サウジアラビア、世界の表舞台に隠される残酷さ

執筆者 | 2025年11月13日 | Global View, ジェンダー・性, 中東・北アフリカ, 報道・言論, 政治, 法・人権, 紛争・軍事, 経済・貧困

サウジアラビア王国は世界でも有数の死刑執行数を記録する国の一つである。そして剣による斬首で死刑が行われる唯一の国である。2025年10月までに、同国では少なくとも302人が死刑に処されており、死刑の使用を制限するというサウジアラビア当局の主張に反してその数は年々増え続けている。10月20日には当時17才で抗議デモに参加した男性に死刑を執行するなど、未成年への死刑、国際法に違反する死刑の使用がサウジアラビア国内では多発している。

2016年、サウジアラビア政府は「ビジョン2030」という国家方針を発表し、2030年に向けて経済、社会、政治の観点から国内を再構築する目標を掲げた。しかしながらサウジアラビアでは人権侵害や、政府に対する批判の声を抑えつける動きが目立っており、さらには「ビジョン2030」がそうした国内の都合の悪い事実をおおい隠し、国外からの監視の目をそらす目的で利用されている傾向も顕著にうかがえる。

本記事ではサウジアラビアの歴史やイスラム文化に根づいたその独特の風習ふまえて、2030年まで5年と迫った2025年時点での「ビジョン2030」の成果と、そこに潜む多くの矛盾点について、国外とどう関わり影響を及ぼしているかという視点とともにみていく。

サウジアラビアの首都リヤドのランドマーク(写真: B.alotaby / Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0])

サウジアラビア王国の歴史とイスラム教

現在のサウジアラビア王国は1932年に建国されたできて間もない国であり、その名称はこの国を代々治めるサウード家に由来する。基盤となったのは1727年、当時ディルイーヤという町を統治していたムハンマド・ビン・サウード氏とイスラム教の学者であったシェイク・ムハンマド・ビン・アブドゥル・ワッハーブ氏によって最初のサウジアラビア国家が設立されたことのさかのぼる。彼らは「純粋な」イスラム教(※)をアラビア半島に回復することを目指して国家を拡大していった。1818年にオスマン帝国によって滅ぼされることとなるが、1824年にサウード家はリヤドを首都とした2番目のサウジ国家を興した。1891年、この国家もやがてオスマン帝国を後援にもつライバルのラシッド家に倒され、サウード家は隣国クウェートに逃れることとなる。しかし、サウード家は1902年にリヤドを再征服し、後に3番目のサウジ国家にあたる現在の王国が誕生した。イギリスはサウジアラビアの周辺諸国を保護国の関係においていたが、1927年にはジェッダ条約で同国はサウジアラビアを国家として承認している。

アラビア語を国語とするサウジアラビアは、紅海とペルシャ湾に挟まれたイスラム教誕生の地にあり、メッカとメディナという2つの聖地は王家が管理している。国民のほとんどがイスラム教スンニ派を信仰し、全体の10%に満たないシーア派は差別や偏見の対象となり抑圧されている。国家はイスラム教とは切っても切れない関係にある。1744年に、最初の国家を建国したムハンマド・ビン・サウード氏とシェイク・ムハンマド・ビン・アブドゥル・ワッハーブ氏の2人が結んだ同盟により、それ以降ワッハーブ氏の子孫はシャイクという称号で呼ばれ宗教的地位を担う一方でサウード家が政治的地位を担うという関係が築かれ、今日まで受け継がれる慣習となっている。

しかし、宗教と政治との折り合いはしばしばうまくつかず、1938年に大量に発見された石油が1970年代の石油危機のときにその富で国家を潤すと、国外からの技術、情報、娯楽、文化などが取り入れられ、近代化が進むにつれて宗教的緩和が日常にみられるようになった。このような文化的開放が浸透していくと、それを社会的・宗教的価値観の退化として王家を批判したジュハイマン・アル・ウタイビ氏率いる過激派イスラム主義者らが1979年、世界中から5万人が集まるメッカのグランドモスクを武力で占拠する事件が起こった。保守的なイスラム教を取り戻そうとするこのような反乱の鎮圧の後、王室はより慎重になり、宗教の復興に再び焦点を当て始め、厳格なイスラム教を推進するようになっていった。

聖なるモスクで祈りを捧げる巡礼者(写真: Ali Mansuri / Wikimedia Commons [CC BY-SA 2.5] )

