昨今、世界各地で販売されているファストファッションやスポーツブランドの品々がどういった環境で誰によって製造され消費者の手元に届いているか、じわじわと注目を浴びている。アジアでは中国やベトナムといった国々でのアパレル製品の生産が盛んであるが、企業はより安価な人件費やより緩い労働規制を求めカンボジアやバングラデシュにも進出している。
カンボジアでは2023年1月、繊維産業部門の最低賃金が月額200米ドルに引き上げられた。今回の引き上げは月額194米ドルから6米ドルの引き上げだ。これによって労働者の生活は豊かになるのだろうか。この記事ではカンボジアの繊維産業における光と影に着目していきたい。

梱包され出荷される”MADE IN CAMBODIA”の品々(写真:U.S. Embassy Phnom Penh / Flickr [CC BY-ND 2.0])
繊維産業大国カンボジア
カンボジアは東南アジアに位置する人口約1,700万人の国である。2010年以降新型コロナウイルスのパンデミックの影響を受けるまでは国内総生産(GDP)が毎年7%前後の成長を見せた、近年経済発展の目覚ましい国の1つである。カンボジアの歴史や政治制度についてはGNVの過去の記事「カンボジア:違法取引の温床」を参照されたい。
続いて産業の特色を見ていく。2021年時点のGDPの構成割合は、製造業が37%、サービス業が34%、農業が23%だ。そして製造業の中でも主力となっているのが繊維産業であり、カンボジアのGDP全体の3分の1以上を生み出していると言われる。またその多くは輸出向けの商品として製造される。2021年時点で衣料品と履物の輸出額は約100億米ドルに上り、これは輸出額全体の約6割を占める。さらに繊維産業に関わっている人は100万人以上で国内経済にも大きな影響を持っている。その労働者の約9割が女性であることも特徴の一つだ。
このようにカンボジアにおいて繊維産業が発展してきたのには主に3つの要因が考えられる。カンボジアとアメリカ、欧州連合(EU)それぞれとの特約ができたことと、国内の安い労働力、政府の政策だ。それぞれについて詳しく見ていこう。まず、カンボジアとアメリカ、欧州連合(EU)それぞれとの特約が結ばれた背景は1974年に遡る。当時、「関税及び貿易に関する一般協定」(GATT)の理事会によって多国間繊維取極(MFA)が承認され、低所得国で生産された安い繊維製品が集中的に輸入国に流れ込むことを規制する割り当てが制定された。中国などアジアの繊維製品輸出国が割り当て制限を強く受ける中、カンボジアはアメリカとEUに対しては割り当て制限を受けなかった。つまりカンボジアは他国に比べて比較的たくさんの衣料品を大量消費地である欧米諸国へと輸出できたということだ。
第2に国内の安い労働力の背景によって、高所得諸国で生産するのに比べて労働に対する賃金が安く抑えられるということがカンボジアの繊維産業発展の背景に挙げられる。実際、2015年時点では綿のシャツ1枚を製造する労働コストはアメリカでおおよそ7米ドルだったのに対し、カンボジアでは0.33米ドルと20分の1以下という調査がある。これらの要因から、1990年代半ば以降カンボジアは繊維製品の生産地として選ばれ多くの外資系企業による進出がみられることとなった。また2004年にMFAは撤廃されたものの、依然として各国の中国に対する割り当て制限は継続しカンボジアにとっては繊維産業が発展しやすい状況が続いた。さらに2008年には中国の割り当て制限が撤廃されたが、中国やベトナムではこの頃賃上げや人手不足が発生したため注文の一部がカンボジアに舞い込むというさらなる追い風があった。
第3に、繊維産業をさらに発展させた要因にはこのような国際的な条件だけでなく、政府の政策も寄与した。外資系企業の呼び込みを積極的に行い、税制を繊維業界に有利なように改変したのだ。このように国内外の要因から発展した繊維産業はカンボジアの経済成長をけん引してきた。
このような背景から、2020年時点でカンボジアの繊維製品の輸出先上位10か国を見てみると、アメリカが約33%、EU諸国で約28%、日本が約10%を占めている。この輸出先構成比は他の繊維製品輸出国と比べても特徴的である。例えば2020年のベトナムの繊維製品の輸出先はアメリカ、日本、中国、韓国で全体の7割以上を占めており、やはりカンボジアに比べてEUへの輸出割合は多くない。

