2018年7月9日、約4,000人の検挙を監督してきたエリート検察官が、議会の圧力により解雇された。彼女の名前は、ローラ・コドルタ・コヴェシ。2013年に史上最年少の33歳でルーマニアの汚職取締局局長に就任し、政府高官・市長を含む多くの要人の汚職を暴いてきた彼女は、国中に深刻な腐敗を抱えるルーマニアにとって希望の星だったといえる。就任から5年間、祖国の政治腐敗と戦い続けた彼女がその役を降ろされたことは、何を意味するのか。

汚職取締局局長ローラ・コドルラ・コヴェシ。2013年から約5年間の任期中、約4,000人の検挙を監督してきた (写真:AGERPRES /Wikimedia Commons [CC BY 3.0] )
ルーマニアでは、政治、軍事、医療、民間企業、非常に広い範囲で汚職が蔓延しており、外国人投資家に懸念をもたらしている。違法行為に対抗する立場にあるはずの警察や司法部を含む公職でも汚職が見られるため、事態は深刻だ。
汚職それ自体に加えて注意を払うべきなのは、立法府である議会ににおいて汚職を助長する動きが進行していることである。与党である社会民主党(Partidul Social Democrat、以下PSD)が、自党の党員である政治家の汚職を放免することを意図して、法改正を進めているのだ。このような状況に抵抗しているのが、民衆の反政府デモだ。汚職を推進する議会と、それに抵抗する民衆は攻防を繰り返し、2018年には非常に大きな進展があった。
この記事では、近年のルーマニアの汚職問題について解説する。バルカン半島最大の国が、ここ数十年の間どのような道を歩んできたのか、いまどのような状況にあるのか。「汚職」という一つのキーワードを軸に、ルーマニアの現代政治を概観したい。
現代のルーマニアの基本情報
問題の解説に入る前に、現代ルーマニアの基礎情報について簡単に整理しておく。ルーマニアは、人口約1,976万人(2016年)、面積約23.8万平方キロメートルの国家であり、東ヨーロッパに位置する。第二次世界大戦後、ソ連の衛星国として共産主義を採用していたが、1989年の革命によりニコラエ・チャウシェスク大統領率いる共産党政権が崩壊して民主化が実現した。独立後、他の東欧諸国に比較して経済的に停滞したものの、1990年代後半には西欧からの資金援助を受けてマクロ経済の安定化と市場経済化に向けた改革が進み、2007年には、第五次拡大を機にブルガリアとともにEUに加盟した。その後、何度か成長と停滞を繰り返しながらも、2015年以降は景気が大きく加速し、2017年時点では中・南東欧地域では最も成長率が高い国家となっている。
ルーマニアの政治体制は、以下の通りである。国民から直接選挙で選ばれる大統領を国家元首とする共和制国家、議会から選出される首相が行政を行う半大統領制を採用している。議会は任期4年の二院制、大統領の任期は5年である。憲法上、議会と大統領はほとんど対等の権限を持っており、両者が対立した場合、国政が行き詰まるという特徴を持つ。実際に、2019年1月現在、PSDを中心とする連立政権に対し、大統領を勤めているクラウス・ヨハニス大統領は野党出身にあたり、大統領と議会・内閣の間でねじれ状態が生じている。
政界からビジネスまで:ルーマニアの汚職事情
ルーマニアでは、汚職が深刻な問題となっている。腐敗、とくに汚職に対して取り組む国際NGOトランスペアレンシー・インターナショナルの「腐敗認識指数」では、2017年時点で、世界180ヶ国の順位は59番目(低いほど腐敗している)であり、ヨーロッパで3番目に「腐敗していると認識されている国」として認定されている。
頻繁に汚職が行われているセクターの1つが、政界である。例えば、国政レベルで言えば、2009年には、選挙運動において事業家のヨアン・ニクラエがPSDに違法な選挙資金を提供したとして、2年間投獄された。また、中央と同様、地方政府においても汚職がはびこっている。2014年には、市役所の自動車およびゴミ収集車の自動車保険に関連した契約の締結と引き換えに94,000ユーロの賄賂を受け取ったとして、クルジュ=ナポカ市の市長が4年半の禁固刑を宣告された。

国民の館(ルーマニア議会の議事堂 )(写真:Cristian Iohan Ştefănescu /flickr [CC BY-SA 2.0])
汚職が行われている範囲は政治に限らない。司法、警察組織、公共サービス、メディアなど、様々な分野において、大なり小なり様々な程度の汚職が認識されている。例えば、水道業者のアパ・ノヴァにおいて、何人かの従業員が2008年から2015年の間、水道水・下水の関税を引き上げる代わりに継続的に賄賂を取られ、これによって同社の純利益が600万増加した。また、司法組織は独立となっているが実際には立法府の強い圧力の下で活動している(たとえば、汚職の規制について立法府が急に基準を変更できるなど)うえに、司法部内における賄賂の引渡しが裁判の判決に影響を与えるという問題が度々生じている。
蔓延する汚職に立ち向かう国家汚職対策局とピープル・パワー
以上のようにルーマニアでは国内の様々なセクターにおいて汚職が蔓延しているが、それと同時に、汚職への対抗措置が積極的にとられてきたことも指摘しておくべきである。政府機関の内部から反汚職の活動に中心的な役割を果たしてきたのが、国家汚職対策局(Direcţia Naţională Anticorupţie、以下DNA)だ。その名の通り、あらゆる分野における汚職を取り締まることをその職務としているDNAだが、とりわけ、冒頭で紹介したローラ・コヴェシ局長の就任(2013年)以来、多数の汚職事例の取り締まりに成功した。2014年には1,138人が起訴され、また2015年にも970件の有罪判決が下されるなど、数多くの汚職が同局によって取り締まられている。
また、公的な行政機関の外側に位置する国民も、汚職を黙って見過ごしているわけではない。非制度的な角度から汚職に対する抵抗を見せているのが、草の根の民衆運動である。2012年には、国民の生活水準を損なう医療福祉制度の改革をきっかけに、高い失業率、経済状況や政府の汚職などに対する抗議を動機として含む反政府運動が行われた。それ以降も市民運動は反汚職の動きにおいて、決して小さくない成果をあげており、2017年の大規模な抗議デモはその好例である。2017年1月、国会において、いくつかの犯罪について5年以内の有罪判決を免罪する法案、および47,522ドル未満の予算の被害をもたらした権力の乱用を非犯罪化する法案を提案されると、これに対して抗議デモが国中で行われた。ピークとなった2月5日には50万人もの市民が運動に参加し、政府が法案を取り下げたのちも与党PSDに対する抗議として継続され、6月にはソリン・グリンデアヌ首相が退陣に追い込まれた。

