世界最大ともいわれる豪華絢爛な宮殿。ブルネイ・ダルサラーム(以下ブルネイ)の首都バンダル・スリ・ブガワンに置かれるこの宮殿はなんと、1,788室を有している。およそ7,000台の高級車やぜいたく品に囲まれ、想像もつかないほどの裕福な生活を送るのは、ブルネイの最高指導者であるスルタン、ハサナル・ボルキアである。2019年の一人当たりの国内総生産(GDP)が世界で34番目に高いブルネイにおいて、このような富があるのは、何といっても豊かな石油資源の恩恵によるものである。ブルネイはこれまで石油国家としてどのような歴史をたどってきたのだろうか。そして、一見すると豊かに見えるブルネイ国内に、どのような今後の懸念点がみられるのだろうか。

ブルネイの首都にあるモスク(写真:Bernard Spragg. NZ / Flickr [CC0 1.0])
イスラム教独裁体制
ブルネイは、マレーシアとインドネシアがブルネイと共有するボルネオ島の北部に位置する東南アジアの一国である。面積は、5,765㎢で、2020年の人口はおよそ465,000人と、比較的小さな国である。東南アジア唯一の絶対君主制国家であり、1984年にイギリスからの独立を達成して以降、スルタンというイスラム教国の君主が、国家においてゆるぎない権力を持ち続けている。スルタンは、首相、外務大臣、国防大臣、財務大臣、そしてブルネイのイスラム教の長を兼ねており、政治家や議会、司法にも制約されない完全な執行権を及ぼすことができる。
ブルネイでは、イスラム教が公式宗教とされており、人口の78.8%をイスラム教が占めている。そのようなブルネイの大きな特徴として挙げられるのは、スルタン制の厳しい戒律が敷かれている点である。日常生活においては、飲酒、喫煙が禁止されており、音楽や映画は、イスラム教を侮辱する内容が含まれていないか等の厳しい検閲が行われる。また、イスラム教以外の宗教行事であるクリスマスのイベントを行ったり、関連するカードや衣装を取り扱ったりすることが禁固刑に値する場合もある。キリスト教徒などのイスラム教徒以外の人々はクリスマスを祝うことができるが、それも公の場では行ってはいけない。そのように制約の多い生活の中で、娯楽を求めるブルネイの住民が、隣国であるマレーシアに渡って羽を伸ばし、自由に音楽や飲酒を楽しむこともあるのだという。
近年スルタンは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーなどの性的少数者を指すLGBTに対し、厳しい待遇をとっている。2019年4月には、同性愛行為に対し、鞭打ち、懲役、または石打ちによる死刑を科す厳格な刑法改正が施行されるなど、ますます厳しさを増している。
先述した音楽や映画の厳格な検閲からも見えてくるように、ブルネイでは、表現や報道に厳しい制限が設けられている。2020年の世界の報道自由度指数によると、そのランキングは152位とされており、全世界の中でも自由な報道が保証されない国の一つとして挙げることができる。自由な報道を困難にする大きな要因となっているのが、政府によるメディアの閉鎖が可能であるということだ。特に、ブルネイの政府に批判的な内容に対して抑圧的に対応しており、2016年には、ブルネイ・タイムズというブルネイで2番目に大きかった報道機関が突如閉鎖された。

ブルネイのスルタン、ハサナル・ボルキア(写真:Kremlin.ru/Wikipedia Commons[CC BY 4.0])
石油国家ブルネイ
このような独裁政権を支えるのは、石油がもたらす富である。ブルネイは世界でも有数の石油国家として知られており、2019年の生産量は約121,000バレル/日で、世界生産量ランキングでは40位となっている。ガスの生産も主要な産業で、2019年で世界39位となっている。ランキングで見ればけっして高くないが、人口の少なさを考慮し一人当たりに換算すると、非常に豊富だということができる。
石油・ガス産業が国の収益に占める割合は、2019年の政府総歳入の77.2% で、輸出額のおよそ96%を占めている。ブルネイは、加盟国の石油政策の調整や統一を行う、石油輸出国機構(OPEC)の加盟国ではないが、OPECプラスの参加国となっている。OPECプラスとは、OPEC加盟国の14カ国と非OPEC加盟国で構成される24の産油国からなる組織であり、石油価格を安定させるための契約を取り交わしている。
ブルネイでは、石油によって得られる莫大な富は一般の国民に一体どのように還元されているのだろうか。一人当たりの収入が高いとは言えないが、政府は充実した福祉を国民に提供している。例えば、公立病院における医療費や公立学校における教育費は無料であり、個人の所得税もかからない。国内で明確な貧困ラインは定められていないものの、2011年の国連ミレニアム開発目標報告書によると、貧困率も5.04%と推測されており、富がスルタンに集中していることは否めないが、国民の生活水準の高さもある程度保たれている状況がうかがえる。また、人間開発指標の観点から見ても、43位というように所得の状況、保健や教育の環境もある程度整っているといえる。このように、石油からブルネイが受けている恩恵は大きい。

