パキスタンの首都イスラマバードの高等裁判所は2021年2月、同市の行政機関に対し、借金返済のために煉瓦窯で強制労働させられている人々がいる状況を撲滅することを求めた。 パキスタンには煉瓦窯を始めとする様々な場所で、借金を返すために不当に働かされている人が少なくない。このような人々は「債務奴隷」と呼ばれ、「現代の奴隷制」のうちの一つとして長い間大きな問題となっている。世界各地で奴隷状態や奴隷貿易は歴史的な現象としてよく知られているが、これは過去の問題ではなく、「現代の奴隷制」として現在も形を変えながら根強く残っている。この問題の背景には何が潜んでいるのか。どのようにすれば解決できるのだろうか。この記事ではパキスタンの債務奴隷を事例に探っていく。

煉瓦を手押し車に積む人々、パキスタン(写真:Adam Cohn / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
債務奴隷とは
初めに現代の奴隷制について詳しく見ていく。これには様々な形態があるが、主に個人的な利益のために搾取が行われていること、被害者の同意や自発性(場合によっては選択肢)がないこと、罰則によって被害者が奴隷状態から抜け出せない状態であることなどが重要な要素だとされる。現代の奴隷制の被害者は世界中に4,000万人もいると推定されている。また一口に現代の奴隷と言っても、債務奴隷に加え、強制労働、人身売買、性的搾取、強制結婚、児童労働、人身売買などがあり、これらの問題は複雑に絡み合っている。
債務奴隷とは、主に借金を返済するために拘束され働かされている人々のことである。では、どのようにして債務奴隷となってしまうのだろうか。例えば医療費、葬儀、失業に伴う収入源の損失などで自力では払えないような出費が必要となった時、貧困状態にある人々は自分や家族の労働と引き換えにお金を借りざるを得ない場合が多い。一度借金を抱え、高い利子をつけられたり少ない賃金で働かされたりしていく中で、例え最初に借りた金額が比較的に少額であったとしても、返済が終わらずそのまま債務奴隷となってしまうのである。雇用主は利益を得るために人々を債務奴隷として長い期間とどまらせようとする。
さらにこのような切り詰めた生活の中で、病気などの状況の変化により追加のお金が必要となれば、前借制度を利用し高い利子での借金を重ねることになる。労働者は新たに借り入れた金額を返金するまでさらなる労働を義務付けられる。そのため、このような前借り制度は一時的には労働者の生活の助けとなるが、その返済は容易ではなく労働者をより苦しめる。また近年の動きとして、債務奴隷と雇用主を仲介するブローカーが増加しており、労働者は両者に借金をするという二重搾取も懸念されている。各々の事情が異なるため、一様に雇用主と債務奴隷となる労働者の関係を捉えることがますます難しくなっているようだ。
では、債務奴隷となった人々はどのような状況に置かれるのだろうか。債務を抱えた個人が強制労働をさせられたり、債務者本人の代わりに子供が労働力として送り込まれたりと債務奴隷にも様々なケースがある。中でも債務者本人だけでなくその家族までもが強制労働に巻き込まれるケースは少なくない。例えば雇用主が一方的に決めた一日の労働ノルマが多すぎることで、その達成のために子供を含む家族も労働せざるを得なくなってしまうのだ。それだけでなく、借金が代々受け継がれることで何世代にもわたって搾取が続いていくケースも多い。またそれ以外にも、雇用主らによる脅迫や虐待、レイプ、劣悪な労働環境による栄養失調やその他の健康被害など、二次的な問題が起こる場合が決して少なくない。
さらに債務者たちは奴隷状態から脱出することが非常に難しい。その理由として、強制労働から抜け出したとしても代わりの雇用がない可能性が高いということがある。社会全体の失業率が高いことから、抗議行動などをして立ち退きや失業に遭い生活の基盤を失うかもしれないという不安を抱え声を上げることができない労働者も多い。強制的な労働を強いられる中で本来主張できるはずの労働者としての権利を知る余裕がない場合や、子供のときに家族の債務状況によって債務奴隷となり基本的な教育を受けられないまま大人になる場合も見られる。また、もし労働者が債務奴隷から抜け出すために逃亡すれば、処罰のために雇用主によって民間の刑務所のような場所に収容され、さらにひどい扱いを受けることもあるのだ。このとき雇用主だけでなく、一部の警察が債務奴隷から逃れようとした労働者を雇用主の下に戻したり、一度解放された労働者の拘束を手伝ったりするケースもある。
国際労働機関(ILO)の調査によると、このような債務奴隷は世界中に800万人ほどいるとされ、パキスタンの他にインド、バングラデシュ、ネパールで特に多く見られる。国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約、パレルモ議定書(※1)では、債務奴隷制度を人身売買の一形態である犯罪として扱うことが求められている。しかし、国際的な取り決めにもかかわらず債務奴隷制度は根強く残っているというのが現状である。以下ではパキスタンの事例について詳しく探る。

