2022年11月にエジプトのシャルム・エル・シェイクにおいて、第27回気候変動枠組条約締約国会議(COP27)が開催された。COP26の際、開催地スコットランドのグラスゴーで約10万人規模の抗議デモが起こるなど、COPには政府や産業界に対する温暖化対策への積極的な行動を求める抗議デモがつきものである。COP27の開催地でも最大で数百人規模の抗議デモが行われ、気候変動への補償や、イギリス系エジプト人の民主化活動家のアラア・アブド・エルファタ氏の釈放などを訴えた。彼は2019年に「虚偽のニュースを広めた罪」で逮捕され、2021年に5年の禁固刑を言い渡され、2022年現在刑務所に収監されている。しかしこれらの抗議は国連が管理する敷地内で行われた小規模なもので、その外での抗議は許されなかった。というのも、エジプト当局が事前にあらゆる抗議デモに対する厳しい抑圧をしていたからである。
ところがこれらはCOP27開催中に限った話ではない。2013年に当時の政権が軍事クーデターによって崩壊し、その後アブドゥル・ファッターハ・エル・シシ大統領が就任して以来、激しい政治的弾圧が繰り返されている。特に政府の権力基盤への脅威と見なした者を徹底的に取り締まっていて、エジプトには2019年時点で約65,000人の政治犯が収容されていると推測されている。この記事では、エジプトの権力基盤の実態と、それを今日までどう維持してきたのかを見ていく。

COP27開催に合わせ、イギリスでアラア氏の釈放を求める人々(写真:Alisdare Hickson / Flickr [CC BY-SA 2.0])
エジプト政権の歴史
現エジプト政府の権力基盤はどのように形成されたのか。まずはエジプト政権の歴史を簡単に見ていく。現在のエジプトの領土はおよそ5,000年前に、上エジプトと下エジプトの王国が統合されてできた、古代エジプトの統一国家に始まる。1517年にトルコのオスマン帝国領となったが、16世紀半ばから衰退を始めたオスマン帝国は、名目上の支配にとどまっていった。エジプトは1859年にスエズ運河(※1)を建設した。その後、1875年にイギリスがスエズ運河会社の株を買収し、運河の支配権を得るなど、この時期にイギリスの進出が顕著になった。1882年にイギリス軍が侵攻し、エジプト軍を破ってエジプトを支配した。1914年の第一次世界大戦開戦に伴い、エジプトはイギリスの保護領となり、オスマン帝国は1919年の大戦敗退後に崩壊した。1922年にエジプト王国として独立を宣言し、1953年に共和国になるも、1956年までイギリス軍がエジプトに駐留していた。
1956年に当時のエジプト大統領ガマル・アブデル・ナセル氏がスエズ運河を国有化したことが発端となり、エジプトとイスラエル、イギリス、フランス間でスエズ危機(※2)とも呼ばれる第二次中東戦争が勃発した。1967年にはイスラエルとの間で第三次中東戦争(※3)が勃発した。その後1973年の第四次中東戦争でもイスラエルと戦ってきたエジプトだが、1979年にイスラエルとアラブ諸国の間で初めて平和条約(※4)を締結した。これまでアラブ諸国を率いてイスラエルと戦ってきたエジプトの和平への転換は他のアラブ諸国の反感を買い、1981年当時大統領のアンワード・アル・サダト大統領が暗殺された。
その後は当時の副大統領で元空軍最高司令官のホスニ・ムバラク氏が1981年に大統領に就任した。非常事態宣言を発令し、政治活動、表現、集会の自由を制限した。軍による独裁政権の脅威とみなされるあらゆる勢力への抑圧を行い、何万人もの人々が悲惨な状況下で拘束された。治安機関である国家安全保障調査局(SSIS)を中心に組織的な集団拷問や恣意的逮捕・拘留などの虐待を行った。
ムバラク政権は30年続いたが、長期政権への国民の政治的、経済的不満は増していた。「アラブの春」と呼ばれるチュニジアでの大統領退陣を促す街頭抗議デモに刺激され、2011年1月にエジプトでも反政府デモが発生した。このデモで少なくとも846人の民間人が死亡し、6,400人以上が負傷したと言われている。この抗議デモにより2011年2月にムバラク大統領は退陣した。その後は2012年6月の大統領選に勝利したムスリム同胞団のモハメド・モルシ氏が大統領となった。ムスリム同胞団とは1920年代に設立され、宗教活動と政治活動や社会福祉プログラムを融合しているイスラム主義組織である。

「アラブの春」で衝突するデモ隊と警察(写真:oxfamnovib / Flickr [CC BY-ND 2.0])
