世界では、1年間に平均約144,500回もの地震が発生している。そしてそのうち約5,000回は日本とその周辺が震源地である。特に、M6.0以上の地震に関しては、約13%が日本で起きている。やはり日本は世界的に見ても地震大国なのである。突発的かつ大きな爪痕を残す地震は、今まで人々に甚大な被害をもたらしてきた。日本にとって地震はかなり身近な災害であり、人々の関心もとても高い。実際、以前のGNVの記事では、日本では世界のあらゆる災害の中で特に地震について多く報道されていることが分かっている。

2016年のエクアドル地震で倒壊した建物とメディア (写真:Galeria del Ministerio de Defensa del Perú /Wikimedia Commons [ CC BY 2.0])
しかし、日本における国際報道全般において、大きな地域的偏りの存在が確認されている。中南米やアフリカ、オセアニアなどの地域は報道量が少ない傾向にあるのが現状だ。また、工業先進国と貧困国の差も大きく、貧困国の情報はなかなか報道されにくい。しかし、この地域的偏りは、国内の関心度が比較的高い地震についても同様に見られるのだろうか?また、死者数やマグニチュードなど、地震の規模をはかる指標には様々なものがあるが、報道量を決定づける要因となるものは一体何なのだろうか?
報道された地震
今回は、毎日新聞をもとに2008年から2017年までの10年間で、日本で報道された世界の地震について分析した。対象は、震源地が日本以外のもので、かつ発生から1か月の間に報道されたものである。報道量の多かった地震は以下の表のとおりである。
報道量の多かった順に、中国四川省、ニュージーランド、ネパールの地震がトップ3に挙げられる。また、中国で発生した地震は10位以内に3回も登場している。
新聞で大きく報道されたこれらの地震は、果たして「規模の大きかった地震」なのだろうか?日本でより報道されたのは死者数の多かった地震だろうか?それとも、マグニチュードの大きかった地震だろうか?
地震の規模と報道
まずは人的被害の大きさと報道量の関係について見ていきたい。地震による死者数の多かった地震、またその報道量は以下のグラフのとおりである。
グラフから、人的被害の大きさと報道量はある程度関係しているということが分かった。死者数の多い地震は、日本でも注目され、報道されているようだ。したがって、人的被害の大きさは報道量を決定する1つの要因になっていると言える。しかし、ランキングとして並べたときに、報道量の多い地震と人的被害の大きい地震は完全に一致するわけではない。死者数が多ければ、それに比例して絶対的に報道量も増えるとは言えないのだ。実際、パキスタンやエクアドルなどは、死者数が多いにも関わらず、極端に報道量の少ない事例として挙げられる。その2つをはじめ、死者数トップ10には登場するのに報道量トップ10には登場しない地震は4つある。また、ハイチの地震に関しては、死者数が他の地震と大きく差をつけて1位であり、大統領官邸が潰れてしまうほどの大地震であったにも関わらず、報道量は4位である。それとは逆に、死者数トップ10には入っていないが、報道量トップ10に入っているものとして、ニュージーランドやイタリア、台湾、2013年の中国四川省の地震が挙げられる。このように、人的被害自体はそこまで大きくなくても報道量はかなり多くなっている場合もある。このような差は何を決め手に生じるのだろうか?

2010年のハイチ地震で倒壊した大統領官邸 (写真:Marco Dormino /Wikimedia Commons [ CC BY 2.0])
次に、マグニチュードの大きさと報道量の関係について見ていきたい。マグニチュード8.0以上の地震は、10年間で9回起きており、7.0以上の地震は148回起きている。このうち、毎日新聞で報道されたものはたった38件、約24%である。どうやらマグニチュードの大きい地震であれば、必ず報道されるというわけではないらしい。また、マグニチュードが7.0未満の地震で、日本で報道されたものは52件ある。これらのことから、単にマグニチュードの大きさが報道量を左右するわけではないようだ。
地震報道の決め手とは?
ここまでの分析の結果から、人的被害の大きさと報道にはある程度関連があるということが分かったが、人的被害の大きさと報道量に差が出てしまうのはなぜだろうか?被害者数が少なくても報道されるケース、被害者数が多いのに報道されにくいケースが存在してしまう理由は何だろうか?これには、日本と関連した地震かどうかや、地震の起きた国が日本に馴染みのある国かどうか、また現地へのアクセスのしやすさなどが要因として挙げられそうだ。
2011年にニュージーランドで発生した地震では、死者185人のうち、28人が日本人であった。被災した日本人には留学生が多く、その捜索のための国際緊急援助隊の活動の様子が記事の話題として取り上げられた。記事数で見ると、日本人被災者のことについて書かれたものは55%以上にのぼる。やはり、この地震が日本に強く関わるものであったために、報道量も増えたのだと考えられる。また、このニュージーランドの地震や2016年のイタリアの地震に関しては、日本にとってこれらの国が旅行先としてメジャーであることから、メディアの目が向きやすく、報道量も増えたのだと考えられる。さらに、これらの国が工業先進国であることも関係するだろう。先にも述べたように、日本の国際報道では工業先進国の話題が優先的に取り上げられ、貧困国の話題は取り上げられにくい傾向がある。この傾向は、地震報道においても少なからず反映されていると言える。

