2021年5月、東ティモール沖にてバユウンダン油ガス田での天然ガスが新たな採掘のフェーズに入った。これまでにも東ティモールはこの油ガス田の採掘を進めてきており、大きな収入を得てきた。実際に、東ティモールの国家収入の多くは石油・天然ガスのセクターが占めており、独立以来その収入に大きく依存している。さらに、世界全体で「脱炭素」の動きが進む中、採掘権をめぐる隣国オーストラリアとの関係や政府によるこの有限な資源の活用方法などにも注目されてきた。この記事では、そんな東ティモールの将来について考えていく。

ティモール海から採掘された輸出用の天然ガスをオーストラリアから日本に輸送するタンカー(Geoff Whalan / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
東ティモールの歴史
東ティモールは、オーストラリア大陸の北にあるティモール島の東部に位置しており、島の西部を領土とするインドネシアと接している。
16世紀以前、東ティモールには複数の王国が存在していた。しかし16世紀になると、白檀(ビャクダン)という香木を求めてポルトガルからの船が来航し、のちにポルトガルによって支配された。そして、第二次世界大戦が始まると日本軍によって支配され、終戦とともに再びポルトガルの支配が始まった。その後1974年に、ポルトガル本国でクーデターが発生し、植民地支配を進めてきた旧政権が崩壊したため、ポルトガルは東ティモールの支配を徐々に弱めていった。翌年1975年には、独立運動の高まりとともに、東ティモール独立革命戦線(フレテリン:FRETILIN)等の独立派が独立宣言を行った。しかし、隣国のインドネシアの侵攻を受け、翌年には27番目の州としてインドネシアに併合された。一方で国連はこのインドネシアによる併合を認めず、ポルトガルに合法的な統治権を認めていた。その後もフレテリンを中心に、インドネシアからの独立を目指す運動が続けられ、これを抑制しようとしたインドネシア側は虐殺や殺人などの人道犯罪を起こしている。
1998年、インドネシアではアジア通貨危機に対する政府の対応への不満から大規模な市民運動が発生し、時の政権は崩壊した。その後設立された新政府はティモールの独立のための住民投票の実施を容認した。翌年1999年には、国連安全保障理事会(安保理)による国連東ティモール・ミッション(UNAMET)の設立が決定し、UNAMETによって独立の是非を問う住民投票が実施された。その結果、約8割の住民が「分離・独立」を選択した。このときの投票率は98.6%に達し、いかに住民が独立に対して高い関心を持っていたのかがうかがえる。
しかし投票直後から、独立反対派による破壊・暴力行為が急増し、これを理由にUNAMETは東ティモールから撤退せざるを得なかった。この暴動の背景には住民投票前後にインドネシア軍によって行われた様々な工作があるとされており、インドネシアが東ティモールの独立を阻止しようとしていた疑いがある。この不安定な状況に対して、1999年に安保理は多国籍軍(INTERFET)と国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の設立を決定し、一時的に国連が東ティモールを統治することとなった。そして1975年の独立宣言から27年を経て、2002年に東ティモールは正式に独立国家となった。初代大統領(※1)にはシャナナ・グスマン氏が、初代首相には当時の与党第一党であったフレテリンの党首、マリ・アルカティリ氏が就任した。両氏は1970年代から独立運動に中心的に関わってきた人物であり、ともに1975年の独立宣言の時点ではフレテリンに所属していた。

左:マリ・アルカティリ氏(World Bank Photo Collection / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
右:シャナナ・グスマン氏(World Trade Organization / Flickr [CC BY-SA 2.0])
