2014年6月12日、ブラジルでワールドカップが開幕された。4年に1度の世界最大級のスポーツ祭典は、世界中を熱狂の渦に巻きこんだ。日本でもその内容が連日大きく報道され、ワールドカップ気運になったことは記憶に新しい。試合の結果やそれに関する社会の盛り上がりから見て、ワールドカップ(以下W杯と表示)の開催はその開催国に良い影響をもたらしていると考えている人も少なくないだろう。

ブラジルW杯に熱狂する観客 写真: Agência Brasil (CC BY 3.0 BR)
しかし、賑やかで華々しいW杯の背景で、ブラジル社会は多くの社会問題を抱えていた。具体的にどのような社会問題を抱えていたのか。また日本のメディアは、それに対してどれほどスポットライトを当て、取り上げていたのか。詳しく見ていきたい。
ブラジルW杯の背景に抱える社会問題
近年、ブラジルは著しい経済発展を遂げており、世界第6位の経済大国にまで登りつめている。しかしその一方で、貧困層の世帯あたりの収入は減少するなど、貧富の差が埋まらない状況が続いており、今日でも貧しいブラジル国民が少なくない。
ブラジル国内には、「ファベーラ(favela)」と呼ばれるスラム・貧民街が多く存在する。ブラジル政府は、W杯を控え、「社会清掃」と謳いファベーラだけでも1万5千世帯以上に対してファベーラからの立ち退きを強制し、居住者を街の周辺に追い出していた。政府は、それらの行為は都市を近代化するために必要で正当な手続きに従っており、住民は強制的に移転されていないと主張した。しかし、実際にはその強制立ち退きは、W杯に向けたスタジアム建設やインフラ整備のための土地を確保することが目的であることは明白であった。立ち退きを強制された住民は十分な補償を受けられず、事前通知がほとんどない場合も多かったとの市民社会の団体の証言もあった。

ファベーラの風景 写真: chensiyuan (CC BY-SA 4.0)
強制移転以外にもより多くの国民に影響を与える問題もあり、W杯開催に反対するデモに発展した。警察とデモ隊の間で催涙ガスとゴム弾を使用されるなど暴力的対立が過激化することも少なくなかった。W杯に伴う税金の使い道の不満などが、デモ隊が政府に対し抗議する原因であった。W杯を開催するにあたり、スタジアム建設やインフラ整備など多額の資金を要する。一方、ブラジル社会では貧富の格差が依然として大きく、教育制度や医療制度が整っているとは言い難い。その状況の中で、税金の多くを国民の教育や医療ではなくW杯に対して優先して使おうとしたため、国民の反感を買った。
また多くの国民が労働条件への不満を持っており、労働環境の改善を求めてストライキを行い、税金の使い方に対する抗議と平行してデモ行進を行うことも多かった。W杯開催直前には、スタジアム建設などのW杯関連の仕事に従事する労働者の劣悪な労働条件が露呈した。そこでは貧しい移民者などが、まるで奴隷のごとく低賃金で過酷な労働を強いられていた。これらの問題以外にも汚職や治安対策なども問題視されていた。

