世界各地にある人類共通の財産とされている世界遺産。世界の人々にとってどのような存在になっていて、その意義や価値がどのように伝えられているのだろうか。多くの人にとって世界遺産に関する情報は、観光の一環としてガイドブックやウェブサイトを通じて得ることが多いのかもしれない。世界遺産を紹介するテレビ番組も毎週放送されている。また、新聞などの報道機関によってニュースに登場することも少なくない。今回の記事ではこの通常の報道の観点から、日本国外の世界遺産に関する情報がどのように伝えられているのかを探る。

カンボジアのプレアビヒア寺院。(写真: Chiara Abbate [CC BY-NC-ND 2.0])
世界遺産とその諸問題
世界遺産とは「地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれてきたかけがえのない宝物」だとユネスコにより定義されている。世界遺産は「文化遺産」と「自然遺産」に分けられているが、両方の価値が認められている「複合遺産」もある。現在、1,073件の世界遺産が登録されており、その大半(832件)が文化遺産(自然遺産は206件、複合遺産は35件)となっている。
世界遺産として認定されるには、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(通称、「世界遺産条約」※1)に加盟している各国が世界遺産の候補を推薦し、21カ国の代表によって構成される世界遺産委員会が登録について決断を下すことで行われている。しかし実は、このプロセスについてはさまざまな問題点が指摘されている。例えば、登録の地域的分配が偏っており、ヨーロッパに集中している事実がある。また、ある国が世界遺産委員会の委員となっている期間が長ければ長いほど、その国の候補が登録される件数が増える傾向がある。

ドイツで開催された世界遺産委員会の会議(2015)。(写真: Matthias Ripp [CC BY 2.0])
さらに、選考・登録のプロセス以外にも、世界遺産の存在自体に関しても疑問が投げかけられている。例えば、世界遺産が人類の共通財産であるとされていても、実際のところは国家の威厳とプライドを主張するために利用されるケースも多くあり、その結果ナショナリズムを煽る存在ともなりうる。また、遺産の歴史的な意義や所有関係は、国家同士、民族同士などで争われることもあり、武力紛争の原因のひとつになることもある。
加えて、54件の世界遺産は、実は何らかの理由でその価値が脅かされ、危機的な状況にあるとされている。そのひとつの理由は、武力紛争である。紛争の当事者が意図的に破壊しようとする場合もあれば、戦闘などを通じて間接的に被害を受ける場合もある。一方で、観光による被害もある。ある遺跡が世界遺産として登録されれば、観光ラッシュが発生してしまい、守るための登録なのに、結果的に保存・保全が難しくなる場合もあるのだ。ただ、世界遺産が注目されなければ、保全のための資金や人材を調達できないジレンマも抱えているのが現状である。
世界遺産に関する報道(国別)
では、複雑な問題も抱えている世界遺産という存在はどのように報道されているのだろうか。今回は国際報道における傾向を見るために、まず2008年〜2017年の10年間で、毎日新聞の国際面に掲載されている記事の中で「世界遺産」という語句が含まれている記事を検索した。該当した205記事の大半(80%)はアジア(58%、その内の19%は中東)とヨーロッパ(22%)に関する記事となっていた。残りの記事の11%はアフリカ、6%は南北アメリカ(特定の地域に属しないその他は3%)だった。日本の新聞の国際報道における普段からの地域の偏りをある程度反映しているともいえる。
上の図は同期間に世界遺産の関連でもっとも報道された国のトップ10である。もっとも報道されていたのはカンボジア及びタイの世界遺産で、両国の国境線沿いに位置するプレアビヒア寺院に関する報道だった。9世紀にクメール王朝によって建てられたこの寺院およびその領土の領有権が両国に争われているが、国際司法裁判の判決によると、寺院自体はカンボジア側にあるとされている。2008年、世界遺産として登録されたことがきっかけで軍事衝突に発展し、その後も両国軍が数回衝突している。
一方で、シリアでの世界遺産に関する報道も多かった。これは主にIS(イスラム国)の占領時に一部破壊されたパルミラの古代遺跡と、シリア政府と反政府勢力との紛争によって被害を被ったアレッポ市に関する報道だった。イラクにおいても、ISとの紛争によって脅かされていた世界遺産が報道の中心となっていた。また、アフリカの世界遺産に関する報道の半分以上(55%)はマリに関するものだった。歴史あるモスク、聖廟、図書館などを含む、16世紀に栄えたトンブクトゥ市が取り上げられていたが、唯一報道されていたのは2012年に反政府勢力により市が占領されたときに遺産の一部が破壊されたことだけであった。

