2025年、パラグアイで発生した一連の大規模な抗議運動は、同国の統治における深刻な構造的問題を露呈した。2023年からパラグアイ大統領を務めているサンティアゴ・ペニャ現政権に対して、1年で4件の規模の大きい抗議運動が発生した。抗議参加者および人権団体によれば、現政権が発足して以降、表現の自由およびその他の市民の権利は著しく後退している。さらに、複数の事件により、政府高官と組織犯罪とのつながりが明らかになっている。
パラグアイでは明確な民主主義の侵食が目撃されている。汚職スキャンダル、深刻な不平等、社会的不満、そして言論の自由の欠如が、1989年の民主化以降で最悪の政治状況をもたらしていると主張する者もいる。
本記事は、現在の危機に至る歴史を簡潔に探る。その上で、言論の自由、少数派の権利、社会状況、政治的説明責任といった分野における後退を分析する。

国立英雄霊廟、アスンシオン ((写真:Gilmar Mattos / Wikimedia Commons [CC BY-NC-SA 2.0] )
目次
歴史的背景
パラグアイの国家形成は、植民地支配、戦争、独裁、そして制度的脆弱性によって大きく形作られてきた。
現在のパラグアイ領には長年多様な先住民族が居住しており、その言語や社会制度は地域のアイデンティティを形成してきた。その先住民の言葉や文化は現在も明確に残っており、特にグアラニー語はパラグアイ社会に深く根付いている。1530年代にパラグアイがスペインの植民地支配下に置かれた。グアラニー人のリーダーは他の敵対的な先住民族から身を守る狙いもあり、スペインからの入植者と同盟を結んだ。やがて、グアラニー人とスペイン系入植者との間の通婚が一般的になった。
このような先住民と植民地入植者の通婚から生まれた人々は「メスティーソ」として知られるようになった。彼らは次第に植民地制度へと統合されていった。一方、パラグアイの他の先住民族は徐々に少数派となった。時間の経過とともに、メスティーソ人口と他の先住民共同体との間に緊張が高まった。メスティーソ多数派は次第に先住民の労働力と土地を搾取するようになり、それが強力な地方地主層の台頭につながった。先住民共同体は周縁化され、土地を奪われ、政治経済の基盤の周辺へと追いやられた。
19世紀初頭、ナポレオンのスペイン侵攻により、パラグアイにおけるスペインの支配は弱体化し始めた。南米全域で植民地支配の正統性が崩壊する中、パラグアイは1811年に独立を宣言した。しかし、独立は国内の社会的・民族的集団間の内部的分断を解決するものではなかった。

