2026年1月20日、スイス・ダボスで開催された世界経済フォーラムにおけるカナダのマーク・カーニー首相の演説が、大きな波紋を呼んだ。カーニー首相は「世界秩序に断絶が生じている」と述べ、大国の行動によって既存の国際秩序が揺らいでいると指摘した。そのうえで、中堅国は相互に協力し、新たな世界秩序の構築に取り組む必要があると主張した。
彼の演説で最も注目すべき点は、これまで存在してきたとされる「ルールに基づく国際秩序」が、多くの点で虚構の上に成り立っていたことを事実上認めた点にある。彼はこれを、旧ソ連下の共産主義体制が自らを維持してきたあり方になぞらえ、「体制の力は真実性に由来するのではなく、それが真実であるかのように振る舞うという人々の集団的な意思に由来する」と述べた。さらに、カナダのような国々がこの「秩序」の下で繁栄してきたことを認めつつも、「国際的なルールに基づく秩序という物語が部分的に虚偽であることは承知していた。最も強い国々は、都合がよいときには自らを例外とすること、貿易ルールは非対称的に執行されてきたこと、そして国際法は、被告や被害者が誰であるかによって適用の厳格さが異なってきたことを、我々は分かっていた」と語った。
ここ数十年の出来事を客観的に見れば、アメリカやカナダ、その同盟国が主張してきた、いわゆる「ルールと価値観」が実際には虚構であったことは明白であろう。しかし、グローバル・ノース諸国の政治指導者や主流メディアは、世界の多くの地域における情報環境に対する影響力を何十年にもわたり利用し、こうしたルールや価値観の幻想を作り上げ、絶えず維持してきた。日本のメディアも例外ではない。
本記事では、いわゆる「ルールに基づく国際秩序」の虚構性と、それを支えるうえでの日本の報道機関の過去と現在の役割を改めて探る。

ダボス会議で演説するカーニー氏(写真:World Economic Forum / Flickr [CC BY-NC-SA 4.0] )
目次
「ルールに基づく国際秩序」とは何か?
そもそも、この「ルールに基づく国際秩序」が具体的に何を意味するのかは、最初から不明瞭であった。この用語の使用が急増したのは、2003年にアメリカとその同盟国が国際法を明らかに違反してイラクに侵攻した時期だ。このイラク侵攻は、アメリカとその同盟国が北大西洋条約機構(NATO)の名の下にユーゴスラビア連邦共和国に対して行った大規模爆撃の4年後に行われた。そしてこの大規模爆撃も、国際法違反の上で、武力によって同国の国境を変更するものだった。
この経緯は、「ルールに基づく国際秩序」という言葉が、国際法とは別の秩序を指すため、あるいは国際法から目をそらすために使われていたことを示唆している。この秩序は、アメリカとその同盟国によって主導され、それらの国々の利益に合わせて意味を定められてきた。近年では、この言葉が「アメリカを、より主張の強いロシアや中国と区別するための道具」として使われている、という見方もある。
「ルールに基づく国際秩序」が今まさに崩れつつあるという考えが出てきたのは、偶然ではない。アメリカの現政権が、これまでアメリカと同盟国が世界各地で軍事介入を行ってきた理由として繰り返してきた「民主主義や人権を守る」という精緻な虚構をほぼ放棄したことにより、この秩序が破綻しかけていることが明らかになった。しかしより重要なのは、この断絶によって、かつてはグローバル・サウス諸国に向けられていた攻撃が、今やグローバル・ノースの同盟国にも向けられるようになったことだ。最も分かりやすい例は、ドナルド・トランプ政権がグリーンランドの掌握を試みている動きである。
グローバル・ノース諸国は、これまで「ルールに基づく国際秩序」の断絶を積極的には問題視してこなかった。例えば、2004年にアメリカがカナダやフランスと共にハイチでクーデターに関与し、民主的に選出された大統領ベルトラン・アリスティド氏を拉致した際に、秩序の危機が訴えられることはなかった。また2011年に、NATOに加盟しているアメリカの同盟国が、バラック・オバマ政権と共にムアマル・カダフィ氏を権力の座から排除するための爆撃に加わり、その後カダフィ氏が殺害されたことや、さらに同政権が他国に対して爆撃やドローンによる暗殺を増加させたことも、問題視はされてこなかった。加えて、ジョー・バイデン政権下で、アメリカがガザにおけるイスラエルによるジェノサイドを積極的に支援した際にも、「秩序の断絶」は認識されなかったのである。民主主義や人権、国際法は、この「ルールに基づく国際秩序」を測る尺度にはならなかったようだ。

