シリアの長年の指導者バシャール・アル=アサド氏は、2024年12月にハヤート・タフリール・アル=シャム(HTS)率いる反乱連合によって打倒された。HTSは主にシリアのアルカーイダ系列組織であるヌスラ戦線から発展し、2017年に正式に設立された。2024年7月時点の国連安全保障理事会の委員会による報告書では、HTSは「北西シリアで最も主要なテロ組織」と表現されている。また、アメリカイギリスを含む複数の国からテロ組織に指定されていた。当時のリーダーはアブ・モハメド・アル=ジョラーニというコードネームで知られ、国連安全保障理事会から制裁を受けた。また、アメリカ政府は彼の情報提供に対して1,000万米ドルの懸賞金をかけていた。

2024年のHTSによるシリア政府の打倒は、組織とその指導者の大幅なイメージ刷新をもたらした。アル=ジョラーニ氏は従来の武闘的な服装を西洋風の服装に変え、名前をアフメド・アル=シャラーに変え、西側諸国の利益に沿うような立場を取った。 これにより、シリアの新たな指導者として受け入れられる可能性が示唆された。2025年7月にアメリカはHTSのテロ組織指定を解除した。一方で、HTSは依然としてイギリスのテロ指定組織リストに入っているが、イギリスの外務大臣はその指導者と会うためにシリアを訪れた

2025年7月5日、イギリスの外務大臣がシリアを訪問した同じ日に、内務大臣はパレスチナ・アクションという団体をテロ組織として指定した。パレスチナ・アクションは、「イスラエルによるジェノサイドおよびアパルトヘイト体制への世界的な加担を終わらせる」ことを目的とした抗議団体であり、主に「イスラエルの軍需産業複合体」を標的として活動していた。この指定は、そのメンバーたちがイギリスの軍事基地に侵入し、イスラエルへの支援に抗議して2機の軍用機に赤いペンキをかけた事件を受けたものである。テロ組織に指定されたことで、イギリスのテロ対策法により、パレスチナ・アクションを支持する発言や行為自体が犯罪と見なされるようになった。この指定に抗議するデモの中で、890人が同法の下で逮捕された。

これら2つの事例は、政府が「テロリズム」という概念をいかに一貫性なく、柔軟に適用しているかを浮き彫りにしており、「テロ」とは一体何を意味するのかを私たちに問いかけている。本記事では、「テロリズム」という概念そのものを掘り下げ、その意味や受け取られ方について考察していく。

サウジアラビアの皇太子とアメリカ大統領と会談するシリアのアフメド・アル=シャラー(写真:White House / Wikimedia Commons [Public domain] )

定義について

「テロ」という言葉が恣意的に使われているように見える以上、それが実際には何を意味するのかについて、いくつかの定義を検討する価値がある。

オックスフォード・リファレンスは、典型的な辞書的定義として次のように述べている。「恐怖を植え付けるために計画的に行われる暴力、または暴力の脅しの使用。テロリズムは、一般的に政治的、宗教的、またはイデオロギー的な目的のために、政府や社会を威圧・脅迫することを意図している」。また、2004年に国連の「脅威、挑戦、変化に関するハイレベル・パネル」が出した報告書では、テロリズムを次のように定義している。「市民または非戦闘員に対して死または深刻な身体的危害を加えることを意図した行為であり、その行為の性質または文脈によって、社会全体を脅かすこと、あるいは政府や国際機関に特定の行動を取らせるか、取らせないようにすることを目的としているもの。」

これらの定義には、「テロリズム」を構成するものとして広く合意されている重要な要素が共通して含まれている。すなわち、市民や非戦闘員に対する暴力(またはその脅し)、威嚇する意図、そして何らかの目的の追求である。テロリズムを研究する研究者たちも、これらの核心的要素にはおおむね同意している(※1)。

しかし、こうした定義が普遍的に受け入れられているわけではない。各国政府は独自に「テロ」の定義を法律で定めており、特定の政府機関もそれぞれの定義を用いている。これらの定義は、「テロ」と見なされる行為の範囲を大きく広げたり、逆に狭めたりする可能性がある。

パレスチナ・アクションに支持を表明したため、イギリスのテロ法に基づき逮捕される女性(写真:Alisdare Hickson / Flickr [CC BY-NC-SA 4.0] )