戦争、軍事化、政治的不安定
独立後、パラグアイは南米における地域的勢力と領土をめぐり、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイと壊滅的な戦争を戦った。この戦争は後に三国同盟戦争(1864–1870年)として知られる。この戦争は国を壊滅させ、パラグアイは総人口の最大半数を失った。これにより、広範な領土喪失、インフラの破壊、巨額の戦争債務が生じた。
その後、政府は歳入確保のため、広大な公有地を外国投資家や企業、特にイギリス、アルゼンチン、ブラジルの買い手に売却した。その結果、少数の地主による大規模土地所有が進み、土地所有の不平等が拡大した。その多くは伝統的に先住民が居住していた地域と重なっていた。これにより、植民地期およびその後に歴史的に土地を奪われてきた先住民共同体の不満はさらに高まった。
1870年から1930年代初頭にかけて、政党間の政治的対立が繰り返し文民統治を不安定化させ、軍を政治に引き込んだ。これらの対立はしばしば反乱や武力衝突へとエスカレートした。これらの紛争はしばしば軍の介入によって解決された。この政治的慣行を通じて、軍は権力の決定的な仲裁者となった。パラグアイとボリビアの間で戦われたチャコ戦争(1932−1935年)は、軍を中心的な政治的アクターとしてさらに強化し、軍事化された統治のパターンを強固なものとした。
ストロエスネル政権と権威主義体制
軍事化された政治と脆弱な文民統治という文脈の中で、アルフレド・ストロエスネル将軍は1954年の軍事クーデターによって権力を掌握した。彼の政権は、反対勢力を抑圧し、統治における軍の役割を強化することで、長期的な政治的支配を維持することを目指した。冷戦期に権力を掌握した彼の政権は、強い反共主義的立場と自らの政策を支持する他国との協力を通じて抑圧を正当化した。
これには、左派勢力を排除するために南米の複数の軍事政権が協調して行った越境作戦である「コンドル作戦」へのパラグアイの参加も含まれていた。ストロエスネル政権は、冷戦期において彼の政権を戦略的な反共主義同盟国と見なしていたアメリカからも、政治的、軍事的、情報面で多大な支援を受けた。
ストロエスネル政権下では、治安部隊はほぼ完全な不処罰のもとで活動していた。独裁期における大規模な土地再分配は農業不平等を制度化し、先住民および農民に不均衡な影響を与えた。小規模農民は正式な土地権利証を欠くことが多く、土地収奪や国家による土地没収に対して脆弱であった。ストロスネルの下で、何百万ヘクタールもの公有地が国家のプログラムを通じて配分されたが、大部分は土地を持たない農村の家族ではなく、軍の幹部、政治的同盟者や政権の支持者に渡った。

アルフレド・ストロエスネル将軍とミス・パラグアイ、1965年(写真:Valenescribanoa / Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0] )
同時に、ストロエスネル氏は経済戦略の一環として、ブラジル人による大規模商業的入植を促進した。これらの政策は土地不平等を激化させ、農民および先住民共同体に広範な土地喪失、抑圧、強制移住をもたらした。先住民は依然としてパラグアイで最も周縁化された人口集団であり、約14万人が慢性的な貧困と制度的放置に直面している。
1989年、ストロエスネル氏は、上級軍司令官であり彼の元同盟者でもあったアンドレス・ロドリゲス将軍によって打倒された。このクーデターは、経済的不満、汚職疑惑、後継争いがストロエスネル氏の支持を弱体化させる中で、政党および軍内部での分裂が拡大したことを受けて発生した。冷戦終結期の国際環境の変化も、地域における長期的な権威主義政権に対する外部の容認を弱めた。
その後、ロドリゲス将軍は憲法改革を開始し、それは1992年憲法および1993年選挙へと結実した。これにより、正式な民主化移行が始まった。しかし、この新憲法が公式に民主主義を回復させたとはいえ、独裁後も多くの国家機関は十分に再編されなかった。前政権下で奉職していた官僚は司法、治安機関、公共行政の中で影響力を維持し、制度刷新を制限した。
現代パラグアイにおける組織犯罪と汚職
安定した民主的統治の発展は、組織犯罪の台頭によっても阻害された。2000年代半ば、パラグアイは主要な麻薬生産国と南米の他の麻薬輸出国との間に位置する地理的条件により、地域的な組織犯罪の拠点のひとつとなった。この時期、南米の組織犯罪ネットワークがより越境的かつ多様化したため、活動は拡大した。
コロンビアおよびメキシコでの取り締まりが強化されるにつれ、麻薬の密輸ルートは変化・拡大し、パラグアイは通過国としての利用が増加した。この傾向は、パラグアイがブラジルとボリビアと接する国境地帯である「三国境」地域において特に顕著となった。この地域では、日々大量の商業および旅客交通が行われており、効果的な検査能力が限られている。密輸活動はまた、密輸ルート沿いの国境・治安当局者の間の汚職や賄賂によって可能となっており、取り締まりの実効性を低下させている。

