拍手は政府への反抗であり逮捕の対象になる。そんな極端な言論統制が実際行われている国をご存知だろうか。旧ソ連圏、東ヨーロッパのベラルーシだ。
同国大統領アレクサンダー・ルカシェンコは、20年以上の期間に渡ってベラルーシ大統領の座に居座り続け、「ヨーロッパ最後の独裁者」と呼ばれている。
反体制派に対する強い弾圧と深刻な人権侵害で悪名高いルカシェンコ政権であるが、強権的な国内政策と同時に注目しなければならないのは、彼の巧みな外交政策である。EU、ロシア、中国と、様々な大国とうまく関係を調整しながらその政権を維持するルカシェンコ大統領。以下では、ベラルーシをめぐる国際関係について、各国の思惑に迫りながら深く見ていこう。
ベラルーシとは?
ベラルーシは、東ヨーロッパに位置する人口949万人(2018年1月)、面積20万7600㎢の内陸国である。1986年には、隣国ウクライナにおけるチェルノブイリ原子力発電所事故によって苦しめられたことでも有名だ。下の地図から明らかなように 、アメリカや西欧を中心とする北太平洋条約機構(NATO)とロシアに挟まれた、地政学的に重要な位置にある。
歴史的に見れば、ベラルーシ人が独立国を持った期間はあまり長くなく、モンゴル帝国、ポーランド・リトアニア公国、ロシア帝国と、様々な国の統治下の地域でありながらその民族的アイデンティティや言語を維持してきた。革命によりロシア帝国が崩壊すると一時ベラルーシ人民共和国として独立するが、この政権は短命に終わり、わずか数年後に成立したソビエト連邦に加盟することになる。
ベラルーシが再び独立国の地位を得るのはソ連崩壊後の1991年である。その3年後の1994年には第一回大統領選挙が実施され、他候補者に対する圧倒的な得票差のもと同国初の大統領が誕生した。現在も続くルカシェンコ政権の始まりである。
20年以上続く独裁体制
アレクサンダー・ルカシェンコは、1980年頃から政界に進出し、1990年に国会議員に当選した。当初からどちらかといえば親ロ的なスタンスを取っており、1991年のソ連の解体に反対した当時唯一のベラルーシ議員でもある。
政治家としての彼の手腕は秀でたものであり、1993年、汚職追及委員会議長に就任、政治家達の汚職を糾弾し、民衆の支持を獲得した。こうした実績と、選挙時の大衆迎合的なマニフェストにより、翌年の大統領選挙では他の候補者に圧倒的な得票差をつけて当選する。
高い国民支持により政権についたルカシェンコは、着々と自分の権力を強化していく。まず、1996年には、国民投票により憲法を改正して、議会と憲法裁判所に対する大統領の権限を優位性を高めた。さらに、2004年には再び憲法を改正して大統領の三選禁止規定を削除し、自身が大統領の座にあり続けることを可能にした。その後、2015年の選挙で当選したことで、その政権は5期目を迎えている。
彼の長期政権を非難する国民の声も多く、政権に批判的な政治家や活動家が度々抗議デモを起こしているが、いずれも警察によって弾圧されており、政権が揺らぐ兆しは全く見られない。
2000年代の外交:EUからの経済制裁を無視
石油資源を背景に諸大国を味方につけているサウジアラビア(以前のGNVの記事を参照)や、ロシアのサポートを背景に反体制派と抗争を続けるシリアのアサド政権のように、強力な権威主義政権というのは往々にして力のある外国と協力関係にあるものである。では、ルカシェンコ政権を支持している大国はどこであろうか。この質問に答えるのは容易ではない。伝統的に最もつながりが深いのは、元宗主国でもあるロシアだ。しかし、ロシア一国依存にはなるまいと、EUや中国といった他の大国ともうまく経済的友好関係を結んでいるのが、ベラルーシ対外政策の特徴である。以下で、ルカシェンコ氏が政権についた1994年以降のベラルーシをめぐる国際関係を概観してみよう。