2011年のニュージーランド地震で倒壊したクライストチャーチ聖堂 (写真:Andy Miah /Wikimedia Commons [ CC BY-SA 2.0])
また、上のグラフからも分かるように、台湾や中国など、近隣諸国で起こった地震は報道量も多くなりやすく、死者数などの被害状況も頻繁に更新される傾向にある。日本や特派員が滞在している都市から短時間で行けるという、アクセスのよさが関係しているのだろう。それに加えて、その国の主要都市からの距離も重要だ。例えば、2016年にエクアドルで発生した地震の震央はムイスネ付近であったが、ここは首都かつ空港を持つ都市、キトから344㎞も離れている。また、2011年にトルコで発生した地震の震源はワン付近であったが、これはトルコの主要都市であるイスタンブールから1,500km以上も離れており、首都のアンカラからも1,000km以上離れている。この2つの地震が報道量トップ10にのらなかった要因の1つとして、主要都市からのアクセスのしにくさ、つまり現地での長期取材のしにくさが挙げられるだろう。このように、震源地付近へのアクセスのしやすさも報道量の決め手となりうる。
そして、日本の地震報道には、津波も大きく関係している。マグニチュードの大きい地震の中で、人的被害がほとんどなくても報道されているものがある。その地震に関しては、大抵の場合、津波についての情報が記述されている。日本への津波の影響が考えられる場合だけではなく、影響がない場合も情報として報道される。メディアが津波に敏感になっている背景には、2011年の東日本大震災の発生以来、日本での津波に対する警戒心がますます強くなったことが挙げられるだろう。このように、マグニチュードそのものと地震報道の間にはあまり強い関連は見られなかったが、津波とはある程度関連があると言える。

2010年のチリ地震での津波で打ち上げられた船 (写真:U.S. Geological Survey /Wikimedia Commons [ CC BY 2.0])
また、地震報道では、「〇日ぶりに救出!」、「〇〇時間ぶりに救出!」、というようなタイトルのものを見かけることも多い。奇跡の生還に人々が感動し、マイナスなものが多くなりがちな地震報道に一抹の喜びがもたらされる瞬間である。このような類の記事では、赤ちゃんを含む子供や高齢者が対象になることが多い。実際、2008年の中国の地震では9日ぶりに98歳の女性が、2011年のトルコの地震では46時間ぶりに赤ちゃんが、2016年の台湾の地震では61時間ぶりに8歳の女の子が救出されたと報道された。やはり、大人よりもか弱い存在である子供や高齢者の生還にはより一層人々の注目が集まり、感動を呼ぶのだろうか。以前の、タイの洞窟事故に関するGNVの記事で見出されたようなメディアの傾向、救出劇などのドラマチックなストーリー性のあるニュースを選んで報道している、というのは地震報道にも同様に当てはめられそうだ。
地域格差と地震
ここまで地震報道の分析結果、そこから見出される傾向について述べてきたが、ここでもう一度、地域格差と地震報道の関係に目を向けたい。報道における地域格差は、以前からGNVでも取り上げてきた課題の1つである。今回の分析で、地震報道での地域格差は全くないわけではないが、他の事例や国際報道全般と比べてそれほど大きなものではないことが分かった。大規模な地震が起き、大きな被害が発生すれば、どんな地域であってもある程度報道される。日本における国際報道で地域格差がそれほど大きくないケースは非常に珍しい。過去に様々な地震を経験してきた日本では、新聞の読者、編集者ともに地震というものを身近に感じており、地震の起きた国に対して共感できる部分も多い。また、突発的で激しく、一気に大きな被害をもたらす地震は、被害状況や救出活動などに関する情報への需要も高い。そういった意味で、地震は報道の価値も高く、報道しやすい。普段、日本における国際報道で起こりがちな地域格差はある程度解消してしまうほど、地震は注目度の高い話題であり、誰もが地震というものに対して敏感なのであろう。
日本における国際報道に関して、地域格差が大きくないケースも存在するということが分かった。地震以外の話題に関しても、日本の目が地域格差を越えてより一層広く、まんべんなく世界に向くことを願うばかりである。
ライター:Wakana Kishimoto
普段GNVでは、地域格差を認識させられることが非常に多いのですが、今回の記事で地域格差が見られない事例のあるのだと知り、少し安心しました笑