80万人以上もの犠牲者を出したルワンダでの大虐殺から20年余りが過ぎた。その後ルワンダ国内で再度紛争が起こることはなく、さらには一人当たり名目GDPも毎年右肩上がりの経済成長を遂げている。
『世界経済のネタ帳』のデータを元に作成
この背景の一つには、情報技術(IT)での発展がある。地下資源が少なく、内陸国であるために港もないルワンダは、情報集約型の経済によって成功を目指してきた。これは紙幣にも表れており、2013年に刷新された紙幣は茶葉を摘む女性からパソコンに向かう子どもたちへと改変され、IT立国へと舵を切る政府の意図が反映されている。
経済的な側面に止まらず、注目すべき面は他にもある。国家の保健・教育・所得の各水準を基に算出した人間開発指数において、ルワンダはここ25年間で他国に比べ最も値が上昇している。また、賄賂に対する徹底的な取り締まりの結果、ルワンダはアフリカで最も汚職の少ない国とされている。他にも女性議員の割合が世界で最も高い、など多くの成果を出している。そしてこれら経済を含む多くの分野での成果は、「アフリカの奇跡」とも呼ばれている。
これらの成長を強烈なリーダーシップで引っ張ってきたのが、ルワンダの大統領ポール・カガメだ。カガメは、かの大虐殺以前から少数派のツチ族主体の反政府勢力「ルワンダ愛国戦線」の中心的人物であった。多数派のフツ族によるツチ族への大虐殺終了後、これを率いて政権を獲得した。それ以来20年以上に渡って、ルワンダの実権を握っている。
カガメは、先に述べたような功績を評価され、各国の要人から賞賛されてきた。しかし、その功績の裏に様々な影が垣間見えるのである。その一つが1996年、1998年の二度にわたる隣国コンゴ民主共和国(旧ザイール)への侵攻だ。ルワンダ愛国戦線が政権を獲得した際、200万人を超えるフツ族(難民も虐殺を行った加担者も含む)が隣国の旧ザイール(現コンゴ民主共和国)東部に逃げ込んだ。この逃亡先からフツ族の反政府勢力がルワンダ政府に攻撃を仕掛けてきたため、ルワンダ政府はこの制圧に乗り出した。これにともなう侵攻の結果、旧ザイール政権は崩壊し、現在のコンゴ民主共和国へと改名された。この一連の混乱が第一次コンゴ民主共和国紛争である。コンゴ民主共和国における紛争は一旦終焉を迎えたように見えたのだが、1年後の1998年にルワンダは再度コンゴに侵攻。さらにウガンダやブルンジ、アンゴラ、ジンバブエなど合計8か国を巻き込んでの大きな紛争となった。この紛争による死者数は540万人を超えており、冷戦以降の紛争で史上最悪の死者数を記録することとなった。この発端を担ったカガメ政権の責任は重いと言わざるを得ないだろう。

解説:Map of Second Congo War, 2001-2003. 作者:Don-kun, Uwe Dedering 原典:投稿者自身による作品, derivate of File:Democratic Republic of the Congo location map.svg CC BY 3.0
また根深い問題として、この紛争が膠着状態に入ると、ルワンダはコンゴ民主連合-ゴマ(RCD- Goma)というコンゴ民主共和国の反政府勢力を率いて、ルワンダの国土面積の何倍にも及ぶコンゴ民主共和国東部を支配していた事実がある。
さらには、ウガンダとともにダイヤモンドやコルタン(電化製品の原料に使われる天然鉱物)、木材や象牙の搾取・略奪も行っていた。そしてこの占領は2002年の和平合意まで続いた。
実際にルワンダからの鉱物資源の輸出量が戦時中に増加していることと、隣国に比べて圧倒的に多くの援助を先進国から受けていることが明らかにされており、こうした背景がルワンダの経済発展の大きな要因となっているのである。
また、このような他国に対する干渉以外にも、内政面で恐怖政治ともいえる圧政の実態がある。

ルワンダの大統領 ポール・カガメ氏 解説:H.E. President of Rwanda, Paul Kagame at the 9th Broadband Commission Meeting, Dublin 22-23 March 2014. Photo by ITU Pictures
その実態を垣間見ることができるのは、2010年に行われたカガメの再選を決める大統領選挙だ。結果から言えばこの選挙でカガメ氏は93%という、高い得票率を記録して再選を決めた。また、カガメは2003年の同選挙でも95%の票を獲得している。この不自然な2つの数字が、偽りである可能性を示す事実がある。2010年の選挙でカガメ氏の得票率がおよそ10%に留まった地域があったのだ。しかしその地域の長が自分の地位を危ぶめることを恐れ、投票結果を操作したという報告が選挙委員の1人からなされている。この長の行動から、政府による地方行政への圧力があったことが容易に予想できる。
さらにカガメ氏は、報道・言論に対しても徹底的な統制によってその自由を制限してきた。ルワンダのマスコミに、現政権や大統領選挙への疑問や批判を書いた記事はほとんど存在しない。少しでも批判的な内容を書くと、すぐさま政府から弾圧を受け、ジャーナリストたちは投獄されたり、国外に飛ばされたり、ひどい場合は命を奪われることもある。このような体制を敷くことによって、カガメは圧倒的な支持率を保ってきたのである。また、自身に反発する政敵や反政府勢力を脅迫・投獄したり、暗殺したりしているという情報もある。カガメ氏は強権的なリーダーシップを発揮して「アフリカの奇跡」をやってのけた。だがその一方で自分と敵対する人間の人権を抑圧し、マスコミの口をふさぐことによって、自分に都合の良いルワンダを作り上げていたのである。
このような強引なリーダーシップがあったからこそ、ルワンダの発展が達成されてきたという可能性も否定できない。しかし、それを考慮したとしてもこの圧政の実情に目をつむることは難しい。
ルワンダの次期大統領選挙が来年に迫っている。元来ルワンダでの大統領の任期は2期までであり、3選は憲法違反で禁止されていた。しかし、カガメ氏は2015年に憲法を改正し、2034年まで大統領職に留まることが可能となった。大量虐殺以降のカガメ氏の改革に賞賛を送り続けてきたアメリカも今回の再選には反対しており、辞任することを勧めている。これに対して、カガメ氏は「国民が私に2017年以降も大統領であることを望んでいるから、私はそれを受け入れるだけだ。」とコメントしており、三選への姿勢は崩していない。来年のルワンダでの大統領選挙とそれに伴う動きに今後も目を離せない。

ルワンダの首都:キガリ(Dereje、shutterstock.com)
ライター(GNV):Sota Dokai, Shiori Yamashita, Hiro Kijima
グラフィック:Sota Dokai