まず、 政権発足当初のルカシェンコは親ロ的な立場を取っていた。例えば、1999年にはベラルーシ・ロシア連合国家創設条約を結んでいる。そのたった10年前に多くの東欧諸国がソ連からの独立を切望して次々と革命を起こしたばかりであることを考えると、ロシアとの再統合を求めたベラルーシないしルカシェンコのスタンスがいかに珍しいものであったかが見て取れるであろう。もっとも、ロシアの指導者が強硬派のプーチン大統領に変わってから、連合国家創設の動きは停滞し、現在に至るまで実現してはいない。とはいえ、石油などエネルギー資源をロシアからの輸入に依存していたこともあり、ベラルーシはしばらく友好的な対ロシア外交を継続することになる。
ここで、ベラルーシから見てロシアと反対側に位置する大国群、すなわちEUとベラルーシの関係性を見てみよう。2000年代前半のベラルーシ-EU関係は、良好なものだったとは言い難い。国内で公然と一般市民の人権侵害を行うルカシェンコ政権に対し、EUは厳しい態度をとった。2004年には、政治犯の身柄拘束を非難して経済制裁を発動している。これに対し、ベラルーシからは、特に人権状況を改善しようとする動きは見られなかった。EUからの経済制裁があろうとも、ロシアとの経済関係をうまく維持してさえいれば、問題なく国内財政・経済を維持することができたのである。
2010年代の外交:ロシア一国依存からの離脱
以上のように、2000年代のベラルーシ経済は、大雑把にまとめると、ロシア一国依存であったといえる。こうした対外政策が変化するのは2010年代に入った頃だ。 きっかけとなった出来事はいくつかあるが、主要な要因の一つはロシアのクリミア侵攻である。ロシアは、ウクライナ南部のクリミアで2014年に起きた軍事衝突に際して、ロシア系住民を保護するという名目で軍事介入を行い、同地域を併合した。こうしたロシア軍事行動は、ベラルーシを含む旧ソ連地域に警戒心を抱かせる結果となった。
このウクライナ危機のほか、2010年までに両国間に計3回生じたエネルギー係争などの出来事に影響され、ベラルーシはロシアと距離を取って西側に接近する方向に舵を切る。早速、ルカシェンコは長らく拘束していた6人の政治犯を釈放し、野党や反政府的な新聞への規制を緩和し、さらに野党側の候補者が選挙のプロセスに参加することを許すなどした。さらに、こうした国内の宥和政策に加えて、EU加盟国やアメリカ国民のビザ要件を解除し、西側諸国との友好関係を築く意思を明確に示した。
EU側のもっとも大きな動きは、2016年にベラルーシに対する制裁措置のほとんどを解除したことだ(武器輸出の禁止のみ継続)。EU側の文書によれば、それ以前の大統領選挙が野党側の暴力的な弾圧を伴っていたのと異なり、2015年の大統領選挙が暴力を伴わず平和裡に遂行されたこと、およびルカシェンコ政権が6人の政治犯を釈放したことから判断して、制裁を解除したという。
これは、EUが当初求めていたほどにベラルーシの人権状況が向上したことを意味するであろうか。事実を見る限り、イエスとは言い難い。2017年には、税法に反対する大規模なデモが暴力的に弾圧され、数百人の市民が逮捕されるなど、政権批判を許さないシステムは依然として健在である。こうした人権侵害の状況をEUはどう見ているのであろうか。 この点についてEUの外交官が語るところによれば、ルカシェンコは改革を行わなければならないが、ウクライナの二の舞にはならないよう、改革を急かすことはしないとのことである。ウクライナでは、親ロ的なヤヌーコヴィッチ政権が転覆されたことをきっかけに、ロシアがクリミア地域に軍事介入を行い、情勢の不安定化が生じた。EUとしては、ベラルーシ内の改革を急いでロシアを刺激するよりは、一時的に同国内の人権問題に目をつぶり、自陣営側に抱き込もうとする意図あるようである。
以上のように、独立当初はロシアとの関係を重視し、ロシアとの関係性が悪化すると人権状況を改善してEUに対し友好的な姿勢を見せるといった形で、大国間をうまく立ち回ってきたルカシェンコ政権であるが、最近ではまた新たな動きを見せている。中国との接近である。中国とベラルーシの友好関係は2013年の包括的戦略的パートナーシップの合意により形成され始めたが、両国の関係性強化はここ2,3年ますます加速している。2016年にはルカシェンコ自身が中国を訪問し、軍事産業などの分野における関係強化を合意した。これらの合意は実行に移されており、以前は主にロシアから武器を輸入していたベラルーシだが、近年は中国製の武器を優先して買いはじめている。中国側のメディアでもベラルーシとの関係強化は好意的に報道されており、両国が今後緊密なパートナーシップを築いていくことは確実であろう。
