2021年6月頃から、ベラルーシが一度は受け入れた、主にイラクからの移民・難民が、リトアニアとの国境地帯にまで押し寄せている。これに対し、リトアニアは8月頃からベラルーシとの国境沿いに鉄製の壁を建設し始めた。しかしこれに対して、移民や難民の移動を阻止するものだとして、専門家からリトアニアへの批判の声も挙がっている。これまでリトアニアは、移民の受け入れや難民の亡命申請の手続きを行うための体制を整えていなかったが、これは受け入れへの消極的な姿勢を表しているという見方もある。
今回のように、移民や難民に対する否定的な態度から受け入れ政策が勧められてこなかったことも問題とされているが、リトアニアでは自国民が国外へ流出する問題も深刻化している。これはリトアニアだけでなく、エストニア、ラトビアとで構成するバルト3国に共通する問題である。本記事では、バルト3国が抱える人口問題と、移民や難民の受け入れとの関係を追う。

リトアニアの国旗を持つ子どもたち(写真:1st Brigade Combat Team, 1st Cav Div / Flickr [CC BY-ND 2.0])
バルト3国とは?
バルト3国はバルト海の東岸に位置し、北からエストニア、ラトビア、リトアニアの順に並ぶ3カ国である。公用語はそれぞれエストニア語、ラトビア語、リトアニア語である。エストニア語はフィンランド語と同系のフィン・ウゴル語族、ラトビア語とリトアニア語はインド・ヨーロッパ語族のバルト語派に属する。
エストニア人やラトビア人の多くはバルト人を祖先に持つ。バルト人というアイデンティティを持つ人々は、現在のロシア、ベラルーシ、ラトビア、リトアニア、そしてポーランド北部に跨がる広い範囲に定住していた。現在のバルト3国地域には、5世紀頃から数多くの小さな王国や独立地区が存在し、それぞれの民族が居住していたが、8世紀頃からはスカンディナビア諸国のヴァイキングが、また10世紀頃からはベラルーシを中心とする東スラヴ人が侵入し、同地域を征服していった。
現在のエストニアやラトビアの領土には、12世紀後半からキリスト教を布教させるために北欧地域からの騎士団が送り込まれ、後にデンマーク帝国等が統治した。一方、リトアニアの密林や沼地は外部からの侵入が困難であったため、リトアニアは独立を保っていた。13世紀半ばにはリトアニア領土内に定住していた複数の民族グループが統合され、リトアニアの政治体制が構築された。現在のベラルーシやウクライナ、ロシアの一部を含む東スラヴを中心に広大な領土を支配下に収めたリトアニア帝国は、一時期ヨーロッパ最大の王国を築いた。しかし王位継承争いや騎士団の圧力激化に伴い、14世紀後期にリトアニア王はポーランドとの共同支配者として即位し、ポーランドと緩やかな同盟関係を結んだ。するとリトアニア=ポーランド共和国は、東方拡大政策を継続して黒海まで領土を拡大し、絶頂期を迎えた。一方、エストニアとラトビアでは、デンマークが撤退した後に内紛が頻発していたが、17世紀にスウェーデンに制圧され、その全土が統治された。
17世紀半ばになると、リトアニア=ポーランド共和国は、国境警備にあたっていたコサックという軍団が起こした農民騒動を鎮圧し、またリヴォニア地域(現在のエストニア南部からラトビア北部にわたる)をめぐってスウェーデンとの戦争を激化させたため、財政がひっ迫した。18世紀初頭には、バルト海域の覇権を争うスウェーデンとロシアとの間で北方戦争が勃発し、これに巻き込まれて弱体化したリトアニア=ポーランド共和国は、その衰退を決定づけられた。その後3度にわたって分割され、1795年の第3次分割で全地域がロシア領となり、地図上から姿を消した。北方戦争ではエストニアとラトビアの大部分もスウェーデン領からロシア領となったため、現在のバルト3国全域はロシアの属国となった。