パラグアイとの国境付近にあるボリビアの関税局(写真:hipaguasustudios / Wikimedia Commons [CC0 1.0] )
ボリビア、ペルー、コロンビアで生産されたコカインの一部は、ブラジルやアフリカ経由でヨーロッパなど域外市場へ向かう前にパラグアイを通過する。パラグアイは麻薬生産国でもある。同国は国際的な麻薬統制機関によって、主要な大麻生産地として繰り返し特定されてきた。アメリカ政府が発行する国際麻薬統制戦略報告書の2024年版は、パラグアイを世界の大麻生産国上位5か国の一つに位置付けている。
時間の経過とともに、これらの違法経済は政治および国家機関とますます交差するようになり、汚職や公的共謀に対する懸念が高まった。こうした懸念は、マリオ・アブド・ベニテス大統領(2018–2023年)の政権期により顕著となり、公務員が組織犯罪ネットワークと結びついているとの疑惑が浮上した。
2022年、パラグアイ当局は組織犯罪およびマネーロンダリングに関連する推定1億米ドル相当の資産を押収した。押収資産には高級車、邸宅、牧場、農地、企業、銀行口座、麻薬資金のローンダリングおよび移動に使用された物流会社が含まれていた。報道によれば、ベニテス大統領と関係のある政府高官がこの事件に関与していた。近年の捜査では、法執行機関の麻薬取引関与疑惑も浮上しており、国民の懸念を強めている。2024年には、過去最大規模となる57,000キロの大麻押収に関連して、40人の警察官が逮捕された。
パラグアイの現大統領サンティアゴ・ペニャ氏は、ベニテス氏の任期終了に伴い、2023年に就任した。ペニャ氏の当選以降、トランスペアレンシー・インターナショナルが発表している汚職認識指数(CPI)によれば、汚職認識は悪化している。1989年のストロエスネル政権打倒後に民主化は見られたものの、汚職、抑圧、組織犯罪はパラグアイにとって歴史的遺産となった。

パトロールカー、エンカルナシオン市(写真:Horacio Cambeiro / Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0] )
社会的不平等、土地権、そして公衆衛生
犯罪と汚職は、パラグアイが直面しているより広範な社会問題の症状であろう。グローバル・ステート・オブ・デモクラシー枠組み(GSoD)は2025年の報告において、パラグアイが「政治的平等」「社会集団間の平等」「経済的平等」の各カテゴリーで世界全体の下位25%に位置していると報告した。一方で、「権利・代表・参加」のカテゴリーでは中程度のパフォーマンスを示している。同報告はまた、2020年から2024年の間に、立法府が行政府を監督し、独立して法律を制定し、不当な政治的干渉なしに機能する能力を評価する「有効な議会」指標において、同国が大きな低下したと指摘している。
さらに、パラグアイの統治上の課題は、土地不平等および農村農民の周縁化と密接に関連している。これらの問題はストロエスネル政権の遺産に根ざしており、依然として大部分が未解決のままである。
例えば、2005年、米州人権裁判所は、パラグアイ政府がヤクイェ・アシャ先住民の権利を侵害したと判決した。彼らの先祖伝来の土地はストロエスネル政権期に民間の牧場経営者へ移転され、このコミュニティは伝統的領域へのアクセスを失っていた。裁判所は土地の返還および基本的サービスの提供を命じたが、その履行は大幅に遅れた。その結果、共同体の構成員は補償を待つ間、食料、水、医療への限定的なアクセスに直面し続けた。
さらに、2025年5月、国立農村開発・土地研究所(INDERT)は、抗議活動に参加した者が土地の権利証発行および正規化プログラムへのアクセスを失う可能性があると警告した。人権団体は、土地権へのアクセスを政治的服従と結びつける強圧的慣行に懸念を表明し、パラグアイにおける市民的権利侵害のより広範な構造的問題を指摘した。また、司法制度が強力な地主を優遇し、土地紛争において公正な解決を提供していないと非難している。
パラグアイでは、公衆衛生分野においても深刻な状況が見られる。パラグアイでは10人中7人が医療保険を持っていない。多くの人々が医薬品、診断検査、治療の費用を自己負担で支払わざるを得ない。年間医療支出の約10米ドル中4米ドルが、人々の自己負担から直接支出されている。

