2022年4月、南スーダンにて、近年まで対立関係にあったサルバ・キール大統領とリヤク・マチャール副大統領が、両陣営の軍の指揮官を統一することに合意するという、同国の平和に向けて節目となるようなことが起こった。この統一は、2018年の和平協定のもとで予定されていたものでありながらも、協定の締結以降も対立が続いたことで実現に向けた動きは進んでいなかったのだが、それが2022年遂に達成されることとなった。さらに、同年8月には、この和平協定の2年間の延長も決定された。本来この和平協定の期限は2023年2月までとされおり、大統領選挙など、協定のもとで予定されていた多くの重要な事項が実現しないまま期限切れになってしまう可能性もあったが、無事双方の間で期限の延長に対して合意をとることが出来た。
このように、2022年に入り、大統領と副大統領の関係修復は一見順調に進んでいるようだが、依然として両陣営の衝突が部分的に続いている側面もあり、また、地域的なレベルで、これとは質の異なる紛争も続いているようだ。これらのような紛争に加え、南スーダンの民間人は、幅広い地域での洪水と、それに伴う食糧危機問題にも悩まされている。そんな中、2024年には大統領選挙が予定されているが、それに向けて同国の動きはどのように進展していくのか。本記事ではこれらについて取り上げていこうと思う。

軍の統一等の合意に際し、手を握り合うキール大統領とマチャール副大統領(写真:UNMISS / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
南スーダンのこれまでの歩み
「スーダン」とは、元々はエジプトの南に位置するナイル川上流の地域を指す言葉である。古くには、クシュ王国やメロエ王国があったが、16世紀にはフンジ王国やダルフール王国といったイスラーム国家が成立した。19世紀にはエジプトの侵攻に遭い、同国に領有されることになり、続いてイギリスがエジプトを植民地化したことで、イギリスの植民地となった。イギリスはこの際、スーダン北部を南部よりも優遇する政策をとり、このことがスーダン南北の確執を生むことになる。
1956年、スーダンはイギリスからの独立を果たす。だが、独立以前から同国の北部と南部の間には争いが絶えず、1955年から1972年の間、および1983年から2005年の間には、南北間の大規模な武力紛争が起こった。そして、2005年に南北間で包括平和合意(CPA)が締結され、この武力紛争は終結することとなった。このCPAにおいて、この先6年はスーダン南部の独立を見送る代わりに、同地域に自治権を有する地方政府を成立させること、および6年後の2011年に南部独立を問う住民投票を実施することなどが決定された。この住民投票の結果、2011年、南スーダンは独立を果たし、この際大統領にはキール氏が、副大統領にはマチャール氏が就任した。
独立を果たしたものの、両国間には、長い戦争の様々な遺産物や、石油資源の南スーダンへの偏在などといった問題も残った。また、南北スーダンの境界線付近のアビエイ地域(※1)を巡る対立はその後も続き、今なおどちらに帰属するのか決定されていない。国連は2011年、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)と国連アビエイ暫定治安部隊 (UNISFA)を設立した。前者は民間人の保護や人権状況の調査及び報告、人道支援活動のサポート、和平合意の実行のサポートを行っており、後者は、国境監視の任務を負っている。
政治的対立
スーダンとの対立を経験した南スーダンであるが、独立後には国内での政治的対立も起こっている。2013年12月、キール大統領がマチャール副大統領を解雇したことをきっかけにして、政治権力をめぐり、キール陣営とマチャール陣営の間で激しい紛争が勃発した。また、この紛争の主な目的は権力をめぐる闘争であったとされているが、キール氏のバックグラウンドであるディンカ人と、マチャール氏のバックグラウンドであるヌエル人との間の民族を軸にした対立も、その要素のひとつになった。攻撃の標的は民間人にも及び、性的暴力や財産の破壊・略奪なども起こった。これをうけ、国連は同年、2011年から派遣していた約7,000人の平和維持軍について、その人数を約6,000人追加し、民間人の保護にあたらせることにした。2015年8月、マチャール氏が副大統領に再任することに両者が合意し、一旦は関係修復の兆しが見えたものの、翌年2016年の7月には紛争が再発し、これをうけてマチャール氏は国外逃亡することになった。

