2023年のG20のホスト国であるインドでは、多くの国際会議が開かれた。その1つであるG20観光ワーキンググループ会合が5月にカシミール地方のスリナガルという場所で開催された。しかし、この会合には中国をはじめとするいくつかの国々がボイコットした。また、開催地であるカシミール地方ではメディアへの厳しい取り締まりやジャーナリストの拘束が行われた。
これらの問題はともに、この会議の開催場所であるカシミールという地域が原因になっている。この地域が持つ問題について、さまざまな視点から見ていこう。
なお、カシミールという言葉が指す領域は曖昧であるため、本記事ではインド、パキスタン、中国がそれぞれ管理しているカシミールの地域を総称して「カシミール地方」とする。
目次
カシミール問題の歴史的背景
カシミール地方とは一般にインド、パキスタン、アフガニスタン、そして中国に挟まれた約22万平方キロメートルの地域を指す。その大部分が山岳地帯であり、水源となる氷河も多く存在する。カシミール地方の住民の人口は1,600万人を超え、宗教については、住民の多くはイスラム教徒だが、一部地域ではヒンドゥー教徒も多い。しかし、暫定的な軍事境界線はあるものの正式な国境は確定しておらず、インド、パキスタン、中国によってそれぞれ部分的に事実上の統治が行われている。この点については歴史的な経緯を追いながら確認していく必要がある。
現在のインド、パキスタン、バングラデシュなどの地域の大部分はムガル帝国が支配していたが、18世紀ごろからはイギリス東インド会社の勢力が強くなった。1857年に起こったインド大反乱をきっかけにこの地域は英領インドとして正式にイギリスの占領下に入ることになった。
しかし、イギリスがこれらの占領地全てを直接統治していたわけではなく、ある程度の自治が認められた、藩王国と呼ばれる場所が数百ほど存在した。カシミール地方もこのような場所の1つであり、イギリスの占領下にありながらジャンムー・カシミール藩王国として独自の地位を持っていた。
一方、イギリスは英領インドを支配するために人々の宗教で扱いを変え、政治的な団結を意図的に防ぐ分割統治を行った。その一環として、イギリスの援助を受けて1906年に全インドムスリム連盟が発足した。
第二次世界大戦の後、英領インドはイギリスから独立することになったが、その際に多数派であるヒンドゥー教徒による専制を懸念した全インドムスリム連盟が、イスラム教徒の多い地域の分離独立を求めた。さらに1946年にはカルカッタ、現在のコルカタ(※1)でヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間で衝突が発生し、4,000人が死亡した。結果としてイスラム教徒が多い地域が1947年8月にパキスタンとしてインドから分離独立することになった(※2)。なお、分離独立に伴い1947年の夏から秋にかけて、非常に大きな混乱が発生し、その結果20万人から200万人の人々が死亡したと考えられている。
この時、多くの藩王国はどちらかの国に統合されることになったが、ジャンムー・カシミール藩王国は住民の多くがイスラム教徒でありながら藩王のハリ・シング氏はヒンドゥー教徒であるという事情からどちらの国にも属さないという立場をとった。
しかし、パキスタンの支援を受けた勢力が侵入し、警察との衝突事件が起こったり、親パキスタン派による新政府の一方的な樹立宣言が行われたりしたため、1947年10月にシング藩王はインドに助けを求め、パキスタン派の勢力からの保護と引き換えに、ジャンムー・カシミール藩王国がインド領に入ることになった。そしてインド憲法によって、ジャンムー・カシミール州には、通信、外交、防衛を除く広い自治が認められた。
カシミール地方を巡る戦争
インドによるカシミール地方の統治に反対するパキスタンとインドの対立はこの後も続くことになった。1947年10月にこの地域に展開したインド軍と、パキスタンの武装勢力、のちに正規軍との間で戦争が発生した。この戦争は国連の仲介により1949年の1月に正式に終結し、停戦ラインの設定とインドへの帰属の是非を問う住民投票の勧告がなされた。この停戦ラインにより、カシミール地方の西側をパキスタンが、東側をインドが支配することになった。また、この時勧告された住民投票は2023年10月現在も行われていない。なお、同時期に停戦を監視するために国連インド・パキスタン停戦監視団が設立された。この組織は現在も活動を続けている。