しかし経済的苦難とイスラム教の政治への進出に対し、モルシ政権への反発が全国的に強まっていた。イスラム教の影響力の拡大が脅威となっていた軍にとって、この反発は復権の機会となった。2013年7月、エジプト軍はクーデターによってモルシ政権を打倒し、モルシ氏を逮捕した。次期大統領にはアドリー・マンスール氏が就任したが、実質的権力は軍事クーデターを指揮した当時の国防相であるシシ氏にあった。ムスリム同胞団はクーデターに対する抗議としてカイロの広場で座り込みを行い、その支持者も合わせ数千人の平和的な抗議キャンプが出来た。モルシ氏の支持母体であるムスリム同胞団の解体を狙う新政権は、2013年8月14日にはムスリム同胞団の抗議キャンプで治安部隊による大量虐殺を行った。確認されているのは817人だが、実際は1,000人以上が殺害されたと推測されている。
2014年5月の大統領選挙ではシシ氏が指揮した一連のムスリム同胞団への弾圧あってか、同胞団を中心に多くの人々が投票をボイコットした。選挙運動への費用限度が前回大統領選から倍増したことにより、圧倒的に裕福な軍事エリートが有利になり、シシ氏が独立系メディアを弾圧して、国営メディアへの特権的なアクセスを得た。そしてシシ氏は約93%の支持率で大統領選挙に当選した。選挙においては脅迫や賄賂、不正操作、主要な対抗馬の逮捕などの疑いがある。なお2022年現在もシシ氏が大統領を務めている。
人権と政治的抑圧
前章では権力基盤の形成過程を見ていったが、次にそれを維持するための抑圧行為を見ていく。今日のシシ政権下では、人権侵害と政治的な抑圧が横行している。ナセル氏、サダト氏、ムバラク氏の時代にもひどい弾圧は存在したが、今日のシシ政権ほどの持続的な残虐さはなかったと言われている。
職種、性別、年齢を問わず、政府の行動や政策に反対したり、腐敗を指摘したり、民主化を求める者が弾圧対象とされてきた。特に長年(※5)弾圧されてきたのが前政権の座にいたムスリム同胞団 である。人口の約9割がイスラム教徒であるエジプトにおける最大のイスラム主義組織である。草の根の支持を動員し、反君主制を唱える彼らは、軍事的支配者にとっての脅威であり、弾圧対象となっている。モルシ政権崩壊後には弾圧が強化され、2014年12月には政府によってテロ組織と認定された。同胞団の指導者の多くと推定数万人の支持者は投獄されるか、ムスリム同胞団を支持してきたトルコやカタールなどに亡命している。政治犯として逮捕されているのはムスリム同胞団だけではなく、エジプトでは万単位で政治犯が収容されていると推測されている。
報道の自由も脅かされていて、エジプトは2022年世界報道自由度ランキングでは180か国中168位である。2021年にエジプトで収監されているジャーナリストは25人で、中国、ミャンマーに次ぐ世界第3位に当たる。彼らは「SNSの悪用」、「フェイクニュースの拡散」、「テロ」の告発で有罪判決を受けたか、捜査保留のまま、刑務所に収監されている。また報道機関や人権団体を含む約600のウェブサイトも閉鎖されていて、例えば欧米などに基盤を持つ国際的な人権NGOであるヒューマンライツウォッチや、エジプトの人権団体で現在も活動を続けているエジプトの権利と自由のための委員会(ECRF)などのウェブサイトがエジプトでは閲覧出来ない。
次に結社の自由の抑圧についてである。近年エジプトでは、平和的活動を行った人権活動家や市民社会活動家が執拗に起訴されている。2017年のNGOを管理する強権的な法律を撤回し、2021年1月に新たに法律(※6)の施行規則を発行したが、結社の自由に対する制限はさらに厳しくなり、「政治的」な活動は完全に禁止された。COP27で気候正義と人権についてのパネルディスカッションでの人権活動家のホッサム・バーガット氏の発言によると、活動家がある地域を訪問すると、活動家本人ではなく、その地域の住民が逮捕されるため、活動家が環境問題を抱える地域を直接手助けすることも、住民が助けを求めることも難しい。ホッサム氏自身も2016年から国外渡航を禁止されていて、個人資産も凍結されている。またエジプト当局は、活動家や野党政治家を含む408人を恣意的に「テロリスト・リスト」に加え、市民活動や政治活動、5年間の国外渡航禁止を課した。

弾圧されるムスリム同胞団の抗議キャンプ(写真:Diariocritico de Venezuela / Flickr [CC BY 2.0])