絡み合う国際関係

その後、1979年から1989年にかけてソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が、イスラム教徒が大半を占めるアフガニスタンに侵攻した。非イスラムであるソ連の勢力拡大に際して、サウジアラビア政府はソ連を倒せば天国に行けるとうたって義勇兵を募った。この機会にサウジアラビア政府は、イスラム教のジハードにあたる「イスラーム防衛のための軍事的闘争」という概念を利用して、政府に難色を示すイスラム保守派をアフガニスタンの外国人戦闘員として国外に追いやったのだ。

ところが1990年にイラクのクウェート侵攻が起こると、それを脅威に感じたサウジ政府がアメリカ軍を聖地メッカ、メディナ近郊に駐留させた。聖地付近に非イスラム勢力の存在を許すというこの動きは、政府の裏切りにあったアフガニスタン帰還兵の不満と相まって、イスラム教をないがしろにする王家への反乱の意思を最高潮にした。また、この時の反乱の意思は後の過激派組織、アルカイダの台頭につながる要因ともなった。反対勢力のアメリカ軍基地爆破やカセットテープによる政府批判思想の拡散などの活動を政府は監視、弾圧、金銭での買収などによって抑圧しようと試みた。

サウジアラビアは隣国カタールとの国境をめぐる争いにも手を焼いていた。両国の国境は1965年に部分的に画定されたが、依然として曖昧だった。1992年には国境地帯の検問所で軍事衝突が起こり、対立はエスカレートしていった。さらに2002年、カタールのメディア、アルジャジーラがサウジアラビア王室の腐敗や人権問題を度々衛星で報道したことで、サウジアラビア側はカタールの首都ドーハからサウジ大使を呼び戻し外交関係を凍結した。

関係回復の兆しは一時2007年に見え始め、両国の国境画定の合意とカタール側がサウジアラビア関連の報道を控えることを条件に改善された。国境線は決まったものの根本的な解決には至っておらず、緊張関係が続いた。2017年にサウジアラビアはアラブ首長国連邦など他のアラブ諸国と共に国交を断絶した。「テロへの支援」の停止やアルジャジーラ閉鎖の要求などをつきつけたが、2021年に回復した。

ムハンマド・ビン・サルマン皇太子の台頭

サウジアラビアの首脳である国王はサウード家の直系男子が継承するのが原則で、前国王が亡くなると王位継承を管理する忠誠委員会の投票で承認された皇太子が次期国王となる。2015年1月にサルマン・ビン・アブドゥルアズィーズ国王が王位に就くと新たな風が吹き込んだ。サルマン国王の息子ムハンマド・ビン・サルマン、通称MBSが国防大臣に任命され、表舞台に現れたのだ。

2014年に本格化したイエメン戦争で、イスラム教シーア派の一派が主に構成する勢力であるアンサール・アッラー(別名フーシ派)がイエメンの首都を制圧した。この勢力に対抗するために、MBS率いるサウジアラビア軍はアラブ首長国連邦や他のアラブ諸国と主導して2015年3月にイエメンに介入した。そこで大規模に行われた2万5,000回を超える空爆の被害は甚大なものとなり、民間人や移民、学校、病院、農場などを無差別に攻激し、捕虜は拷問にかけられるなど、サウジアラビアの介入は紛争の拡大と世界最悪の人道危機をもたらしたとして責任が問われている。イエメン紛争では少なくとも約40万人死者が出ている。

国内では、MBSが健康状態の好ましくない国王の後ろ盾と王族の高齢化を機に、自身に権力を集めてきた。サルマン国王は2015年初頭に経済開発評議会(CEDA)を創設し、その議長にMBSを任命した。2015年3月にはサウジアラビアの公共投資ファンド(PIF)の監督をCEDAに委ねることが決定された。PIFとは、石油危機によって得た利益を有効に活用しようと1971年に設立された政府の国家基金である。つまり、MBSは国家の財政も握ることになったのだ。

2017年6月にMBSは皇太子に昇格し、同年11月、首都リヤドの5つ星ホテル、リッツカールトンで王子ら政府高官381人を汚職取り締まりの一環として拘禁した。拷問した上で釈放と引き換えに彼らから総額約800億米ドルを強制的に回収し、国庫に収めた。こうしてMBSはライバルとなる王子たちを一掃したとみられている。

2016年7月21日、ワシントンD.C.の米国務省にて開催された対ISIL閣僚級合同閣僚会議本会議に出席するムハンマド・ビン・サルマン氏。(写真: U.S. Department of State / Wikimedia Commons [Public domain] )