ともに独立のために精力的に活動した2人であったが、1980年代にグスマン氏がフレテリンを離れて以降、両氏の間には徐々に対立が生まれていった。2006年にはアルカティリ氏が解雇した国軍兵士が首相の辞任要求を伴う暴動を起こし、アルカティリ氏は首相を辞任した。このとき大統領であったグスマン氏がアルカティリ氏の辞任を要求したことからも2人の対立がうかがえる。2007年にはグスマン氏によって東ティモール再建国民会議(CNRT)が設立され議会第二党となり、グスマン氏は首相となり実権を握った。しかし、2012年頃になると、グスマン氏が首相の後継者として対立政党であるフレテリン側の人物を挙げるなどしたため、それまで対立関係にあったアルカティリ氏とグスマン首相の関係性が改善され国内情勢も安定した。これには政権の担い手を、独立運動時代から政治にかかわってきた世代から若手へと世代交代するというグスマン氏の思惑があったとみられる。しかし結局、2017年にはアルカティリ氏が首相に返り咲き、9か月間の短期政権を築いた。その後グスマン氏率いるCNRTを中心とする連立政権が成立するも、2020年からは再びフレテリンを中心とする連立政権が政権を担っている。
天然資源の開発
ティモール島の南側のティモール海には石油・ガスといった天然資源が存在し、これまでも開発がなされてきた。そこで、ティモール海の天然資源の事情に着目して歴史を紐解いていこう。東ティモールが独立するまでは、ティモール海をめぐる取り決めは主にオーストラリアとインドネシアの間で行われていた。この2ヵ国の間でなされた最初の取り決めは、1972年の海底境界条約であった。しかし、のちにこの条約には「ティモールギャップ」と呼ばれる、海底境界の未確定な部分が存在していることが発覚した。そこで1989年に再度、両国でティモールギャップ条約を結ぶことで「ティモールギャップ」は共同石油開発地域(JPDA)として、2ヵ国が共同で開発できる地域とされた。この時、国連による統治権を認められていたポルトガルが、自国の統治権と東ティモールの民族自決権が侵されたとしてオーストラリアを国際司法裁判所に訴えるも、裁判所はポルトガルの主張を退けた。この判決に対しては、この訴訟自体が第三国であるインドネシアの利益にかかわる問題でもあるため、裁判所が謙抑的な判決を下したのだという見方もある。これまでティモール海をめぐり海底についての取り決めはなされてきたが、海域については未確定であった。そこで、1997年にオーストラリアとインドネシアはパース条約を結んで、それぞれの排他的経済水域を定めた。
そして2002年に東ティモールが正式な独立を果たすと、今度は東ティモールがオーストラリアとティモール海条約を結んだ。これは1989年のティモールギャップ条約に代わって新たにJPDAからの石油の収入配分を定めた条約であり、境界についてはパース条約を引き継いでいる。JPDAには主な油ガス田として、バユウンダン油ガス田とグレーターサンライズ油ガス田の一部が存在し、ここからの石油の収入配分は東ティモール:オーストラリア=9:1とされた。一方で、この条約ではバユウンダン油ガス田からオーストラリア北部の都市ダーウィンまでのパイプラインの管轄権はオーストラリアが持つとされ、オーストラリアの企業が液化天然ガス(LNG)の生産を始めた。条約ではLNGに関する取り決めがなされていなかったため、技術力と資本を持つオーストラリアの企業がLNGからの利益を得ることとなった。さらに、この条約では1974年の時点で発見されていたグレーターサンライズ油ガス田の79.9%が先に述べたパース条約で定められたオーストラリアの排他的経済水域に属し、残りの20.1%はJPDAに属するとされた。よって、このグレーターサンライズ油ガス田から東ティモールが得られる利益は、JPDA内に属する20.1%のグレーターサンライズ油ガス田のうちの90%なので、全体の約18%ということになる。つまり、JPDAに関する収入配分では東ティモールに有利な条約に見えるが、実際に主要な油ガス田の1つであるグレーターサンライズ油ガス田から得られる収入配分が少なかったのだ。
なお、オーストラリアの主張する排他的経済水域は、大陸棚に合わせたもので、東ティモールの主張する両国の中間線よりも東ティモール寄りのものである。これらに納得できない東ティモールはオーストラリアと協議を続け、2006年に二国は再度ティモール海境界線条約(CMATS)を結んだ。これによりグレーターサンライズ油ガス田からの収入配分は東ティモール:オーストラリア=5:5とされた。同時に、以後50年間、国境線の決定を保留することとされた。