また疑いをかけられた人に対して、有罪判決が出ていなくても恣意的な拘束が行われており、数千人が著しく不当な裁判や法的根拠なしに不当に拘束されたままだと言われている。対象者は政治的活動を行ったとされた人々だけではなく、LGBT(※7)の人々や服装が問題視された女性、SNSで問題発言を発信した人なども逮捕されている。また2020年には強制失踪が約2,000 件発生した。刑務所、その他の拘置所の環境も非人道的なもので、虐待・拷問や医療サービスへのアクセスの拒否、家族との面会、通信の制限または禁止が行われている。
裁判についても問題とされていて、2021年の1年間、エジプトで死刑判決を受けた人は少なくとも356人いる。これは、死刑判決や執行の実態が不明である中国、北朝鮮、ベトナムを除き、2021年世界最多である。2021年の死刑執行数は世界第3位で、少なくとも83人の死刑が執行された。何百人もの人を一度に裁く集団裁判も行われており、2014年3月には警察官1人の殺害と、2人の警察官の殺人未遂と警察署の襲撃の罪で529人に死刑判決が下された。
軍の経済への多大な影響
シシ大統領の権力維持が可能な背景には、抑圧だけでなく、軍による経済の大部分の支配も関係している。「アラブの春」から10年以上が経つが、経済状況は悪化している。インフレ率は上昇し続け、2022年10月には16.2%に達した。エジプトポンドの対米ドル価値は減少し、2022年には約36 %減少している。国内GDPの約12% を占める観光業も世界情勢によって打撃を受けていて、新型コロナウイルスの影響で2021年には前年より約70 %が減少した。またかつて年間訪問者の約3分の1を占めていたロシアとウクライナ両国の紛争による訪問者の減少の影響も受けている。経済規模の約85%にも及ぶ負債を抱える。またエシカルな貧困ライン(※8)とされる1日あたり7.4米ドル以下で暮らす人々の割合を見てみると、2019年時点で約87%であり国民の大半が深刻な貧困状況で暮らしている。これらの危機的状況脱却のための改革が困難である原因の一つに、シシ政権下における軍による経済への関与の範囲と規模の拡大が考えられる。
軍関係者は様々な形で経済界に影響を与えている。軍は軍事生産省などの機関や、その傘下にある複数の工場、国内外の企業との合併事業などを通じて経済活動を行う。また政府省庁、規制・運営経済当局、地方政府、国有企業にも何千人もの軍の退職者が配属されており、軍所有の会社の数は1970年以降約4倍に増え、2022年現在では約80 社に達している。彼らは軍需産業のみならず、大規模なインフラプロジェクトの管理、農業や工業、医療など、様々な経済分野に進出している。
軍の経済への影響力を支えるのが軍の政治的影響力である。軍の幹部は国家機関のいたるところに配置されているため、民間企業よりも契約を獲得しやすく、政府の主要な監査機関にも軍人が配置されているため、民間企業と違い、軍の経済活動は監査を逃れられる。軍隊は徴用された労働力を使い、軍事経済活動の大部分は税金で補助され、民間企業よりもはるかに低価格でプロジェクトを進めることが出来る。軍の経済への影響力の拡大は競合する民間企業への投資を減少させると批判されている。民間企業への投資の減少は、それが持つ経済の成長や雇用創出、人材の発展に貢献する可能性を奪っている。若者の失業率は2021年時点で約24%と依然として高く、2022年1月時点で24歳未満の若者が人口の約54%を占め、人口が増加の一途をたどる中、雇用創出はエジプト経済の最大の課題の一つである。
また軍による大規模なインフラ計画や公共投資の多くは大衆への受益が重視されていない。軍による経済政策は経済・社会の発展に貢献する側面もあるが、その多くは軍事力や支配力を誇示するために大規模なものや、非生産な部門、非効率な防衛産業で行われている。それに伴い負債は膨らみ続け、2022年中に730億米ドルの借入をし、中東・北アフリカ地域の新興市場で最大の国債発行国になることが予想されている。対外債務は2014年より約300%増加し、2021年6月には1,379億米ドルに達している。それらの負債は消費者物価の上昇や逆進的な課税政策を通じて、国民に対して負担を強いている。
エジプトの外交関係
エジプトの現政権が権力基盤を維持するために外交も重要なツールになっている。

握手を交わすボリス・ジョンソン元英首相とシシ大統領(写真:Number 10 / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