1965年、国境の小競り合いがきっかけで両国の間で再び紛争が発生した。この戦争では空軍も動員され、カシミール地方を超えてパキスタンのシアールコートでも戦闘が行われるなど大規模なものだったが、やがて膠着状態に陥り、国連の仲介により停戦した。停戦ラインも1966年にはこの紛争前の状態に戻された。
さらに、1971年にインドとパキスタンの間で3回目の紛争が発生した。この紛争の舞台はカシミールではなく東パキスタンであり、この紛争の結果東パキスタンはバングラデシュとして独立した(※3)。また、この紛争の講和条約の中で、カシミールの停戦ラインは管理ライン(Line of Control: LoC)とされ、カシミールの領土紛争については平和的な方法で最終的な解決を求めるという方針が確認された(※4)。1999年にもう一度衝突が発生したが、その後LoCは元に戻された。これ以降インドとパキスタンの間では大きな武力衝突は発生していない。
また、中国もカシミール地方東部のアクサイチンとカラコルム回廊について領有権を主張し、支配している。前者については、中国がアクサイチンで道路建設を行ったことなどによりインドと中国の対立が深まり、国境の小競り合いから1962年に戦争に発展した。中国はこの戦争に勝利し、それ以降アクサイチンを実効支配している。また、カラコルム回廊については、1963年にこの地域をそれまで実効支配していたパキスタンから中国に譲渡された。この譲渡によりパキスタンと中国の関係は深まり、パキスタンと中国を結ぶカラコルム高速道路の共同建設に繋がったと分析されている。
カシミール地方で活動する武装勢力
カシミール地方では以上でみてきたような国家だけではなく、非国家の武装勢力も活動している。ここではカシミール地方で活動する武装勢力についてみていこう。
インドが統治するカシミール地方での武装勢力は、1980年代の、インドによる統治への不満から生まれたものと、1990年代初頭からの、パキスタンの援助を得て成長したものに大きく分けられると考えられている。
非国家の武装勢力によるインド側のカシミール地方での攻撃は、ソ連によるアフガニスタン侵攻の後の1980年代以降頻発するようになった。というのも、アフガニスタンでソ連に対抗するために地理的に近いカシミール地方に武装勢力が多く集まったからだ。
この点について、パキスタンはアフガニスタン、そしてカシミール地方での武装勢力の活動に深く関わっていると考えられている。パキスタンは、アフガニスタンでインドに近い政権が生まれないようにするとともに、インド側のカシミールを攻撃してインドの支配を揺るがすために、イスラム教を土台とする武装勢力を養成し、訓練したと指摘されている。この動きにより結成された武装勢力の数は、1992年までに3桁に及んでいたという。なお、ソ連の進出を阻むという目的が一致したアメリカもこの動きを支援し、その結果タリバンが養成されたという報告もある。
ここで、主な武装勢力を紹介しておこう。ジャンムー・カシミール解放戦線(JKLF)は、カシミール地方のインド、パキスタン両国からの独立を目的とした組織だ。JKLFは1980年代後半に活動を活発化させ始めた。当初はインドへの攻撃という点でパキスタンと協力関係にあったが、JKLFはカシミール地方のパキスタンへの統合に反対していたためパキスタン政府と温度差があった。そのため、1990年代にカシミール地方のパキスタンへの統合を目指す他の武装勢力が成長するにつれて、JKLFとパキスタンの関係は悪化した。パキスタンの後ろ盾を失ったJKLFは分裂を繰り返し、一部は非暴力的な政治運動になった。
ラシュカレ・タイバ(LeT)は1990年代後半から活発に活動した武装勢力だ。その目的の1つはインドをカシミール地方から追い出すことであり、インド当局はLeTが2006年にムンバイで189人が犠牲になった連続爆破事件の実行犯だとしている。また、サウジアラビアから資金の提供を受けたり、パキスタンの諜報機関である軍統合情報局(ISI)と繋がりがあったりするなど、国家からの支援も受けていたと考えられている。