パキスタンの煉瓦工場の煙突(写真:Adam Cohn / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
パキスタンでの債務奴隷
パキスタンはインドの北西に位置する人口約2億2,600万人(2021年8月時点)の国であり、主要産業は農業や繊維産業である。2015年の段階では人口の24.3%が貧困状態にあるとされており、貧困層内部でも深刻度の差が大きく、それぞれに見合った政策が必要であるとされている。
現在のパキスタンにあたる地域は歴史的に南アジアの様々な帝国が統治をしていた。しかし16世紀からこの地を支配していたムガル帝国が衰退すると、19世紀にイギリスの商社、後にイギリス政府が進出して1858年からイギリスの植民地支配が始まった。その後パキスタンは1947年にイギリス領インドからの独立を遂げた。植民地支配以前、農村部に地主はおらず、土地や租税を管理する役人がいるのみで、個人として土地を所有したり代々引き継いだりするような制度はなかった。ムガル帝国の崩壊とともに地主が現れ始め、イギリスの進出に伴い力を持つようになった。そして土地を持たない農民は地主が所有する土地で雇われ、雇用主と労働者という力関係の中で働くようになっていった。このようにして、封建的な制度(※2)がつくられ、その極端な格差から農業における債務奴隷が生まれたのだ。
さらに独立後、地域によっては伝統的な農業から商業的な農業への移行により、雇用形態が変化した。農業の雇用が減り仕事を失って都市部郊外へ移住し貧困状態のままで仕事探しをしていく中、強制労働を伴う工場などの雇用主への借金に頼らざるを得ない人が増え様々な場所で債務奴隷となる人たちが見られるようになったのである。
その後、様々な社会の動きはあったが、地主やその他の経済的なエリートが強い政治的権力を持つことで、一般市民に対して政治的、経済的に強く影響を及ぼしている。債務奴隷はパキスタン国内ではもはや経済モデルの一つとして深く根付いており、そのために債務奴隷の問題は黙認されてきた側面がある。債務奴隷の雇用主が政府と密接につながっている場合や地方政府関係者自身が強制労働をさせている場合すらあり、警察や検察、裁判官などが雇用主に協力あるいは支援を行い、調査や起訴に消極的だったのだ。

農業をする人々(写真:ILO Asia-Pacific / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
現代の奴隷であるとされる人々の数はパキスタンだけで318万6千人と推定されており、人口に対する割合については世界で8位となっている。しかしパキスタンの独立人権委員会の調査において、現代の奴隷の中でも債務奴隷の数は300万人から800万人と推定されている。債務奴隷の詳しいデータについては、状況によって様々な形態や度合いがあることから調査によって定義に食い違いがあり、正確な全体像を把握することは難しくなっている。
ではこれらの人々は具体的にどのような仕事をしているのだろうか。債務奴隷の中でも様々な業種がありそれぞれに特徴がある。ここでは農業、煉瓦窯での労働、鉱業、漁業、家事労働、その他の製造業の大まかな特徴を見ていく。債務奴隷となった人たちが最も多く働いている産業分野は農業である。多くの場合、労働者は自分の土地を持っておらず、雇用主の土地を借りて生活をしながら働いている。煉瓦窯での強制労働では、債務奴隷となった人たちは粘土から煉瓦をつくりだす仕事をしている。煉瓦窯の仕事は季節によって増減があるため、オフシーズンに雇用主から借金をして生活する人が多い。債務奴隷となった人が働く産業分野としては、鉱山での労働もある。この場合、農業や煉瓦窯での労働ほど雇用主と労働者間の歴史的な関係には依存せず仲介者が間に入ることが多い。また、鉱山での強制労働は暴力などの物理的な支配の度合いが強いと言われている。労働環境が非常に悪いことや、仕事場が鉱山であるため物理的にも社会から孤立しやすいことが特徴である。また漁業では、必要な漁業許可証を持っていない人が債務奴隷として許可証を持っている人の下で働くことが多い。家事労働に強制的に従事させられている債務奴隷となった人々の労働環境はこれら前述の状況とは少し異なっている。そのような人々は都市部の中流階級や上流階級の雇用主の下、家の中での労働を行うため第三者の目がなく、高い虐待のリスクにさらされているのである。
その他、製造業の中の事例としてサッカーボールやアクセサリーの製造がある。こういった業種では労働者が出世できる場合や親族のつながりがある場合もあり、他の業種に比べて労働者に対する搾取の度合いは低いと考えられてはいるが、それでも債務奴隷の問題は存在するとされている。