首都ブカレストで抗議デモに参加するルーマニア市民(写真:Mihai Petre /Wikimedia commons [CC BY-SA 4.0])
反汚職の動きに対し、政府が優勢か?:2018年の出来事
前節で見た通り、政府機関および市民運動の立場から推し進められ、一定の成果を収めてきた反汚職の活動だが、2018年に入って、その動きは暗礁に乗り始めている。以下、2018年のルーマニア政治におけるいくつかの重要な出来事を、時系列に沿って整理する。
まず、2018年1月、ミハイ・トゥドセ内閣により新しい法案が提出された。内閣が提出した法案には、汚職の容疑者が被害者の法廷での審問に出席すること、家宅捜査が、容疑者に通知された後にのみ可能になること、ビデオ映像は調査から排除されることなどが記載されており、汚職による有罪判決を困難にすることが意図されていたと見える。これに対して、5万人とも10万人とも言われる数の民衆が抗議デモを起こし、法案の棄却させることおよびトゥドセ首相を辞任に追い込むことに成功した。
しかし、約半年後の7月、事態は暗転する。PSDを多数派とする議会の圧力により、前述のDNA局長ローラ・コヴェシが、局長の役職を解雇されたのだ。これを受けて、8月10日、ルーマニア各地で反政府デモが起こった。国外に移住していたルーマニア人(ルーマニアン・ディアスポラ)も、デモに参加するべく帰国し、首都のブカレストのみでも10万人、その他の都市でも合計して数万人が参加した大規模なデモとなる。政府は警察を動員してこれを武力弾圧し、合計で455人が負傷、30人が逮捕された。最終的にデモは政府の武力弾圧に屈し、コヴェシ氏の復職が実現することなく鎮火する。

警察とデモ隊の激しい衝突(写真:Cristian Iohan Ştefănescu /flickr [CC BY 2.0])
汚職への取り締まりを遮ろうとするPSDの動きはその後も前進し、10月には、法改正によって、汚職防止検察官になるための要件が厳格化される。このような動きへの反発から、12月には約2,000人の群衆が首都でデモを行ったものの、これといった成果を上げることはできなかった。
こうしたルーマニア議会の動向に対し、EUは懸念を示している。2019年1月、ルーマニアのヨハニス大統領との記者会見において、汚職容疑者に対して恩赦を行う法改正は「EUの本質を傷づける」として、ルーマニア政府に対する警鐘を鳴らした。2017年1月の抗議デモに同調して議会の方針を批判するなど、もとより汚職と戦う姿勢を見せていたヨハニス氏。彼がいかに議会の方向性に対してどのようなアクションを取っていくかは、今後注目するべきところだろう。
ルーマニアとヨーロッパの今後
この記事では、主にルーマニア国内における汚職問題とそれに抗するDNAおよび民衆の動きにスポットライトを当てながら、2010年代の政治史を概観してきた。ルーマニアでは、政界、司法部、民間企業など、様々なセクターで汚職が蔓延し、またそれを助長する法改正が議会により推し進めてられている。これに対して、取締機関としてのDNAと一般市民が抵抗を続けてきたものの、2018年に入ってその戦いは厳しい局面を迎えているというのが実情だ。
このような政治腐敗はルーマニアだけに見られるものではなく、近隣のブルガリア(2017年「腐敗認識指数」世界第73位、ベラルーシ(同68位)など、他の東ヨーロッパ諸国(旧共産勢力)も共通の課題を抱えている。西欧や中欧におけるポピュリズム勢力の拡大とも合わせて考えれば、ヨーロッパの民主主義は厳しい局面を強いられていると言えるだろう。
ライター:Shunta Tomari
グラフィック:Saki Takeuchi
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汚職が蔓延しているだけではなく、それ助長するような法制度を押し進めているルーマニアに非常に危機感を感じました。
特に司法や警察などの汚職は、国民の人権侵害に繋がりかねないため、ルーマニア内部で汚職促進の動きが止められないのなら、EUのように外部から働きかけて立法制度や行政を根本的に改革させる必要があると思いました。
良心のある市民が戦っているというのは、すごく勇敢な事だと思います。
屈せずに立ち上がり続けて欲しいです。
政治腐敗は東欧にも広がっているんですね、、
腐敗を暴く役割のメディアが弱いんですかね?それも気になりました。
国家ぐるみで行われる深刻な汚職に対して、果敢に立ち向かう民衆の勇気に少し感動しました。このような記事がもっと取り上げられ、いわゆる国際社会での批判が強まることで同国が事態を改善させることを望みます。