これらの武装勢力とインドの治安部隊の間での暴力を伴う衝突は、1988年から2000年の間で約44,000件発生し、その結果26,000人以上の死者が出たという報告もなされている。また、このような武装勢力の攻撃により、インドとパキスタンの関係回復に向けた動きが阻害されていると指摘されている。なお、インドはこれらの武装組織をパキスタンが支援したと主張しているが、パキスタンはこの主張を否定している。
近年武装勢力の活動は減少傾向にあると考えられてきたが、2019年以降は新しい組織の結成や戦術の変化などの動きがあると報告されている。
国際政治の動向
2019年、インド政府はジャンムー・カシミール州に広範な自治を認めていた憲法370条を撤廃すると発表した。この動きについての国内の反応は後述するとして、ここでは国家間の政治的な動きについてみていこう。
インドのこの動きによってパキスタンとの対立が強まり、当時のパキスタンの首相イムラン・カーン氏の姿勢が変化したと指摘されている。カーン氏は、それまではインドに対して友好的な態度を取り、カシミール問題についてもあくまで2国間の対話で解決する姿勢をとってきたが、この出来事をきっかけにパキスタンはカシミール問題の2国間での解決を諦め、国際的な介入を求めるようになった。
一方、中国はインドの憲法370条の撤回についてパキスタンと同じく反対の立場をとっている。しかし、かつて中国はカシミール地方の一部、すなわちアクサイチンとカラコルム回廊を支配していたものの、インドとパキスタンの争いには直接関わろうとはせず、比較的中立の立場をとっていた。
中国のこの姿勢が変化したのは、2013年に一帯一路構想の一環として520億米ドルの投資を伴う中国・パキスタン経済回廊(CPEC)の計画が始まってからだと指摘されている(※5)。この計画は、中国の新疆ウイグル自治区からパキスタン側のカシミール地方を経由してアラビア海に面するパキスタンの港をつなぐというものであり、中国にとってヨーロッパからの海路による輸送の時間とコストを減らすという目的があると考えられている(※6)。
なお、インドとパキスタン以外の南アジア地域協力連合(SAARC)の構成国であるブータン、バングラデシュ、モルディブ、ネパール、スリランカ、アフガニスタンは、インドの憲法370条の撤回を支持している。
カシミールの重要性
インド、パキスタン、中国がなぜカシミール地方の領有権を主張しているのだろうか。ここにはカシミール地方が持つ宗教的、資源的、地政学的要因が大きく関わっている。これらについて見ていこう。
まず、宗教的要因として、カシミール地方は住民の多くがイスラム教徒だ。インドで2011年に行われた国勢調査によると、インドが支配しているジャンムー・カシミール州に住む約1,300万人の住民のうち、860万人、つまり住民の約66%がイスラム教徒だったとされている。パキスタンはイスラム教徒による国家として出発した経緯があるため、カシミール地方がイスラム教徒多数派の地域であるということは、パキスタンがこの地域を求める1つの理由だと考えられている。一方で、ヒンドゥー教徒も多く住んでおり、アマルナート寺院などのヒンドゥー教の聖地も存在する。
一方、インド側のカシミール地方にあるラダックは、「小さなチベット」と呼ばれることもあるほどチベットからの文化的影響を強く受けている。インド政府は2019年にカシミールの高度な自治を認める憲法390条を撤回した際、さらにこの州をジャンムー・カシミール州とラダック州に分割した。この動きは、ジャンムー・カシミール州のなかでイスラム教徒に差別されていたと感じていたラダックの仏教徒の地元住民に歓迎された。しかし、ラダックが自治権のない連邦直轄領になったことで、地元の同意のない急激な開発や、カシミール地方の外のインドからの移住に対する懸念が地元の不満を引き起こしている。なお、ラダックの一地域であるアクサイチンは現在中国に支配されている。
