メコン川は東南アジアのインドシナ半島における生命の源である。人々は川で捕った魚を食べ、川で採取した砂で家を作り、川の水で作物を育ててきた。長きにわたって、川のほとりに住む何百万人もの人々の生活を支えてきたのである。ところが2019年5月の下旬、例年とは異なりモンスーンによる雨が降らず、環境が変わり始めた。干ばつが発生し、過去100年間で水位が最低となったのだ。それ以来、雨は降ってもわずかであり、干ばつは今日まで続いている。実際、メコン川に頼っている国のひとつであるカンボジアの政府は、国民に対し、2022年に予想される降水量では雨季は来ないだろうと警告している。雨季が来なければ、農業に不可欠な灌漑設備の用水量の20%ほどしか稼働せず、当面の国民の需要を満たすことはできない。
また、ミャンマー、タイ、ラオスに流れるメコン川の支流では、川の流れがほぼ止まっているという。そういった支流の下流では、水位の低下以外にも変化が起きている。水の色が茶色から透明に変わったのだ。透明な水には泥が含まれておらず、栄養分に乏しい。すると世界最大であったその地域での内水面漁獲量は激減し、今では養殖場の魚の餌を賄うのがやっととなった。メコン川は間違いなく限界に達している。

干上がった地面に立つ、カンボジアの水上住宅(写真:Simon_Goede [Pixabay License])
メコン川
メコン川は世界で12番目、アジアでは3番目に長い川であり、全長は約4,909㎞である。チベット高原から中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムというアジアの6か国を通り、約6,500万人の人々がこの水源の恩恵を受けて生活している。また、地理的にはこの川は2つの部分に分かれる。主にチベットを流れる上流と、中国から南シナ海まで続く下流である。上流域は面積・水量共に全体の約24%を占めている。一方で、下流域の流量シェアは以下の表のとおりである。
メコン川水域の生物多様性は、アマゾンに比べて世界で2番目に高いと言われており、1ヘクタール当たりでは世界一である。そのためメコン川流域は世界で最も豊かな内水面漁場のひとつとなっている。そこでは食用として年間200万トンの魚と、50万トン近くのその他の水生生物(淡水ガニ、エビ、ヘビ、カメ、カエルなど)が捕られている。例えば、カンボジアでは年間のタンパク質摂取量の約80%はこの川で捕れる魚が占めており、現在のところこれに代わる食糧は存在しない。
1995年、メコン川下流域のカンボジア、ラオス、タイ、ベトナムの各国政府はメコン川委員会(MRC)を立ち上げ、メコン川流域の水資源とその他の資源を持続的に管理・利用することを決めた。委員会の主な役割は、メコン川流域の監視やデータの収集・分析を行ったうえで、計画や対話を調整することだ。同じく流域国である中国とミャンマーはこの委員会に直接関与していないが、両国はMRCの対話パートナーであり、共同研究や技術交流において協力が図られている。

MRCのデータを元に作成。
衰退する川
気候変動は地球の様々な地域に影響を及ぼしており、冒頭に述べたようにメコン川も例外ではない。2019年以降のこの地域の長期的な干ばつは、エルニーニョ現象が一因となっている。エルニーニョ現象とは、数年おきに太平洋赤道域の東部で海水温が上昇する現象である。この現象によって気象サイクルが変化し、降水量が減少するのだ。影響はメコン川流域だけでなく、赤道付近の国々にも及んでいる。
メコン川は前述のとおり内水面漁業が盛んである。その中心地のひとつが「メコンの心臓部」と呼ばれる東南アジア最大の湖、カンボジアのトンレサップ湖である。通常、雨が降ると湖の面積は約40%拡大し、魚にとって重要な生息地となる。この湖で捕られる魚は年間50万トンにもなり、これは北米の漁獲量をも凌ぐものである。しかし2019年の干ばつでは雨量が十分でなく、またメコン川からの水の流入も少なかったため、湖は拡大するどころか水位を下げた。これにより魚の繁殖は妨げられ、人々の生活用水も不足してしまった。雨期になると水上に浮かぶ、ある水上集落では、乾季でも枯れない水が枯れてしまったという。
このような状況により、トンレサップ湖で捕れる魚は最大で90%も減少しており、多くの漁師が漁を断念せざるを得なくなったと報告されている。実際には、この湖に定置網を設置している60ある「ダイ」(カンボジアの伝統的なトロール網)漁師の3分の1以上は、2019年には漁を開始することさえできなかった。彼らがもし漁を続けても、人々の消費には適わず養魚場の餌として利用されるだけである。魚はカンボジア人の主なタンパク源であるため、カンボジアは大規模な食糧不足の危機に瀕していると言える。
大規模なダム計画