例えば、イギリスの2000年テロリズム法は、市民に対する攻撃にとどまらず、「重大な財産への損害」もテロ行為として分類し得ると規定している。このような広義の定義により、イギリス政府は、駐機中の軍用機にペンキを吹きかけた行為を単なる器物損壊ではなく、「テロ行為」として起訴することが可能となっている。一方で、アメリカ国務省の定義では、「テロ」は国家以外の主体(非国家アクター)によって行われた行為に限定されている。そのため、たとえ政府(アメリカ政府を含む)が政治的な目的で市民を威嚇するために殺害行為を行ったとしても、その行為はこの定義のもとでは「テロ」とは公式には見なされない

特定の団体を「テロ組織」として分類しようとする際にも、さらに別の定義上の問題が生じる。そうした分類には、しばしばその団体がテロ行為のみを行っているというイメージが含まれているといえる。そのため、「テロ組織」とラベリングされた団体が、通常の武力紛争や国家のような日常的な統治活動に関与していることに、観察者が困惑したり、驚いたりすることがある。しかしその逆のケースもよくみられる。すなわち、国家の正規軍や伝統的な反政府武装勢力と見なされている集団であっても、民間人を意図的に標的にして威嚇するような行為、すなわちテロとみなされ得る行為を行っている場合がある。たとえば、イスラエルが2024年にレバノンで使用した爆発するポケットベルの事件は、その明白なである。

テロとは、ある特定の組織に貼られるラベルではなく、ある種の行為を指す言葉であろう。実際のところ、多くの武力紛争においては、武力行使とテロ行為との境界は非常に曖昧である。

政治的ラベリング

日常的な文脈において、「テロリズム」という用語は、非常に主観的かつ政治的に利用される傾向がある。ある集団や行為が政府の声明や報道の中で「テロ」とラベリングされるかどうかは、多くの場合、強大な国々の政治的・戦略的な目的に左右される。ある学者は、「テロ」という言葉は「政府やその他の関係者によって、自らの敵と見なす存在を悪魔化するために使われている」と述べており、あるいはより単純に「自分が支持しない暴力」を表す言葉として使われているとも指摘している。有名な言葉に「ある人にとってのテロリストは、別の人にとっての自由の戦士である」というものがある。

ネルソン・マンデラ氏とコフィー・アナン元事務総長(2013年)(写真:UNIS Vienna / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0] )

前述の通り、シリアのHTSおよびその指導者に対する「テロリスト」という公式な指定は、アメリカの政治的優先事項の変化によって急速に変わった。しかし、南アフリカのネルソン・マンデラ氏の場合はそうではなかった。マンデラ氏は反アパルトヘイト運動の活動家であり、アフリカ民族会議(ANC)のメンバーだった。1990年代に南アフリカのアパルトヘイト体制終了後の初代大統領を務めた人物である。彼は1962年から1990年まで投獄されており、主にアパルトヘイト政権の打倒を目的とした破壊活動および共謀に関連する罪で起訴されていた。アメリカ政府は、マンデラ氏が共産主義思想に親和的であると見なしており、中央情報局(CIA)の密告により彼の逮捕を支援したと報じられている。その後、マンデラ氏はANCによる南アフリカ政府への破壊活動を理由に、アメリカのテロリスト監視リストに掲載された。彼の名前がこのリストから削除されたのは、2008年になってからである。

場合によっては、ある行為がテロとみなされるかどうかは、その行為や意図そのものよりも、加害者に結びつけられた宗教的イデオロギーによって左右されることがある。例えば、2011年のノルウェーでは、キリスト教ナショナリストを自称する人物による一連の攻撃が起きた。首相官邸の爆破や、労働党のサマーキャンプでの若者の虐殺を含むこれらの事件で、77人が命を落とした。

多くの報道機関は、証拠もないままイスラム過激派による犯行と推測して報じたが、実際の加害者が明らかになると訂正を余儀なくされた。ニューヨーク・タイムズ紙の記事では、当初「テロリストが関与しているのではないかと十分な懸念があった」と記述している。つまり、犯人像が明らかになってからは「テロリスト」でなくなったように読める。犯人がイスラム過激派ではなくキリスト教過激派であったため、その行為は「テロ」ではなく「過激主義」と表現されたことを示唆している。

国家が関与するテロ行為:アメリカの場合

テロリズムの概念が特定の政治的・戦略的目的に合わせて柔軟に使われることを踏まえると、アメリカはその用いられ方を検証するうえで興味深い事例を提供している。アメリカは2001年9月11日に発生した大規模なテロ攻撃(9.11事件)の被害国として知られており、この攻撃では約3,000人が死亡した。これ以降、アメリカは一貫してテロの対策に取り組む世界のリーダーとして自らを位置づけている。そして、それに応じて世界規模の「対テロ戦争」を宣言した。しかし、この「戦争」は当初から論理的にも実際的にも疑問視されていた。戦争は特定の国や組織といった明確な敵に対して行われるものであるが、テロリズムは固定された敵ではなく暴力の戦術・手法であるため、この概念がテロにどのように適用されるのか理解しにくい。