サッカーボールの縫製作業をする少年(写真:International Labour Organization ILO / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
根絶に向けた取り組み
ここまでは主に債務奴隷の現状について触れてきたが、これまで行われてきた取り組みにも目を向けたい。まずパキスタンの中央政府による取り組みから確認していく。パキスタンでは1992年に債務奴隷制度廃止のための法律が成立した。この法律によって債務奴隷として働いている人の一部の債務義務が無くなり、債務者に強制的に労働をさせた人に対して罰則を与えることが法制度化された。さらには、監視委員会の設置がなされ、同時に地域の行政長官は債務奴隷の有無を調査し対策をとる権限を得た。一見すると債務奴隷に効果的な対策が取られたように見える。しかし、この法律の施行状況についてILOが行った1997年の国際労働会議では、1992年からの債務奴隷の雇用主に対する公式有罪率は0%と報告された。実情は、債務奴隷として強制労働に従事している人がおり、問題解決に向けて政府が適切な調査や取り組みを行ってきていないことが示された。
2001年には政府によって債務奴隷問題に対する国の政策と行動計画(NPPA: National Policy and Plan of Action)が発表された。これは債務奴隷の根絶を目指した対応と債務奴隷状態から解放された人々への住居や食事の支援を行うというものであった。しかし今でも解放された人々の生活は未だ十分なものとはいえず、政策の効果については疑問が残る。
州ごとの動きもある。2016年、パンジャブ州の煉瓦窯での債務奴隷に関して、状況を把握し改善するために雇用契約時に詳細を記載した書面を労働検察官に提出することが義務付けられた。ただし根底の社会構造は改善されず、法律の施行と窯の監視が不十分だったこともあり非公式の雇用は減少しなかった。それだけではなく、労働検察官の中には権力者から圧力を受けた人もおり、今後労働検察官が正当な調査を行えるような環境づくりも求められる。

研修を受けたパンジャブ州の労働検察官(写真:ILO Asia-Pacific / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
さらにパンジャブ州労働・人的資源大臣は煉瓦窯で働く子供たちを近隣の学校に入学させるというプロジェクトを2015年に開始した。しかし、債務奴隷である親の大半は子供も事実上前借制度の担保にしており入学も簡単ではなく、すぐに解決できる問題ではない。
市のレベルでも、対策の不十分さが明らかになっている。例えば2021年8月には、イスラマバードの63個の煉瓦窯に対して労働問題の監視を担当する役人が4人しかいなかったことが明らかになり、債務奴隷の数を踏まえると適切ではないとして批判を受けた。
NGOなど民間の組織による取り組みも行われてきた。パキスタンの奴隷労働の根絶を目標としているNGO、パキスタン債務奴隷解放戦線(BLLF)は、債務奴隷状態にある人々の解放と社会復帰のための保護施設をつくったり弁護士と共に法律面での支援を行ったりしている。このNGOは政府にも積極的に働きかけており、政府に債務奴隷についての国家委員会を設立させることにも成功したようだ。また、煉瓦窯での債務奴隷に注目し調査や活動をしている団体や、債務奴隷から解放された人々が次の仕事につくまでに滞在する保護施設を運営している団体がある。ただし、NGOからもこのように様々な面からアプローチがなされているものの、結果的には債務奴隷問題の根本的な解決のためには社会的構造の改革が必要であるという結論に行きつくため、最終的には政府が大きく根絶に向けた対応をすることが必要不可欠というのも事実である。
今後に向けて
ここまで見てきたように債務奴隷を無くすことはもちろん重要であるが、債務奴隷から解放された後の人々の生活についても考える必要がある。政府やNGOの取り組みによって雇用主の元から離れたとしても、新しい生活を始めるのは容易なことではない。それまで強制的に労働をさせられていたために学校に通えていなければ、次に就く職業の幅が狭められてしまい、再び搾取に遭う可能性も高まる。そもそも国全体の失業率が高い中で、強制労働などの違法な労働以外の仕事を始めることは難しく、解放された人々にとっても大きな不安となるだろう。債務奴隷状態にある人は住居などの生活面も雇用主の下で管理されていることが多く、解放されると同時に住居を無くしてしまう人も少なくない。さらには債務奴隷の人々は国が発行している身分証明書(National Identity Card)やその取得のために必要な出生証明書を持っていない場合が多い。それらが無ければ公共の医療制度の利用や食料の支給など政府の様々なサービスを受けることができない。つまりその後の生活において、弱い立場となってしまうのである。

社会保障カードを見せる煉瓦窯の労働者(写真:ILO Asia-Pacific / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
本当の意味で債務奴隷の問題を解決するためには、債務奴隷の根絶に加えて解放後も続いていく人々の生活も支援していく必要がある。そのために、搾取を可能にしている現在のパキスタンの社会状況や権力関係を政府はどこまで改革することができるだろうか。人々が不当な搾取の被害者とならず、安心して助けを求められるようなシステムをつくりだすことはできるだろうか。さらには冠婚葬祭や病気などの状況変化で借金をしなければならないような経済状況も変えなければならない。債務奴隷で苦しむ人がいなくなるまでにはまだまだ時間がかかりそうである。
※1 正式名称は「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人(特に女性及び児童)の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書」。2000年にニューヨークで採択された。
※2 地主が土地を領有し、そこに住む人々を統制する制度。上下関係が明確で労働者個人の自由や権利を認めないような状況を表す。
ライター:Aoi Yagi
グラフィック:Mayuko Hanafusa