アフガニスタンで軍輸送機に乗る英米兵、2012年(写真:Photo: Corporal Andy Benson (RAF)/MOD / Wikimedia Commons [Open Government Licence] )
カナダの首相が認めたように、この種の「秩序」が機能していたのは、グローバル・ノースの中堅国がそれによって利益を得ていたからである。カナダもその一国であり、時に国際法違反に直接関与することもあった。前述の通り、2004年のハイチ大統領拉致事件にはカナダ軍も加担していた。この介入の主な動機は、ハイチ政府が労働者の最低賃金を引き上げたことに対する不満と見なされている。賃金引き上げによって、カナダの衣料品産業など、ハイチをはじめとする国々に生産を委託していた企業に影響が及ぶ可能性があったのである。
同様に、日本政府は自国の安全保障をアメリカに依存し、アメリカ政府を一貫して支持してきた。アメリカ政府による国際法違反があった際の日本政府は、2003年のイラク侵攻のときのように支持的であったか、もしくは、2025年のイラン爆撃のときのように無批判であった。外交的解決の必要性に言及することはあるが、それも限定的である。
虚構を維持するメディア
これまでのGNVの記事でも分析してきたように、日本のメディアは「ルールに基づく国際秩序」という幻想を維持するうえで大きな役割を果たしてきた。アメリカを民主主義と人権の擁護者として、あるいは「世界の警察官」として描き続けてきたのである。このような描写は、アメリカが他国に軍事介入し、民主的政府を打倒し、国民の人権を侵害する独裁政権を支えてきた長い歴史があるにも関わらず行われてきた。
日本のメディアは、アメリカによる世界での違法行為に関して、時に批判的なこともあるが、全体としては非常に理解を示す傾向にある。例えば2026年のベネズエラ大統領ニコラス・マドゥロ氏の拉致事件については、この出来事を「拉致」ではなく「拘束」と表現し続けた。
また、日本のメディアは、アメリカを好意的に描くために、現実を限界まで曲げることがある。この現象は、2021年にタリバンがアフガニスタンで権力を握った後に、バイデン政権が、米政府が凍結していたアフガニスタン中央銀行の資産の取り扱いを決めた際にも見られた。アメリカ政府は保有していた70億米ドルのうち半分を押収し、残りの半分を「人道的支援」として返還すると発表した。この件に関する日本の報道は、アメリカが資金の半分を奪取したという事実にはほとんど触れず、大手報道機関の関連記事の全ての見出しが、この一連の出来事をアメリカによる「人道支援」のニュースであるとして伝えた。

