2020年5月4日、「カタールの首長に対するクーデターが発生した」という情報がツイッター上で話題となった。カタールの海岸都市、アルワクラにて銃声が聞こえたという旨の動画が約1万2千ものツイッターアカウントでリツイートされていたのだ。しかしながら、実際のところクーデターの実態はなく、これはフェイクニュースだと判明した。この出来事が起こった背景にはサウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)が関係しているのではないか、という疑いがある。3年前から始まったカタール危機の延長線の出来事なのだろうか。この記事では、カタール危機の背景にある中東・北アフリカ地域の外交関係、そしてカタール危機勃発後の状況を追っていく。

上空から見たカタールの首都ドーハ(写真:marc.desbordes / Flickr[CC BY-NC 2.0] )
カタールの歴史と危機への道
カタールは1971年9月、イギリスから独立した国だ。1980年には人口がたったの20万人しかいなかった小国カタールは、1995年ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー氏がクーデターにより権力を握り、精力的に活動し始めてから大きな発展を遂げた。ハマド首長は以前から開発に手を付けていた石油に加え、新たに天然ガスの開発にも取り組み、カタールは経済的に成長した。石油や天然ガス産業で裕福になったカタールは低賃金で雇える労働力が必要となった。そこでほかの中東諸国と同様に、主にインド、パキスタン、ネパールなどから大勢の移民を受け入れるようになり、2019年には約278万人まで達したカタール人口の70%を占めている。さらに、労働力については移民がなんと94%も占める結果となっている。2013年、ハマドからタミーム・ビン・ハマド・アール・サーニへと首長が世代交代し、タミーム首長は当時33歳で世界最年少の君主となった。
次に、カタールとその周辺国は歴史的にどのようにかかわってきたのだろうか。カタールはかねてからサウジアラビア主導の軍事介入に共に臨むなど、規模的にも立地的にも、サウジアラビアに依存する傾向があった。実際にカタールは、2011年にはバーレーンに、2015年にはイエメンにサウジアラビアと共に軍事介入を行った。さらに軍事面だけでなく経済面においても、カタールは食料の輸入を、サウジアラビアを筆頭としたペルシャ湾の隣国に頼っていた。しかし、カタールはその影響力から自国を守るために独自の外交路線を歩んでいくことになる。
そもそも、カタールは天然ガス産業においてイランと世界最大級の天然ガス田を共有しているため、イランと友好な関係をつくる必要があった。しかし、サウジアラビア政府はイランを脅威として捉えている。つまり、カタールがイランと友好関係を築くことはサウジアラビアとの摩擦を生むことにもなるのだ。また同時に、カタールはサウジアラビアに頼りすぎることのないよう、アメリカへの依存度も高めた。カタール国内には中東地域内でも最大の米軍基地があり、2003年のイラク侵攻の際には重要な中継地として使われていた。
また、2011年に中東・北アフリカ地域で広まった「アラブの春」と呼ばれた現象が起きた際、カタールの姿勢と対応はサウジアラビアと大きく異なっていた。この背景にあるのが、「ムスリム同胞団」と呼ばれる組織に対する両国の考え方の違いにある。ムスリム同胞団とは中東・北アフリカ地域の各国において、シャーリア法に則ったイデオロギー運動を展開する組織である。彼らは君主制に反対する大勢力で、草の根レベルでの人気を誇っている。社会福祉活動も行うなど活動の範囲は多岐にわたり、大衆への影響力は大きい。サウジアラビアやUAEは、ムスリム同胞団を自国の君主制かつ独裁政治を脅かすものとして捉えている。一方でカタールは、大衆からの支持があついムスリム同胞団に協力することにより、自国の影響力そのものを高められるのではないかと期待しており、彼らを支援する姿勢をとっているとされる。
