トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は2022年5月末、国境付近からクルド系武装勢力を掃討することを名目に、シリアに対して新たな軍事作戦を実行することを発表した。トルコは2016年以降、3回にわたってシリアへの越境攻撃を行ってきた。武装勢力を退去させるため、シリア北部を占領し、トルコとの国境付近に「安全地帯」と呼ばれる幅30キロの緩衝地帯を設けようとしている。トルコの軍事行動は様々な国や人権団体から非難されている。
ヨーロッパ、アジア、黒海、地中海に囲まれたトルコは、その地理的条件を背景にシリアを含む複数の隣国へ軍事介入を行ってきた。近隣諸国だけでなく遠く離れた国もその対象となっている。またその他に軍事的・経済的支援も行い、他国に対して強気な姿勢を見せている。本記事では、トルコが現在どのような積極的外交政策を進めているのかを深掘りする。
トルコの過去と現在
現在のトルコ国土の大半を占めるアナトリア半島は、ローマ帝国やビザンツ帝国をはじめとして古代から多くの帝国が興亡してきた。1299年にアナトリア地帯の住民らがオスマン帝国を建国し、1453年にはビザンツ帝国を滅亡させ、支配領域のイスラム化を進める。オスマン帝国は16世紀の終わりまで急速に拡大していき、最盛期には、北は現在のハンガリー、西はアフリカ北西部のアルジェリア、南はエジプトやイエメン、東はペルシャ湾に至る広大な領土を有し、歴史的な大帝国と化した。しかし1683年に神聖ローマ帝国への遠征である第2次ウイーン包囲で大敗したことを端として帝国の縮小化が始まり、19世紀末にはかなり弱体化していた。
オスマン帝国は第一次世界大戦で、イギリスやフランス、ロシアの連合国側に敗北し、帝国が西欧列強に占領され解体される危機を迎えた。しかし軍司令官のムスタファ・ケマル・アタテュルク氏を指導者として、連合国による領土の分割に抵抗する運動が勢いを増した。1922年にオスマン帝国の皇帝が亡命したことでオスマン帝国が終焉すると、1923年にトルコ共和国が成立し、アタテュルク氏は選挙で大統領に就任、近代化に向けた改革を行った。1945年に国際連合に加盟し、1952年には北大西洋条約機構(NATO)に加盟している。
現在大統領を務めるエルドアン氏は、2003年に保守的なイスラム主義と庶民主義を掲げる公正発展党(AKP)党が政権を取った際の党首であり、2014年までは11年間首相を務めた(※1)。首相時代の前半には、高度経済成長に伴う生活水準の向上を経験し、また他国での発言力が向上したことで、エルドアン氏に対する好印象へと繋がった。その後、大統領選に立候補して当選し、2014年から現在まで大統領としてトルコを率いている。2018年に首相のポストを廃止し大統領制へと移行したことで、権威主義・独裁主義の傾向に拍車がかかっている。
彼の政策で特徴的なのが、積極的な外交戦略である。新興国として、また地域の大国として、軍事介入などの手段を通じてその影響力を強め、勢力圏を拡大したいという思惑が随所に見られる。以下に述べる諸問題を抱えながらも、介入の手を緩めない。まずトルコのアイデンティティに関する問題としては、根強く残るクルド人問題が挙げられる。独立国家の建設を目指すクルド人をトルコが封じ込める形であり、イラクやシリアへの攻勢を強める原因にもなっている。歴史的問題としてはアルメニア人に対するジェノサイドが挙げられ、こちらも今尚その確執は根強く残り、隣国との問題解決には至っていない。また東地中海では領域問題とエネルギー問題が密接に関わり、ギリシャやキプロスと歴史を遡るような論争を展開して敵対関係にある。さらにサウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)とは様々な側面においてライバル関係にあり、中東やアフリカなどでその対立関係が繰り広げられている。
強く、威厳のある国として振る舞うことを望むトルコは、軍事力の行使を利用する政策に方向転換したとされている。以下でこれらの問題やトルコの抱く野望を紐解いていこう。
