西ヨーロッパ、東ヨーロッパ、そして中東の文化的交差点に位置するブルガリアは激動の歴史を有する。数多くの民族が現れては消え、再び姿を見せる、そんな事が繰り返される歴史の中心舞台であった。この地を征服したのはローマ帝国、ビザンツ帝国、ベルシア帝国、オスマン帝国、より最近では比喩的にそう呼ばれてきた「ソビエト帝国」などである。しかし今となっては、これら全てが大昔の事のように思われる。というのも、今年はEU加盟10周年にあたり、将来の展望は明るく、また2018年には交代制のEU議長国の席が回ってくるのを心待ちにしているのである。
ヨーロッパ内では、ブルガリアは黒海沿岸のビーチリゾート、中世ビザンツ様式の修道院、良質のスキーリゾートとして知られており、首都ソフィアは今年、急速に人気を博しているヨーロッパの観光地として第3位に位置づけられている。またアジアでは、ブルガリアといえば主にヨーグルトや芳醇なバラがイメージされるだろう。だが全てがバラ色というわけではない。

首都ソフィア 写真: Boyan Georgiev Georgiev / Shutterstock.com
将来の人口予想
国連による最新の人口予想調査によれば、世界で最も急速に人口が減少しているのはブルガリアである。2015年から2050年にかけて人口の4分の1が失われる見込みで、これに匹敵するような暗い見通しの国は東欧諸国に集まっている。全体としてみれば、世界の人口は3分の1増加し98億人に達すると見込まれ、最も急速な人口増加地域はアフリカであり、ニジェールでは3倍以上の人口増加が予想されている。

国連開発計画のデータを元に作成
外国への移住?低い出生率?
ブルガリア(やこの地域の諸国家)での人口減少問題は他国のメディアで取り上げられることはあっても移住や頭脳流出という文脈でのみ語られる。確かに、共産党支配の終結した1989年以来、ブルガリアの人口が900万人から700万人へと減少した大きな理由の一つとして移住が挙げられる。だが、低い出生率と高齢化も人口減少に一役買っているのである。
第二次世界大戦後、多くのヨーロッパ人が「新世界」へ移住したのであるが、ソ連が支配する国家では一般市民は他の都市へすら移動の自由が無く、ましてや外国へは行けなかった。ブルガリアのミレニアル世代がこのような話を親世代から聞き、バナナのような「外国風の」輸入品を購入するには何時間も行列に並ぶ必要があったとの事実を知れば、現代とは全くの別世界の出来事のように感じるだろう。
共産党支配の終結によって、1989年まで外国への移住が許されなかった事もあり、ブルガリアでは他のヨーロッパ諸国では45年間かけて進んでいた移住が10年にも満たない年月で起こり、その流れは民主化と自由市場経済への移行から生じた経済危機によって助長された。そのように、100万人は西ヨーロッパやアメリカへ移住したのであるが、もう100万人は低い出産率と死亡率の関係で自然減少した。1995年から2000年にかけてのブルガリアは、ラトビアと並び世界で最も低い出生率(0.8%)となった。