「アラブの春」発生時のエジプトでは、当時のホスニー・ムバラク大統領が2011年に退陣に追い込まれたのち、ムスリム同胞団側のムハンマド・ムルシー氏が選挙で勝利し政権を握った。カタールはムルシー政権を支持していた一方、サウジアラビアとUAEが支持するエジプト軍はクーデターを行い、2013年ムルシ―大統領は追放されてしまった。これと同様に、リビア、シリア、ソマリアなどの紛争においても、介入する国々の中で、政治・社会情勢によって政府勢力を支援するのか反政府勢力を支援するのか、この湾岸諸国の姿勢が別れた。つまり、武力紛争が繰り広げられているあいだ、サウジアラビアとUAEなどは、カタールと反対する勢力を支持するなど、「代理戦争」と捉えられるような対立がみられていたのだ。
伝統的な外交面以外では、パブリック・ディプロマシー(広報外交)においても摩擦点がある。それは1996年に設立されたカタールの国営報道機関、アルジャジーラ(Al Jazeera)の存在だ。アルジャジーラはカタール自身の国内政治・問題には控えめで慎重ではあるものの、ほかのアラブ諸国の閉鎖的で独裁政権に味方するような国営放送とは違って、中東諸国を含み世界全体の情勢を包括的で批判的に報じているという特徴がある。アラビア語と英語の両方で中東諸国に限らず世界に向けて発信し、CNNやBBCと肩を並ぶといっても過言ではない国際放送局という位置を獲得している。報道を通してカタールという国の存在をアピールする狙いがあるといえよう。これもサウジアラビアや他の中東・北アフリカ諸国にとっては脅威と捉えられている。このように、カタールと近隣のアラブ諸国には多くの摩擦点が積もっていた。

報道機関アルジャジーラのテレビ局(写真:Wittylama / Wikipedia[CC BY-SA 3.0])
カタール危機勃発
2017年6月5日、突然の危機がカタールに訪れた。周辺国であるサウジアラビア、エジプト、UAE、バーレーンの4か国がカタールとの国交を断絶すると発表したのだ。彼らはカタールに対して陸路・海路・空路の交通遮断、自国にいるカタールの外交官の出国を求めた。断交の理由として、サウジアラビアと敵対するイランと友好関係を築いていることと、ムスリム同胞団への支援が挙げられた。そして6月22日、サウジアラビアとその他各国は具体的な13の要求をカタールに対して突き付けた。この要求は、中立国クウェートの当時88歳のサバーハ・アル=アフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハ首長を通じて発表された。この要求の中には、報道機関アルジャジーラと関係するすべての放送局を閉める、イランとの外交関係を縮小する、カタールにあるトルコ軍基地をすぐさま打ち切る、などというものがあった。
これに対して、カタールの外務大臣ムハンマド・ビン・アブドルラフマン・アール・サーニーは強硬姿勢を見せ、要求を拒否。はじめは4か国が断交を宣言し始まったこのカタール危機だったが、イエメン、スーダン、リビアなどほかの中東・アフリカ諸国も続々と参加を決めた。一方で、湾岸協力理事会(GCC)に所属するオマーンとクウェートは中立する立場をとった。カタールとの断交の手段の一つとして、サウジアラビア、UAE、エジプト、バーレーン、イエメンの5カ国はカタール行きの便をすべてストップし、カタール発の飛行機の領空の飛行を禁止した。カタールの証券取引所では8%の下落がみられ、周辺国との取引が打ち切られたことで、生活に不可欠な食料の輸入不足が起こった。また、石油価格にも影響が出たため、石油輸出機構(OPEC)は石油価格を安定させることに取り組んだ。カタールは天然ガスにおいて世界最大の供給国だが、この断交により輸出先が限られてしまった。

カタール航空の飛行機(写真:Clément Alloing / Flickr[CC BY-NC-ND 2.0])
アメリカの関与
このカタール危機に際して、アメリカはどのように関与していたのだろうか。アメリカにとって、サウジアラビアは石油の輸入先かつ自国の武器の輸出先として、カタールは最大の基地を所有している場所として、どちらの国とも重要な関係を築いているといえる。カタール危機勃発後、アメリカの当時の国務長官レックス・ティラーソンは各当事者が解決のために話し合いをするべきだ、と述べるなど中立する立場を強調したことは、これをよく表している。しかし一方で、ドナルド・トランプ大統領はカタールを攻撃するような姿勢をみせた。彼はサウジアラビアのサルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ国王とムハンマド・ビーン・サルマン皇太子を支持する内容のツイートをしたことに加え、過激派に資金を提供しているとしてカタールを非難する内容のツイートも見られた。このようにティラーソン国務長官とトランプ大統領の立場の違いから、アメリカの外交が2分化していることがうかがえる。