2013年、東ティモールに1つの転機が訪れた。CMATSの交渉に際してオーストラリアが、東ティモールの首相官邸を含む政府の主要な施設を盗聴するというスパイ活動を行っていたことが発覚したのだ。東ティモールは事を国際司法裁判所(ICJ)に持ち掛け、強制調停が実施された。これによりCMATSは破棄され、2018年に両国はティモール海条約を再び結び、グレーターサンライズ油ガス田からの収入配分を新たに決定した。東ティモールの得られる収入は、抽出されたガスがパイプラインによってどちらの国に送られるかによって異なる。東ティモールに送られる場合は70%、オーストラリアに送られる場合は80%の収入配分を得るというものである。この条約では同時にJPDAを廃止し、海上境界線を東ティモールとオーストラリアの中間線で定め、バユウンダン油ガス田を含む、もともとJPDAであったエリアの利益は全て東ティモールが得ることとされた。それでも実際に採掘を行うのはアメリカやオーストラリアの国際石油資本であり、資本の流出が続いている。

首都ディリにある政府の建物(David Stanley / Flickr [CC BY 2.0])
これまで見てきたように、東ティモールは独立以後、地域大国であるオーストラリアとの不利な力関係の中で、交渉と条約の締結を繰り返して自国の利益を確保しようとしてきた。しかしながら現在、海の底に眠る収入源に関して不透明な部分も多い。まず、上に述べた2018年のティモール海上国境条約にはいくつかの問題点がある。1つ目は、東ティモールはオーストラリアと境界について交渉を重ね、収入配分について決定をしたものの、同じく隣国であるインドネシアとは境界と収入配分を明確にしていないことだ。このことはインドネシアとの新たな摩擦を招きかねない。2つ目として、この地域における海洋環境の管理に関する規則が明確でなく、今後石油・ガスの開発による環境破壊も懸念されている。3つ目に、現在ティモール海上国境条約によりJPDA内の油田の収益はすべて東ティモールに帰属するとされたものの、オーストラリアがその批准を遅らせたという問題がある。実際、2018年3月に調印されたこの条約をオーストラリアが批准したのは翌年の7月である。その間オーストラリアは、自国に有利な条件であった2002年のティモール海条約に基づいてJPDAから全体の10%の収益を得続けた。その額は総額50億米ドルにも上るとされ、オーストラリア側の政治家をはじめとする一部の人が補償を求めているものの、未だ返済はされていない。
また、そもそも冒頭に述べたように世界的には「脱炭素」の動きがあるが、その流れに対して国家収入の多くを化石燃料に依存する東ティモールの先行きそのものが不透明である。東ティモールは2016年、2017年の国家収入の約9割が石油・ガスのセクターから得られたものであり、これは極端なモノカルチャー経済である。技術発展によって掘削可能な石油・ガス資源の量は増えているものの、いずれそれらが枯渇することは周知の事実である。現在、東ティモールは石油・ガス収入の全てを2005年に設立した石油基金に投入し、そこから必要な分を国家の予算に移す、という方法で石油・ガス収入の持続的な利用を目指している。実際、初期には農村電化計画やインフラ投資で一定の成果が見られた。
しかし、バユウンダン油ガス田の資源は2023年に枯渇するとされており、現在の収益運用方法では、190億米ドルある基金の残高も早ければ2030年に枯渇するとされる。そのためグレーターサンライズ油ガス田の開発が急がれていた。グスマン氏はグレーターサンライズ油ガス田で得られたガスをオーストラリアへ運び処理するのではなく、東ティモールの海岸にLNG輸出施設を建設し処理するというプロジェクトを主張してきた。一方で、東ティモールはこの施設建設のための資金捻出が困難な状況にあり、グスマン氏が主張するプロジェクトおよびグレーターサンライズ油ガス田の開発そのものが停滞しているのが現状である。

オーストラリアの主張に対して抗議をする人々(Andrew Mercer / Wikimedia [CC BY-SA 4.0])
経済全般の問題
東ティモールは、植民地支配から脱した直後に隣国のインドネシアによる抑圧、紛争を経験し、正式な独立までに多くの混乱があった。その過程で多くの国内インフラが破壊され、避難民も多く発生した。2007年頃から復興に向けて動き出したものの、未だにその影響は残る。とりわけ2007年当時は国土の荒廃が原因で、主食である米なども輸入に頼るほかなかった。輸出用作物として力を入れたコーヒー栽培は年々その生産量を増やしているものの、未だ石油・ガス資源に代替するほどのものではない。このように東ティモールは国の「開発」を思うように進められてこなかった。