激しい紛争の勃発に対応するため、新たに増配された平和維持軍(写真:United Nations Photo / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
2018年6月、両者が2年ぶりに再会して和平協定に署名し、マチャール氏が副大統領に再任し、連立政権が樹立されることが決定した。そして2020年2月、この連立政権が正式に樹立された。この政権について、2023年までの暫定的なものとし、その暫定政府において、憲法制定や軍の統一などの平和に向けて重要となる事項を実施していくことが合意された。しかし、その実施は遅れており、依然として時折紛争が勃発している。軍の統一は、冒頭に触れた通り、和平協定締結から約4年間経過した2022年4月になり漸く実行されることとなった。また、2023年初めには正式に大統領選挙を行い、暫定政府を終了させることになっていたが、2022年8月にその実施を2024年12月へと延期することが決定し、暫定政府がさらに2年間権力を握り続けることとなった。紛争の状況について見てみると、2022年の初頭には、上ナイル州やユニティ州などで戦闘が散発した。国連によると、2022年の2月から5月の間に、紛争によって173人が死亡し、約44,000人が避難を余儀なくされたそうだ。
このように、両者の関係修復の動きは少しずつ進展しているものの、紛争が繰り返されることや和平協定の実施に遅れが見られることなど、依然として課題は多く残っているといえそうだ。
地域的な紛争
ここまで見てきたような国家の中枢での政治的対立に加え、南スーダンでは地域レベルでの紛争も複数発生している。この地域的な紛争について、しばしばひとえに民族間のアイデンティティに基づく対立であるかのように捉えられがちである。確かにそのような例も一部見られるが、それとは異なり、エリートによって民族対立を煽られているだけであって、実際にはエリート間の権力争いも裏に隠されている地域紛争も往々にしてある。アメリカのNGO組織ACLED(※2)の研究員であるダン・ワトソン氏によると、そのような紛争は、エリート間の対立、州や地域レベルでの対立、民族化された対立という3段階の対立の連続体としてとらえることができる。以下では、そのような地域紛争の具体例を見ていこう。
ワラップ州では、元々レック・ディンカ人とルアジャン・ディンカ人との対立があった。この両民族は主に牧畜によって生活を営んでいるが、その生活において重要な財産である牛の略奪、およびその牛を保護する者への攻撃などといった衝突が互いに発生していた。これに目を付けたエリートがアルク・コア中将とキール大統領であり、彼らは政敵関係にある。コア氏は自らの出自であるレック・ディンカ人を軍事的に支援し、対するキール氏は「市民武装解除運動」と称し、ルアジャン・ディンカ人を支援してレック・ディンカ人を攻撃した。この戦闘は2020年8月にピークを迎え、その際148人が死亡することとなった。

ディンカ人が牛を放牧する様子(写真:BVA / Flickr [CC BY-SA 2.0])
ジョングレイ州では、1991年のボル大虐殺(※3)を発端にして、ディンカ人、ヌエル人、およびムルレ人が対立してきた。2020年にはこの対立が再び激化し、ここにおいてはディンカ人とヌエル人が組む同盟と、ムルレ人とが攻撃と報復を繰り返すという構造が見られた。この対立にもエリートの権力争い、つまり南スーダン人民解放軍(SSPDF)という1つの組織内での権力闘争が隠されていた。具体的には、SSPDF軍事情報部はムルレ人のグループを支援し、対してSSPDF第8師団はディンカ人とヌエル人のグループを支援した。このようにエリートが絡んだことによって、2020年のこの戦闘は、少なくとも1,058人が死亡するような大規模なものとなった。
このようなエリート間での対立が発生する主な原因は、政府内に汚職が蔓延していること、および国内に存在する石油によって得られる富が権力者に集中することにより、その権力と富をめぐる争いが国家レベルのみならず地域レベルにまで広がることだとされている。
