現在、様々な新型コロナウイルスワクチンが開発されている。ファイザーやモデルナ製のワクチンが世界各地で使用されているのは、周知の通りだろう。しかし、実はキューバでもコロナウイルスに対するワクチンが複数開発され、効果が認められている。ワクチンの供給が高所得国に偏っている「ワクチン・アパルトヘイト」の問題が叫ばれ、多くの低所得国でワクチン接種が進んでいない。そんな中、2022年4月時点でキューバ国民の約80%が3回目のワクチン接種を終えている。またベトナムやベネズエラなどの国外においてもキューバ製ワクチンの使用が報告されている。
キューバの一人当たりのGDPは約9,000米ドルであり、アメリカの約60,000米ドルと比べても、決して豊かな国とは言えない。それにもかかわらず、2019年時点でのキューバの平均寿命は77.8歳であり、高所得国であるアメリカの78.5歳とそれほど相違がない。また国外に大量の医療従事者を派遣し、このコロナ禍においてもその動きは活発である。
高所得国でないにも関わらず、このような医療体制を取ることができるキューバの背景をこの記事で深掘りしていく。

新型コロナウイルスで苦しむ南アフリカに到着したキューバの医療団(写真:GovernmentZA / Flickr [CC BY-ND 2.0])
キューバの歴史
キューバはカリブ海に位置する人口約1,100万人の島国である。スペインによって征服される直前の1510年には、約11万人の先住民が暮らしていた。しかし入植してきたスペイン人による酷使とスペイン人が持ち込んだ感染症などにより、14年後には先住民の人口が10分の1まで減少した。
1898年の米西戦争をきっかけとして1901年にはスペインから独立したものの、それ以降はアメリカの保護国として扱われるようになり、形だけの独立に近かった。それを裏付けるのが1901年に制定されたキューバ共和国憲法である。この憲法にはアメリカがキューバへの内政干渉の権利を持ち、キューバ東部にあるグアンタナモ湾に面した土地がアメリカに永久租借されるといった内容が盛り込まれた。グアンタナモ湾入り口にはアメリカの海軍基地が建設され、現在においてもキューバに返還されていない。
また1830年代以降、砂糖やコーヒーの輸出が世界一となっていたキューバはアメリカとの貿易関係を強化し、アメリカの投資家はキューバの農園買収を盛んに行うようになっていた。アメリカの保護国となったことでその動きは加速し、キューバ経済はアメリカ市場に依存した経済構造となった。そのため、アメリカ資本と結びつく企業が富を独占し、貧富の差が拡大していった。キューバには政治的にも経済的にもアメリカの大きな影響が及んだ。
1952年にはフルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバル氏(以下、バティスタ氏)が大統領選挙の際にクーデターを起こし、憲法による正当な手続きなくして大統領に就任した。さらにバティスタ氏はアメリカの企業を優遇した政策を打ち出し、ますます国民と資本家との間での貧富の差が広がった。アメリカに都合の良い政治を行い、また独裁色も強めていくバティスタ政権に国民は不満を募らせた。
その不満に呼応したのがフィデル・アレハンドロ・カストロ・ルス氏(以下、カストロ氏)である。1956年、カストロ氏はエルネスト・ゲバラ氏(別名:チェ・ゲバラ、以下、ゲバラ氏)らと共に、「社会的公正」を目的として武装闘争を起こし、1959年にバティスタ政権を打倒した。バティスタ氏が亡命したのち、カストロ氏が国家元首に就任した。就任当初、カストロ氏はアメリカに友好的な姿勢であったものの、今までの大統領とは異なり、アメリカの顔色を伺うことはなかった。
平等主義を掲げていたカストロ氏は所有農地の広さを制限する農地改革を提唱したが、その対象にアメリカが買収した農園が含まれていることを知ったアメリカがキューバに圧力をかけた。しかしカストロ氏はこれまでの親米政権とは異なり、その圧力に屈せずに、アメリカ企業の持つ大農園を接収した。このことをきっかけにアメリカとキューバは激しく対立することとなる。アメリカは農地改革に対する報復としてキューバからの砂糖の輸入停止や石油産業の引き上げを行い、それに目をつけたソ連がキューバへの経済協力を申し出た。キューバはそれに応じ、急速にソ連に接近した。