メディアスクラム(写真:Microgen / Shutterstock.com)
日本のメディアは、2026年のダボスでのカナダ首相の発言に関心を示した。しかし、その出来事によりこれまでの物語を考え直すことはなかった。カーニー首相の発言に関する報道では、「ルールに基づく国際秩序」が多くの点で最初から虚構であったという主張にはほとんど触れられていない。朝日新聞は、ある記事で「時として大国に都合よく使われる『虚構』だった」という認識に言及し、デジタル版では首相の全文を掲載したものの、この演説に関する複数の記事の内容は、従来存在すると考えられていた「秩序」の崩壊、つまり現在の「断絶」に関する内容が中心となった。読売新聞や毎日新聞に至っては、この話題には一切触れず、かつて「ルールに基づく国際秩序」が存在したという虚構を前提に、現在それが機能していないにすぎないとする報道に終始した。
どの「テーブル」を指しているのか?
ダボスでのカナダ首相の演説で、もう一つ示唆的だったのは「中堅国は協力して行動しなければならない。我々がテーブル(食卓)に着いていなければ、メニューに載せられることになる」という一節である。
彼が言う「テーブル」とは一体何を指すのだろうか。興味深いことに、「ルールに基づく国際秩序」の崩壊に関する議論は、ダボスの世界経済フォーラムで行われた。このフォーラムは確かに世界の課題について議論される一つの「テーブル」と言える。この年次会合は、表向きには「地球規模の課題に取り組み、優先事項を定めるための議論」を行う場として開催されている。しかし実際には、明らかに権力者と富裕層が議論する場として設計されている。会合参加者の大半は、権力のある政府指導者や大企業のCEOであり、「テーブル」に座る特権を得るためには、高額な参加料を支払わなければならない。また、参加者のうち、アフリカやラテンアメリカ出身の人々は合わせて10%未満に過ぎないという事実から、この会合で取り上げられる「地球規模の課題」がどのように選ばれているかが見えてくるだろう。
G7やG20もまた、日本のメディアが強い関心を寄せる「テーブル」の一つである。これらは世界の最も裕福な国々を集めるために特別に設立されたグループであり、会合では共通の利益に沿った形で課題について議論することを目的としている。これらの国々が持つ経済力は、会合の枠を超えた議題設定力も生み出しており、こうした場で決められることは、他のより広範な国際政治の場にも影響を与えることがある。
しかし、これらのグループは世界を代表するものとはほど遠く、日本のメディアはそのことを忘れがちである。例として、2023年に日本が広島でG7の首脳会議を開催した際、政府はグローバル・サウス諸国の意見に耳を傾け、連携を図る重要性を強調した。グローバル・サウスからは数か国が招待され、一部の議論に参加させられたものの、意思決定権は与えられなかった。日本のメディアは、世界の最も裕福な国々のごく一部による首脳会議が、グローバル・サウス諸国と実効的に連携するための適切な場であるはずがないという点に疑問を呈すことはなかった。単に、日本政府がG7とグローバル・サウス諸国の連携の必要性を強調したことをそのまま復唱したに過ぎない。この時期の報道分析では「グローバル・サウス」という用語の、前例のない使用増加が示された。ただしこの変化は一時的なものであった。

国連総会(写真:Patrick Gruban / Wikimedia Commons [CC BY-SA 2.0] )
世界には、地球規模の課題が議論される、非常にグローバルで代表性のある「テーブル」が存在する。国際連合である。国際連合は、欠点は多々あるものの、世界のすべての国々が集まり、審議を行い、意思決定をするための様々な組織や専門機関、場を提供している。日本のメディアのこの機関に対する関心は、それほど高くないようだ。特に、国連やその専門機関が直面する財政危機にほとんど報道がなされていないことを考えれば、その傾向は顕著である。
例えば、世界の避難民の数が過去10年間で倍増しているにもかかわらず、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が直面している深刻な資金不足について、日本のメディアはほとんど報道していない。同様に、食糧不足に直面する人々の数(2019年の2倍に増加)や、こうした人々に食料支援を行う国連機関における資金危機についても、メディアはほとんど取り上げていない。
権力と富にとらわれるメディアの関心
日本のメディアによる国際報道を見渡すと、ダボス会議やG7といった排他的な「テーブル」に座る国々や、彼らが重要と考える課題に強く関心が向けられていることが分かる。例えば、アメリカは日本の国際報道の中心であり、報道機関による世界の捉え方の形成においても中心的役割を果たしている。この一国だけで、日本の主流メディアが提供する国際報道の25%を占めているのだ。また、世界の他地域で起きている出来事や課題の報道も、しばしばアメリカの関与や視点を通して描かれることが多い。
加えて、ユーラシア・グループが毎年発表する世界の「10大リスク」ランキングに、日本の主要メディアが強い関心を示していることにもこの傾向が表れている。例えば、NHKはこのランキングにかなりの注目している。しかし、このランキングで取り上げられる「リスク」は、ほとんどがアメリカ、そのヨーロッパ同盟国、そして主要競争相手(中国やロシア)に直接関わる問題で占められている。世界が直面する課題に対するこの限定的な視点は、ユーラシア・グループが「投資家や企業の意思決定者が、外国市場における政治の影響を理解するための支援に専念する」企業であることを考えれば、驚くべきことではない。