バルト3国地図
ロシア帝国は支配地域のロシア化政策を進めるため、ロシア正教の導入や、ロシア語に用いられるキリル文字の強制使用などを行った。19世紀半ば頃から、現在のバルト3国のそれぞれと一致する自治州への帰属意識が各地域の住民に芽生え、独立国家を目指して民族運動が活発化した。やがて1917年のロシア革命後にバルト3国は次々と独立を宣言した。
1922年にはソビエト連邦が形成され、計画経済を推し進めた。すると急速な工業化および集団農場化を実現したことで、ソ連は強国となった。その後第二次世界大戦が開始され、独ソ不可侵条約に関する秘密議定書に基づいてソ連が1940年にバルト3国を占領した。ソ連の占領下でこれらの国々では共産主義が導入され、財産の国有化が始まった。戦後の経済もソ連の計画開発システムに統合され、各産業での生産量が大幅に増加した。しかし、ソ連は農業の集団化や同化政策に抵抗する人々のゲリラ運動を取り締まったり、バルト地域の住民をシベリアの強制労働施設へと大量に送還させたりした。これらによる死者は、1946年から1953年の間に、エストニア住民は9.5万人、ラトビア住民は12.5万人、リトアニア住民は31万人に達したと推定されている。
1985年にソ連でミハイル・ゴルバチョフ政権が誕生すると、言論の自由が保障されるなど民主化の動きが高まった。ソ連は1991年12月に崩壊したが、これに伴って3国とも独立を果たし、国連に加盟した。3国それぞれ新しい憲法や通貨、市場を開拓していったが、当初は経済的に不安定であった。しかし2000年以降は各国の大規模な改革や自由化などの経済政策の成果が出始め、飛躍的な経済成長を遂げた。2004年には3国揃って北大西洋条約機構(NATO)とヨーロッパ連合(EU)に加盟した。
現在のエストニアの主要産業としては、機械製造業や木材産業等に加え、行政手続きのデジタル化を進める世界最前線の国としてIT産業が注目を集めている。ラトビアは古くから東西を繋ぐ交通の要衝で、物流が盛んである他、木材加工や金属加工が主要な産業となっている。リトアニアの主要産業は食品加工や化学製品などの製造業である。

エストニアの首都タリンにあるレーニン像とスターリン像(写真:Felipe Tofani / Flickr [CC BY-SA 2.0])
人口減少と移民
バルト3国は独立後、経済成長を成し遂げていったが、同時に人口減少の問題に直面してきた。特にラトビアとリトアニアはEU内で最速のペースの人口減少に悩まされている。ラトビアの2021年時点での人口は190万人で、2000年の236万人と比較すると急激に人口が減少している。リトアニアの人口はバルト三国の中では最も多く、2021年時点で279万人であったが、2000年の350万人から約71万人減少しており、こちらも人口の急激な減少に直面している。エストニアの人口は現在133万人とバルト3国内で最も少ないものの、2000年の人口が140万人であったことを考えると7万人の減少である。2013年からの期間で見れば微増し続けており、人口減少に歯止めがかかっていると言えよう。しかしラトビアやリトアニアと比較すると緊急性は低いものの、エストニアも他の二国と同様に人口減少が危惧されている。
では、なぜバルト3国では人口が減少しているのだろうか。原因の一つとして出生率の低さが挙げられる。出生率が2.1を下回るとその地域の人口は減少するとされているが、2021年の出生率はエストニア、ラトビア、リトアニアの順に1.6、1.7、1.7であり、3国とも人口が減少する値であった。また、バルト3国の死亡率はヨーロッパの平均値を大きく上回っている。特にリトアニアは、心臓や血管の病気による死亡率がヨーロッパで最も高い国の一つであり、一般的な健康水準の低さが指摘される。更に3カ国とも自殺率が高い国上位10カ国にランクインしており、これも死亡率に影響を与えているとされる。
人口の減少の要因には、出生率の低さと死亡率の高さの他に、入国人数を出国人数が上回っていることが挙げられる。2009年から2019年のリトアニアの人口移動の総数を見ると、リトアニアから出国した人数が入国した人数を約27.1万人も上回った。ラトビアでも、1990年以降に出稼ぎ等の理由で出国した移民の影響により、現在までに同国の人口は約50万人減少している。ただ、エストニアでは様子が異なっており、2000年代初期は他国へ移住する人数がエストニアに新たに移住する人数を上回っていたが、2014年以降はエストニアに新たに移住する人数が他国へ移住をする人数を上回り、人口にプラスの影響を与えている。2020年には7,320人の流出に対して10,390人がエストニアへ流入した。
これら国外へ流出する人の多くは、経済的理由により移住していると考えられている。独立し市場経済が確立されたことで、国営企業の解体や縮小に伴い雇用が急激に減少し、人々は仕事を求めて他国へ渡った。自由市場、資本主義への移行が進められたが、国営企業から民間企業へと形態を変えたことで汚職の問題も深刻化し、経済の発展が妨げられた。1992年にはリトアニアのGDPが前年と比較し21%と大きく減少するなど、バルト3国の経済が落ち込み続けたことが大規模な人口移動に関係していると考えられている。

