2018年7月13日、パキスタン総選挙を目前にしたこの日に、パキスタン史上2番目に最悪と言われる自爆テロが発生し、149人が犠牲となった。事件が発生したのは、パキスタン西南に位置する最大の州、バルチスタン。この地域は様々な問題を抱えているにもかかわらず、国際的にも注目を浴びることのない地域である。そもそもパキスタン自体が注目されることが少ない上に、パキスタンで起こる事件で注目されるものと言えば、ISやアルカイダ、タリバンなどのテロリズムや、カシミール紛争に限られている。今回のこの自爆テロは、ISによる犯行であったことや、総選挙直前の出来事であったことが重なり、ある程度の注目を集めたといえるだろう。一方で、バルチスタンが長期的に直面している紛争や、人権侵害の状況などに対して、世界の人々は関心を持っていない。今回の記事では、隠れて存在しているバルチスタンでの紛争に迫っていく。

バルチスタンの首都、クエッタ(写真:Baluchistan /Flickr [CC BY-SA 2.0])
紛争の歴史的背景
現在のバルチスタンは主に3つの民族、バルーチ人、パシュトゥーン人、ブラーフーイー人と、その他の少数民族で構成されている多民族社会だ。そのうち、この地域の名前の由来となったバルーチ人はイラン語派に属するバルーチ語を使用し、バルチスタンだけでなく近隣のイランや、アフガニスタンなどを中心に生活している。彼らが暮らすバルチスタンが、どのような歴史をたどってきたのかを確認しておこう。バルチスタンは、ペルシャ帝国やムガール帝国など様々な国の支配下に置かれてきた。18世紀にバルチスタンを支配していたサファヴィー朝ペルシャとムガール帝国が崩壊すると、バルチスタンは再び独立を獲得する。しかし、19世紀の終わり、バルチスタンはイギリスにより再び植民地化されることとなる。バルチスタンは、4つの藩王国、カラート藩王国、ハラーン藩王国、ラス・ベラ藩王国、マクラーン藩王国に分割され、イギリス領インドの支配下に置かれた。
この後1947年、イギリス領インド帝国が解体し、イギリスからパキスタンが独立した際、パキスタン初代総督であるムハンマド・アリー・ジンナーは、カラート藩王国を独立した主権国家として認め、カラート藩王国によるラス・ベラ藩王国とハラーン藩王国の併合を受け入れる動きにあった。しかしながら、そのわずか2か月後、ジンナーはその意向を変え、カラート藩王国に対して、パキスタンに加わることを要求するようになる。パキスタンとカラート藩王国は交渉を続けたものの、この問題の解決にはつながらず、1948年にパキスタン政府軍はバルチスタンの沿岸地域に侵攻したのである。この軍事的圧力を受け、1948年3月28日、カラート藩王国は降伏し、同年4月1日にパキスタンに併合された。この併合が行われてから、現在に至るまで、パキスタン政府と独立派の間の紛争が繰り返されているのだ。
紛争の経済的背景
しかし、現在の紛争を引き起こしているのは先に述べた歴史的背景だけにとどまらない。国内での経済的状況も、バルチスタンで起こっている紛争に大きな影響を与えている。バルチスタンはパキスタンの中でも発展が遅れている地域だ。バルチスタンに住む人々の52%が、最低生活基準を下回る生活を送っている。また、教育も遅れていて、識字率はわずか29.8%で、パキスタンの平均である39.7%よりもさらに低い。このようなバルチスタンの経済的状況は、中央政府が行っている不平等な経済政策が原因の一つとなっているからだ。

バルチスタンの子供 (写真:Mostafameraji /Wikimedia [CC BY-SA 4.0])
バルチスタンは鉱物と天然ガスなどの資源に富んでいる。特に天然ガスについては、パキスタン全体での天然ガスの産出量のうち23%がバルチスタンから供給されているのだ。他にも、金や銅、クロム鉄鉱、大理石といった、重要な鉱物が採掘される。しかしながら、バルチスタンの人々がこれらの資源の恩恵を受けることは難しい。天然ガスの大部分をバルチスタンから供給しているにもかかわらず、バルチスタンの都会部にしかガスは供給されず、田舎の地域はガスの供給を受けられないのだ。こうした不平等に、バルチスタンの人々は不満を募らせている。2012年には、ガスの非常に少ない供給に対して、バルチスタンの首都クエッタで抗議デモが行われた。
加えて、中国とパキスタンの間で進められている「中国・パキスタン経済回廊(CPEC)」も、バルチスタンの人々の不満を募らせる原因となっている。CPECは中国の「一帯一路」構想のひとつ。鉄道や道路、パイプラインを整備して、中国の新疆ウイグル自治区にあるカシュガルと、バルチスタンにあるグワダル港を結ぶ計画だ。パキスタン政府は、この計画によってインフラ整備を進め、経済成長につなげることを目的としている。しかしながら、バルチスタンの人々は、CPECの恩恵を正当に受けることはできない。このCPECの計画の要所となっているグワダル港は中国の会社によって経営されている。向こう40年は、この中国の会社がグワダル港での収入の91%を受け取るため、バルチスタンの人々に還元される利益はごくわずかなのだ。このような、バルチスタンの人々が直面している経済的不平等。これが、パキスタン政府への反発を強める一つの要因として考えられるだろう。