貧富の差、インド、ムンバイ(写真:Swauli / Shutterstock.com)
一方で、毎年初めに発表される、世界が直面する主要な課題に関する他のランキングや報告書について、日本のメディアが取り上げることはほとんどない。例えば、国際救助委員会(IRC)が作成する人道危機の年次評価「エマージェンシー・ウォッチリスト」では、過去3年間連続でスーダンが世界最悪の人道危機としてランク付けされている。また、世界経済フォーラムのダボス会議に合わせて発表される、オックスファムによる世界の不平等に関する年次報告についても報道はほとんどない。2026年のオックスファムの報告では、ビリオネアの資産が過去最高の伸びを記録し、「世界で最も裕福な12人の億万長者が、地球上で最も貧しい半数の人々よりも多くの富を持つ」と明らかにされた。日本の大手新聞などは、いずれの報告も報じていない。
GNVのデータは、低所得国全体に関する報道が慢性的に少ないことを一貫して示している。分析の一つは、貧困率の高い国ほど日本のメディアで報道される可能性が低いことを統計的に明らかにした。また、世界での格差の大規模かつ急激な拡大、特に新型コロナウイルスのパンデミック後の格差拡大についても、メディアは一貫して報道を怠ってきたことがわかっている。
メニューに載せられているグローバル・サウス
表面的には、カナダ首相の「テーブル」の比喩は、世界の「食事」が切り分けられ消費される場から、自国が降ろされることへの恐れを反映しているといえる。また広い意味では、中堅国がいわゆる大国によって不公平に扱われているという主張でもある。しかし同時に、世界の大多数の国々(グローバル・サウスに属する国々)は、常に「メニュー」に載せられてきたのだ、という認識の表明のようにも読める。つまり、カナダはこれまで自国や他の中堅国が利益を享受するために搾取の対象としてきた国のように扱われることを恐れているのである。
グローバル・サウスの国々に対するこうした扱いは枚挙にいとまがない。例えば、ある強国が、特定の国の政府を倒すという目的のため、その国の国民に損害を与えるために行動することがある。2026年の同世界経済フォーラムで、アメリカ財務長官スコット・ベッセント氏は、アメリカによるイランへの「最大限の圧力」が「効果を上げた。12月に経済が崩壊したからだ」と述べ、これを「非常に良いこと」と見なしていた。アメリカ政府は、他の多くの国々、特にキューバに対しても同様の手法を長年にわたり用いており、アメリカの封鎖は数十年にわたって続いている。2025年に『ランセット』誌で発表された研究では、2010年から2021年の間、アメリカと欧州連合(EU)による一方的制裁が年間およそ56万4千人の死をもたらしたとされる。このような発言や調査結果は、日本のメディアでは報道されなかった。

ダボス会議でインタビューを受けるベッセント氏(写真:World Economic Forum / Flickr [CC BY-NC-SA 4.0] )
しかし、利益のためにグローバル・サウス諸国の人々を搾取する行為は、広範かつ慣行的に行われてきた。それらの搾取行為は主に強大な企業によって行われ、しばしば自国政府によって保護・促進される。貿易や金融を取り巻くルールや権力の不均衡は、資源における不公正な取引(アンフェア・トレード)や、製品生産における不公正な労働(アンフェア・レーバー)を横行させる。グローバル・サウスの政府や、交渉力や価格設定力をほとんど持たない労働者が、自国の資源や労働から得られる利益を享受することは少ない。カナダ政府は、自国の鉱業企業の国外での活動拡大を推進しており、その結果、世界のこの分野で自国企業が支配的地位を占めるに至っている。この産業は、鉱物が存在する国の人々を犠牲にして富を吸い上げることで度々批判されてきた。
その他、タックスヘイブンは、利益をグローバル・サウスから吸い上げ、オフショアに隠すことで、膨大な規模での租税回避や脱税を可能にしている。グローバル・サウス諸国がこの状況を改善するための規制強化を求める試みは、これまでのところ、このシステムから利益を得るグローバル・ノース諸国の政府によって封じられてきた。日本のメディアは、こうした試みや、国連が開催する開発資金国際会議(FfD)など、問題是正を目指した国際会議についても、ほとんど報道しない。
最後に
日本もカナダと同様、自国が「テーブル」から降ろされ、「メニュー」に載せられている「食事」を楽しむ権利を失うことを懸念しているように見える。加えて、自らがその「メニュー」に載る立場にならないことを最も望んでいるだろう。世界を日本の国益の視点から見ようとする日本のメディアが、この問題を重要な関心事とみなすのも理解できる。しかし現状では、メディアはこうした国益の追求を、あたかも良性で、あるいは慈善的な「国際秩序」を構成するものかのように描き、世界が実際にどのように機能しているかという事実から目を背け続けている。そのような報道は、根本的には、自国の利益にもならないのかもしれない。

金山で作業する労働者、インドネシア(写真:mohamad halid / Shutterstock.com)
ライター:Virgil Hawkins






















0 コメント