2018年7月10日、ついにタイで13人のサッカー少年らが全員救出された。6月23日からタイ北部チェンライの浸水した洞窟に取り残されていた地元サッカーチームの少年らが行方不明から10日目にして生存が確認され、救出の準備が進められていた。その様子に世界各地のメディアが注目し、救出状況が速報で伝えられていた。連日テレビや新聞などで観ていた読者も多いだろう。テレビの前で少年たちの無事を見守る状況にあった我々にとっては、感動さえおぼえる出来事であったかもしれない。
ニュースの対象になりうる人間の生命を脅かす事故や事件が毎日世界で数多く発生している。洞窟だけでなく、海、山、砂漠などで遭難する人もいる。鉱山事故にあう人もいる。また、犯罪組織や武装勢力に誘拐される人もいる。しかしなぜ、今回の救出劇はこれほどまでに大きく報道されたのか。なぜこの13人の命に世界が注目したのだろうか。

タイ洞窟での救出の様子(写真:NBT [CC BY 3.0])
注目された救出劇その1:タイ洞窟からの脱出
読売新聞での今回のタイの水害とその救出までの報道量と内容について探ってみた。少年らが行方不明になった6月23日から救出がすべて終了した2日後の7月12日の間に、朝刊と夕刊合わせて、25記事数で、16,862文字が掲載されていた。
報道量に加えて注目したいのは、読売新聞が初めてこの出来事について報道したのが、少年らが行方不明になってから約1週間後であった点だ。つまり、1週間が経っても少年たちが洞窟で行方不明であることは報道されなかったということになる。「タイ洞窟 1週間不明 サッカーチームの少年ら13人 JICAが捜索支援」という記事が最初のもので、日本の国際協力機構(JICA)が支援に乗り出して初めてこの事故が読売新聞に登場したというわけだ。また、報道量がぐんと増えたのは、コーチを含む全員の生存が確認された7月3日以降なのである。4日には一面で少年たちの様子が写真付きで掲載された。このように、少年たちの救出が開始してからは国際面だけでなく二面や三面にも載る頻度が高まり、救出経路を解説するカラーの図などが付けられていた。
注目された救出劇その2:チリ鉱山落盤事故
タイの災害と同じように大きく報じられた救出劇として、2010年8月5日にチリで起こったサンホセ鉱山の坑道崩落事故を思い出してみよう。33名の鉱山作業員が閉じ込められ、69日後の同年10月13日に全員が救出された。この事故も当時は連日報道されていたため、人々の記憶に残っているだろう。
こちらの事故はタイの報道を大きく上回り、64,326文字(2010年8月23日~2011年10月15日)も報道されていたが、生存者が確認されてから初めて報じられていた。タイと同じように、事故の発生そのものは報道されなかった。地下にいる作業員の様子に加え、地上の家族や国の対応など関連するものについていろいろな話題が報道されていた。報道量が増えたのは救出作業が現実味を帯びてきた9月下旬から10月にかけてであった。全員が救出された日から数日にかけては、カラー写真付きで一面などで大きく感動が伝えられた。日本の新聞では南米はほとんど報道の対象にならない中、この大陸での出来事がここまで注目されることは極めて珍しい。

チリ鉱山で抱き合う大統領と救出された作業員(写真:Secretaria de Comunicaciones [CC BY 2.0])
注目されなかった救出劇
もちろん世界中には、タイやチリの救出劇のほかにも様々なものが存在する。しかし、メディアにあまり取り上げられないものが多い。
同じような鉱山での救出劇として、2012年にペルーの銅山で9人の作業員が6日ぶりに救出された事故(366文字)や2016年に中国山東省で作業員4人が36日間地下に閉じ込められていた事故(452文字)などがある。これらは、閉じ込められていたのがチリの落盤事故ほど深い場所ではなかったため救出の難易度が低かったことや、被害者の数が少なかったことなどにより報道量が伸びなかったと考えることができる。
そのほかにも、多くの人命がかかっているにも関わらず報道が少ないものもある。例えば、近年問題になっている難民問題だ。2015年ごろから命がけでリビアやトルコなどからヨーロッパへ地中海を渡ろうとする難民・移民が急増し、船の転覆事故やその救出が問題となっている。2018年5月18と19日だけで2,100人、同月26と27日だけで500人という多くの人々が救出されている。しかし、この二件の救出劇はまったく報道されなかった。2015年ごろから難民の流入と救出劇がずっと続いているため、近年ではそういった出来事に珍しさがなくなり、報道量が減っていると考えられる。
別の例として、ナイジェリアで起こった女子生徒拉致事件もある。2014年に武装勢力ボコ・ハラムによって276人の少女が誘拐される事件が発生し、2017年にそのうちの82人が解放されるという出来事があった。こちらも多くの少女の命がかかっているが、2014年から2017年の間の報道量は10,470文字であった。普段からほとんど報道されない大陸での出来事の上に、この事件は他の救出劇とは性質が違っていて、武力紛争中であることなどからメディアがアクセスするのが難しく、報道量が伸び悩むと考えられる。