カストロ氏は1961年にキューバが社会主義国になることを宣言した。その動きを警戒したアメリカは、同年にキューバとの国交断絶を通告する。アメリカ政府はアメリカ企業のユナイテッド・フルーツ・カンパニーと協力し、亡命したキューバ人たちにキューバを侵略させることを試みた。さらに1962年には米州機構(OAS)からキューバを排除し、キューバへの禁輸措置という厳しい経済制裁を行った。この経済措置は2022年現在になっても続いている。また、同年にソ連がキューバに核ミサイルを配備していることがわかり、米ソ間で緊張が高まった。結局、紛争には至らず、ソ連が核ミサイルを撤去する代わりに、アメリカがキューバを侵攻しないという合意に至った。
キューバの社会主義国化やアメリカの経済措置を受けて親米派の中産階級や上流階級の国民はキューバから亡命し、キューバの生産性は低下したため、キューバはソ連からの莫大な補助金や企業の国有化などによって計画経済を推し進めた。さらに、カストロ氏はメディアの規制や反体制派の処刑、選挙の廃止などを行い、彼の権限を強めていった。

壁面に描かれるゲバラ氏 (写真:Mark Scott Johnson / Flickr [CC BY 2.0])
キューバの医療体制
医学生時代に南米における貧困や社会的格差に苦しむ人々を目の当たりにしたゲバラ氏は、そのような人々を救済するために、医師としての自分の経験をどのように活かせるか考えていたとされている。その考えに共感していたカストロ氏と共に、普遍主義的医療制度を基本的人権においた政策を進めようとしていた。全国民が医療サービスを無料で受けれるような制度を整えたのである。
革命当時、キューバの医師は熟練した技術を持っていたものの、その大部分は都市部に集中していた。貧困状態にある農村部の病院は一つだけであり、都市部との医療サービスの格差が大きかった。農村部の医療保健サービスを改善するため、農村医療サービス(RMS)を1960年に設立し、普遍的な医療システムの開発を目指した。平等主義を掲げたカストロ氏やゲバラ氏にとって全ての人が医療サービスを受けられる普遍主義的医療制度は信条に沿うものであった。
RMSは設立した当初に750人の医療ボランティアを農村部に派遣し、1970年代までに農村病院の数を53施設に増加させた。この頃から住民の健康ニーズに合わせて医療サービスを整備していく体制が徐々に生み出された。1976年には医療従事者は専門的な機関である公衆衛生省(MINSAP)に引き継がれ、さらに23の医療及び看護学校が設立された。首都だけでなく、医療サービスが行き届いていない地域にも医療訓練を行き渡らせて、専門家を幅広い地域で育てることが目的であった。
しかし医師の数は増えたものの、患者ファーストではなく、病院が主体のシステムとなっており、プライマリケア(※1)よりも専門的な治療を好む医師が多かった。そのため継続的かつ患者と協調的な治療はなされず、さらには診療のための待ち時間も長いという問題が発生していた。キューバでは解決策として、専門的ではなく、総合的に診る治療を目的とした地域のポリクリニック(※2)を発達させた。さらに1980年代初頭には、かかりつけ医によって市民の健康を守ることを決定し、地域で身近にアクセスできる診療を目指していった。

キューバのクリニック(写真:PBS NewsHour / Flickr [CC BY-NC 2.0])
その制度の内実を見ていこう。まず、600人から900人の患者ごとに看護師と医師で構成されたチームが基本的なプライマリケアを提供する。具体的には患者の健康統計を分析し、個々の家庭を訪れ、食事や教育、栄養や雇用状態などの環境要因に対応する。医師は治療だけでなく、公衆衛生に力を入れ、病気を予防することにも力を入れているのである。さらに専門的な治療が必要な場合には、地元のポリクリニックに紹介され、かかりつけ医と連携しながら治療が進められる。このようにプライマリケアと予防治療に焦点を当てたキューバの医療体制は現代にも反映されている。具体的な成果としては、2021年時点でキューバの1,000人当たりの医師の数は世界でトップクラスに多いことが挙げられる。
さらにキューバでは独自の医薬品開発も進んでいる。1961年にカストロ氏がキューバが社会主義国家になることを宣言したことで、アメリカはキューバとの国交を断絶し、禁輸措置などの対抗策を打ち出したことが背景にある。この禁輸措置によってアメリカだけでなく、他の国もキューバと貿易することを阻止する動きがあった。この禁輸措置には食品、医薬品、医療機器の輸入を停止することも含まれていた。医薬品を輸入できなくなったキューバでは独自に開発する動きが生まれ、1980年代には独自の医薬品を開発するようになった。1985年にはキューバは世界初のB髄膜炎のワクチンを開発し、また母親から子供へのHIV、梅毒感染を防いだ国として2015年にWHOによって認められている。