環境問題について議論する先住民のコミュニティ(写真:350.org / Flickr [CC BY-NC-SA 2.0] )
2024年のアムネスティ・インターナショナルの報告は、地理的孤立、インフラ不足、医薬品不足により、先住民コミュニティが医療を断念することが多いと指摘した。パラグアイはまた、公的医療支出に関して、国内総生産(GDP)の6%というパンアメリカン保健機関の推奨基準を下回っている。これらの状況は、公衆衛生への持続的な投資不足によってさらに悪化している。世界銀行によれば、パラグアイは歴史的に南米で最も公的医療支出対GDP比が低い国の一つである。
医療のみならず、農村開発全体に対する公共投資も、高い農村貧困と極端な土地所有の集中にもかかわらず限定的であった。先住民共同体は、医療へのアクセスのみならず、教育および土地権においても構造的な不利に直面し続けている。過去の民主主義的欠陥はある程度改善されたものの、数世紀にわたって形成された社会的不平等は依然として十分に対処されていない。
報道の自由と民主主義の後退
1989年以降に達成された民主的改善さえも、現在ではますます脅かされているように見える。近年、市民社会組織、ジャーナリスト、抗議運動は、法的制限の強化、警察による圧力、政治的威嚇に直面している。この環境はしばしば「市民空間」と呼ばれ、市民が組織し、自由に発言し、公的生活に参加できる程度を反映している。
グローバル市民社会連合(CIVICUS)の報告における分類によれば、パラグアイの市民空間は少なくとも2018年以来「制限されている」。これは、市民社会団体や活動家が法的、政治的、実務的な制約に直面していることを意味する。この分類は、市民社会が存在しているものの、継続的な圧力のもとで活動していることを示している。抗議活動は許可されているが、しばしば厳重に警備され、制限され、または犯罪化される。ジャーナリストや活動家は頻繁に嫌がらせや法的脅迫に直面し、法律が市民的行動を統制または抑制するために利用されている。
パラグアイの市民環境における重大な転換点は、2024年11月の法律7363/24の制定であった。この法律は、非営利団体の透明性と説明責任を向上させる措置として政府により提示された。同法は、より厳格な報告規則、義務的登録、不遵守に対する罰則を導入した。一方で、市民社会団体および国際監視機関は、同法の曖昧な文言が、とりわけ政治的擁護活動、人権活動、調査報道に関与する団体に対する選択的執行を可能にすると警告した。

サンティアゴ・ペーニャ大統領(写真:Governo do Estado de São Paulo / Wikimedia Commons [CC BY 2.0] )
市民空間の縮小は、ジャーナリストの扱いにおいて最も顕著である。2024年11月から2025年4月の間に、ジャーナリストに対する脅迫、威嚇、身体的攻撃、司法的嫌がらせを含む多数の事件が発生した。2024年だけで、検閲、恣意的拘束、公職者による烙印的言説、身体的暴力を含む33件の報道の自由侵害がパラグアイで記録された。
ジャーナリストは警察活動中に負傷し、調査報道の後に現職議員から脅迫され、報道を沈黙させることを目的とした法的措置の対象となった。ジャーナリスト保護委員会(CPJ)は、パラグアイにおけるジャーナリスト殺害事件を記録している。近年の少なくとも2件は、組織犯罪と関連している。しかし、ジャーナリストに対する攻撃の90%は未解決のままである。
まとめ
これらの展開を総合すると、弱体化した民主主義が示されている。形式的制度は依然として存在するが、権威主義、不平等、不処罰の遺産が国家権力を形作り、市民を脆弱な状態に置き続けている。意味のある制度改革がなければ、パラグアイは抗議が主要な政治参加形態となる一方で、民主主義後退の根本的な原因が未解決のまま残るという循環に陥る危険がある。
ライター:Mohammad Istiaq Jawad
グラフィック:MIKI Yuna






















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