ショック・アンド・オー。アメリカによるイラク侵攻、2003年(写真:4WardEverUK / Flickr [CC BY 2.0] )

さらに、アメリカは長い間、テロを支援している、あるいはテロに関与していると非難されてきた。世界中でアメリカが支援するグループがテロ行為を行った例は数多い。例えば1980年代には、アメリカはニカラグアグアテマラアンゴラなどでテロ行為に関わる反政府勢力や政府に軍事支援を行った。また、旧ユーゴスラビアのコソボ解放軍(KLA)については、1998年と1999年にアメリカが軍事支援をしたが、政府関係者はこのグループをテロ組織と呼ぶこともあった。2012年には、アメリカがシリア政府転覆を目指すグループに軍事支援をしていた際、当時の国務省副首席補佐官ジェイク・サリバン氏が国務長官ヒラリー・クリントンに対し、アルカイダが「シリアで我々の側にいる」とメールを送っている。

アメリカ政府はまた、テロと定義できる行為に直接関与したこともある。特に顕著なのは2003年のイラク侵攻である。この侵攻は1996年に初めて提唱された「ショック・アンド・オー(威圧的な衝撃と畏怖)」の教義のもとで行われた。ショック・アンド・オーとは、「一般市民や特定の脅威となる社会の要素・部門、または指導者にとって理解不能な恐怖、危険、破壊を生み出す行為」と定義されている。つまり、圧倒的な力を用いて対象となる社会に恐怖を植え付けることを意味する。イラク侵攻はこの教義のもと実行され、最初の6週間にわたる大規模な空爆作戦によって推定7,400人の民間人が殺害された。

皮肉なことに、アメリカはこの侵攻をいわゆる「テロとの戦い」の一環として位置づけた。この「戦い」の開始以降、2001年から2022年にかけてアメリカが関与した5つの武力紛争による死者数は、450万から470万人にのぼると推定されている(※2)。

核兵器:テロの究極の形?

アメリカ軍が実行したショック・アンド・オー理論の提唱者たちは、1945年の広島・長崎への原爆投下をショック・アンド・オーの「究極の軍事的応用」と位置づけている。彼らは、これらの兵器の使用は「瞬時に、ほとんど理解を超える規模の大破壊を社会全体、すなわち指導層と一般市民に向けてもたらす」ものであると述べている。これらの行為は、「敵の国民の抵抗意思を直接攻撃する」ことを目的としている。この説明(抵抗の意思を挫くために民間人を大量に殺害すること)は、一般的に受け入れられているテロの定義の主要な要素をすべて満たしている。

発射サイロ内の大陸間弾道ミサイル(ICBM)(写真:Steve Jurvetson / Flickr [CC BY 2.0] )

これらの兵器がもたらす破壊の規模の大きさは、核兵器が軍事目標よりも主に民間人を対象に使用されるよう設計されていることをさらに示している。広島に投下された原子爆弾は、10万人以上の人々を殺害した。それ以降、核兵器を保有する国々は、その破壊能力を大幅に増強してきた。現在、アメリカ軍の核兵器の平均威力は、広島に投下された爆弾の10倍以上となっている。

一部の核保有国は「戦術核兵器」と呼ばれる小規模な核兵器を開発してきた。これは、民間人を標的にするより、より軍事目的に特化した兵器であることを示唆する用語である。しかし、使用場所によっては、広島型の原爆よりもはるかに出力が小さくても、戦術核兵器が数万人の民間人の死を引き起こす可能性がある。これは従来型テロリズムによる殺害能力をはるかに超える。さらに、主要な核保有国が戦術核兵器を使用する場合を想定したほとんどのシミュレーションでは、報復とエスカレーションが予想され、数千万の人命が数時間のうちに失われる可能性がある。

核兵器の「使用」は、敵国の都市に実際に発射・爆発させることだけを意味するものではない。核兵器は、日常的に「抑止力」として使用されている。この抑止は、潜在的な攻撃者に対して、もし攻撃すれば、その報復として攻撃者の国で何十万人もの民間人を殺害する意思と能力があるという暗黙の脅迫を含んでいる。抑止戦略の最も極端な形は「相互確証破壊(MAD)」として知られている。この戦略の下では、敵対国同士が自国の核兵器を増強し、相手国の人間を完全に絶滅させうる、場合によっては地球上すべての生命を滅ぼしうる規模まで核兵器を保有する。双方が大規模な報復を前提としているため、いずれの側も先制攻撃を仕掛けることを思いとどまることが期待されている。