また、自国で医師を養成するための支援も手厚い。1999年以来、首都ハバナにあるラテンアメリカ医学部(ELAM)は低所得家庭に向けて奨学金制度を提供し、生徒は衣食住や授業を無料で享受できる。対象となる生徒の国籍や性別は問われず、キューバ国外からの生徒も積極的に受け入れている。2019年までに105カ国の29,000人の医師が卒業したが、彼らの半分は若い女性であり、75%は農業労働者家庭出身であった。奨学金制度では生活費や授業料は全て無料となっており、なおかつ実践的な医学学習を行うことができる。
「白衣の軍隊」
1961年に発展した保健医療制度を活かし、キューバは医師の派遣といった形で、医療サービスに十分な資金を割くことができないアフリカなどの低所得国と協力関係を築き始めた。1963年にキューバは国際医療使節団を設立し、早速フランスから独立したばかりのアルジェリアに56人の医師を派遣した。

ハイチの国民にワクチンを打つキューバの医師(写真:United Nations Photo / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
これを皮切りにキューバは様々な国に医療従事者を派遣していく。キューバは、2014年までにラテンアメリカ、アフリカ、アジアの158カ国に30万人以上の医療従事者を派遣し、800万件以上の手術を行っている。さらに2005年には感染症や自然災害への対処を専門としたヘンリー・リーブ医療使節団を設立した。このヘンリー・リーブ医療使節団は2017年にその功績を称えられ、世界保健機構(WHO)の公衆衛生賞を受賞している。
2014年に西アフリカを襲ったエボラ出血熱の流行に対しても、WHOが各国に派遣を募った際、キューバは最初に名乗り出た。過酷な条件下で460人以上のキューバ人医療従事者が派遣され、患者の死亡率を50%から20%に引き下げた。
キューバは他の国と違い、相手国が緊急時に陥った時、すでに国内に医師が滞在していることがある。そのため各国から救援を派遣する前に迅速な対応が可能とされている。また災害後の復帰支援も行なっている。1986年、旧ソ連のウクライナにあるチェルノブイリ原発で事故が発生した。この災害によって被害を受けた人々を救済する「チェルノブイリの子供たち」プログラムが1989年にキューバで発足され、被害を受けた26,000人はキューバで無料の治療・生活支援を受けることができた。
キューバの国際医療主義はカストロ政権の理念であり、人道目的でもあったが、政治的利益のために行なっているのも確かだ。世界各国に「白衣の軍隊」を送ることで国際的な評価を底上げすると同時に、キューバの権威主義体制から目を逸らすのに役立つと言える。さらにキューバが医師を派遣する際に、相手国からの見返りを貰う場合がある。代表的なものがキューバの最大の顧客であるベネズエラとの取引だ。2000年にキューバの医療とベネズエラの53,000バレルの石油を交換するという協定に署名して以来、二国間では石油と医療の取引が続いている。また取引する相手国によっては金銭で取引する場合もあり、キューバの外貨獲得の主な手段となっている。2014年には医療外交が観光業よりも収益性が高いとキューバ当局が推定した。このように、キューバが医療外交を行うのは人道目的の他に、政治的利益、経済的利益があることが影響しているのはまず間違いないだろう。

キューバの医療使節団が南アフリカに到着した際の様子(写真:GovrnmentZA / Flickr [CC BY-ND 2.0])
様々な問題点や疑惑
以上のように、キューバは国内だけでなく、国外においても多大な医療貢献をおこなってきた。しかしその医療体制には、懐疑的にならざるを得ない点がいくつかある。
まず、国内の医療体制についてである。上に述べたようにキューバの医療システムは洗練されており、国民に寄り添った医療体制となっている。しかしそもそも、この体制は同じ社会主義国であったソ連の援助によって支えられていた。1991年にソ連が崩壊し、キューバへの年間40億米ドル相当の援助を取り消したことで、キューバの経済は前年に比べ35%落ち込んだ。さらに1962年以降続くアメリカの禁輸措置がソ連崩壊後に強化され、キューバに商品を届けた船舶が米国の港にとまることを禁止した。その結果、医療機器や医薬品の入手や維持がさらに困難になり、医療インフラが着実に悪化している。