ベラルーシの行く先
2018年2月には、親ロ的な記事を書いた3人のブロガーが逮捕されるなど、未だに人権侵害は続いている。ヒューマン・ライツ・ウォッチをはじめとする人権団体がこうした状況を非難しているものの、ベラルーシ政府が改善に向けて行動する兆しはほとんど見られず、また諸外国も人権問題を先送りにしているのが現状だ。これを可能にしているのが、ベラルーシを取り巻く複雑な国際関係と、それをうまく利用したルカシェンコ政権の外交政策であることは、上述の通りである。
本記事では、ベラルーシで長期独裁体制を維持するルカシェンコ政権について、大国間で周到に立ち回る外交政策に着目しながら、その実像を浮かび上がらせることを試みた。周辺国への介入が激しく油断ならないが、伝統的な友好国として深い関係を築いてきたロシア、人権問題にうるさいものの、ベラルーシを抱き込む地政学的インセンティブを有するEU、そして遠く離れた新興の強国中国と、数々の大国とうまく関係を取り結びながら、その体制を維持しているのが、ルカシェンコの独裁政権である。
ライター:Shunta Tomari
グラフィック:Hinako Hosokawa
独裁体制は良い印象を持たれることが少ない気がしますが、個人的には、そのトップが政治家として優秀であることが多いという印象もあります。ルカシェンコ大統領もその一人であることが伺えました。
正直ベラルーシについては全く知識がなかったし、日本でも報道されていないと感じます。
最後の年表がとてもわかりやすかったです。
ヨーロッパといえばイギリス、フランス、ドイツといった西欧の国を思い浮かべてしまいますが、いろいろなんですね!もう少し自分でも世界のことについて勉強してみようと思いました!
日本で、ベラルーシに関する報道を見たことが無かったので、このような独裁政権が長期的に存続していると知って驚きました。
人権侵害が度々行われている中で、支持基盤が揺るがず人気が持続しているのが不思議です…
ベラルーシ国民は、このような人権侵害の現実をどれだけ知っているのでしょうか。
ベラルーシと言えば、親ロシア的なイメージはあったが、EUや中国とも関係が良くなっているということはこの記事を見て知りました。
現在は、ルカシェンコの人気とカリスマで維持できている気がしますが、独裁政権が終わった後、ベラルーシがどのような外交関係を築いていくのか、国内の体制がどうなっていくのか、これからも注目したいと思います。
ベラルーシと中国との友好関係と、一帯一路計画には何か関係があるのでしょうか。
ベラルーシの国民の経済状況、生活が具体的にどんなものなのか気になりました。
地理的にみたら、EUや中国と仲良くなっても、ロシアの強い影響力から抜けだせなさそう。
EUに寄り過ぎると、ウクライナみたいになってしまう恐れもありますね。
ベラルーシといえば、ロシアと蜜月関係にあるようなイメージでしたが、ベラルーシの国民自体はロシアに対して特に友好的な感情を持っているようには実際に住んでいて感じませんでした。もちろん、敵意を持っているわけでもなく非常にニュートラルだったように思います。
ベラルーシは他の旧ソ連諸国と比較して貧富の差が小さく、道端で物乞いの方々を見ることはほとんどありませんでした。ソ連崩壊後にロシアやウクライナのようにドラスティックな経済自由化を進めなかったため、大きなインフレがなかったことが要因だと思われます。そのため、富裕層もほとんどいないが貧困層も少ない、といったのが私がミンスク在住中に抱いた感想です。
ルカシェンコ大統領の政権が長く続く要因としては記事で書かれているようにやはり外交が優秀であることが挙げられると思います。ただ、長期政権の常として権力移譲の難しさがあると思われるので、彼の後継者が誰になるかは注目したいですね。