トランプ大統領はなぜその立場をとったのだろうか。彼はかねてからサウジアラビア関連のビジネス・取引を行っている。大統領に就任する前の2015年には、「サウジアラビアの人々は私の不動産をたくさん購入してくれる。彼らは4,000万、5,000万米ドルものお金を落としてくれるのだ。彼らを嫌うことができるわけがないだろう。」とまで発言していることもあった。また、彼はサウジアラビアやイスラエルに影響されたのか、イランを最大の敵と捉えているといわれており、イランと友好関係を築いているカタールの側に味方しにくい、という見方もできるだろう。
これに加えて、トランプ大統領の娘婿で大統領上級顧問を務めるジャレッド・クシュナー氏は、サウジアラビアのサルマーン皇太子ととても親しい関係を持っている。また、クシュナー氏自身がニューヨークに保有する不動産が経営難に陥っていた際、カタールの財務大臣であるアリ・シャリーフ・アル・エマディ氏に助けを求めていたが、カタール危機勃発1カ月前、その融資を断られたという報道もあった。彼にまつわるサウジアラビアやカタールとの関係性は、トランプ大統領の考えに少しでも影響を与えたのかもしれない。

カタールの首長との会談前のアメリカのティラーソン国務長官 (写真:U.S. Department of State / Wikipedia[Public domain])
カタール危機の勝者と敗者はだれだ
カタール危機から約3年間、当事者であるカタールやその他周辺の国々はどのようにこれまで過ごしてきたのだろうか。カタール危機勃発当時、サウジアラビアとUAEはカタールとの断交が短期間で成果がでるものだと期待していた。なぜならカタールの貿易取引の60%以上がサウジアラビアとUAEの港を通るからである。しかし実際には、その期待とは裏腹に、長期間続いているのが現状だ。
周辺国との断交により、カタールは主な輸入先であったサウジアラビアやUAEからのモノがなくなり国内のスーパーマーケットでは一時的に品薄状態になった。しかし、もともと外交において友好であったイラン、トルコ、オマーンと協力し、食料などの物資輸入をすることを決定した。経済面の対応として、カタール政府はカタール国内のビジネスが国外に逃げてしまわぬよう外国の投資を誘致したり、積立金を使って物価が上昇しないよう努めた。また、2022年サッカーワールドカップ開催にむけた大規模な工事への資金供給を優先し、多数のグローバル企業はカタール国内に支店をつくることで断交の影響を受けないよう工夫していた。
国際通貨基金(IMF)の報告書によると、カタールの年間経済成長率は、危機の前年2016年には2.1%、2017年には1.6%に少し落ち込むものの、2018年には2.2%に回復。これと同時に、サウジアラビアとUAEの同成長率は2017年にそれぞれ-0.7%、0.7%と落ち込んでいることが分かった。
さらに、カタール危機の影響はカタール、サウジアラビア、UAEといった当事者だけにとどまっていない。さまざまな国で「アラブの春」の延長戦とも捉えることができる政変が起こっているが、その渦中でカタールとその他アラブ諸国は衝突していた。2019年に起きたスーダンでの市民運動およびクーデターでは、アフリカ・西欧諸国が大衆の抗議者に味方する一方、エジプト、サウジアラビア、UAEは当時の政府、そしてその後の軍事政権を支持していた。同年、リビアでも、国民同意政府(GNA)を支持するトルコとカタール側と、反政府勢力を支援するUAEやエジプト側が対立を繰り広げた。またイエメン紛争においては、カタールとサウジアラビアはもともと同じ勢力に味方していた。しかし、カタール危機勃発後、両国はイエメンで分裂を引き起こしている。このように、各国が他国において自分たちの権威を見せようと対立する姿は、カタール危機により激化している部分もあるかもしれない。