クルド人問題と中東地域での立ち回り
トルコを取り巻く情勢を見ていく中で無視できないのが、クルド人というアイデンティティを持つ者たちとの関係である。トルコ、シリア、イラク、イラン、アルメニアの国境をまたぐ地域に居住するクルド人は約3,000万人にのぼると言われ、中東で4番目に大きな民族集団である。しかし各国では少数派であり、一度も永続的な国家を得たことがなく、差別や弾圧の対象となってきた。
第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れた際、勝利国であるイギリス、フランス、ロシアによって、戦後に中東地域を分割するための密約としてサイクス・ピコ協定が結ばれた。これに基づき、クルド人の居住地域に恣意的な国境線が引かれた。分断されたクルド人は反発し、この頃からクルド人国家の建設が叫ばれ始める。オスマン帝国と連合国との間で1920年に締結されたセーヴル条約によってクルド人の自治が初めて承認されたが、これはオスマン帝国の解体に等しい内容であった。すると前述のアタテュルク氏らはこれに反対し、1923年にトルコ共和国が成立すると、ローザンヌ条約が新たな講和条約として締結され、クルド人の独立に向けた動きは一転して否定された。
トルコ共和国建国後のナショナリズムの高揚により、トルコ的イデオロギーを守るため、非トルコ系のクルド人やアルメニア人を物理的またはアイデンティティ的に排除することが目指された。学校などでクルド語の使用が禁止され、またクルド人のための集会を開いたクルド人政治家が逮捕されるなど、厳しい取締りが続いてきた。1980年代頃、独立国家建設を目指す勢力であるクルド労働者党(PKK)がトルコ国内で武装闘争を開始すると、トルコによってPKKは「テロリスト集団」と見なされることとなった。
クルド人による自治や独立に向けた動きが見られたのはトルコだけでない。1980年代にはイラクで独立運動が発生したが、当時のサダム=フセイン氏の独裁政権によって厳しく弾圧された。またPKKはイラク北部で勢力を拡大しており、トルコによって標的とされてきた。トルコはイラク内部のクルド勢力の対立関係に付け入る形でイラク領内での勢力拡大を目指し、度々イラク北部に侵入してきたのである。2017年にはイラクのクルド人自治区で独立の是非を問う住民投票が実施され、圧倒的多数の賛成があったが、イラクやトルコが住民投票そのものを認めなかった。近年はPKKと和平交渉を進めていたものの、2022年4月に再びトルコ軍はイラク北部に侵入し、軍事作戦を開始した。クルド人問題を巡るイラクへの介入は、現在進行形で戦闘が繰り広げられている問題と言える。
トルコとクルド人との関係は、現在も続くシリアでの紛争においても大きな意味を持つ。シリアでは、2011年に起こった「アラブの春」と呼ばれる現象に端を発して、反政府勢力や過激派武装勢力とシリア政府当局との間で激しい戦闘が始まった。紛争が複雑化する中、2014年からはイスラム国(IS)が出現し、シリアの大部分を掌握するまでに急成長した。バッシャール・アル=アサド政権はISに対抗できる戦闘力を持つシリア国内のクルド人武装組織との共同討伐を試み、シリア北部を実効支配するクルド人民防衛軍(YPG)がIS掃討で大きな役割を果たすこととなった。YPGは戦闘において一役買った見返りとしてシリア北部での自治権の獲得を目指し、アサド政権に要求していたが、これを弾圧するためにトルコが同地域に侵攻した。本稿執筆現在も、再び介入に向けて準備を進めている。
トルコは、他国や一部地域でクルド人勢力が独立を果たせば、自国のクルド人も同様に自治要求を高めるのではないかと警戒しているのであり、クルド人に対する厳しい姿勢を崩していない。このようにクルド問題は、シリアやイラクとの領土問題も絡み、解決にはほど遠い状況が続いていると言える。
その他の近隣諸国との問題