女子生徒拉致事件の被害者の解放を主張する人々(写真:Michael Fleshman [CC BY-NC 2.0])
サスペンスドラマとしての救出劇
大きく報道された救出劇とあまり報道されなかった救出劇の事例を見てきたが、ここで、大きく報道され注目を集める救出劇の特徴が浮かび上がってくる。
そもそも、災害などによる被害からの救出は、「事故発生」、「生存確認」そして「救出」へ、という流れがある。しかし、タイやチリの例にもあったように、被害者の「生存確認」ができてから(あるいは事故発生からだいぶ時間がたってから)初めてメディアがそのニュースに注目する場合が多い。つまり、たくさんの命が危険にさらされている事故そのものが報道に値するというより、その事故から被害者が生還するというハッピーエンドの期待に報道の価値があると言える。救出までの道のりにストーリー性がありそう、などと判断されれば、どんどん報道されていくのだ。逆に、生存者がいなかったり、救出がうまくいかなかったりした場合にはそのニュース自体が報道されないことも少なくない。2016年2月ロシアの鉱山で事故が起こり、作業員26人と救出チーム合わせて36人が亡くなった。これについて読売新聞では一度も報道されていない。

(写真:Vyacheslav Svetlichnyy/Shutterstock.com)
どれほど救出の目処が立っているのか、ということも報道されるか否かの違いを生み出しうる。タイやチリの事例の場合、救出するまでにどのくらいの時間がかかるのかがある程度読めていたため、メディアは特派員を常に現場に滞在させることも可能だった。つまり、常に進捗状況を把握し、情報を集めることができたのである。一方、ナイジェリアの少女拉致事件のような場合だと、先にも述べたように、紛争中は状況が読みづらいことが多く、現場にもなかなか近づくことができない。その結果として、現場から遠く離れた支局で通信社の情報に頼った報道をすることになる。
人々の関心を惹くようなサスペンスドラマ風の展開が予想され、さらにその展開が見通せるときにそのニュースは大きく報じられ、被害者が無事救出された暁には大々的に感動が共有されるのだ。
最後に、忘れてはならないのは、今回紹介したような救出劇の何千倍もの人命が危険にさらされている武力紛争があるが、その報道量が救出劇をはるかに下回ることだ。2016年と2017年に紛争に伴う避難民の数が世界一だったコンゴ民主共和国だが、読売新聞でのこれに関する報道は2015年から2017年の3年間でわずか4件(1,198文字)にとどまった。世界最大の人道危機が起こっていると言われるイエメンに関しても、2014年の紛争開始から3年間の間に83件(37,619文字)しか報道されておらず、チリ鉱山の落盤事故の半数ほどだ。

マスコミに注目されるレスキュー隊(写真:Frontenac303 [CC BY-SA 4.0])
救出劇からうかがえる報道のあり方
タイで少年ら13人が無事に救出されるという感動的なニュース。今回のこの出来事を受けて、メディアの報道の手法を顧みることができた。世界中では毎日さまざまな災害や事件、事故が起こっているのに、新聞やテレビなどのメディアは救出劇のようにストーリー性のあるニュースを選んで報道しているのだ。生存者がいなくても、多くの死者を出した事故や事件を無視してもいいのだろうか。また、世界で起こっているこのような事故や事件から学べるものもあるのではないか。我々はメディアによってドラマチックなニュースにばかり目を向けさせられていることに気づかなければならない。
ライター:Madoka Konishi
人命の価値、社会における報道の役割について考えさせられます。
報道は我々に世界の現状を伝えてくれるためのものなのか、
それとも、我々の興味を引いて感動させてくれるためのものなのか・・・
国際報道にてドラマチックでハッピーエンドな結末(が予想できるよう)な報道が比較的多いのは、国内報道にてネガティブな話題がよく見らることにも関係しているのかもしれない。結局は受け手ありき、読み物としての報道なのか?
国際報道でもネガティブな記事が多いことを考えると、今回のようなハッピーエンドの話がよく取り上げられるという傾向は意外に感じました。
報道の価値というものが、事件の被害の大きさなどではなく、いかに受け手の興味をそそる内容かで決まっているという事実にしっかりと目を向けないといけないと思いました。日頃から日本で接している情報は、必ずしも知るべき重要なものであるとは限らず、センセーショナルなものばかりに囚われている可能性が十分にあるので、客観的に情報を集めて報道の裏に隠れている世界の実情に目を向けたいと思いました。
大変楽しく拝読いたしました。
無理やりストーリーを作り、それに沿うように事実を切り取って報道をしているとしたらとても怖いなと思いました。
踊らされないように気を付けたいです。
たしかに、言われてみれば異常な報道量でしたね。救出されたこと自体は喜ばしいですが、メディアの受け手としては、こうした偏った報道の仕方がなされている可能性に意識的であるべきだと考えさせられました。
>生存者がいなくても、多くの死者を出した事故や事件を無視してもいいのだろうか。また、世界で起こっているこのような事故や事件から学べるものもあるのではないか。我々はメディアによってドラマチックなニュースにばかり目を向けさせられていることに気づかなければならない。
至言です。
世界中に注目されて、救助隊も来て、子供たちが助かったので本当に良かったと思っていましたが、同時に「国際報道のわりにやたら報道されるのはなぜだろう」と疑問に思っていました。だからこの記事を読んで、なるほど、となりました。事実を伝えるべき報道機関がハッピーエンドありきあのはやはり問題だと思います。