写真: Ju1978 / Shutterstock.com
そもそもなぜブルガリアではこんなにも出生率が低いのか。1990年代に出生率の低下が始まったサハラ以南のアフリカ地域を例外とし、第二次世界大戦後以降、世界中で出生率、合計特殊出生率はともに低下してきた。なぜこのような現象が起きているのかは完全には解明されていないが、出生率が低い地域(ヨーロッパと日本)では同じ文化的・社会的価値観を共有しているようだ。つまり、そこでは宗教・親子関係・国家・権力に対しては比較的低い価値しか置かれていない。このような価値観は「世俗・合理的」と呼ばれ、「とりわけ、社会民主的あるいは社会政策の伝統が長く、また人口の多くが大学で哲学や科学を学んだ国家によく見られる」。(詳細は世界価値観調査を参照)
世俗的・合理的なブルガリアと、同じ指標において世界で最も高水準に位置づけられてきた日本の出生率を比較すると、第二次世界大戦以来、どちらも世界平均を遥かに下回る水準で非常に似通った経過を示している事が分かる。
(世界銀行のデータを元に作成)
急速な高齢化社会との比較
このような非常に低い出生率や多くの若い世代が国外に移住した事を踏まえると、ブルガリアは世界で最も急速に高齢化しているのでは、と考えたくなる。確かに、急速に高齢化している国のひとつではあるが、65歳以上が人口の28%を占める日本に匹敵する国は存在しない。だが、それは日本における平均寿命が世界平均を大幅に上回ることに大きく由来している。
この点をより詳しく見るために、最も急速に人口減少し高齢化している社会を簡単に比較してみよう。
(世界銀行のデータを元に作成)
実のところ、1960年時点では平均寿命は日本よりもブルガリアのほうが長かった。しかし共産党政権による破壊と、民主化移行政策の失敗により、1990年代に生活水準が半分にまで下がった。そのため、ブルガリアでの平均寿命は伸びず、今では日本よりも9歳低くなっている。1960年と比較してもあまり変化していない事が下の図からも分かる。平均寿命を考慮に入れれば、高齢化問題は両国で同様に深刻であることが容易に想像できるだろう。
(世界銀行のデータを元に作成)
この比較から分かるように、もし平均寿命が延びれば、ブルガリアは日本以上に最も急速に高齢化する社会となるだろう。寿命には限界があるので、最近の傾向が指し示す通り、この事は実際に起こりつつある。
さらに悪い事には、日本とは異なり、ブルガリアは高齢化する年齢層に問題を抱えている。というのも、退職した人の大部分が国の貧困レベルを下回る生活を送っているのだ。1990年代に猛威を振るったインフレーションによって貯蓄は消え去り、新たに収入を得る手段がないために退職者は甚大な被害を被った。

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人口統計への影響比較
ブルガリアの人口統計における厳しい状況を見るに、歴史上の二大人口減少要因、紛争と伝染病が人口統計に与えた衝撃と比較してみるのも興味深い。
というのも、ブルガリアにおける過去27年間の人口減少は22%に達し、近代における最も悲惨な紛争によって引き起こされた人口減少に容易に匹敵する。紛争の続くシリアでは、紛争の結果として2019年に再び人口が増加し始めるまでに約13%の人口が減少すると見込まれ、最も人口の多かった2010年の2100万人から来年には1830万人になるとされる。ブルガリアの状況と比較すると、期間としては3分の1であるが減少幅は2分の1である。
人類史上最大規模の紛争である第二次世界大戦においても、人口の喪失割合としては最大である約17%を記録したポーランドでさえ、これまでのブルガリアよりも人口減少幅が小さく、更にブルガリアでは今後33年間で25%の人口減少が見込まれているのである。
歴史上の出来事としては、14世紀において全世界の人口の4分の1、ヨーロッパの人口の3分の1を減少させた黒死病が、影響力の観点で唯一比肩できる現象と言えそうだ。
外国からの移住が希望の光?
人口減少割合から判断すると、歴史上の多くの民族のように、ブルガリアもまた消滅してしまうのではないかと思うかもしれない。だが、多分そうはならない。というのも、経済状況の向上と人口関連政策により、世界的な金融危機以降の出生率は徐々に増加しているからだ。また、ブルガリアの経済的好調によって地域諸国からの移住者数は増加し、他国への移住者は減少した。結果として純移動率はゼロに向かい、ここ数年でプラスに転じるとも見込まれている。さらに同国の海岸や郊外の山岳地域は気候が温暖で生活費も安いため、ヨーロッパに住む高齢者で退職後に移住したいと考える人も多い。
(NSIのデータを元に作成)
残念なことに、ブルガリアの一人当たりの収入額はいまだにEU平均の半分に留まる。ヨーロッパへの移住者にはより繁栄した国々が選択肢としてあるため、ブルガリアへの移住者が急増するとは予想し難い。しかし状況は徐々に改善している。もし移住者が増加し移住者の統合がうまくいけば、人口減少を象徴する景色が減少するだろう。寂れた町や村が異様な孤独感を呈し、学校や病院は閉鎖され、労働者は高齢化・不足化していき、乗客不足によって電車やバスの本数がまばらとなっていく。そのような光景がブルガリアや人口減少、高齢化する他の社会で見られなくなる事が期待されている。
ライター: Yani Karavasilev
翻訳: Ryo Kobayashi
グラフィック: Eiko Asano
興味深く拝読いたしました。滅多に出会わない情報、ありがとうございます。
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