トルコはクルド人問題以外でも軍事介入を進めてきた。まずは東地中海の覇権を巡る争いのうち、キプロス島に関する問題について述べる。キプロス島は12世紀から13世紀にかけて十字軍国家によって支配され、ギリシャ系の人々が居住した。16世紀にオスマン帝国に征服されたことでイスラム化が進み、ギリシャ系住民とトルコ系住民が共存する形となった。その後帝国主義のイギリスが支配したが、キプロス島は1960年に独立し、キプロス共和国が建国された。しかしギリシャ系住民とトルコ系住民との間で対立が続く中、1974年にギリシャ系住民がクーデターを起こした。これに対しトルコはトルコ系住民の保護という名目で軍事介入を行い、その結果キプロス島は南北に分断された(詳しくはこちら)。
このキプロス島周辺で現在、キプロスやギリシャ、トルコによるエネルギー資源を巡る覇権争いが繰り広げられている。トルコでは人口増加、経済成長が急速に進んだことでエネルギー需要が大幅に増加し、石油や天然ガスなどの輸入への依存度が高まってきた。ここからの脱却をはかりつつエネルギー供給を安定させるために、トルコは新たな海底資源を手に入れる機会を窺っていたところ、2018年に東地中海のキプロス沿岸で巨大な天然ガス田が発見された。トルコはこの資源を確保するべく海洋管轄権を主張しているが、キプロスやギリシャの主張と衝突している。このようにトルコは、東地中海においてキプロスやギリシャと歴史的に対立関係にあり、また現在はエネルギー資源を巡る覇権争いを繰り広げている(詳しくはこちら)。
また、トルコはアフガニスタンにおいても軍事介入を行い、その存在感を増して地域の有力国としての地位を高めようとしてきた。2001年からアメリカを筆頭とするNATO諸国が軍事介入を行い、荒廃したアフガニスタンは不安定な情勢が続いてきた。トルコは元来、NATO加盟国の中でもムスリムが多数を占める親イスラムの国家であり、アフガニスタンからも一目置かれる存在であった。トルコは2003年以降アフガニスタンに軍を派遣し、首都カブールにおいて治安部隊の一員となり、軍事訓練などを実施してきた。しかしNATO諸国が各国軍を2021年9月までに撤退することを表明し、トルコも自国の軍を撤退させた。その間近となった8月にタリバン政権が復活した。アフガニスタンの安定化に貢献することで国際的な信頼を得ようという企みだとされた。
さらに、トルコはアゼルバイジャンとアルメニア間の紛争にも関与している。トルコの東側で国境を接するアルメニアは、第一次世界大戦時にオスマン帝国によって行われたアルメニア人大虐殺の歴史を持ち、トルコとの国境を閉鎖し外交関係は断交したままである。一方でアルメニアのさらに東隣に位置するアゼルバイジャンとトルコは、歴史・言語・文化的な繋がりが強く、友好的な関係にある。アゼルバイジャン内にはナゴルノ・カラバフと呼ばれる地域が存在し、この領有権を巡って1990年代にはアルメニア系住民とアゼルバイジャン系住民との間で紛争に発展した。当時はアルメニアによる支援を受けたナゴルノ・カラバフがアゼルバイジャンからの独立を宣言し、アゼルバイジャン領をも占領した(詳しくはこちら)。しかし1994年の停戦以降も散発的な衝突が続き、2020年の7月と9月にも再び本格的な軍事衝突が発生した。この際にトルコはアゼルバイジャンを支援するため、2020年10月に複数の戦闘機を駐留させ、またトルコ製のドローンを供給するなどした。結果アゼルバイジャンが事実上勝利し、ナゴルノ・カラバフの領土の大半を奪還した。
このように、トルコは中東地域だけでなく、東地中海や中央アジアにまで顔を出し、地域で威信を高めている。
アフリカ地域への積極的な外交政策
トルコは大陸を超えたアフリカにおいても軍事介入を行っている。ソマリアやスーダンに対する軍事的・経済的支援の他に、リビアに対して軍事介入を行っており、トルコの影響力を強めようとしている。
アフリカの北東部に位置するソマリアは、長年にわたる紛争、また統治政府の不在といった背景を持ち、非常に不安定な情勢が続いてきた。2011年7月には大飢饉が発生し、約25万人が命を落としたとされる。この飢餓を機に、トルコは教育や保健の設備投資など大掛かりな人道的支援をいち早く行い、ソマリア国民からも高い評価を得た。また、トルコは2017年にトルコ軍の基地としては国外最大の基地をソマリアに開設し、荒廃したソマリアを再建させることを名目に、トルコ軍がソマリア兵を訓練している。2020年には、ソマリア政府からの要請という形で石油開発において協働することが発表された。