「ビジョン2030」と国内の改革

2014年に石油の価格下落が起こると、それは世界最大の石油輸出国であるサウジアラビアにとって痛手となった。さらに、当時サウジアラビアの総収入の85%を占めていた石油は、2030年には生産と需要がピークに達するとの予測が立てられた。そこで2016年4月、MBSはサウジアラビアの経済を石油依存から脱却し多様化させるための2030年までの目標「ビジョン2030」を発表した。この計画では経済のみならず国内の社会的、文化的側面における多様化のアプローチも重要視されており、MBSは保守的なイスラム教には反対する姿勢を見せている。

「ビジョン2030」の概要と進捗について見ていこう。「ビジョン2030」の中でサウジアラビアは、国内の産業を強化しヨーロッパ、アフリカ、アジアをつなぐ貿易の中心地点、またアラブ地域とイスラム教の中心地としてリーダーシップを発揮していくと示した。そして「活気ある社会」、「繫栄する経済」、「野心的な国家」という3つのテーマを掲げ、それぞれに具体的な目標を設定した。目標は全部で1,502件が掲げられ、2024年まででその85%が良好な進捗であり、674の目標がすでに完了しているとされている。

まず「活気ある社会」では、社会的および文化的発展を通じて、国民の生活の質とアイデンティティの向上を目指している。例えば、サウジアラビア人の住宅保有率は70%を目標としている。2016年時点では47%だったものの、2024年には64%になり成果を見せている。また、平均寿命を77才から80才に延ばすという目標も設置した。2024年時点では78才である。さらに、イスラム教におけるメッカ巡礼の1つである「ウムラ」での国外からの巡礼者を年間3,000万人に増やすことを目標としている。2016年の620万人から大きく増えたものの、2024年の時点では1,690万人にとどまっている。他にも博物館の建設や、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の世界遺産への登録、教育の強化などが含まれた。

次に「繁栄する経済」では、国有企業の民営化などによる産業基盤の拡大、石油以外の産業への投資、いくつかの巨大都市の創設などが示された。例えば、失業率は目標7%を掲げている。2016年の11.6%から2024年には8.6%に前進した。女性の労働参加率については、目標30%に対して2024年では36%と超過する結果を出した。 そして公共投資ファンドであるPIFの資産は2024年には9,400億米ドルを超えており、目標を2兆6,700億米ドルに引き上げている。GDPに占める民間部門の割合は目標を65%に設定しており、2016年の40%と比べ、2024年には46%と僅かに上がった。しかし、非石油の輸出割合や防衛の国産化、外国企業からの投資額に関しては目標から遠く、伸び悩んでいる。

最後の「野心的な国家」では、より透明で生産的な国家が目指され、財政の効率化や汚職への厳しい態度が示された。具体的には政府の電子化・効率化、イスラム教の道徳に従った市民のボランティア活動の促進や非営利組織を増やすことが掲げられ、これらは順調な成果を出していると政府は主張している。

国連総会サイドイベントにてサウジアラビアのビジョン2030(写真: United Nations Development Programme / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0] )

MBSは改革の一環として、2016年4月には宗教警察の権限を縮小した。宗教警察はイスラム法典の遵守を目的として、公共の場での男女の交流や女性の服装など市民の生活を長年取り締まっていたが、行き過ぎた活動が嫌がらせや死者につながり、市民の不満となることが多かった。

死刑問題

こうした改革の最中に、サウジアラビアでは政府による深刻な人権侵害がたびたび起こっている。まず挙げられるのは、本記事の冒頭でも記したように死刑執行の多さが問題視されている。欧州サウジ人権機構(ESOHR)によると、2024年には345人が処刑され、過去10年で最多の執行数となった。2025年は、10月時点ですでに2024年の87%の死刑数に達している。

2014年から2025年6月にかけて行われた1,816件の死刑の中で大半を占めたのは、テロ容疑と麻薬関連の容疑によるものだった。テロの解釈は曖昧であり、政府に対するデモへの参加もテロとみなされることがある。テロの容疑で死刑になるケースの中には、「ビジョン2030」の一環である巨大都市建設に抗議した者も含まれる。その一例として、2022年、ネオムの巨大都市建設にあたって強制立ち退きに遭い、政府に抗議した住民3人に対しテロ容疑で死刑判決が言い渡された。また、麻薬関連の犯罪に対して死刑を用いることは、死刑を「最も重大な犯罪」にのみ適用すべきと定めている国際人権法に違反している。サウジアラビアは2022年から2025年現在にかけて国連人権理事会のメンバーであり、2022年にはMBSが「今後、死刑は殺人罪にのみ適用される」と公言したものの、それは堂々と破られている。