ブルネイの大都市バンダル・スリ・ブガワン(写真:Jorge Láscar/ [CC BY 2.0])
石油国家としての歩み
ブルネイは、500年以上前からスルタン制が存在しており、独自の政治制度を持つ国であった。しかし、1800年代の後半からイギリス系の商人が影響力を及ぼすようになり、イギリス政府も追随して徐々にブルネイに入り込んでいった。最終的に、隣国であったラワク(現マレーシアの一部)の脅威に直面したブルネイは、イギリスの保護下に置かれることとなった。1903年にベランバン島のラジャ・ブルック炭鉱でブルネイ初の石油が発見されると、その富を求めたイギリスが1906年にブルネイを正式に保護領とした。
1929年にはボルネオ北西部で最大のセリア油田が発見されたのち、イギリスとオランダの石油会社であるロイヤル・ダッチ・シェルの子会社、ブリティッシュ・マラヤ石油会社によって商業的開発が行われた。1957年には、ブリティッシュ・マラヤ石油会社が、ロイヤル・ダッチ・シェルとブルネイ政府が共同経営するブルネイ・シェル石油会社に変わり経営を行った。その後、マレーシアも保護下においていたイギリスは、マレーシアとブルネイの合併を検討し始め、マレーシアも合併の意向を持っていた。しかし、スルタンが石油の管理権を手放すことを容認したがらなかったことに加え、ブルネイ・シェル石油会社の働きかけもあったとされ、1963年にマレーシアとの合併を拒んでいる。同年の法改正により、政府の石油利益の取り分が増えることとなり、1975年には政府の収益とロイヤル・ダッチ・シェルの利益配分は50:50となった。
1984年、ブルネイはイギリスからの独立を果たしたが、ブルネイの小さな領土や人口では、他国からの攻撃に勝る防衛力を持つことは困難であり、イギリスから独立したのちも、ブルネイが費用を負担し、イギリスの部隊を駐在させてきた。独立後のブルネイにおいて、石油による富は、国家の大きな収入源となるだけでなく、様々な制度やインフラの整備にも用いられ、ブルネイの経済の立て直しに大きな役割を果たした。

マレーシアにあるシェルのガソリンスタンド(写真:CEphoto, Uwe Aranas/ Wikipedia Commons[CC BY-SA 3.0])
ひび割れてきた経済基盤
ここまで、石油によって国を保ち、経済的に豊かになってきたブルネイの姿を見てきた。しかし、石油に依存した経済状態は、問題も引き起こす。それは、原油の価格に経済が大きく左右されてしまうということである。原油価格が低迷した際には、石油以外の分野での主な利益がないため、直接的に経済に影響を受けてしまう。石油価格が高騰した2012年の石油のオープン価格は1バレル当たり103米ドルとなっており、2013年から下がり始めた石油価格は、2019年には、半分以下の46.3米ドルとなっている。ブルネイの一人当たりGDPは石油価格の変動が同じ動きをしており2012年には35,967米ドルであったが、2019年には32,327米ドルとなっている。このような石油価格の低迷により巨額の財政赤字を抱えることとなったブルネイの経済成長率は横ばいになっている。
また、現在の採掘状況では、あと15年しか石油の採掘ができないと言われており(※1)、今後の石油の持続可能な採掘が危ぶまれている。この状況を受けて、ロイヤル・ダッチ・シェルを中心とする外国企業は将来性を鑑みて、すでに同国への投資を停止しており、欧米の大手銀行は支店を閉鎖している。
さらに、ブルネイにおける非雇用率の上昇も指摘されている。2020年のブルネイの失業率は、東南アジアで最も高い9.1%前後になると予想されている。これまでのブルネイの失業率は2018年は8.9%、2019年は9.1%と高い記録であったことから、一時的なものではなく、ブルネイの社会構造や経済状況に根本的な問題が潜んでいると考えられる。
石油業界で莫大な富を得ていることを背景として、石油以外の新たな市場を開拓していこうとする起業家精神も薄れさせている可能性がある。また、政府は、ブルネイの国民のおよそ23%を雇用する雇用主としての役割を果たしている。この公的セクターの方が給与や待遇がよいため、民間セクターの業種に就きたがるブルネイの若者は少なく、建設産業、農業等の民間セクターの労働者は、外国人労働者で構成されていることが多い。また、石油・ガスに重きを置いたブルネイの経済よって、雇用市場の偏りと縮小が引き起こされており、これらも雇用率の低下につながっていると考えられる。