豊富な石油・ガス資源は政治経済的に困難な状況にあった東ティモールが経済発展を進める基盤になってきた。また、天然資源の豊富な国ほど多様な産業が育ちにくく経済成長や民主主義が定着しにくいという、いわゆる「資源の呪い」(※2)を避けるために、ノルウェーに倣って石油基金を設立して資金を投じてきたというのは上に述べたとおりである。しかし、そもそも石油・ガスの採掘は資本と技術を持つ外資系企業によって行われているため、これらの資源から得られる富の多くが国外に流出してしまっていることも事実だ。さらに、石油・ガスから収入を得られるようになったものの、その使い道にも問題がある。実際、天然資源で得られた資本は、東ティモールの約66%の世帯が従事する農業セクターや、国の未来を担う子供たちのための教育、健康などには投じられてきていない。
では、政府は天然資源によって得られた収入を何に使っているのか。その多くは先に述べた、独立時代、そして現在においても実権を握る2人の人物がそれぞれ推進する2つの工業化プロジェクトに投入されており、ここから両者の政治的対抗意識がうかがえる。1つ目は元首相であるアルカティリ氏が政治的実権を持つ飛び地のオエクシ特別行政区に港湾や道路、公共施設を建設し工業地帯とする大規模なインフラ投資である。2つ目は同じく政治的に力を持つグスマン氏が推進するタシマネ・プロジェクトと呼ばれるものである。天然ガスの陸上処理場とそれに伴う港や道路の整備という大規模なもので、180億米ドルが必要とされる。

インフラ整備に従事する労働者(ILO Asia-Pacific / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
これら2つのプロジェクトには共通して、投ずる資金の大きさに実益が伴わないという批判がある。さらにタシマネ・プロジェクトに関してはいくつかの問題点がある。まず、天然ガスを陸上に輸送するためのパイプの開発に関する経済的・技術的困難性が指摘されている。また、その開発には技術を持つ熟練工が必要であるが、東ティモールにはそれらの人材が不足しており、人材が国外から調達されるため東ティモール内で雇用が増加することは望めない。さらに開発のために不利益を被る住民への補償も充分でないとの証言がなされている。また、オエクシ工業地帯プロジェクト、タシマネ・プロジェクトのどちらにおいても必要な資金は石油基金や東ティモールの国家予算だけでは賄えないという問題もある。そのため東ティモール政府は開発に必要な資金を海外、主に中国の銀行から調達しようとしているが、それが国の「借金漬け」を導くという見解もある。このような理由から、これらのプロジェクトは政治家の虚栄心からくるものであって、失敗に終わるという見方が強い。
今後東ティモールが石油やガスに頼らずとも国の将来を安定させるためには、他のセクターの成長、つまり経済の多様化が必要であるが、現状それは進んでいない。これにはいくつかの理由がある。その1つが政治的な要因である。これは第一に政治的不調和が原因として挙げられる。独立以降の18年間あまりで8つの異なる政権が順に存在し、どれも短期間に終わっている。また、それぞれの政権は長く安定的に続く見通しが乏しいため、政権担当期間中は長期の戦略的投資ではなく、短期的な政権維持のための措置を講じることになる。さらにその政策は大規模なインフラ投資などの、政府の働きぶりが国民の目に見える形で示されるものが行われてきた。そしてそこにつぎ込まれる巨額の資金は現在も利益を生み出し続けている石油・ガスのセクターから調達している。石油・ガスという目の前の利益があるので、収益化に時間がかかる他のセクターへの投資が後回しになりがちである。このことは上に述べた大規模プロジェクトに顕著に示されており、同時に東ティモールの石油・ガス依存を継続させる要因となっている。また、政治構造的に、先に述べたCNRTとフレテリンという2つの主力政党が、国家の優先事項に取り組むための政策について同意しないということがある。国家の開発計画の大筋は戦略的開発計画(SDP)に基づくものだが、これを実現する方法が政党間で大きく異なっているのだ。例えば、CNRTに影響力を持つグスマオ氏とフレテリンに影響力を持つアルカティリ氏は、上に述べたように別々に大規模な開発プロジェクトを推進している。また経済の多様化が進まない第2の理由に、東ティモールが長年にわたって抱えてきた貧困の問題がある。政治的な不安定、資源のアンバランスな再配分などが原因となり、東ティモールでは45.8%の人が多次元貧困(※3)に陥っていると言われている。そのため、国民が個人資本を投資して新たなビジネスを始めるといった状況が起こりにくい。