このように地域紛争においては、民族対立にエリートの権力闘争が絡み、代理戦争の様相を呈することで、使用される武力の高度化や紛争の被害の深刻化などが見られるという事例が往々にして起こっている。
深刻な洪水
ここまで見てきた紛争に加え、南スーダンの人々は深刻な異常気象にも悩まされている。特に深刻なのが南スーダンの北部地域における洪水である。2021年は、甚大な洪水の被害によって、1年間だけでも約50万人もの人々が同国の南部地域であるエクアトリア地域に避難することとなった。
南スーダンはナイル川流域の氾濫原に位置しており、8月から10月までの雨季の降水量も多いため、以前から季節的な洪水がしばしば起こっていたが、2019年ごろから、その洪水の程度が著しくひどくなっている。2021年の雨季における同国内の洪水面積は、約6,000平方キロメートルであり、2018年のそれと比べて約6倍も大きくなった。1月から3月までは乾季に入るため、例年であれば地面の水分が完全に乾くのだが、2021年の雨季の洪水量が余りにも多かったため、2022年の乾季は洪水が完全に解消しなかった。2022年はそのまま雨季を迎えたため、西エクアトリア州などといった例年は洪水が発生しない地域でも被害が生じ、同年の10月時点で南スーダン国内の被害者数は90万人にも上った。洪水の激化の原因のひとつとして、河川の植生の異常発達があるようだ。長年の紛争によって川辺での人々の活動がなくなることで、周辺の植生が異常発達し、それが河川の水流を止め、河川の水が溢れ出てしまうといった事態が発生しているようだ。気候変動も原因として挙げられるとする見解もある。南スーダンでは、世界中の地域と同様、平均気温が急激に上昇しており、それに従って降水量も急激に増えているそうだ。

洪水被害を受けるユニティ州の人々(写真:United Nations Photo / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
このような激しい洪水のため、国内北部地域に住む人々の中には南部地域への避難を余儀なくされているものもいる。しかし、ただでさえ貧困が蔓延し、資源が限られている南部地域において、その避難民が歓迎されるとは限らない。この避難の道中、盗賊の攻撃を受け、飼牛を盗まれるという事例も発生しているようだ。そのような過酷な移動を経てようやくたどり着いた先でも、安心して生活できるわけではない。主な避難先であるエクアトリア地域では、北部から洪水を逃れて新たに避難して来た人々と、以前からこの地域で暮らしていた人々との間で衝突が起こっている。同地域では、直近一年間でこのような衝突によって数十人が死亡する事態となっている。以前から南部地域に暮らしている農耕民と、数少ない資源を巡って争うことになるのだ。
このように、南スーダンでは過去に例を見ないほどの洪水被害が発生しており、それによって避難を余儀なくされた人々を取り巻く状況も、厳たるものであるといえよう。
食糧危機問題
ここまで見てきたような紛争や洪水による被害に加え、南スーダンの人々は深刻な食糧危機にも瀕している。総合的食料安全保障レベル分類(IPC)によると、2022年10月から11月の間には、約660万人が急性食料不安の状況に置かれており、これは南スーダン人口の約54%にあたる。国連の報告によると、2023年の4月から7月の間には、この人数が約780万人にまで上ると推測されている。さらに、約140万人の子供がすでに栄養不足に陥っている。子供の栄養不足が長期化すると、脳や神経、身体組織などの正常な発達に支障をきたすと言われている。このような食糧不足の状況は、紛争が最も激しかった2013年と2016年よりも深刻だとも言われている。

IPCによる南スーダンの急性食料不安分類(英語の原文をGNVで翻訳した)