職業訓練を受ける女性たち(写真:International Labor Organization / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
カンボジアの繊維産業の闇
上述のように、カンボジアの経済発展をGDPという側面で見た時に繊維産業が多大なる貢献をしてきたと言えるだろう。しかし、そもそもGDPという指標はあくまでも経済の規模を表しているに過ぎず、そこで生み出された付加価値がどのように分配されるかは表していない。つまり、繊維産業を通じてもたらされる利益が政府高官や経営側・株主などのいわゆるエリート層の元に集中すると、労働者を含む大半の国民にとっての「発展」につながらない可能性があるのだ。よって労働者にとって繊維産業による国の発展は必ずしもポジティブなことだけではない。実際にカンボジアで繊維産業が発展して以後、今に至るまで労働者の低賃金や劣悪な労働環境といったネガティブな報告が多数なされている。もちろん労働者の権利を保護する仕組みはある程度存在する。カンボジアでは1997年に労働関係や労働条件などについて定めた労働法が制定された。また2001年に国連機関である国際労働機関(ILO)と世界銀行機関である国際金融公社(IFC)によって第三の立場から工場を観察することが期待されるベターファクトリーズカンボジア(BFC)という機関が立ち上げられた。それでもカンボジアの繊維産業では労働者を低賃金かつ劣悪な状況で働かせる状況を指す「搾取工場」というべき状態が続いているのだ。以下、賃金・労働条件・労働環境という側面から現状を見ていく。
カンボジアの繊維産業が抱える問題は、何よりもまず極めて低い賃金にあると言える。初めて最低賃金が定められた1997年以降、繊維産業部門における月間最低賃金は40米ドルから徐々に改善され2022年には月間200米ドルに引き上げることが決定された。しかし下のグラフから分かるように、エシカルな貧困ライン(※1)とされる1月あたり約229米ドルという基準に照らしてみても依然として低い水準だ。このような工場でフルタイム・長時間で働いたとしても、家族を養うことができるどころか、働く本人が貧困状態であり続ける。結果的に、繊維産業で得られる収入は家計にとって補助的な役割を果たすにすぎず、従事する労働者のうち約9割が女性となっている。(※2)
労働者の権利侵害は低い賃金だけではなく、劣悪な労働条件や労働環境でも発生している。まず労働条件については、2014年のデータでは、BFCが監視する94%の工場で残業規制の違反が認められた。さらに、2015年時点で長時間労働の強制や、休憩や病気休暇が認められないことなどが報告されている。実際、2017年には繊維産業に従事する労働者は平均して月間220時間前後働いたとされる。労働法で認められているのは最大で月間192時間の労働であり、実態はこれを大幅に超過しているのだ。
また労働環境という側面から見ても、これまでに職場の安全や安心が十分に保障されているとは言えない出来事が発生している。2013年にはアディダスなどの縫製工場で室内の換気が適正に行われなかったことが原因と思われる、一度に数十人が気絶する集団失神事件が相次いで3件発生した。また、2014年のデータでは、BFCが監視する64%の工場で温度管理の違反があったとされる。さらに2015年時点で児童労働、マタニティハラスメント、セクシュアルハラスメントなども報告されており、労働環境の劣悪さを示す事実は枚挙にいとまがない。児童労働については2018年のBFCの調査で2014年の74件から10件に減少したとされるが、実際にはBFCの調査対象とはならない下請けの工場や家庭において児童労働が行われている可能性が大いにあり、報告に上がっているものは実態の一部にすぎないであろう。
こうした問題の背景には繊維製品のサプライチェーンの複雑さや不透明さが関係していると思われる。事実、カンボジアで製造される衣料品の全てが外資系企業直下の工場で作られているわけではないのだ。というのも、輸出製品を製造する大きな工場や業者はさらに安価な労働力を求めて別の小規模の工場に下請けを依頼することや、その下請けがさらに別な労働者を時間単位で雇ったり在宅勤務の労働者に外注したりということが行われている。すると労働者の実態については外資系企業や労働省の監督の目が行き届かないところが多分にあり、結果労働者の権利がないがしろにされているのだ。また捉え方によっては、外資系企業はとにかく安価な労働力を求め、下請けや外注の実態については、把握しきれないのをいいことにあえて目をつぶっている可能性もあるだろう。

カンボジアの縫製工場の様子(写真:ILO Asia-Pacific / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
改善に向けた一進一退
このような状況に対して改善の動きはあるのだろうか。ここで特筆したいのが、2000年代以降の継続的な賃金の上昇は自動的なものではなく、労働者が解雇、逮捕、暴力といったリスクを背負いながらも行動を起こし、少しずつ勝ち得たものである。実際に2000年代以降、年間数十件のストライキやデモが発生しており、多くの労働者が現状の労働条件や労働環境に抵抗してきた。しかしこういったストライキやデモは労働者の権利として正式に労働法で認められているにも関わらず、常に抑圧が付きまとってきた。ときにストライキ参加者が1,000人規模で解雇されたり、当局によって逮捕されたりすることがあった。またデモに対して警察だけでなく国軍までが出動した事例もある。2014年にはストライキを支持するデモ参加者に向けて兵士が小銃を発砲し死者が出るという凄惨な事件が発生した。これらの抑圧は一貫して、本来労働者の権利を守るべき政府の側が行っているというところに重大な問題があるだろう。
労働者が本来持っている権利を回復しようとする活動に対する抑圧は、上のように直接の暴力を伴うものだけでなく陰湿なものも行われている。例えば公式なデモやストライキは承認された労働組合が申請し行うことができると認められている。しかし労働法を管轄する労働省は労働組合を承認するプロセスをあえて煩雑化させ、公式なデモやストライキを発生しにくくしていると考えられている。さらに2022年に国内のインターネットの検閲システムを導入した。これにより政府に反抗的な意見の発信や、ネット上で集会を募ることなどが難しくなっていると思われる。
そもそもこういった抑圧的な動きが徹底して行われるのには、この国の統治構造が関係している。政治システムを見てみると、どうにも政府は自国の労働者の現状よりも政府高官や経営側・株主などエリート層の利益に関心があるように捉えることができるのだ。というのも、1979年以来フンセン首相率いるカンボジア人民党(CPP)が国の権力者として力を持ち続けており、政治体制として立憲君主制を謳っているものの、その実態はフンセン首相による独裁である。実際、2017年の選挙で野党である救国党が優勢となると、当局は同党首を国家反逆罪で拘留し、さらに同党を解党処分した。またフンセン一族は国内の様々な業界の114の企業の権益を保有しており、国内経済に対しても支配的な立場にあることが分かる。このようにして権力の座につき続けている現政府は労働者の権利を保護することよりも、自分たちにより大きな利益をもたらす外資系企業や国内の大企業と良好な関係を築くことに関心を持っているのだ。

