世界一寒い首都、ウランバートルのある国として知られるモンゴル。2019年5月に寒さの厳しいこの国で、政府は国民に対して石炭の使用禁止を発表した。モンゴルでは現在でも、多くの家庭で石炭が使用されている。それにも関わらず、このような大胆な政策に踏み切った背景にあるのが、深刻な大気汚染だ。その程度はニューデリー、ダッカ、カブール、北京といった都市と肩を並べる、あるいは頭一つ分出るほどの域に達している。2018年にモンゴル国立公共保健センターとユニセフ(国連児童基金)によってまとめられた報告書は以下のように警告を発した。モンゴルの首都、ウランバートルの大気汚染問題は「今後数年のうちに急速に解消されなければ、2025年には大気汚染によって病気を患った子どもたちを治療するための経費が33%増加」するだろう。この文言が示す通り、ウランバートルの大気は人々の健康に悪影響を及ぼすまでの危機的状況に陥っている。一体モンゴルで何が起こっているのだろうか。

スモッグでかすむウランバートルは四方を山で囲まれている(写真:Einar Fredriksen/Flickr [CC BY-SA 2.0])
首都、ウランバートル
実は、大気汚染が深刻なのは、モンゴル全土でも首都ウランバートルだけである。冬期にあたる10月から5月にかけて、ウランバートルの空は悪臭のする薄暗い煙に覆われる。街に繰り出そうにも数メートル先がかすみ、マスクをしても口は煤(すす)で真っ黒になる。この煙の正体は主に家庭から排出される原炭の煙だ。この現象が他のどの地域でもなく、ウランバートルだけで限定的に発生するのには理由がある。
最初の理由は寒さだ。モンゴルの大気汚染は冬期限定で、大気汚染の影響を受けた冬場は夏場と比べて死亡率が350%も高い。火力発電所、工場、ゴミ焼却による排出など、大気が汚れる原因は様々にあるが、最大要因となっているのが、ゲルやその他の建物内で焚かれる石炭ストーブだ。これらから排出される煙が、有害物質と共にウランバートル市内全域を覆っているのである。ゲルとは、モンゴルの伝統的な移動式住居を指す。盛んに移動する遊牧民の生活に合わせ、約2時間で組み立て可能で、中央に設置された石炭ストーブを稼働させれば氷点下40℃の寒さをもしのぐ優れものだ。この伝統的な石炭ストーブは、暖をとる手段であると同時に、食事を作るための窯としての役割も担う。そのため、ウランバートルの空は冬場の朝方と夕方が特に暗い。市内では冬場を通じて約120万トンもの原炭が消費され、その量は想像を絶する。

ゲルの中での生活(写真:Al Jazeera English/ Flickr [CC BY-SA 2.0])
2つ目の理由が人口の集中だ。2018年の時点でモンゴルは約320万人の国民を抱えるが、そのうち約45%が首都に集中する。なぜここまで人口が一か所に集まるのか、その背景には地方部の貧困がある。もともと人口の多くが遊牧民族から構成されるモンゴルでは、地方部では現在でも羊やヤギなどの家畜を追って転居を繰り返す、伝統的な遊牧生活が営まれている。しかし、この暮らしでは安定した収入を得難くなりつつある。その一因が「ゾド」だ。ゾド(dzud)とは、乾燥した夏の干ばつの後にやってくる冬の厳しい寒さと大雪を指す。気候変動によってゾドが起こると、夏に十分な牧草を食べられなかった家畜が冬を越せず、大量に凍死する。遊牧民にとって家畜を失うことはすなわち財産を失うということだ。そのため、家畜のみならず人間の命や生活も脅かされる事態となっているのである。
ここ数年、モンゴルでは気温の高い夏と、気温の低い冬が続き、ゾドの発生頻度は増加傾向にある。モンゴル赤十字社事務総局によると、一昔前には12年に1度のペースで起こっていたものが、ここ30年では3.8年に1度の頻度で起こっている。そこで、より豊かな生活を追い求める遊牧民たちが、子どもたちの進学や就職を契機として、国内GDPの半分以上が創出される首都、ウランバートルへと職を追い求めて引っ越すケースが後を絶たない。同市の北部を中心に、そのような遊牧民たちの居住区である「ゲル地区」が広がり、現在では市内全世帯のうち半数以上がゲル地区に居住している。大気汚染の原因のうち8割を占める煙は、主にこの地域から出ているとされる。

ゲル居住区の様子(写真:Brücke-Osteuropa/ Wikimedia Commons)
さらに、その特別な地形も事態の悪化に一役買っている。ウランバートルは低い盆地に位置しており、四方が山で囲まれている。そのため、冬場の煙や土埃は冷気によって蓋をされる状態となり、逃れることなくその場にとどまる「逆転層」と呼ばれる現象が生じる。この現象により、スモッグはどこに逃れることもなく、その場にとどまり続けざるを得ないのだ。
幼い被害者
ウランバートルに蔓延するあらゆる健康被害には、PM2.5(微小粒子状物質)が関係するとされる。PM2.5とは直径2.5μm以下(つまり髪の毛の太さの30分の1程度)の粒子のことである。大変小さいために、肺の奥へと入り込みやすく、呼吸器への影響に加えて循環器系への影響をもたらす。2018年1月30日午前5時、ウランバートルではWHO(世界保健機関)が定めた国際基準値の133倍にあたる3,320μg/㎥という驚異的なPM2.5の数値を記録している。
このような有害物質で汚染された空気を吸い、食べ物を口にし、水を飲むことで、あらゆる人々が体内外から大気汚染の影響を受けている。2016年には1,800人が家庭内での大気汚染で、1,500人が屋外での大気汚染が原因とされる病気で亡くなったと推測される。中でも重篤な被害を被っているのが幼い子どもたちだ。ウランバートルに住む子どもたちの間では、肺炎が異常に蔓延している。2018年は前年と比較して、肺炎による子どもの死傷者数は40%増加し、肺炎を理由とした子どもの外来患者数は76.8%急増した。また、現在では5歳未満児の死亡原因の第2位が肺炎が占め、モンゴル首都の中心部に住む子どもたちは、地方に住む子どもたちよりも肺機能が40%低いとの報告もある。