次に、資源的要因について見ていく。カシミール地方は、インダス川の主要な支流のうち2つが流れており、インダス川は国土の90%以上が乾燥しているパキスタンにとって唯一の水系であり、同時に水が不足しがちな北西インドを支える2つの水系のうちの1つである。また、インドとパキスタンはインダス川を灌漑や水力発電に利用するため大規模なダムを作っている。なお、この両国はインダス川の使用について、1960年に世界銀行の仲介で協定を結んだが、パキスタンは協定に違反してインドがダムを建設していると主張している。
また、インドと中国の間でも水資源は問題になっている。アクサイチンには中国の新疆ウイグル自治区に流れるカラカシュ川の水源があり、この地域への移住を奨励している中国政府は人口の増加が見込まれる新疆への水源の確保を重視しているという指摘もなされている。また、2020年にインド軍と中国軍が衝突するという事件があった。この事件の衝突のきっかけの1つはインドの道路建設だと報道されているが、このときに中国はガルワン川を堰き止めていたことを示唆する報告もなされている。このことについて、ガルワン川はインダス川の支流の1つであり、中国はガルワン川がインド側に流れないようにしていたとも考えられている。
地政学的要因としては、カシミール地方は南アジアと中央アジアをつなぐルート上にあるという点で戦略的に非常に重要な場所であると考えられている。インドとパキスタンはすでにアラビア海という大きな交易の拠点を持っているため、カシミール地方を手中に収めることでアラビア海と中央アジアを繋ぎ、より大きな商業的利益を得ることができる。ここで、中央アジアが中国の掲げる一帯一路構想のルートの1つであることを考慮すると、カシミール地方はインドとパキスタンにとって中央アジアのみならずヨーロッパ、中東、東アジアなどの商業圏につながる拠点になると言える。
また中国にとっても、カシミール地方は前述の通り中国とアラビア海をつなぐCPECのルート上にあるため、重要な拠点であると考えられる。このように、カシミール地方はインド、中国、パキスタンにとってさまざまな意味で重要な場所であることがわかる。
カシミールでの人権侵害・抑圧
ここまではカシミール地方をめぐる政治的な問題について触れてきた。ここからはカシミール地方で起こっている人権侵害について、インド側のカシミールを中心に、パキスタン側のカシミールにも触れつつ見ていこう。
インド側のカシミールでは、さまざまなレベルで人権侵害や抑圧が行われてきた。政治的には、インド憲法370条により自治が認められていたものの、実際には大統領令(※7)や知事規則などにより徐々にその権限は狭められ、その自治は完全には守られなかったと主張されている。さらに、2018年にはインド政府はジャンムー・カシミール州の議会を解散し、事実上連邦政府が直接統治を行うようになった。それ以来、2023年10月現在も選挙は行われていない。
さらに、インド側のカシミールに駐留するインド軍も人権侵害に関わっている。軍隊の武力行使や令状なしの拘束、捜索などの権限を認め、また免責を与える軍隊特別権限法などが1990年にインド側のカシミールに適用されたことにより、現地住民に対する人権侵害が横行したと指摘されている。具体的には、拷問や性的暴力、違法な処刑などがインドの治安部隊によって行われたという。
そしてその被害者には反政府的な活動をした人だけでなく、無実の罪で殺害された人も含まれていると主張されている。ジャンムー・カシミール州政府によると、1990年から2011年の間で、武装勢力と民間人(※8)の死者数は合計で43,000人にのぼり、そのうち3,600人以上の民間人が治安部隊により殺害されたとしているが、この数字も過小評価であることが疑われている。別の報告では、インド側のカシミールでは2019年までに8,000人以上の住民が治安部隊に逮捕された後に行方不明になったとも推定されている。
また、治安部隊によるこれらの行為は、軍隊特別権限法などにより免責が与えられているため、法的な追求を行うことが困難であり、また情報提供も疎かであるため、透明性が確保されていないと指摘されている。そして、この免責が治安部隊による暴力を助長しているとも主張されている。
その上、警察が過剰な武力を使用して被害が拡大しているとも言われており、例えば2016年に行われたデモでは、治安部隊が使ったペレット銃により30人以上の死者が出た。