サウジアラビアには刑法がなく、イスラム教の倫理規範であるシャリーアに基づいて司法判決がなされる。シャリーアの下では明確な定義がなく、しばしば曖昧な基準で裁かれることとなる。シャリーアの刑罰には主にタジール、キサス、ハッドの3種類があり、タジールは統治者の裁量によるもので、統治者や司法省の判断で広範囲に使用され、抗議や薬物関連、テロ支援など政治的な抑圧に多用されている。 キサスは殺人などの場合に被害者の家族に付与される判決の権利で、「目には目を」の原則で裁かれる。ハッドはコーランに明記された固定刑で、姦通や盗みなどがこれにあたる。

犯罪当時未成年だった男性への処刑に関する記事、ヒューマン・ライツ・ウォッチ(2025年10月20日公開)

また、2025年に2人の男性が未成年の時に犯した罪で死刑を執行された。彼らは当時18才にも満たなかった2011年と2012年に、シーア派を虐待する政府に抗議するデモに参加したことでタジールによる死刑判決を受け、拘禁中には暴力による自白の強要を受けた。これはサウジアラビアも署名している国連の子どもの権利条約に違反し、2020年にサウジ当局自身が約束した未成年への死刑の廃止に背く行為である。

その他の人権問題

死刑の他に、女性への権利侵害も注目されている。サウジアラビアでは、女性は男性の保護下にあるべきというイスラム教の考えに基づく男性後見制度というものがある。そのため、女性は男性の許可なしに職に就いたり国外へ行ったりすることや、医療へのアクセス、離婚が出来ず、車の運転も禁止されていた。2018年には「ビジョン2030」の一環で女性の雇用を促進するために女性の運転禁止が解除された。しかし政府はそれとは裏腹に、運転の許可を主張したり女性の権利を求めて抗議したりする活動家の多くを逮捕して刑務所で拘禁するなど、弾圧する姿勢をとっている。

2019年には後見制度が緩和され、男性の許可なしに国外渡航などができるようになった。また長い間女性には成人年齢が設定されていなかった。2022年に発表された個人身分法で女性の成人年齢が18才とようやく明文化された。しかしながらこの法では、18才以下の結婚を認めることや後見制度の規定も明記され、児童虐待や家庭内暴力につながると批判されている。

さらに、サウジアラビアでは言論の自由が厳しく制限されている。当局は世界でも注目されるメディアでの政府批判を監視したり、サウジアラビアに関する肯定的な意見を広めたりしている。2025年6月には、ソーシャルメディアXのアカウントなどを通じてサウジ王室の汚職を暴露していたトゥルキ・アル・ジャゼル氏を逮捕、拘禁後に死刑に処した。また、国外から王室を非難するサウジアラビア人を追及することもある。2018年、サウジアラビアの作家でジャーナリストのジャマル・カショギ氏が、トルコのサウジ領事館でサウジ当局関係者により殺害された事件が世界でも注目された。同氏は長年英語のメディアなどを通じてサウジアラビア政府を批判し、サウジアラビアの改革を求めており、アメリカで亡命生活を送っていた。

サウジアラビア女性活動家のための2019年国際女性デーキャンペーン(写真: Hayfa Takouti / Wikimedia Commons [CC0 1.0] )

移民への人権侵害も以前から問題視されている。サウジアラビアの総人口の約42%は移民労働者が占めており、ネオムにみられるような巨大都市建設など国内の開発における大きな労働力となっている。サウジアラビアで移民として働く際にはカファラと呼ばれるスポンサーシップ制度が適用される。カファラはサウジアラビアの雇用主に労働者の法的地位を結びつける制度で、しばしばこれが移民労働者の虐待につながっている。

移民労働者はウェイターや家事代行などと偽られて契約を結び、実際には屋外の建設作業や工場での仕事に就くことが少なくない。そして長時間労働や粗悪な住環境に直面し、過酷な労働環境の下では厳しい暑さなどが原因で大勢の移民労働者が命を落としている。しかし、カファラ制度の下では雇用主が労働者のパスポートを没収することが一般的であるため転職が難しく、例えば雇用主への不服や転職の意思を示すと、高額な費用を請求されたり国外追放を迫られたりする。サウジアラビアでは法律で労働組合やストライキが禁止されているため、これらの虐待に対処することも難しい。また、働いた後も給料の未払いに見舞われることもある。

