インドネシアは2億6,300万人と世界4位の人口の島国だ。西端のスマトラ島から東端の西パプア州までは5,120kmも離れている。この大きく広い国では世界4位規模の5,500万人の生徒が学んでいる。しかし、教育水準には多くの問題がある。2012年、65カ国・地域の15歳男女を対象に数学、理科、読解力を調査するPISA(国際学力調査)が行われた。ここで、インドネシアは65カ国・地域中、数学64位、理科64位、読解力60位という結果が出た。これは同じ東南アジアのタイやベトナムやマレーシアを下回る結果となった。大学教育に関しても、2017年度の世界大学ランキングにインドネシアの大学は800位代にわずか2校が入るのみであった。この背景にはどんな問題があるのだろうか。
まず、「教育の質」の問題が挙げられる。ここで大きな要素となるのが「教師の質」だ。インドネシアは、教師の養成度合い、教師の収入環境に大きな問題がある。RTEI(教育権利調査)の統計によると、インドネシアで、教師になるための適切な指導を受けた教師の割合は、初等教育で約45%、中等教育で約48%と、共に半数を下回る。また、インドネシア教師は収入が低い。その結果、教師の副業が起こっている。これら教師の質の低さに絡んだ諸問題の根本には、政府によって教育に割り当てられた予算が少ないことが挙げられるだろう。世界銀行の統計によれば、インドネシアでは教育に対する政府支出の対GDP比は約3%と、世界平均(4.6%)より少ないことに加え、ベトナム、マレーシアといった周辺国の比率よりも低い。つまり、教育に使える政府支出が少ないため、教師の給料、養成に割り当てられる予算も少なくなる。したがって教師の本職専念が阻害され、結果的に教師の質を下げる原因となっているのだ。

インドネシアの授業風景(2009年)撮影者:Roman Woronowycz
次に、「教師の質」と同様「教育の内容」も問題だ。インドネシアは教師に対する生徒の服従が根付いた教育文化を持っており、教師の教える内容に生徒が疑問をもつことは少ない。また、学習形式も丸暗記が中心である。そのため、本来学びで育むべき発想力や創造力がなかなか養えない。また、2013年にインドネシア政府は初等教育に新カリキュラムを導入した。理科、地理、英語の授業を減らし、宗教や国民意識に焦点をおく授業を増やしたものだ。このカリキュラムは教育方法の改革として丸暗記の教育スタイルを改善する狙いもある。
また、「教育機会の不平等」という大きな問題もある。都心部と周辺部で教師数に大きな差がある。2014年、UNESCO(国際連合教育科学文化機関)の統計によると、インドネシアの教師1人当たりの生徒数は12.5人、一方で世界平均は17.9人、先進国で13.6人であった。これを踏まえると決して教師数不足しているわけではない。教師の需要と供給のバランスが国全体でうまくとれておらず、周辺部では教師数が不足、逆に都心部では過多が起きているのだ。
教育の諸問題の背景には腐敗問題も潜んでいる。これは行政と教育受給側どちらにも問題がある。まず行政側については、インドネシア腐敗調査によると、税金から教育に配分された中で40%もが実際の学校現場、教室に届く前に抜き取られているとされている。教育受給側の問題は、主に賄賂問題だ。自分の子供が入試に受かるよう、学校にお金を払うような賄賂問題が横行している。結果、経済的に豊かな人しか高いレベルの教育を受けられなくなってしまう。それが教育の不平等につながっている。
ところで近年、教育水準に関わる問題とは別に、インドネシアの教育において注目すべき点がある。教育と宗教の関わりだ。インドネシアの教育は、宗教と深く結びついている。教育機関は教育文化省と宗教省の2つの機関が運営しており、教育文化省は一般の公立学校(スコラ)を、宗教省はイスラム系の学校(マドラサ)を運営している。双方の学校で宗教の授業を行っているが、マドラサの方が宗教教育に重点を置き、宗教の授業に時間を割いている点が異なる。

マドラサの様子(2013年)撮影者:Rachmat Wahidi (CC BY-SA 3.0)
現在、インドネシアのイスラム教のあり方に大きな影響を与えているのが中東の国、サウジアラビアだ。どちらも世界有数のイスラム教信者が多い国だが、イスラム教のあり方は大きく異なっている。インドネシアは穏健派の傾向があり、憲法で信教の自由が保障されている。世界で一番イスラム教徒の数は多いものの、多民族国家であり宗教にも地理的多様性がある。一方でサウジアラビアはイスラム教を国教とし、それ以外の宗教を信仰することは禁じられ、国籍取得には、改宗が義務づけられている。同じイスラム教の中でもイスラム教原理主義であるワッハーブ派に絶対的優位をおき、他の宗派に対しては否定的だ。
サウジアラビアは近年、インドネシアが世界最多のイスラム教徒数であることに着目し、教育の資金援助を通じて、サウジアラビアで信仰されているワッハーブ派のインドネシアへの普及を狙っていると考えられる。教育の現場は、子供達の価値観や考え方に多大なる影響を与える場だ。そこで、サウジアラビアの動きはインドネシアのイスラム教のありかたに大きな影響を与えるだろう。インドネシア特有の寛容なイスラム教のあり方、宗教的多様性が損なわれてしまうのではないかと懸念される。
インドネシアの今後の発展には、教育水準の向上は大きな鍵を握るだろう。2013年の新カリキュラム導入は現存の課題解決につながる部分もある。2015年に行われたPISAの調査では、数学、理科、読解力のいずれにおいても改善が見られた。しかし、科学技術や研究の基礎となる理科、グローバル社会で重要な英語などの学習開始時期が遅れることは新たな課題としてある。加えて、金銭的腐敗への厳重管理体制、国家予算の配分改革、教育機会の格差解消、と国が抱えることは多い。さらには、サウジアラビアとの国家関係をどう進めるかによって、イスラム教から受ける国家教育のあり方が変化する可能性は高い。今後もインドネシアの教育問題にどのような動きがみられるか注目したい。

登校中の児童(インドネシア、2009)撮影者:Madrasah Education Development Project in Indonesia (CC BY-NC-ND 2.0)
とある公立高校にて教員をしている者です。
教員の質に関して言えば、日本でも疑問視されていますよね。インドネシアでいう賄賂のような金銭面での不祥事は聞かれませんが、体罰などその言動に問題があった事件は毎日のように報道されています。となれば、やはり教員養成段階や、現職の教員に向けた教育の充実は不可欠であると言えます。いわゆる「教育先進国」といわれているフィンランドでは教員になるには大学院を卒業することが必須となっているそうです。急激に改革することは難しいでしょうが、日本もインドネシアも何かしらの対策は必要ですね。
あとは、教員の待遇面も重要です。日本では教員の副業は法律で禁止されているので、インドネシアのような問題は起こりえないですが、それでも残業代というものが無かったり部活動手当が少なかったりと、業務が給料に見合っているかどうかは疑問視されています。(私個人としては現時点で大きな不満はありませんが。)さらに、必ずしも基本給が労働量に比例しないという、公務員ならではの給与体系も時に問題となります。語弊を恐れずに言えば、「頑張らなくても」同期と同じ給与がもらえる、という状況ができあがり、フリーライダーのような存在が出現してしまうことも少なくないと思います。教員のモチベーション維持にも大きく影響する給与体系は、これからどう見直されていくのか、海外にも目を向けながら注視していかなければいけませんね。