カンボジアでのストライキの様子(写真:International Labor Organization / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
またここ数年は新型コロナウイルスのパンデミックによりカンボジアの繊維産業はさらなる打撃を受けた。高所得国での衣服に対する需要が縮小したことで、カンボジアへの製造委託が減少したのだ。中には注文済のはずのものが突然キャンセルされ、大量の在庫を抱えた工場もあるという。しかし工場が抱えているのは在庫だけではなく、工場施設、外資系企業、国の経済に大きく貢献してきた繊維産業部門の労働者たちをも含む。キャンセルされた注文の分の代金が外資系メーカーから支払われない工場はやむなく労働者を数百人規模で解雇したり、賃金の支払いを止めたり、労働時間を短縮したりした。2020年時点で110以上の縫製工場が閉鎖され、5万人以上が解雇されたという見解もある。こうした状況に対し労働組合は注文を発注していた外資系メーカーに最低賃金の支払いを求めいくつかの企業からは補償が受けられたようだ。
カンボジアの今後
ここまで、カンボジアの繊維産業にはびこる問題や、その解決が一筋縄ではいかないことを示してきた。この状況に対して今後どのような解決の方向性が考えられるだろうか。根本的には洋服の価格とその売り上げのうちの人件費の割合が大きくなり、いわゆる「アンフェアトレード」状態が改善されない限り労働者の現状は解決しないだろう。カンボジアに工場を持つ名だたるファッションブランドの経営者が大富豪として君臨していることがこの不均衡を表している。具体的には、2015年にザラ(ZARA)の創業者であるアマンシオ・オルテガ氏が世界長者番付の1位、2022年にナイキ(NIKE)の創業者であるフィル・ナイト氏が世界27位、ユニクロ(UNIQLO)とその持株会社ファーストリテイリングの社長である柳井正氏が長者番付日本1位にランクインしている。

看板に掲げられたフンセン首相ら(写真:Michael Coghlan / Flickr [CC BY-SA 2.0])
同時にカンボジアは外資系企業の招致を通して経済が成長してきた背景があり、それによって国を豊かにし、間接的に国民へと還元するという国の運営側の意図があるのかもしれない。しかし、このような経済におけるトリクルダウン理論(※3)は現に起きていないということが判明しており、経済が成長しているといっても、それはエリート層で富が増えているということを意味することが多い。そして現状として労働運動の抑圧が行われていることや、労働者の求める最低賃金が達成されておらず、国民の生活に目を向けることは政府の急務であろう。また、この問題は決してカンボジアの繊維産業にとどまっているだけではない。わずかではあるものの状況の改善が進む衣料品業界に比べ、建設業界では労働者にとってより困難な状況が続いており、労働者の権利をめぐる問題は特定産業のみならず国全体での改善が求められているといえる。いずれにせよカンボジアには、真に国民のためになる政治経済活動が求められている。
※1 GNVでは世界銀行が定める極度の貧困ライン(1日1.9米ドル)ではなく、エシカル(倫理的)な貧困ライン(1日7.4米ドル)を採用している。詳しくはGNVの記事「世界の貧困状況をどう読み解くのか?」参照。
※2 カンボジアでは、たいていの家庭では男性が一家の大黒柱となっている。
※3 トリクルダウン(trickle down)は浸透を意味する英語。トリクルダウン理論とは「富裕者がさらに富裕になると、経済活動が活発化することで低所得の貧困者にも富が浸透し、利益が再分配される」と主張する経済理論。
ライター:Yosuke Asada
グラフィック:Yosuke Asada
就活してて「ブラック企業」とかに敏感になってたけど、カンボジアの現状を見ると日本のブラック企業はそうでもないなと感じてしまうほどだ
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