国際的な宣伝で隠される人権問題

サウジアラビアは「ビジョン2030」の一環で、国民の健康の促進や女性の地位向上、国内の社会と経済を活気づけるためとしてスポーツへの多額の投資をしている。政府はF1グランプリやボクシング、レスリングの試合、サッカーのプレミアリーグなどに10億米ドル規模を投じて国際的なスポーツイベントを落札し、誘致している。また、これには国際的に名声のある組織に投資し国内外からの支持を集めてサウジアラビアのブランド化を図ることで、国外からのサウジアラビアへの投資を促進する狙いもある。

しかし、目的はそれにとどまらないようだ。国内の深刻な人権問題を隠すために国内外で人気のあるスポーツを利用しているという見方も示されている。2023年、アメリカをを拠点とし男子プロゴルフツアーを運営するプロゴルファ―協会(PGA)ツアーは、サウジアラビアの公共投資ファンド(PIF)のゴルフ事業と権利を統合する意向を発表した。しかし契約内容には「誹謗中傷禁止条項」が含まれていたため、PGAツアー側はサウジの人権問題に対する懸念から契約締結を先延ばしにしており、交渉は停滞している。また、2022年にアルゼンチン出身のプロサッカー選手であるリオネル・メッシ氏がサウジアラビアの観光大使に任命された際にサウジ観光局と交わした契約には、サウジ側の評判を落とす発言を禁止する条件があり、年間10回サウジアラビアをソーシャルメディアで宣伝する見返りとしての200万米ドルも渡されたという。2034年には同国で国際サッカー連盟(FIFA)ワールドカップが開催されるが、その裏で起こる人権侵害も危惧されている。

キングファハド国際スタジアム(写真: على المزارقه / Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0])

スポーツに限らず娯楽イベントの開催にも同じような傾向がみられる。2025年9月に首都リヤドで開催されたコメディーフェスティバルでは、アメリカ人を中心として国際的に人気のあるコメディアンが招待された。しかし、提示された多額の報酬にはサウジ政府を「中傷」することを禁止する規定が条件付けられており、言論の自由の抑圧や、サウジアラビアの深刻な人権問題への加担につながるとして参加しなかったコメディアンもいた。参加したコメディアンの1人は、サウジアラビアの人権侵害について冗談を言ったため解雇された。

また、サウジアラビア政府はサウジアラビアに関する肯定的なイメージを広めるため、他国の大手PR会社と巨額の契約を結んでおり、政府ウェブサイトやソーシャルメディアを通じ、世界に向けてサウジアラビアをブランド化して宣伝している。

これら一連のサウジアラビア政府の動きは「スポーツウォッシング」や「PRウォッシング」、「ホワイトウォッシング」などと呼ばれ批判を受けている。「ウォッシング」には、悪評や不祥事を他の善で覆い隠すという意味がある。サウジアラビア政府は公共資金をこうした投資に使い、人権問題から注意をそらすことで国内の不祥事を覆い隠している。

「協力」する大国

サウジアラビアの独裁的な体制や人権侵害、イエメンへの軍事介入などの不穏な動きは他国政府の行動によっても助長されており、さらにそのことがサウジアラビア政府に対する批判の声を抑え、目立たなくしているとも言える。

アメリカのドナルド・トランプ大統領とMBSの関係は親密で、2025年5月にはサウジアラビアが6,000億米ドルをアメリカに投資する協定が交わされた。また、イギリスとは2025年10月に貿易・投資協定を結んで関係を深めている。しかしながらこの2か国はサウジアラビアに大量の武器を輸出しており、それがイエメン紛争での人権侵害、大量虐殺につながったと国際人権団体などから非難されている。また日本は投資を拡大しており、巨大都市ネオム事業への日本企業参加など間接的な人権侵害に関わっている。

ドナルド・トランプ大統領が2025年5月13日、リヤドでMBSとともに歓迎式典に参加(写真: The White House / Wikimedia Commons [Public domain] )

サウジアラビアの人権侵害の問題の責任は、もはやサウジアラビア国内だけにとどまらない。軍事や経済の他に、スポーツやエンターテインメントを通じて関わる国外の政府や企業などが、サウジアラビアとどう関わり、問題にどう目を向けるかが改善への鍵となるだろう。サウジアラビアの発展と基本的人権の侵害という矛盾は、今後どのようになっていくのか。

 

ワッハーブ派とはシェイク・ムハンマド・ビン・アブドゥル・ワッハーブを起源として、イスラム教の経典コーランに厳格に従う宗派。自分たちを真のイスラム教とみなし他の宗派や宗教を認めずしばしば改革運動を行う。

 

ライター:Morita Aoba

グラフィック:A. Ishida

 

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