また、2019年にインド憲法370条の撤回が行われたときに、インド側のカシミールでは非常に強力な取り締まりが行われた(※9)。具体的には、インド側のカシミールのすべての通信を遮断し、夜間外出禁止令を出した。この期間中に数千人の人々が拘束された。制限の完全な解除が発表されたのは約18ヶ月後の2021年の2月だった。この影響によりインド側のカシミールの経済も打撃を受け、50万人の失業と50億米ドルに及ぶ経済的損失があったと推計されている。また、2023年でも失業率はインドの平均の2倍の18%であり、さらに弾圧を恐れてそのことに抗議できない状況であるという主張がなされている。
そして、冒頭で述べたように報道の自由も抑圧を受けていたと報告されている。2020年にはインド政府はジャンムー・カシミール州で、当局にメディアに対する広範な権限を与え、ジャーナリストを逮捕できるようになった。事実として、2019年から2022年の間で判明しているだけでも35人のジャーナリストが警察による捜査を受けたと報告されている。
さらに、憲法370条の撤回後に通信が遮断されてから1週間後、インド政府はジャーナリストの活動のためとして、インターネットを使用できるメディアファシリテーションセンターを設置した。このセンターの利用時間は制限され、待ち時間も数時間に及ぶこともあったが、通信の遮断が行われていたカシミール地方では、ジャーナリストがインターネットを介して記事を会社に送信したりサイトにアップロードしたりするためにはこの施設に頼るほかなかったという(※10)。また、実際にこのセンターでの通信が政府により検閲されていたかどうかは不明だが、このセンターを使用していること自体が、ジャーナリストに不安感を与え、結果として自己検閲につながったということも指摘されている。
その上、370条の撤回と同時に行われた、インド憲法35A条の撤回も地元の住民の権利を抑圧している。憲法35A条は、ジャンムー・カシミール州以外の住民がこの地域に定住することや土地を購入することを禁じていたが、それが撤廃された結果、1年足らずで25,000人もの州外の人々がインド側のカシミールでの居住権を得たという報道もある。このような動きが長期的に続いた場合、この地域の人口構成が変化し、もともと住んでいた地元住民が数の上で少数になることで、数字の上からは民主主義に見えるが地元住民の意思を反映していない政治を行うことができるようになると懸念されている。
また、通信の遮断が行われているときにインド政府がインド側のカシミールでの鉱物採掘権の入札をオンラインで行うなど、意図的に地元の企業を排除するような方法が取られているという報告もある。このように、地元の権利を抑圧する形でカシミール地方以外のインドの人々や企業に有利な政策が取られているという現実があるようだ。
これらの問題とは逆に、この地域でのヒンドゥー教徒に対する人権侵害も問題になっている。カシミール地方はもともとヒンドゥー教徒も混在していた地域であったが、1990年ごろからヒンドゥー教徒を標的にした攻撃が増えたことで25万人とも言われるヒンドゥー教徒がジャンムー・カシミール州を離れた。憲法370条の撤回により元の場所に戻るヒンドゥー教徒がいる一方で、この撤回がカシミール地方の過激派を刺激し、ヒンドゥー教徒を標的にした攻撃が多発するきっかけにもなっている。
また、雇用の不足などによるストレスから、インド側のカシミールでは薬物問題も深刻になっている。政府はジャンムー・カシミール州に住む100万人近くの人々が薬物を使用していると主張している。また、薬物の取引が武装勢力の資金源になっているとも指摘されている。
パキスタン側のカシミールにも問題がある。パキスタンは自国が支配しているカシミール地方をアザド・ジャンムー・カシミールとギルギット・バルティスタンに分けて統治している。どちらの地域も選挙で選ばれた議会はあるが、国の議会に対しては選挙権を持っておらず、司法や安全保障などの面では中央政府の影響力が強い。そしてパキスタン政府のカシミール統治に関する政策にそぐわない政治的活動や表現の自由は制限されている。その取り締まりはインドほど過激ではないとしても、現在非暴力的な政治団体になったJKLFの活動家がカシミールの独立を主張したことにより投獄されたという報道もなされている。