ではなぜ現在これほどまで食糧危機問題が悪化しているのか。その原因はさまざまだ。第一に、さきほど言及した洪水の問題がある。洪水の被害を受けた人々は、住居や畑、飼牛、牧草地などを失い、それが食糧不足に繋がっているのだ。また、紛争も食糧危機の大きな原因になっている。激しい紛争によって財産や作物を破壊されたり、避難民となり収入を失ったりした人々は、食料へのアクセスが困難となっている。さらに、国内の一部の地域では、国の大半で洪水が起こっているのとは対照的に、干ばつの被害も出ている。東エクアトリア州のケニアとの国境付近では、干ばつによって水源が枯渇したり、牧草地が荒廃したりすることで、食料不足が起きている。またこのことが、この国境付近の地域での強盗や攻撃を助長しているのではないかとも言われている。
このように、異常気象や紛争などによって食糧不足が深刻化しているが、それに対する十分な人道支援は行き届いていないようだ。国連人道問題調整事務所(OCHA)が提供するファイナンシャル・トラッキング・サービス(FTS)によると、南スーダンに対して届けられる資金の量は、必要とされる額に比べ、3割以上不足していることが分かる。国連世界食糧計画(WFP)は以前から南スーダンに対して食料援助を行ってきたが、2022年6月、資金を十分に確保できないことを理由に、その食糧援助の一部を停止することになった。資金不足の原因のひとつは、南スーダンの問題が世界から注目されていないことである。ノルウェー難民評議会 (NRC)が、世界各国の政治的な対応などを考慮し、毎年選定している「危機が最も無視されている国」上位10国に、2021年は南スーダンがランクインすることとなった。またNRCは、これとは対照的に、ウクライナに対する資金援助が、わずか一日で必要額を達成したことも強調している。また、近年の食料価格の高騰も、人道支援を滞らせている。食料価格が高騰してしまうと、資金援助の額が一定だとしても、実質的に援助できる食料の量が減ってしまうのだ。この問題は以前から続くものであったが、ウクライナ戦争がこれに拍車をかけることとなった。
南スーダンの今後の展望
2018年に和平協定が結ばれ、それ以降紛争の状況が落ち着いてきた南スーダン。2022年には、その協定で約束された軍の統一なども一部実現した。平和への道を少しずつ進んでいるように見えるが、詳しく見てみると協定の約束事項の実施に遅れが見られたり、依然として国家レベルの紛争、あるいは地域レベルでの紛争が各地で起こっていたりというように多くの問題があることが分かる。また、深刻な洪水や、それに付随する食糧危機問題など、民間人を取り巻く環境も厳しいものである。
さらに、経済的な観点から見ても南スーダンの状況はよろしくない。石油産業はこの国の経済の大部分を占める要素であるが、紛争の状況が不安定であることや政治的な腐敗により、国外からのこの業界への設備投資が減少していること、また世界的な脱炭素の流れがあることなどによって、石油産業での利益は減少傾向である。また、それによって政府収入の減少も起こっており、政府の活動の安定性に不安が生じているようにも思われる。
冒頭で触れた通り、2018年の和平協定の期限は2年間延長された。紛争や自然災害、経済危機などがありながらも、この2年間で協定にもとづくプロセスをどれほど進められるかが鍵となる。
※1 アビエイ地域がどちらの国に帰属するかを問う住民投票は長らく延期されている。「住民」の定義をめぐり、スーダンと南スーダンとの間で争いがあるからだ。スーダンとアビエイ地域とを季節的に行き来する遊牧民のミセリヤ人について、スーダン側はこの人々がアビエイ地域の住民に含まれることを主張しているのに対し、南スーダン側は含まれないことを主張している。
※2 ACLEDとは「武力紛争に関する位置・事象データプロジェクト」の略称である。
※3 ボル大虐殺とは、1991年に起こった民間人の虐殺である。マチャール氏が南スーダン人民解放軍から分離した直後に、同氏率いるヌエル人グループによって実行され、約2,000人のディンカ人が殺害された。
ライター:Koki Ueda
グラフィック:Mayuko Hanafusa
民族どうしで代理戦争させるとか最悪ですね、。
南スーダンの他の国でも聞きますが、歴史的に民族対立を引き起こしてきた大国は、解決に向けての責任を負うべきだと感じます。。
今、ウクライナ戦争が注目されています。ウクライナ戦争でこれ以上犠牲者が出ないことを願っています。一方、ウクライナ以外でも、戦争が起きている国がたくさんあり、それらについても、知る必要があると思いました。