「サッカーに反対しているのではない」「教育のためにお金を」 写真:Agência Brasil (CC BY 3.0 BR)
日本の報道傾向
W杯の影でブラジル社会が抱える数多くの社会問題を見てきたが、日本のメディアはこれらのブラジル社会の実情をどれだけ取り上げているのだろうか。次の図を見てほしい。
読売新聞においてブラジルW杯に関する報道量を分析したものである。大会開催1年前から大会終了にわたりブラジルW杯関連の記事は、574件あった(※1)。その報道内容のほとんどが試合結果やその解説といったものだった。また、特に日本代表に関する記事が非常に目立った。これに対して、そのうちブラジルの社会問題を主体的に取り上げたものは26件しかなく、574件中の4.5%に過ぎなかった。その一方で、ブラジル代表チームの動向を主体的に取り上げた記事は社会問題に関する記事数を上回った(31件)。また、サポーターの暴動といった事件・事故に関する記事が15件(2.6%)あった。
数少ない社会問題に関する26件の記事は具体的にどのような問題を報道していたのだろうか。下図はその社会問題の内訳を示したもの(※2)である。
図から分かるように、取り上げられた社会問題の中では税金の使い道に対する国民の反対を取り上げたものが最も多かった。2番目に多かったのは労働環境だった。また、26件中16件がこれらの問題から発生したデモにフォーカスした記事となっていた。
これからのワールドカップに潜む社会問題
W杯開催に伴う開催国の社会問題は、ブラジルだけに留まらない。2018年にはロシアで、2022年にはカタールでW杯が開催される。これらの次のW杯開催国においてもすでにそれに伴う社会問題が出てきている。
ロシアでは、W杯の開催用地で建設をしていた労働者が無給のまま放置されたり、危機的な寒さで働いたり、懸念を表明したことで報復を受けた事例が明らかになった。またスタジアム建設に従事していた労働者が17名亡くなったとの報道もあり、労働者の搾取や虐待が横行していることは明白である。同様にカタールでも、スタジアム建設のためカタールに来た数十人のネパール出稼ぎ労働者が数週間のうちに死亡し、数千人が労働虐待に耐え忍んでいることが判明した。空腹のまま12時間働かされる、50℃(122°F)までの温度で飲料水を与えられずに長時間働かされる、労働者が逃げないように給与が払われないなどのケースが報告され、その労働環境はあまりに悲惨である。

建設中のカタールのスタジアム 写真: jbdodane (CC BY-NC 2.0)
また、ロシア、カタールにおいて、その開催地決定の背景に賄賂があった可能性が高い。W杯を主催している国際サッカー連盟(FIFA)の重役3人が2018、2022年の開催国の最終決定の前に、賄賂を受け取っていたようだ。
さまざまな賄賂疑惑が囁かれた中、FIFAはこれらの詳細をまとめた報告書を公開し、極めて疑わしい投票システムが浮き彫りとなった。一方ロシア、カタール双方は不正を否定し続けている。もし、賄賂の決定的な証拠が見つかれば、W杯開催の権利を剥奪される可能性が高いが、現時点において開催国変更の決定は無く、賄賂疑惑は闇に包まれたままである。
このように、ブラジルだけにとどまらず、W杯開催にあたって開催国では様々な問題が発生している。FIFAはこれらの問題に対してしばしば対策をうっているが、それが十分に機能しているとはいえず、むしろ主催者側が開催国側に丸め込まれているようにも捉えられる。
W杯は見る人々を魅了し熱狂させる一方で、莫大な資金がかかるイベントであり、開催国の社会に大きな影響を与えてしまう。オリンピックにおいてもそうだが、開催国はW杯開催によるプラスの経済効果をアピールする傾向が見られるが、実際には、ほとんどの場合、全体として損失の方が大きくなると報告されている。このことはブラジルも例外ではない。さらに必ずしもW杯による恩恵を全ての国民が受けているわけではなく、その背景には社会問題があり、苦しんでいる国民もいることを忘れてはならない。
このようなイベントの背景にある大きな社会問題がほとんど報道されない日本社会において、われわれは報道されていることだけに囚われるのではなく、より客観的に世界を捉えることが肝要である。今後開催されるW杯に対して、日本ではどのような報道がなされるのだろうか。日本のメディアの動向にこれからも注目したい。

ファベーラでボールを蹴るブラジルの少年 写真: Axel Warnstedt (CC BY-NC-ND 2.0)
※1「読売新聞 読み出す歴史館」を使用、見出しに「W杯」「ワールドカップ」「ブラジル」のいずれかを含む東京朝刊の記事を計算した。ラグビー等のサッカー以外のW杯や、ビーチサッカーやフットサルはカウントから外した。
※2凡例にあるようなトピックについて1つの記事中で複数言及されていたものはその分カウントした。
ライター:Yutaro Yamazaki
グラフィック:Yutaro Yamazaki