トルコは一見ソマリアに歓迎されてようにみられるが、搾取や汚職の助長に加担しているという批判もある。支援開発という名目での関与も、ソマリアの脆弱な政治体制を利用した悪徳な取引であるという見方もある。ソマリアにはサウジアラビアやUAEも影響力を及ぼそうとしており、勢力圏争いのような側面も見られ、トルコとサウジアラビア・UAEとのライバル関係がソマリアで影響力を及ぼしたとも言える。
またトルコは、同じく北東部のスーダンでもプレゼンスを高めようとしている。スーダンでは2011年に南部が南スーダンとして分離独立し、北部のスーダンは南部の主要産物であった石油資源を失った形となった。他国企業からの投資を呼び込むなどしたこの頃から、トルコのスーダンへの進出が強化された。すると2017年12月に交わされた貿易や安全保障協力に関する合意において、スーダンのスアキン島を99年間トルコに貸与し、再開発を行うと発表された。スアキン島は紅海を挟んでサウジアラビアと対峙し、また北にエジプトがあるという、地政学的に重要な位置に存在しており、トルコの進出は両国から警戒されている。このスアキン島の再開発権利を得たことは軍事力拡大の一環であるとの懸念も出ている。トルコはスーダンに軍事施設を設置し、紅海への進出の足がかりとして捉えている可能性があるとする見方もある。
さらにトルコは、2020年には遂に北アフリカのリビアにて軍事介入を行った。リビアでは2011年に起こったアラブの春を機に長期独裁政権が崩壊したが、新たな中央政府が確立せず、混迷に陥っていた(詳しくはこちら)。複数の勢力が興隆してきたうち、政権として国家統一政府(GNA)が誕生し国際的に認められた。それに対して、リビア国民軍(LNA)という勢力が、リビアの首都でありGNAの拠点であるトリポリの制圧を目指し、攻撃を開始した。するとトルコはGNA側に介入するため、2020年1月にはリビアに軍隊を配備した。トルコはLNAを支援するロシア、UAE、エジプトと間接的に対立することとなった。トルコ・リビア間の領海には天然ガスが埋蔵されており、トルコの軍事介入にはこの資源へのアクセスを確立させる狙いがあるとされている。トルコの介入によってGNAは生き残り、やがてLNAとの停戦合意も実現したが、現在も状況が不安定である。
展望
ここまで見てきたように、トルコは中東や東地中海といった近隣諸国だけでなく、中央アジア、アフリカに至る広範囲に足がかりを作り、経済的支援、軍事的支援、そして軍事介入にまで乗り出している。トルコによる軍事介入については、国際的に認められた勢力を支援する目的であると捉えられる場合がある一方、他国の一部を侵攻し、占領することが目的であるとされる場合もある。安全保障上の脅威からトルコを守るためであるのか、もしくは自国の利益を拡大するためであるのか、目的は様々であるとしても、情勢の不安定な複数の国や地域に介入しているのは事実である。エルドアン大統領は、紛争状態を解消させる役割を果たし、新興国として地域の大国に成り上がることを目論んでいるという見方もある。その積極的な介入政策はどこまで繰り広げられるのだろうか。今後の動向を注視していきたい。
※1 エルドアン氏が当選した2014年の大統領選挙までは、トルコの政治体制は首相を中心とする議院内閣制であった。国家元首は大統領とされたが、憲法の規定によると大統領は行政権を有さず、首相の裁量が大きかった。しかし2017年4月に憲法改正国民投票が行われ、かろうじて過半数の賛同を得たことで、首相のポストは廃止された。2018年6月に再選したエルドアン大統領選は、大統領制への移行を実現し、立法や司法にも絶大な影響力を有することとなった。
ライター:Manami Hasegawa
グラフィック:Haruka Gonno
トルコについて、こんなにもごたごたしてるなんて知りませんでした。トルコに限らず、ロシアの影でいろいろやってる国がありそうだと思いました。