ガソリンスタンドの給油機(イメージ)(写真:Solange Cabe/Public Domain [CC0 1.0])
石油依存脱却に向けた国内の取り組み
このような石油依存状態の改善に向けて、ブルネイ国内でも動きがみられている。国内の長期開発計画を策定した、ブルネイ・ビジョン2035では、ブルネイ政府が外国からの直接投資を誘致したり、できるだけ多くの国との二国間貿易を促進したりする取り組みが決められている。例えば、石油以外の分野の発展に精力的に目を向けており、情報通信技術(ICT)、金融、製造などの分野において経済発展を遂げているインドなどの国とのより一層の関係強化を勧める声もある。
また、石油やガス以外のセクターによる収入を増やすため、観光セクターの強化が行われており、新型コロナウイルスの影響を受けたものの、ブルネイの観光省は、2015年の218,000人から2020年には450,000人に観光客を増やすことを目標としており、歳入の1.1%から3%にまで増やすために、航空関係の利便性を高めるなどの取り組みがなされており、自然環境や歴史文化を楽しむエコツーリズムへの注目が高まっている。
さらに、ブルネイは、先駆的な研究開発によって水素プロジェクトの最先端に立つことを目指している。2019年には、世界初の水素供給デモプロジェクトがブルネイから日本への初の出荷を行うなど、試験的な事業を始めている。このような石油依存脱却に向けた国内の取り組みが行われているものの、依然としてブルネイの経済を支える財源として石油が占める割合は大きいため、今後も継続的な取り組みが必要とされる。
他国との関係
ここまでブルネイの経済と石油の関係性についてみてきたが、石油が同国に大きな影響力を持っているのは経済分野だけではない。他国との関係性、すなわち外交も石油と大きく結びついている。ブルネイの石油の残存年数が少なくなっており、石油で保ってきた国力が弱まりを見せる中、関係性はどのように変化しているのであろうか。
ブルネイの石油の将来性が不安視される中、インフラ整備や貿易、農業に巨額の投資を行っているのは、中国である。そこには、南シナ海における領有権の主張をブルネイに黙認してもらうという思惑があり、ブルネイ側も、海洋法条約に基づいて自国の領有権を主張しながらも、中国や他の東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟国との合意も求める声明を2020年7月出すなど、東南アジア諸国や中国との関係性を強固に保ちたい考えが見える。
一方、ブルネイを含め東南アジア地域において軍事的な存在感を持っていたイギリスは、このよう中国の影響力の高まりを受けて、防衛対話やテロ対策など直接的な軍事的協力関係をより一層強化し、ブルネイや東南アジアの国々との関係性を強める動きを見せている。
さらに、ブルネイとの強固な関係性を持つアメリカもブルネイの海軍基地で海上演習を行うなど、ブルネイとの関係性を強めている他国に対抗する動きを見せている。このように、ブルネイは、弱まりつつある国力で自国を維持していかなければならない状況において、アメリカやイギリス、中国や東南アジア諸国といった他国の対抗関係の中に巻き込まれているという一面もある。

ブルネイが主催する演習で人員を運ぶ米軍のヘリコプター(写真:U.S. Pacific Fleet/ Flickr[CC BY-NC 2.0])
ここまで、ブルネイの石油国家としての歴史や現状を見てきた。スルタンの煌びやかな宮殿や国民への比較的手厚い社会福祉制度からは想像することは容易ではないが、石油依存状態だからこそ引き起こされている問題や、これから懸念される課題が、ブルネイにはいくつか見られる。しかし、ブルネイと他国との関係性においても、石油がカギとなっており、これからも、ブルネイと石油の関係性は切っても切り離せない関係に変わりはないだろう。今後は、他の産業の発展にも力を入れつつ、持続可能な国家運営が行われることを期待したい。
※1 ブルネイの石油の残存年数に関しては様々な見解がある。ここでは、エネルギー関連事業を行うイギリスの大手、BPによるBPエネルギー予測(BP World Energy Outlook)のデータを参考にしている。
ライター:Akane Kusaba
グラフィック:Yow Shuning
厳しい取り締まりもあるような独裁体制にも関わらず、手厚い福祉制度が整っているのはとても意外でした。