2020年現在。Stimsonのデータを元に作成。
また、ラオスは今後数百か所の新たな水力発電所を建設し、東南アジアの「電池」になることを目指している。現時点でも78基のダムを運営しており、その発電量は45,480メガワットである。カンボジアもまた、この川に2基のダムを建設する計画を発表した。しかしこれらの計画は環境問題を理由に2020年に白紙に戻され、2030年までダム建設は行われないことになっている。
しかしながら現在、東南アジアの国々だけがダムを運営しているわけではない。実際にこの川が最初に通過する中国では、現在11基の巨大なダムが建設されている。中国が最初にダムを建設した1990年代には、中国が水の流れを自由に制御してしまうのではないかという懸念が高まった。事実、2019年に大規模な干ばつが発生した際には、中国のダムによってメコン川の水量の約半分を占める、12兆ガロン以上の水がせき止められたとみられる。中国側では雪解け水と降水の量が通常通りであったため、もし水がせき止められなければ数位は通常レベルに近かったであろう。これらのダムは下流の水の流れを大きく乱しているのである。
ダムは大量の水を保持し放出するため、川の流れを大きく変化させ、魚の回遊や河川の生物多様性といった自然環境にも悪い影響を及ぼす。魚が回遊しなければ産卵や繁殖ができず、結果的に魚が不足することになる。また、急激な水位の上昇によって農作物や家畜が流され地域経済が混乱することもしばしばある。逆に水がせき止められることで農業に必要な量の水が流水域に届かないこともある。
一般的に魚たちは自然の変化にある程度耐えうるが、変化が自然のものでなければそうはならないと考えられている。実際、既存のダムはメコン川流域の約160種の魚の回遊を妨げており、それらの多くが絶滅の危機に瀕している。例えば2010年にはメコンオオナマズの個体数が10年前に比べて90%減少したと記録されている。またMRCはメコン川下流域に生息する淡水魚692種のうち68種が絶滅の危機に瀕しており、22種がその脅威に脅かされていると発表している。

中国の小湾ダム(写真:Water Alternatives Photos / [CC BY-NC 2.0])
また、特にメコン川の末端部での水不足はベトナムのメコンデルタなど一部で海水の侵入を引き起こした。通常海水は、河川に流入したとしても上流から流れてくる淡水によってすぐに流出する。しかしメコン川の水量が減少したことで、侵入した海水は押し戻されることなくメコンデルタの奥深くまで入り込み、高い塩分濃度を保ったまま滞留するようになった。このためメコンデルタ周辺の農業は大きな打撃を受けている。例えばベトナムのベンチェ―では、塩分濃度の上昇によって畑が丸ごと枯れてしまった。従来この地域では塩分の侵入があまり見られなかった。しかしこのような状況下では、伝統的に栽培されていたドリアンやランブータンと呼ばれる果物も育たなくなり、また人々は川から得られる淡水に加え水を購入しなければならなくなった。灌漑用水には1日5,000リットルの水が必要とされるが、それが確保できずに破産した世帯もあるという。
さらに、ダムは水の流れだけでなく泥の流れも止めてしまう。ラオスのザヤブリダムが稼働して間もなく、普段はチョコレート色をしている川の水が、南部では澄んだ青色に変わった。これは、普段川の中にある豊富な栄養分が無くなってしまったことを示している。同様の事態はラオス、タイ、カンボジアでも見られるようになっており、今後も拡大することが懸念されている。このような変化はさらに、河原の土が侵食される「ハングリーウォーター」という現象を引き起こしている。泥を含まない水は流れが速く、浸食の力が大きいためである。こうした状況によって、川底の砂地や岩に藻類が繁殖するようになった。淡水の中に藻類が存在すると、魚などの水生生物にとって脅威となりうる。
過剰な砂の採取
鉱業というと、金やダイヤモンド、石炭といった「価値のあるもの」を連想するのが一般的であろう。しかし実際には、砂の採取も世界各地で盛んにおこなわれている。砂はコンクリートの材料として不可欠であり、水に次いで世界で2番目に多く採取されている資源であると言われている。
特に河川敷の砂は耐久性に優れていることから最も必要とされている砂である。一方で、海底の砂は塩分を含んでいて腐食しやすいうえ、粒が丸いため砂同士が上手く結合せず、建築にはほとんど使われない。こうした砂の採取はメコン川、特にデルタ地帯において行われている。