台車を押す少年(Asian Development Bank / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
これまで述べてきたように、東ティモールの財源は石油・ガスのセクターに大きく依存した状態であり、経済成長を阻む要因ともなってきた。そしてそのことから来る経済的問題は無論、国民に貧困という形でしわ寄せをきたす。事実、2016年には人口のおよそ40%が1日に1米ドル以下で生活しており、2020年には5歳未満の子供の47%が栄養失調の状態にあり、上述のように多次元貧困の問題もある。一人当たりGDPで見ても、2020年には1,359米ドルであり、調査対象国194か国中160位で、決して裕福とは言えない。さらに15~34歳の失業率が約6割であり安定した雇用が確保されているとは言い難い。
東ティモールが向かう先
2020年8月、東ティモール政府は、COVID-19による経済活動のさらなる停滞を最小限に抑え、中長期的に経済を回復させるための措置を詳述した経済回復計画(ERP)報告書を発表した。経済を多様化するための生産セクターの改善を提案することに加えて、人間開発を経済政策の中心として強調しており、教育の改善を経済開発の中核的な長期戦略として推奨している。
どの国も、その国が持つ地理的・歴史的条件や気候、資源などを活かして発展をしてきた。とりわけ東ティモールという国は、ポルトガルの支配が終わっても隣国インドネシアに侵略され、独立しても自国の利益を求める地域大国オーストラリアと直面しなければならなかったという背景を持つ。このように歴史的に不利な立場にありながら、石油・ガスという世界的に必要とされる資源を掘削し輸出することで発展を目指してきた。しかしながら「脱炭素」の動きに見られるように、世界的にエネルギーセクターは大きな転換期を迎えており、東ティモールもまた国の産業について転換を図る必要がある。しかし、本来であれば異なる意見を調整し国の短期的・長期的発展や安定を目指すべきである政治という内部的な要因や、各国の介入という外部的な要因がその転換を阻害してきた。東ティモールの未来は海底に眠るだけではない。これから東ティモールの目線はどこへ向くのか、注目していきたい。

首都ディリのダウンタウンを歩く人(Asian Development Bank / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
※1 東ティモールでは、大統領は儀礼的な役割しか持たず、実質的な権力は議会によって選出される首相が持つとされる。
※2 資源の呪い:天然資源が豊富な国ほど、そうでない国に比べて貧困や経済発展の遅れといった問題が顕著であるという傾向があることを指す。この傾向の主な理由は、豊富な天然資源の生産セクターに国の資本や労働力を集中的に注ぐことで、経済が安定せず、他の分野が発展しないことである。
※3 多次元貧困:保健・教育・所得という3つの側面の貧困が重なり合っていること。多次元貧困の世帯レベルの割合とその深刻さを表す、多次元貧困指数(MPI)が国連開発計画(UNDP)から報告されている。
ライター:Yosuke Asada
グラフィック:Mayuko Hanafusa
政府が国民へのアピールのために巨額のインフラ投資を行っているとあったが、実際に国民はそういった政府の予算の使い方に満足しているのか気になった。
天然資源に依存している国は、今後どうなっていくのか、、、目が離せないと思いました。
記事中で様々な原因に触れられていますが、国の収入を石油などの資源に頼っているにもかかわらず、約66%が農業に従事しているということからも資本流出と貧困の深刻さがうかがえました。
モノカルチャー経済の克服には政治的安定が必要であることについて、政治(家)に対する市民の声は必須だと思いますが、およそ半数の人々が貧困状態にある状況ではそのような動きも難しい気がして…これからどうなっていくのでしょうか…。