Alhasan Systemsのサイトを元に作成
乱立する武装勢力
こうした経済的、歴史的要因を背景として、現在バルチスタンでは武装勢力がパキスタンからの独立を求めて活動をしている。ここでは、3つの主要な武装勢力、バルチスタン解放戦線(通称:BLF)、バルチスタン解放軍(通称:BLA)、バルチスタン共和国軍(通称:BRA)を中心に分析していく。
BLFはバルチスタン最南部、マクラーンで活動を行う、最も活発な武装勢力の一つだ。1964年に結成されたBLFも、パキスタンからの独立を求める武装勢力である。BLFは、イラクからの支援をうけつつ、1973年から1977年にかけてバルチスタン独立運動を行ったことで知られている。紛争は過激化し、8万人もの政府軍が配備されたとされている。1977年にこの紛争は終結したものの、12,000人もの犠牲者をだした。その後、BLFはしばらく表舞台での活動はしていなかった。しかし、2004年、BLFはグワダルの港で労働者として働いていた中国人を殺害し、その後繰り返し攻撃を行っている。
BLAは2000年に、パキスタン政府からの独立を目指して形成された。結成された直後、BLAはパキスタンの軍人や警察官を標的として、市場や鉄道で一連の攻撃を行った。こうした攻撃をうけて、パキスタン政府軍は軍備を追加で配備したり、2006年にはBLAの指導者を殺害したりするなどして対抗したのである。指導者の殺害はBLAによる攻撃を過激化させた。しかし皮肉なことに、この過激化こそが、政府軍の更なる介入を正当化することになったのである。

2006年に殺害されたBLA指導者Nawab Bugti<写真左>(写真:Zoraak Zagr /Flickr [CC BY 2.0] )
BRAは2006年に結成された。中央政府からの強い支配と、資源の独占に対する不満から、パキスタンからの独立を訴えたのである。彼らはバルチスタンの資源をバルチスタンの人々に「取り返す」ために、パキスタンの公安部隊や公共交通機関を標的として攻撃を行っている。
これら3つの武装勢力とパキスタン政府は、2008年9月に停戦合意を結んだ。しかし、わずか4か月後の2009年1月に3組織は停戦合意を破棄した。これらの武装勢力は、バルチスタンからの軍隊の撤退などを求めていたのだが、政府がこれに応じず、さらに、より包括的な和平合意に向けて交渉に取り組まなかったのが原因だとされる。その後現在に至るまで、3組織をはじめとするさまざまな武装勢力が、パキスタン政府からの独立を主張して攻撃を行っている。
紛争の下で起こる抑圧
このような紛争が続く中、パキスタンは独立派に対して抑圧を強めている。パキスタン政府によるこの抑圧は、重大な人権侵害につながっている。その一つが、バルチスタンの指導者の失踪や不当な逮捕だ。失踪者は多くの場合拘禁されているというが、その行方を家族は知ることはない。また、拘禁だけでなく殺害される場合もある。2011年から2016年の間に、バルチスタンでは、少なくとも936人の遺体が捨てられているのが発見された。これはパキスタン政府が採っていると考えられていて、「殺して捨てる」(“kill and dump”)政策と呼ばれている。こうした抑圧に対して失踪者の家族は、2014年に国連の介入を求めて、バルチスタンの都市クエッタからパキスタンの首都まで行進を行った。また、2018年7月に行われた選挙の影響もあってバルチスタンでの失踪や殺害などの状況はさらに悪化している。選挙を目前にした6月、バルチスタンの多くの村で失踪、殺害が相次ぎ、79人が失踪、24人が殺害されたという。

失踪に抗議をする人々 (写真:Sharnoff’s Global Views / Flickr [CC BY 2.0])
また、バルチスタンにおける報道の自由も非常に問題だ。バルチスタンのジャーナリストたちは、暴力、逮捕、そして殺害の危険に直面している。バルチスタンでは、過去15年間に40人ものジャーナリストが殺されているのだ。また、2017年には、バルチスタンのほぼ半分の地域で、1か月間新聞が発行されないなどの事件が起きている。政府と武装勢力の板挟みとなって、報道機関は自由な報道ができなくなっているのだ。この報道の制限によって、バルチスタンの状況は世界に共有されず、人々の目に触れないところで多くの人権侵害が放置されたままになっている。
隠されたバルチスタン問題
バルチスタンでの諸問題について追ってきた。しかしながら、バルチスタンでの状況は世界ではまだ問題視されていない。その上、バルチスタンでの状況に関心を持つ人はパキスタン内でも少ない。本記事で繰り返し取り上げた2018年7月の選挙でも、主要な政党はバルチスタンに無関心だったのだ。このような無関心が改善されなければ、バルチスタンの状況はいつまでも変わらないだろう。パキスタンの総選挙で政権が変わったことにより、バルチスタンの状況が変化するだろうか。隠された世界で進む暴力の悪循環にどのように立ち向かうのか、今後の動向に注目したい。

グワダルの風景 (写真:Shayhaq Baloch/ Wikimedia [CC BY-SA 4.0])
ライター: Tomoko Kitamura
グラフィック: Hinako Hosokawa
この記事を読むまで、バルチスタンという言葉さえ知りませんでした。改めて紛争には”内戦”というものは存在せず、様々なアクターが関係してこの状況を生み出しているのだと気づきました。ここまで人権侵害などの悲惨な状態が続いているにもかかわらず、世界で問題視されていない現状は明らかに良くないことで、一刻も早くバルチスタン問題への認知が高まって解決への動きが強まることを祈るばかりです…
バルキスタン出身のジャーナリストが作成した動画をご覧頂けますか。
https://youtu.be/wpw5eWvLeJA
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