エジプト政府にとって最大の脅威の一つであるムスリム同胞団を支持する国とは関係が良くない。その一つにカタールがある。カタールは、同胞団を支援する姿勢をとっているとされる。中東・北アフリカ地域で大きな影響力を持つカタールの国営報道機関であるアルジャジーラを国にとっての脅威と捉え、エジプトではそのウェブサイトが閉鎖されていて、2013年にはアルジャジーラの記者4人がエジプトで逮捕された。また2017年6月にはカタールとの断交を発表したが、2021年に関係を回復し、その後も関係の再構築が進んでいる。トルコとも2013年、エジプトでの軍事クーデターにより、トルコのレジェップ・タイップ・エルドアン大統領の同盟者であるモルシ大統領が退陣させられたことにより、関係は悪化した。それ以降9年間にわたる政治的緊張が続いていて、トルコのムスリム同胞団への支援も原因となっている。しかし2022年11月に、今後数か月の間に外交関係を完全に回復し、約9年間空席だった大使を再任する可能性をトルコのメヴリュット・チャヴシュオール外相は述べている。
またリビア(※9)に対しては、2011年のムアンマル・カダフィ長期独裁政権崩壊後の混乱以来、エジプトはイラク、シリアを拠点とした過激派集団であるIS(イスラム国)やその他過激派集団への空爆を行ってきた。エジプトにとって、西隣国リビアの不安定さと、トルコによるリビア政府軍への支援が懸念となり、2020年7月には、エジプト議会において、リビアへの軍事介入が許可された。その他エチオピア(※10)ともナイル川へのダム建設を巡り、対立が見られている。
反対にそれぞれの思惑を持ち、エジプト政府を支援している国もある。サウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)はエジプトの支配者同様、ムスリム同胞団を君主制と独裁政治への脅威として捉えており、2013年の軍事クーデターでもエジプト軍を支持した。カタールに対してもエジプトと同じ姿勢を取ってきた。両国はエジプト経済の安定化のために、エジプトに対し数百億米ドルの融資と投資を行っている。
アメリカは、アメリカがエジプトとイスラエル間の和平を提案したキャンプデービッド合意があった1978年以来、アメリカはエジプトに500億米ドル以上の軍事援助と300億米ドルの経済援助を提供しており、数十年にわたる軍事・経済的協力関係にある。エジプトへの軍事支援は、ペルシャ湾のエネルギー資源の継続的な利用可能性を維持し、国際石油ルートかつアメリカ軍艦のルートとして重要なスエズ運河を確保するための政権の戦略とも考えられている。

スエズ運河を通過するアメリカの軍艦(写真:Official U.S. Navy Page / Flickr [CC BY 2.0])
ヨーロッパ連合(EU)諸国のエジプトへの武器売却も、2013年の軍事クーデター以来大幅に増えていて、2013年から2020年の間に、イギリスを含むEU諸国は、エジプトに少なくとも110億米ドル相当の武器輸出やライセンス供与を行った。中でもフランスにとってエジプトは2012年から2021年までの間、武器の最大の輸出国となっていて、ドイツでも2021年の武器装備の最大顧客がエジプトであった。EUからの直接投資に加え、欧州復興開発銀行(EBRD)からも支援しており、2018年にエジプトはEBRD最大の投資先となった。地中海の移民・難民の流れや中東・北アフリカの安定に大きな影響を持ち、安全保障上の協力関係にある。経済的利益に並び、武器産業の重要な顧客であるエジプトは、EU諸国にとって協力が不可欠な国となっている。
人権侵害への批判と弱体化する大統領権限
経済協力や軍事支援でエジプトの現政権の権力維持の大きな支えになっている一方で、西欧諸国を中心に、外国からエジプト政府の抑圧的体制へ一定程度の批判がなされている。2021年3月には、国連人権理事会において、アメリカやヨーロッパを中心とした32カ国が共同声明を出し、表現や集会の自由に対する抑制の解除を求めた。同年1月には、人権問題を理由に、アメリカはエジプトへの1億3,000万米ドルの安全保障支援を保留することを発表した。
しかし前章で述べたように自国の利益を守るためにエジプト政府の協力に依存している国は多く、現政権への支援が続いているため、本格的な批判には至らないことが多い。西欧諸国が人権問題に対して批判的な態度を示す中、エジプトは類似した戦略を持ち、人権問題や軍による独裁的状況の改善を求めようとしない中国やロシアとの関係も深めている。