また、中国・パキスタン経済回廊についても、パキスタンという国には利益が見込まれるが、地元の人々の多くは雇用の喪失や環境汚染などの観点からこの計画に反対している。しかし、この計画に対して地元の人々には発言権が与えられておらず、一方的な搾取が行われることが懸念される。
今後の展開
2019年にインド政府が憲法370条を撤回してから、カシミール地方の情勢は大きな変化を迎えた。それ以来パキスタンとの関係は大きく悪化し、2023年には当時のパキスタン首相のシャバズ・シャリフ氏がインド憲法370条の撤回を取り消さない限り交渉は行わないと発言した。一方、インド政府は2023年8月にインド側のカシミールで選挙を行う用意があると発表した。ただし、選挙の正確な日程は明らかにされていない。
また、2021年にアメリカ軍がアフガニスタンから撤退したが、このこともカシミール地方の情勢に影響を与えている。具体的には、アフガニスタンでアメリカ軍が使用していた武器がカシミール地方に流入していると指摘されている。アメリカがアフガニスタンから撤退したとき、アフガニスタン政府は71億米ドル以上に相当するアメリカ製の軍事装備品を保有していたと言われており、その多くが現在アフガニスタンを統治しているタリバンの手に渡った可能性がある。そしてそれらの装備品がさらにLeTなどの武装勢力に渡っているとも考えられている。
このように、カシミール地方は南アジアの政治や人権問題に大きな影響を与え続けている。しかし多くのアクターが絡むカシミール地方の政治的問題は解決が難しい。また、カシミール地方の住民にとっても、厳しい取り締まりや政治へのアクセスの制限、情報統制などにさらされていることを考慮すると、問題の早期の解決は難しいと考えられる。
※1 この都市は、イギリス統治時代はカルカッタ(Calcutta)と呼ばれていたが、現地の言語の1つであるベンガル語ではコルカタ(Kolkata)と呼ばれており、2001年に西ベンガル州政府は正式にコルカタと決定した。
※2 イスラム教徒が多数派の地域はインド亜大陸の北西と北東に分かれていたため、インドを挟んだ東西で1つの国としてパキスタンは独立した。西パキスタンは現在のパキスタンであり、東パキスタンは現在のバングラデシュに当たる。
※3 この戦争のきっかけは、1970年の選挙にある。この選挙の結果、東パキスタン出身のシェイク・ムジブル・ロホマン氏が首相に選出されるはずだったが、西パキスタン政府がこれを認めず、東パキスタンに対して軍事弾圧を行った。この争いにインドが東パキスタン側で介入し、戦争が発生した。この戦争は13日で西パキスタンの降伏により決着し、約9万人のパキスタン兵が捕虜になった。また、この期間中30万人から50万人が死亡したと考えられている。
※4 この時に設定されたLoCには、シアチェン氷河はどこの国にも含まれなかった。この後1984年にインド軍がこの氷河全体を占領した。それ以降、パキスタン軍との小競り合いがいくつかあったものの、現在もインドが実効支配している。
※5 もちろん中国とパキスタンの関係に問題がないわけではない。例えば新疆ウイグル自治区の過激派がパキスタンと繋がっているという懸念や、パキスタンが中国・パキスタン経済回廊にしばしば反対するなどの事情もあると指摘されている。
※6 中国は、CPECを通じてヨーロッパなどからの物資をアラビア海で水揚げすることで、マラッカ海峡や南シナ海を経由する必要がなくなり、より迅速に中国に輸送できるようになる。
※7 インドには国家元首として議会から選出される大統領がいる。2023年10月現在のインド大統領はドラウパディ・ムルム氏。
※8 ここでの民間人とは、敵対行為に直接的には関わっていない者を指している。
※9 なお、インド政府は2018年から2023年の間で、テロ事件は約45%減少し、投石などの秩序を乱す行為は97%減少したと発表した。
※10 インターネットを経由せず、記事を記録媒体に保存してそれをカシミール地方の外まで運んで情報を伝えることもあったという。
ライター:Seita Morimoto
グラフィック: Mayu Nakata
カシミールはまさに各国の取り合いになっている土地なのですね。そこに暮らしている人々の生活があまりにも顧みられていないことが分かりました。