メコン川での砂の採掘(写真:Water Alternatives Photos / Flickr [CC BY-NC 2.0])
メコンデルタはカンボジアが約16,000平方キロメートル、ベトナムが約39,000平方キロメートルを保有するデルタ地帯である。特にベトナムでは、このデルタ地帯は集中的に開発され、農業活動が行われている。同時に大規模な砂の採取が行われ、河川の危機を招いている。
ベトナムには、毎年2,800万トンの砂を採取する許可を受けた企業が80社以上存在する。しかし採取のほとんどは水中で行われるため、実際に採取されている砂の量を図ることは非常に困難である。このため採取量は申告に頼って算出されており、違法採取が行われていると考えられている。2018年にはメコンデルタで2,000万トンの砂が採取されたとされているが、衛星画像や観測によって、実際にはその2倍以上の4,300万トンの砂が採取されたとみられている。さらに2020年には4,700万トンの砂が採取されたと推定されている。
河川での大規模な砂の採取は、環境に明らかに深刻な影響を及ぼす。砂の存在する川底は多くの動植物の生息地であり、砂を採取してしまうとそのような生物の生息地を奪い、生態系を破壊することになる。こうして生物多様性が損なわれるのだ。同時に、砂を採取することで川底が深くなり、水位が下がる。メコン川では年間20~30センチメートル深くなっていると報告されている。
また、砂の採取がもたらす深刻な影響として、河岸の浸食が挙げられる。ベトナム水資源研究所の発表によると、620か所以上で浸食が発生しており、おおよそデルタの1キロメートルにつき1か所で浸食が起きていることになる。上流のダムで水だけでなく泥もせき止められるため、下流で採掘された泥は補充されることなく、上で述べた「ハングリーウォーター」現象の一因となっているのだ。
約2,000万人が生活するメコンデルタ周辺では、ベトナムの米の54%、水産物の70%、果物の60%が生産されており、同国のGDPの実に17%以上を占めている。同様に、カンボジアの首都プノンペンはメコンデルタの北側に位置しており、デルタの環境が破壊されれば多くの人々の経済や暮らしに大きな脅威を与えることになる。

トンレサップの漁師(写真:Water Alternatives Photos / [CC BY-NC 2.0])
さて、どうする?
メコン川流域の国々はそれぞれに不安を抱えている。タイでは深刻な水不足が、カンボジアでは深刻な食糧不足が、ベトナムではデルタ地帯の浸食と海水の侵入が懸念されている。いずれの国々もメコン川に大きく依存しているにもかかわらず、政府の対応はその影響の緩和と回復力の向上という観点からは不十分であったと言われている。一方で、どの国の政府も意見が一致しているわけではない。例えばラオス政府はタイ政府の反発を受けながらも、2030年までに100基のダムを建設する予定である。
こうした状況から、MRCがより強力な役割を発揮することが期待されている。かつてMRCは東南アジアの国々で構成されており、中国が参加していないため政治的に弱い立場にあると見られてきた。一方で中国は、中国メコン協力委員会を立ち上げた。そしてこれら2つの委員会はより緊密に協力し合うという誓約書に署名した。これによって中国がメコン川流域で何をしようとしているかが一定程度明るみに出ることが期待されている。例えば中国が金峰ダムで実験を行った際には、下流国に対して1週間前に水量が減少することを通知した。これは良い例であるが、この国際河川の持続的な管理には、今後も関係国の不断の努力と積極的な働きかけが求められている。
島国である日本は他の国と奪い合う必要がないため、これまで想像もしていなかったのですが、この記事では丁寧に取り上げられていて理解が進みました。ありがとうございました。
Twitterで「茶色の水が透明に」という文言に惹かれて拝読させていただきました。
水の色が透明になることの背景・弊害について、詳しくまとめられており、大変勉強になりました。