ウランバートルの病院には多くの子どもが訪れる(写真:U.S. Department of Defense Current Photos’s photostream/Flickr)
大人ではなく子どもたちへの影響が特に大きいのには理由がある。まずは、呼吸速度が大人の2倍速いということ。そのため、子どもは外部との空気のやり取りの回数が多く、汚染物質を取り込む回数も高まる。次に、汚染された地面に近いということ。体の小さな子どもは、一部の汚染物質がたまりがちな地面に、大人より近いため、それらを体内に取り込むリスクが高まる。さらに、主要な臓器が発達段階にあるため、損傷を受けやすいということもある。ただし、汚染された空気に晒され続けることで重篤な健康被害を受けているのは子どもたちだけではなく、これから生まれる命を宿した妊婦にも影響し、死産や早産、低出生体重、先天性障害児の出産リスクを高めるとされる。
このような危険に満ちた都市から子どもたちを遠ざけるため、幼い子どもたちだけを地方の祖父母に預ける動きが出ている。両親は生活費を稼ぐために首都にとどまるため、やむを得ずバラバラになる家族も少なくない。大気汚染は家族の在り方までも変えていっているのだ。

ゾドの影響で家畜たちは雪をかぶっている(写真:United Nations Development Programme/Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
国の対策
以上の状況を受け、満を持して2019年5月に発令されたの石炭の禁止令だ。石炭の代替品として短期的には、原炭より有害物質の排出量が少ないとされる半成コークス(※)が注目されている。同時に長い目で見ると、電気、特にクリーンエネルギーへの移行が期待される。大気汚染の最大要因であるゲル地区の生活様式を変化させるためには、ゲル利用者にとって電気を導入しやすい環境を整えるか、家庭ごと都市生活に移行してもらうことが有効だろう。実際にはユニセフや国際的な機関およびローカル団体が協力して、より持続可能でエネルギー効率のよいゲルの開発プロジェクトが行われている。
しかし、ゲル地区での電気の導入は一筋縄ではいかない。これまでも政府は、世界銀行の協力下で低排出ストーブの配給を行っているが結果は今一つで終わっており、依然として人々は原炭を用いたストーブを利用し続けている。なぜなら、国内に300か所以上の石炭採掘所を抱えるほど石炭資源に恵まれたモンゴルでは、原炭がかなり安価で手に入るからだ。中には一袋15kgあたり約120円の原炭(平均的には一晩で2袋を消費する)を購入するのも困難なために、やむなく廃タイヤを燃やす貧しい家庭もある。生活苦から逃れるために移住してきた人々にとって、電気は石炭と比較すると高すぎる。

大気汚染の原因は決してゲル内のストーブだけではなく、火力発電所から排出される煙も一因となっている(写真:Sebacalka/ Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0])
新たに生まれる貧富の軋れき
大気汚染によって生じるのは健康被害だけではない。煙の大部分がゲル地区から発生していることを発端として、周縁部であるゲル地区と都心部に軋れきが生じている。一部からは、ゲル地域を一掃すべきだという過激な声もあがるという。金銭的余裕がある人々は、地方や他国へ向けてウランバートルからの脱出を図る一方で、その余裕がない人々は、そもそも金銭を得る目的で首都へと移動してきたため戻る余裕すらない。環境問題は常に、経済の発展と環境保全の間で揺れる問題であり、今回の大気汚染のケースも例外ではないだろう。現在実行されている2020年までのウランバートル市内への引っ越し禁止令を例にとると、人口問題を解消する意図は明確であるが、地方に住む人々に安定した収入源を与える取組みが同時進行で行われない限り、根本的な解決にはつながらない。環境問題の対策にも力を入れつつ、より広い視野を持つことが必要だろう。
※半成コークス 炭素を主成分とした固体で、石炭よりも燃焼効率がよいため、2倍以上持続した燃焼が可能。排出する煙も少ない。ただし、比較的高価。
ライター:Yuka Ikeda
グラフィック:Saki Takeuchi, Yow Shuning
モンゴルの大気汚染がこれほどひどいものだとは知りませんでした。
あまりモンゴルに大気汚染のイメージがなかったので。
首都に人口が集中していることやゾトという現象など、モンゴルについてとても勉強になりました。
モンゴルの首都でそんなに人口が集中し、大気汚染が起きていることを全く知らなかったので、びっくりしました。
大気汚染だけの問題でなく、労働問題など様々な問題が絡み合っているということがよくわかりました。一時的な対策だけでなく、長期的な対策が必要だなと思いました。
気候変動の影響で家畜が凍死してしまうというのが衝撃でした・・・。遊牧民にとって家畜を失うというのは重大なことで、生活スタイルを大きく変える要因になってしまうんだなと改めて感じました。