をアピールできるイシューである。核兵器禁止条約に署名しなかったことスウェーデンが評判を傷つけたとの見解もあり、カザフスタンにとって核兵器禁止条約への批准は、現時点ではロシアとの協力を阻害せず、原子力開発協力においては国際社会からの評判と協力を得られる行動であったといえよう。カザフスタンが国家として核軍縮・核不拡散に積極的に取り組むようになった背景には、核兵器に反対する道徳意識や信念だけがあったわけではない。そこには、核軍縮不拡散に積極的な姿勢を見せることで国際的な評判を高めつつも、国益を見据えて合理的に選択を行うという国家としてのしたたかさが垣間見えるのである。

IAEAの備蓄バンク施設に搬入される低濃縮ウラン(写真:Katy Laffan(IAEA)/Flickr [CC BY 2.0])
カザフスタンと核の今後
現在、核兵器禁止条約の発効にはまだ25カ国以上の批准が必要な状態であり、米ソによる中距離核兵器全廃条約(Intermediate-Range Nuclear Forces Treaty: INF)(※7)が失効するなど、核軍縮に関する状況は厳しいものとなっている。ロシアとのミサイル開発や原子力平和利用を考えると、カザフスタンの方針が核兵器禁止条約の発効、ひいては核軍縮に与える影響は小さくはない。今後条約が発効しても条約を批准しながら核の傘に安全保障を頼るといった方針をとれば、核兵器禁止条約の意義を弱めるかもしれない。一方、核の惨禍を経験しているカザフスタンは、核の傘を否定して核軍縮・核不拡散に向けて国際的なイニシアチブを発揮できる立場にある。カザフスタンはどのような選択するのか。核軍縮・不拡散、そして国際の平和と安全の行方を見定めようとするならば、今後のカザフスタンの核に関する政策に目を向けるべきである。
※1 核兵器禁止条約とは、2017年9月に署名された条約であり、核不拡散条約が核兵器の使用を禁止していないのに対して核兵器使用をも禁止する条約である。条約が効力を発行するためには50カ国の批准を必要とする。2020年4月現在で36カ国が批准している。核兵器を保有する国はもちろん、その同盟国の多くが条約交渉に参加していない。
※2 この動きは同じく核実験によって放射能汚染の被害を受けたアメリカのネバダにおける反核運動と連動して展開されたために、名称にネバダが採用されている。
※3 核不拡散条約(Nuclear Non-Proliferation Treaty: NPT)とは、核兵器の拡散を防ぐ目的で締結された条約である。1968年に署名され1970年に発効し、現在の参加国は191カ国にのぼる。この条約では、アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシア(ソ連)の5カ国は核兵器の保有を認められるが、その他の国は核兵器の保有が禁止される。
※4 英文でも「ヒバクシャ」という文言が挿入されている。「Mindful of the unacceptable suffering of and harm caused to the victims of the use of nuclear weapons (hibakusha), as well as of those affected by the testing of nuclear weapons...」
※5 核兵器禁止条約は次のように規定している。
第1条 締約国は,いかなる場合にも,次のことを行わないことを約束する。
(a) 核兵器その他の核爆発装置を開発し,実験し,生産し,製造し,その他の方法によって取得し,占有し,又は貯蔵すること。
(e) この条約によって締約国に対して禁止されている活動を行うことにつき,いずれかの者に対して,援助し,奨励し又は勧誘すること。
※6 ウランにはいくつかの同位体があり、核分裂が生じるウランはウラン235である。天然ウランのほとんどはウラン238であり、ウラン235は0.7%ほどしか含まれていない。核分裂のエネルギーを利用するためにはウラン235の割合を高めるために濃縮する必要がある。低濃縮ウランが発電などに利用されるのに対して、核兵器には高濃縮ウランが必要となる。
※7 中距離核兵器全廃条約とは、ヨーロッパでの核戦争を防ぐためにアメリカとソ連の間で冷戦末期の1987年12月に締結された、両国の射程距離が500㎞から5,500㎞の弾道ミサイルと巡航ミサイルを全廃することを約束した条約である。ドナルド・トランプ(Donald Trump)政権のアメリカはソ連が条約に違反いていると主張し、2019年2月に条約義務の履行停止をロシアに通告した。そして条約に従い6か月後の2019年8月にアメリカが脱退することで条約は失効した。
ライター: Masanori Kubota
グラフィック: Yow Shuning