スーダンでの政変の様子(写真:Agence France-Presse / Wikipedia)
一方で、カタール危機の「緩和」として捉えられる出来事も見られた。その一つに、サウジアラビアが2022年カタールで開催されるワールドカップに参加することを表明したことがあげられる。また、2017年9月、カタールは断交継続中のサウジアラビア、UAE、エジプト、バーレーンの4か国から観戦しに来るファンを受け入れることを約束した。2022年ワールドカップの最高責任者ナーサル・ハタル氏は「そのときまでには関係が改善していることを願う」と述べた。
加えて、サウジアラビアは強硬な姿勢を貫く力が弱ってきているようだ。イエメン紛争に苦戦しているほか、ジャーナリストのジャマル・カショギ氏が殺害された事件について他国から批判を浴びてきた。また、2014年から石油価格が下落しているのに追い打ちをかけて2020年からはロシアとの対立により、さらに経済状況は悪化の方向へ向かっている。これらの要因からサウジアラビアは弱ってきており、以前から根深い対立を続けてきたイランに対してすら批判の声が小さくなってきていることがうかがえる。
しかしながら、冒頭で述べた通り、カタールの首長に対するクーデターが起こったという虚偽の情報が現れるなど、雲行きはまだまだ怪しい。このありもしなかったクーデターについて情報を調査したマーク・オーウェン・ジョーンズ氏は、「この捏造は、サウジアラビアが経済状況やコロナウイルスの蔓延という自国の危機から注目をそらせようという目的で行ったものではないか。」と述べている。もしそうであれば、サウジアラビアのサッカーワールドカップ参加表明など、カタール危機の「緩和」とも捉えられる出来事がある一方で、カタール危機の解決にはまだ時間がかかりそうだ。これからの動向を見守っていきたい。
ライター:Naru Kanai
グラフィック:Yumi Ariyoshi
カタール独自の外交についてよく理解できました。その外交が機能した要因はなんでしょうか?政府の力が大きいのでしょうか?
コメントありがとうございます。カタールの外交が機能した理由は政府の力に加え、自然資源の豊かさという地理的な理由など、様々な要因が絡んでいるのではないかと、私は考えています。
中東地域の複雑な関係性について、分かりやすく解説されていたので、とても読みやすかったです!これからの動向にも注目していきたいですね
さすがなるねえさん、カタールとか結構他人事やと思ってたんですが、僕でもよく理解できてとても分かりやすかったです。もっと情勢に関して自分のアンテナをはる大切さを学びました。ところでカタールの危機ってあとどれぐらい続くと思いますか??
コメントありがとうございます。そう言っていただけて嬉しい限りです。カタール危機ですが、私自身もどのくらい続くかという点に関しては、周辺国の姿勢の変化が大きく影響するのではないか、と考えており予想するのは難しいです…今後の動向を見守っていけたらいいですね。
詳しくてわかりやすかったです!アメリカの関与の部分は特に興味深く読ませてもらいました!
カタール危機についてわかりやすくまとめられていて良い記事だと思いました。
カタール危機はなんとなく終結したものだと思っていましたが、まだ続いていることに驚きました。
経済制裁を受けて、大きく打撃を受ける国が
ある中で、国交を断絶されたカタールが経済維持するだけでなく経済成長できたことの決定的な理由は何でしょうか。
コメントありがとうございます。カタール危機勃発後も経済成長を遂げていたことを知り、私自身も驚きました。記事の中で述べた通り、友好国との関係構築・早急な国内ビジネスへの対応など、ピンチを力に変えることができたことが大きな要因ではないか、と考えています。
分かりにくい中東の話がとても読みやすく書かれていました!今後、カタールはさらに世界で大きな力を持つようになるのでしょうか?
コメントありがとうございます。中東地域の理解が深まったようでうれしいです。カタールは外交面では独自路線を貫き影響力を持つほか、天然資源も豊富であるという点で、ますます世界中が注目する大きな国の一つになっていくのではないか、と私は考えています。