ラトビアのクリシュヤーニス・カリンシュ首相(写真:European Parliament / Flickr [CC BY 2.0])
2004年に3カ国ともEUに加盟してEU域内の自由な移動が可能となると、人の移動の激しさに拍車がかかり、イギリスやドイツなどのより最低賃金が高い国々へと人が移動した。 近年もその傾向は強く、2020年のラトビアから他国への移住先に占める割合は、ドイツが29%、イギリスが24%、オランダが13%の順に多かった。リトアニアから他国への移住者を見ると、全体の67.4%がEU諸国へ出国し、その中でも移住者の34.6%がイギリスを移住先として選び、次いでドイツが8.8%、ノルウェーが8.1%を占めた。経済の落ち込みは1994年頃から回復し、21世紀に入ってからは3国とも前年比平均9%以上の成長を遂げるなど高い経済成長率を誇ったものの、バルト3国の最低賃金は未だに低い水準である。2020年のドイツやフランスの最低月給が1,530 ユーロ以上であったのに対し、バルト3国で最も賃金が高いリトアニアでも最低月給は607ユーロであった。
人口問題への対策
人口減少の問題に対しては、一般的に大きく3つの柱として、少子化対策、自国民の帰還支援、そして移民や難民の受け入れ政策が挙げられる。では、バルト3国ではどのような対策が取られているのだろうか。
始めに出生率を引き上げるための少子化対策を見ていく。出産・育児と仕事との両立を促す政策として、各国の出産休暇や育児休暇制度に注目してみよう。エストニアでは、母親は140日間(20週間)の妊娠・出産休暇を、父親は10日間の休暇を取得する権利を有し、さらに両親で共有して435日間(約1年半)の育児休暇を取得できる。ラトビアでは、母親には最大18週間の産休、父親には1ヶ月の休暇が与えられる。リトアニアでは、母親は18週間、父親は4週間、その後さらに両親で共有して最大156週間(子どもが3歳になるまで)の休暇を取得することができる。父親には全く休暇の取得を認めないヨーロッパ諸国もある中、3国ともヨーロッパ諸国内で出産休暇、育児休暇の制度面は充実していると言える。

ラトビアの街並み(写真:Diego Delso / Flickr [CC BY-SA 3.0])
しかし、出産・育児をサポートする具体的な政策に関しては、3国で取り組みの状況は異なる。エストニアでは、2017年7月に3人目の子供を産む家庭への追加給付措置が導入され、その後の2年間で3人目の出産数は導入前と比較して20%以上増加したという。エストニアでは出産にかかる費用も無償である。対して、ラトビアでも同様の支給政策はあるものの、同国の少子化対策は進んでいないと人口統計学者は指摘している。子供が3人いる家庭に支給される手当ては、エストニアは月520ユーロであるのに対してラトビア134ユーロであり、手厚い福祉政策とは言えない。リトアニアにも目立った政策は無い。
次に、流出した自国民を呼び戻す政策を見ていく。一般的に、他国から帰還する者は、異なる言語で教育を受け、高度な技術や経験を得ている人が多く、有能な人材として即戦力になるとされる。このためバルト3国では、自治体や非政府組織(NGO)、投資家が地域の帰国移民を支援し、帰国移民を採用する企業との協力を深めるなどの取り組みを行っている。エストニアでは国外で研究するエストニア人の帰国を支援するための助成金制度が整備されている。
また、自国民を含め世界各地の人がバーチャルな形でエストニア経済に関与できるようにする政策として、エストニアは2014年から電子住民プログラム(e-Residency)という制度を世界で初めて設立した。世界中の誰もがエストニアに電子居住権を持つことができ、銀行口座の開設、法人の設立、電子署名などが可能となる。利用者はエストニアに居住せずとも起業することができるという仕組みである。これにならい、リトアニアでも2021年1月から電子住民プログラムの制度が開始されている。まだ初期段階であるため、ラトビアの電子住民プログラムはエストニアの制度と比べると制限が多い。エストニアの制度は完全にオンラインで申請できるのに対して、リトアニアの場合は資格の申請とカードの受け取りのために現地へ渡航する必要があるなど、課題は山積みである。ただ、制度を充実させることができれば、エストニアの制度とともに自国民の帰還支援に繋げられる可能性がある。経済的なインセンティブによって、エストニアやリトアニアを離れた者を含め、世界中の人にビジネスの場として選ばれるようになれば、エストニアやリトアニアの経済の成長、ひいてはバルト3国への移住者の増加に繋がるであろう。