そのためにキューバ国内の人々は医薬品を闇市場で買うことが多い。その売り手となるのは国内の医師となる場合がある。医師は生活するのに必要最低限な賃金しか貰えないため、闇市場で医薬品を売り、副業として金銭を稼ぐことがあるのだ。政府が医師の給与を上げるなどの何らかの対策を行わない限り、この慣行を防ぐことは難しいだろう。
また、2013年における戦争平和報告研究所の報告によれば、国民が通うキューバの医療施設は不衛生であり、バスルームの蛇口から水が出てこないこともしばしばあるという。病院に入院する際には患者自身が病室用の電球を買ったり、寝具などを持ち込んだりする必要さえある。この背景にはアメリカが未だ敷いている禁輸措置などによってキューバが資金不足に陥っていることが挙げられる。

ポリクリニックの病室(写真:Laura LaRose / Flickr [CC BY 2.0])
さらに医師の国外派遣についてもいくつか問題がある。まずは派遣される医師の処遇についてだ。国内での給与が低いため、キューバの医師は国外派遣を強く希望することが多い。実際、国外で働くキューバ人医療従事者の給与は国内の医師の給与の10倍以上であり、魅力的に思えるだろう。しかし実際は、多額の報酬を受け入れ国から支払いしてもらっているにも関わらず、その大部分はキューバ政府の懐に入る。また、新型コロナウイルス対策のために南アフリカ政府がキューバの医療従事者へ分配する予算は約3,000万米ドルという文書が流通し、またそのほとんどがキューバの医療従事者に渡されていないことがわかっている。
2018年にはキューバ政府は国外で務めるの医師の賃金の75%を所有していると報道されている。他の外国人労働者に比べると、キューバ人医療従事者は低い賃金で働いているという。
問題は金銭面だけではない。亡命を防ぐために、任務中はキューバの当局に監視され、勤務地にいるジャーナリストなどと話すことが禁じられているという。また医師の一部には勤務地に着くと同時にパスポートを取り上げられた事例も存在する。さらに国外の医療従事者は治療した患者の数などについてノルマが定められており、その目標を達成するように圧力をかけられたという事例もある。ノルマを達成していない医師は治療のデータを改ざんしたこともあったという。そうでなければキューバ当局が医療派遣の有効性を受入国に主張できないからである。
また医療外交が相手国に及ぼす影響も注視すべきだ。2018年、約2,000人の失業中の医師がすでにいるにも関わらず、ケニア政府はキューバからの医療従事者100人を雇用することを決定し、物議を醸した。南アフリカにおいても失業中の医学生を雇用せずに、キューバの医療従事者を雇用するのかと疑問が呈されている。
まとめ
新型コロナウイルスによるパンデミックが世界を襲い、各国がその対処に追われている。そんな中で、高所得国が新型コロナウイルス対策のため、ワクチンの他に、防護服や医療設備を買い占め、低所得国に行き渡らないという世界格差が生まれている。また、ロックダウンなどにより経済が停滞し、経済面でもますます高所得国と低所得国の格差が広がっている。このような現代社会の中で、カストロ氏の平等主義を基にしたキューバの医療システムは、課題はあるものの、参考にすべき点は多くあるだろう。さらに自国だけでなく、他国にも手を差し伸べるという国の垣根を越えた国際医療主義は2022年現在も続くコロナウイルスのパンデミック下において大切な考えと言える。
※1 プライマリケアとは専門に分かれずに、様々な相談に応じてくれる総合的な診療のことである。
※2 ポリクリニックとはドイツ語のpolyclinicに由来し、プライマリケアを担当する診療所のことである。
ライター:Maika Ito
グラフィック:Hikaru Kato
キューバの国際医療主義について、歴史の変遷や現状の問題点など多岐にわたる観点から、詳細に分析されていて興味深かったです。
アメリカやロシアなど、大国に経済面で依存していると、関係が途切れた際に、人々の生活に多大な影響が及ぶことを再認識しました。
キューバの医療については初耳だったため非常に興味深かったです。
一つの物事を捉えるのにも周囲国との歴史が深くかかわっていることを再認識しました。