この抑止は単なる理論ではない。潜在的な敵国にとって信頼に足ると見なされる抑止力の水準を維持するためには、核保有国は、民間人を不可避的に標的とする破壊的な攻撃を行うための技術的な能力と、政治的意志の両方を示さなければならない。したがって、たとえ1945年以降敵国に対して核兵器が実際に爆発させられたことがなくても、各国は、自国の核兵器の近代化と性能の向上に莫大な費用を投じ続けている。多くの研究は、核抑止が効果的な戦略であるとは限らないことを示唆しているにもかかわらず、各国はこの思想のもとで核兵器の保有能力を強化している。

核実験、アメリカ、1953年(写真:International Campaign to Abolish Nuclear Weapons / Flickr [CC BY-NC 2.0] )

前述の通り、テロリズムの主要な定義には、実際の暴力だけでなく、民間人に対する暴力の脅迫も含まれている。核抑止は、現在想像しうる中で最も重大な民間人への暴力の脅迫として機能している。したがって、核兵器を保有する国々や、同盟国のいわゆる「核の傘」に依存している国々もテロリズムに関与していると言える。

報道が描くイメージと現実のギャップ

上述した議論の多くは、日本の主要メディアが提供する情報には反映されていないことが明らかである。

一般的に、国家主体の行為がテロと見なされうるという視点は考慮されることはほとんどない。つまり国連で使われる定義よりも、アメリカ政府の定義に沿ったものが採用されることが多いようだ。2003年のアメリカのイラク侵攻の際、大規模メディアにおいては、アメリカの「ショック・アンド・オー」作戦がテロ行為と見なされる可能性を考える記事は見られなかった。その後もそうした論の提示はなされていない。一方で、アメリカでの9.11テロ攻撃20周年を振り返る中で、多くのメディアは依然としてイラク侵攻をアメリカの「対テロ戦争」の一環として位置づける報道を続けている。この構図は、9.11事件とイラク侵攻を結びつける示唆が、当時アメリカ政府関係者が意図的に広めた虚偽として長らく証明されているという事実にもかかわらず、維持され続けている。

また、核兵器の使用や核抑止がテロリズムと見なされ得るという考え方について、日本のメディアが向き合おうとした形跡も見られない。報道において、テロリズムと核兵器の関係として言及されるのは、核兵器が非国家主体の過激派組織の手に渡る危険性に関するものにほぼ限られている。近年、核武装や核抑止をテーマとしたテレビ番組は増加傾向にある。そうした番組では、核武装や核抑止のコスト、メリット、リスクについては議論されるが、それらとテロリズムとの関係については基本的に触れられていない。

シリアの村を襲うHTSの兵士(写真:Qasioun News Agency / Wikimedia Commons [CC BY 3.0] )

実際に非国家主体によって引き起こされた暴力的なテロ事件に関しても、メディアはその規模や発生地域を大きく歪めて伝えている。2024年に世界中で発生したテロ攻撃による死者のうち、半数以上が西アフリカ、特に中央サヘル地域で発生している。しかし、日本のメディアにおけるテロ報道には、こうした実態がほとんど反映されておらず、むしろ欧米諸国で発生した比較的小規模な事件に焦点を当てた内容が多く見られる。

このような傾向は、過去にGNVによって調査・報告されている。それは、国際報道全体に見られるより広範な歪みを反映しており、報道機関が権力と富が集中する場所に強く焦点を当て、その視点に合わせて報道内容を調整しているという構造に起因している。その結果、日本政府や欧米の強力な政府の視点や優先順位が、テロリズムに関する報道にも色濃く反映されやすい。一方で、権力や富の中心から離れた地域におけるテロリズムは、ほとんど報道されないままとなっている。

今こそ、一歩引いて、より広い視野から「テロリズムとは何か」を再考する必要があるのではないだろうか。

 

※1 たとえば、ティモシー・シャナハン氏によって提案された定義では、テロリズムとは「加害者が自身の目的の推進に有利であると予期するかたちで、対象集団の構成員に対して戦略的に無差別な危害を加えること、あるいはその脅迫によって、観衆集団の心理状態に影響を与える行為」であるとされている。

※2 この推計は、アフガニスタン、パキスタン、イラク、シリア、イエメンにおける直接的および間接的な死者数を対象とした、ブラウン大学による調査に基づいている。

 

ライター:Virgil Hawkins

 

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