デジタルIDカードとe-residencyカード(写真:EU2017EE Estonian Presidency / Flickr [CC BY 2.0])
難航する移民・難民受け入れ
ここまで見てきたように、出生率が飛躍的に伸びれば、あるいは経済が急成長し、流出した自国民の多くが直ちに帰国すれば、人口問題は解決されるかもしれないが、現在の傾向を見ている以上は現実的ではないだろう。このため人口減少の問題の解決策として即効力があるのは、移民や難民の受け入れ数の増加であると考えられる。人口減少の問題への対処としてだけでなく、経済成長のためにも移民や難民を受け入れる必要があるという意見も提起されている。移民や難民は子どもも含めた家族連れである場合も多いため、少子化や労働者数の減少を緩和することができるという見方である。
しかし、バルト3国は移民や難民の受け入れに対して積極的ではない。この大きな原因は、移民や難民への警戒心とされている。バルト3国を目指す人々の内訳として、紛争から逃れてくる難民や、他の旧ソ連諸国の人々も一定数存在する。彼らに対するバルト3国の人々の反応を見ていこう。まず中東や北アフリカにある紛争地から庇護を求めて来る人々に対しては、彼らへの先入観が先行している傾向があるようだ。流入者がテロを引き起こすかもしれないという、根拠のない偏見からくる恐怖や、戦争迫害を受けたという難民の主張に信憑性があるのかという懐疑、また露骨な人種差別など、一般に移民や難民を受け入れる際に人々が抱くステレオタイプを基にした懸念がソーシャルメディア上で飛び交っているという。こういった世論を踏まえると、受け入れ政策を積極的に推し進めることの政治的リスクは高い。
また、EU非加盟の東欧諸国で暮らし職を求めている貧困層などが、より経済環境が良いバルト3国を目指し移民として流入してくることもある。しかし、同じ旧ソ連国として繋がりが深いと言える当該諸国に対しても不快感が示されることがあるという。これは、ロシア帝国やソ連に占領されていた当時の同化政策の歴史が色濃く残るため、自国以外の言語や文化が流入してくることに警戒しているためであるとされる。

ヨーロッパを目指す移民や難民たち(写真:Jim Forest / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
また、EU域外からの移民に限らず、流入してくる移民が使用する言語の違いによって、文化的な隔たりが増幅されることも懸念されている。西欧諸国からの移民は子供を英語教育の学校に通わせ、旧ソ連諸国からの移民は子供をロシア系の学校に通わせる傾向にあるという。しかし国内の大学に進学する場合は、エストニア語、ラトビア語、リトアニア語という各国の公用語の話者が有利であると言える。このように言語や教育が分断されていると、社会的ネットワークや共通の文化観を形成しにくいということに留まらず、学歴の違いによって収入にも差が生じ、経済的格差の広がりが居住地の分離に繋がっていく。それが社会的分離を悪化させるという連鎖に陥るという懸念もある。
とはいえ、移民や難民を受け入れる制度はある程度整備されている場合もある。エストニアでは、言語・法・政治・社会・経済というあらゆる場面で移民との統合を実現させるための戦略が取られてきた。例えば、2015年には新たに移住してきた移民のための無料の言語教育プログラムを開始した。また、全ての難民に2年間にわたり住居と収入の無償支援を行い、エストニア国民と同じ失業手当や福祉手当を提供するという制度がある。またラトビアにも、難民認定が降りるまでの約3カ月間、教育を受け、ラトビア語を学ぶことができる施設がある。
しかし、体制を整備しながらも、実際は難民の受け入れに成功しているとは言えない。これらの支援を受ける期間が終了すると、難民と認定された人々は永住権を得てバルト3国内で生活を送る。しかし、移民や難民は定住する際に職を見つけられず、数年のうちに去ってしまう場合が多いという。

エストニアの小学校の教室の様子(写真:Arno Mikkor / Wikimedia Commons [CC BY 2.0])
積極的な移民受け入れ政策を行うには世論の支持が必要であり、各国で移民への警戒心を払拭することが求められるが、現状は厳しい。エストニアは外国人労働者の誘致を目指して移住先としての魅力を高める姿勢を見せており、3カ国の中では移民や難民の受け入れに最も前向きであると言われる。しかし3カ国には全体的に、移民政策が国家の長期的な成長にとって重要であるという見方は浸透していない。ラトビアでは、イベントやワークショップを開催したり、図書館や学校、街頭等で広告を設置したりして異文化や多様性の魅力を発信することを目指す社会的キャンペーンが2015年から開始されている。このような取り組みが広がれば、国民の移民に対する否定的な考え方が徐々に払拭される可能性はある。
まとめ
本記事では、バルト3国が共通して抱える人口問題を探ってきた。少子化対策や自国民の呼び戻し政策と共に、移民や難民の受け入れが鍵となることを述べたが、移民への警戒心という障壁を乗り越えて、受け入れの動きを加速させることはできるのだろうか。3国が相互の政策を手本としながら、長期的に取り組むことが求められる。
ライター:Manami Hasegawa
グラフィック:Mayuko Hanafusa
全部読ませていただきました。バルト三国の現状、各国の歴史的、地理的な違いなどを知れて良かったです。
記事毎回楽しみにしてます、書くのたいへんだと思いますが頑張って下さい!