マリのトンブクトゥにあるモスク。(写真: UN Photo/Marco Dormino [CC BY-NC-ND 2.0])
世界遺産に登録されている物件が多いイタリア(1位)とスペイン(3位)に関する報道も多かった。イタリアでは北部のボローニャで起きた地震の被害にあった遺跡やコロッセオにおける諸問題などが取り上げられていた。スペインでは、カタルーニャ独立運動やテロとの関連で世界遺産も注目されていた。しかし、世界遺産が多いからといって報道されるとは限らない。中国の世界遺産の件数は世界2位となっているが、毎日新聞における報道は皆無に近い。一方でネパールの世界遺産に関する報道のすべては、2015年に起きた地震による被害に関するものだったのである。
また、国際面に掲載された記事にもかかわらず、日本が関係している世界遺産も数多く報道されている。これらは主に、日本の周辺国との歴史問題、領土問題との関連で報道されたものだったが、世界遺産登録以外の国際的な側面がない国内の世界遺産に関する報道もあった。
武力紛争と世界遺産
ここまで述べてきたことで明らかになっているが、国際報道で世界遺産が取り上げられるとき、武力紛争が伴うことが少なくない。10年分の毎日新聞の国際面においては、世界遺産に関する記事数の約半分(48%)は武力紛争やテロなどの暴力的な出来事とつながっていた。報道量がもっとも多かった5つの国のうち4つ(カンボジア・タイ、シリア、マリ、イラク)は、主に紛争があったからこそ報道の対象となった。ちなみに、アメリカのニューヨーク・タイムズにおいて、同じように、10年分の報道でみたとき、武力紛争を伴う世界遺産の報道は全体の38%と、毎日新聞を下回っていた。
しかし、上の図が示すように、地域によって大きな差がある。アジアに関しては、武力紛争との関連で報道される世界遺産は全体の35%だが、アフリカだと、逆に紛争と関係のない世界遺産の報道は6%に過ぎない。つまり、武力紛争がなければアフリカの世界遺産が報道の対象となることがほとんどない。アフリカ大陸には138件もの世界遺産が登録されているが、毎日新聞の10年分のアフリカに関する記事数の半分以上はそのうちの1ヶ所(一部破壊されたマリのトンブクトゥ)に関するものだった。コートジボワールやエジプトに関しても、テロ攻撃の文脈で記事で世界遺産が紹介されていた。新聞社はアフリカに特派員をほとんど配置しておらず、普段からもアフリカに関する報道は国際報道の2〜3%に過ぎない中、暴力を伴う大きな事件でない限り、報道の対象にならないということは決して不思議なことではない。
また、武力紛争との関連でしか報道機関に取り上げられない世界遺産という現状には、別の問題が伴う。マリのトンブクトゥの遺跡やシリアのパルミラ遺跡のように、世界遺産自体が狙われ、意図的に破壊をしようとする武装勢力が問題となった。更に遡ると、アフガニスタンのバーミヤンでは2001年にタリバンに破壊された巨大石仏も代表的な例である。しかし、武力紛争で狙われ、被害を受けるのは遺産だけではなく、その周辺に住む人間でもある。パルミラやバーミヤンが武装勢力に制圧されたときには戦闘だけでなく、虐殺によっても多くの命が落とされ、さらに、恐怖で逃亡し避難民もそれぞれの地域から溢れた。ところが、報道の注目は人間にではなく、遺跡にあったのだ。

シリアのパルミラ遺跡で地雷撤去。(写真: Ministry of Defence of the Russian Federation [CC BY 4.0])
例えば2001年2月、バーミヤンがタリバンによって奪還される際、毎日新聞は人的被害に一切触れずに、石仏の破壊計画と実行関連の出来事しか報道しなかった2ヶ月間があった。この破壊をめぐって、タリバンはアフガニスタンに餓死している人間が大勢いるにもかかわらず、世界が石仏にしか興味がないことを指摘、破壊の理由のひとつとして挙げていた。理にかなっていない正当化の試みとはいえ、世界の注目は確かに紛争で苦しんでいる人間には向けられていなかった。また、2015年5月、ISがシリアのパルミラを制圧する前と最中に毎日新聞は「IS、世界遺産に迫る パルミラ、破壊の危機」という見出しでひとつだけ記事を掲載した。人間の被害に着目したのは奪還から1週間後となった。シリアにいる住民から、なぜ人間の命より遺跡を大事にするのかという疑問の声が上がっていて、シリアに関しても、イエメンに関しても、報道関係者自身が専門家から指摘されることがある。
武力紛争の際、遺跡を守ることも当然重要である。また、人間の命、遺跡共に、その被害を防止するために声を上げて行動を起こすことも可能であり、そのように動いている人ももちろんいる。しかし、国際報道を見る限りそのようなバランスは見当たらない。
報道機関は激しい動作や、珍しい出来事を好む。遺産の保護や保全よりは破壊が報道されやすい。また、武力紛争による人間の被害より遺産の被害のほうが珍しく、報道されやすい。このような観点から報道の価値判断は見えてくる。武力紛争によって危機的な状況にされされている世界遺産に着目することも大事だが、失われる人間の命にも着目することも大事だろう。また、動きも進展もない世界遺産を報道の対象にしないのことに妥当な側面はもちろんある。しかし、武力紛争との関係以外に報道の対象にすべき出来事も少なくない。平時においても、報道によって注目されなければ、保護・保全に必要な資金調達も困難な場合もある。また、国際報道全般と同じように、世界遺産報道における激しい地域の格差が依然として存在する。さまざまな側面から、世界遺産に関する国際報道を再検討してもいいのではないだろうか。

アフガニスタンのバーミヤン(秋)。(写真: Johannes Zielcke [CC BY-NC-ND 2.0])
※1 1972年のUNESCO(国際連合教育科学文化機関 ユネスコ)の総会で採択。
ライター:Virgil Hawkins
観光の対象として世界遺産に興味があり調べているうちに、この記事が目に止まりました。
『報道の注目は人間にではなく遺跡にあったのだ』指摘されて確かにその通りだと思いましたが、気もつきませんでした。
多くのヒトは何の疑問もなく報道内容だけを世の中の全体像として受け入れています。
取り上げる対象国に偏りがあるだけでなく、取り上げるシーンも読者受け?を狙い偏りがあることが指摘されており、共感するとともに受け止め側としても反省すべきことも多いと思いました。
今後、ますますこのサイトが盛り上がることを期待しています。