最近ではシシ大統領の権力が弱体化しているという見解もある。軍部や治安維持組織に対する大統領府の権力が弱くなり、大統領による改革が阻まれているようだ。立場が弱まっている大統領が、深刻化するエジプトの政治的・経済的危機を改善することは、自らが培ってきた軍による権力基盤との衝突を避けられず、困難を極めるだろう。仮に国際的な批判や制裁が本格的に行われ始めた場合には、危機は改善されるのだろうか。「アラブの春」は政権の腐敗や抑圧、失業への不満が原動力となり政権を打倒したが、同じように現在の危機的状況に対しても国民の不満が爆発し、さらなる混乱を招かないためにも、早急の危機的状況の改善が待たれる。
※1 1853年フランスの外交官フェルナンド・レセップスの説得を機に建設された。
※2 チェコスロバキアやソビエト連邦との関係が深まったエジプトに対し、英仏が約束していたアスワンハイダムへの融資の取りやめを決めたことを理由に、ナセル氏はスエズ運河の国有化を宣言した。スエズ危機時の利権はスエズ運河会社にあり、スエズ危機発生当時、会社の権益はイギリスとフランスにあった。当時エジプトとの関係が悪化していたイスラエル軍のエジプト侵攻に伴い、スエズ運河会社を所有していた英仏軍も運河地帯の占拠を行ったが、米ソの圧力により、イスラエル、イギリス、フランスは撤退した。
※3 1967年6月5日、スエズ危機以降のパレスチナ解放機構によるイスラエルへの攻撃とそれを支持するエジプトへの報復として、イスラエルが先制空襲を行った。わずか6日間で、イスラエルはシナイ半島、ガザ地区、ヨルダン川西岸、エルサレム旧市街地、ゴラン高原を獲得し、圧勝した。エジプトはこの紛争で11,000人以上の死傷者を出した。
※4 1977年にイスラエルに訪問して和平に転じた後、1978年9月、ジミー・カーター米大統領の仲介により、エジプトとイスラエル間でキャンプ・デービット合意が調印され、翌年の平和条約締結に繋がった。
※5 1954年には同胞団の一員と思われる人物がナセル氏の暗殺を試みたときには、何千人もの同胞団と疑われた人々が投獄された。
※6 新法では、既存組織や新規組織、外国組織などすべての組織に対し、事前の登録と政府の許可なしに「市民活動」(社会の発展を目指すあらゆる非営利活動と定義されている)を行うことを禁止している。登録手続きは不当な複雑さを持ち、違法とされた組織は解散と資産凍結の対象となり、その職員は無期限の恣意的拘束や刑事訴追を含む政府の抑圧にさらされる可能性がある。登録された組織にも事前承認が必要な活動がある。
※7 LGBTはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの略称である。人の性的指向や性自認を表現するために使われる。さらにクィアまたはクエスチョニング、インターセックス、アセクシャルなどを加えたLGBTQIA+が使われることもある。
※8 GNVでは世界銀行が定める極度の貧困ライン(1日1.9米ドル)ではなく、エシカル(倫理的)な貧困ライン(1日7.4米ドル)を採用している。詳しくはGNVの記事「世界の貧困状況をどう読み解くのか?」参照。
※9 2014年以降、リビアでは東軍司令官ハリファ・ハフタール氏率いる戦闘員が、国際的に承認された政府軍と戦っている。エジプトはハフタール氏を支援しているが、トルコはリビア政府軍を支援している。
※10 エチオピアでは、ナイル川のエチオピア側にダムを建設する際、対立が発生した。エジプトへの水の供給量や貯水量、水力発電の発電量の減少への影響が懸念であった。それ以来エチオピア国内の反政府抗議行動などのエジプトによる支援や、エジプト政府によるサイバー攻撃が見られるなど、関係は良好でない。なお2022年9月にエジプトはダムに関する交渉再開を求めていて、2022年11月にはシシ大統領はアメリカに交渉の仲介役となることを要請した。
ライター:Chika Kamikawa
グラフィック:Takumi Kuriyama
弾圧対象となる人を、街頭調査に加え、SNSやマッチングアプリからもあぶり出していくと聞いたことがあり、恐ろしく監視の目が行き届いているなと感じたことがありました。この記事を読み、弾圧行為のひどさがより一層分かりました。
ピラミッドの印象しか無い国でしたが、6万人の罪のない政治犯がいたり何百人を一気に裁いたりと、想像もつかない弾圧が繰り広げられていることに衝撃を受けました。写真からも様々な背景が垣間見えました。
状況の凄惨さに驚きました。「アラブの春」前の状況を見ているように感じました。力での支配が続けば、国内での悪化は避けられないと思います。国外からの働きかけにも限界があると思うと、どのようにすれば問題が解決できるのか…と思います。