武力紛争は世界中の数十ヶ所で常に繰り広げられている。世界人口の6人に1人(12億人)が紛争に影響されている地域に暮らしており、100人に1人(8千万人以上)は難民もしく国内避難民となっている。また、紛争や気候変動などが主な原因で10人に1人(8億人以上)が現在食糧不足に陥っている。想像を絶するような人道危機が多くの国で武力紛争によってもたらされている。
日本では、メディア、政府関係者、有識者、世論などによるこれらの紛争と人道危機に対する関心や懸念は低いとされており、これらの問題自体が社会の言論空間に登場することすら比較的に稀だともいえる。しかし2022年2月、特定の武力紛争とその人道危機に対する日本社会全体の関心が急上昇する事象が生起した。執筆現在、紛争の恐ろしさと理不尽さ、平和の重要性、難民対策、人道危機と人道支援に関する話題が各メディアやSNSであふれている。その原因はロシアのウクライナ侵攻であり、現在ほとんどの着目はこのひとつの紛争に向けられている状況である。
世界には多くの武力紛争と多くの犠牲者が存在する中、なぜこの紛争だけに対して、もっと言えばなぜこの紛争の犠牲者だけに対して、これほどの「人道的な」懸念が急に生まれるのだろうか。主に報道の観点からこの問題を探る。
目次
武力紛争による人道危機の概要
まず、人命に着目して、近年の紛争とその被害に関する傾向をみてみる。政治的暴力などの統計をまとめている研究組織、ACLEDのデータによると、2017年から2021年の5年間で、80万人に近い命が戦闘によって失われた。その半分以上はアフガニスタン(約19万人)、イエメン(約12万人)、シリア(約11万人)で発生している。同期間で1万人以上の死者数が発生している紛争はイラク、メキシコ、ナイジェリア、ソマリア、コンゴ民主共和国、ブラジル、ミャンマー、南スーダンなどで起きている。2022年1月から3月までの3ヶ月間(※1)の紛争による死者数に関しては、ミャンマー(約4,800人)とイエメン(約4,300人)の紛争が目立って多い。今回のウクライナでの紛争の死者数はこれらの紛争の約半分(約2,300人)である(2022年3月31日現在)。
しかし、このACLEDの数字には様々な問題が潜む。一つが、ACLEDが示すデータと実際の数字との差異に関する問題である。様々な報道機関や人権団体などの報告から多くのデータから抽出されているとはいえ、実際には、ACLEDのデータに反映されていない多くの死者が存在すると考えられる。例えば、報道機関が普段から目を向けようとしないサハラ以南アフリカや、物理的にアクセスしにくい紛争地からのデータ漏れが多く発生している可能性も考えられる。また、ACLEDはあくまでも戦闘による死者数しかカウントしておらず、武力紛争から発生する飢えや病気で命を落とす人々はそのデータに反映されていない。特に、食糧不足がもともと発生しやすく、かつ、人道支援が十分に行われていない低所得国では、このような間接死の事象が多くみられる。コンゴ民主共和国や南スーダンなどサハラ以南アフリカの紛争では、間接死者数は直接死者数の9倍にも上ると推定されてる。コンゴ民主共和国では1998年から2007年の期間で間接死を含めると、紛争による死者が540万人に上るとされ、これは1950年代の朝鮮戦争以降の70年間で世界最多の人数となっている。コンゴ民主共和国のこの紛争は現在も続いている。
紛争による人道被害は死者数だけでは計れない。上記のように多くの人が紛争が原因で余儀なく住むところを奪われ、難民や国内避難民となっており、中には食糧不足や飢餓で苦しむ人も大勢いる。例えばコンゴ民主共和国では、2021年11月の時点で、紛争が原因で食糧不足に陥る人々の数は、人口の4分の1にあたる2,700万人にも上った。同じように飢餓の問題を抱えるイエメンでは、2022年3月の時点で、人口の半分以上あたる1,740万人が人道支援を必要としている。
特定の紛争への「人道的」注目
武力紛争から離れた地域からでも、対応可能なことは多く存在する。「対応」といっても、様々な方法が考えられ、例えば仲介や制裁などの外交的措置や、紛争を助長する資源の輸出入などの有害な行動を取りやめることなどが挙げられるが、以下では外交措置ではなく、被害者に対する「人道支援」に着目したい。
上記のように、世界で武力紛争がもたらす被害が甚大なものになると、その全てに対して十分な対応が難しくなることは想像に容易いだろう。世界各国が人道支援などに割り当てる予算に限りのある中、政策決定過程において優先順位をつけ、支援先や支援額を決定しなければならない。
しかし、現在日本における「人道的」な支援や発信などにみられる関心度に鑑みれば、そうした支援や発信自体が、相手国の人道的なニーズに基づいて行われているものではないことは明らかである。日本ではこれまで、イエメンやコンゴ民主共和国などでの大規模な人道危機に対して人道的な支援や発信といったアクションがほとんどみられなかった中、なぜかウクライナのみに対する関心が突出しており、政府や市民によって、様々なアクションが行われている。日本政府による緊急支援(2022年分)を対象国別でみると、2022年3月の時点でウクライナに対する支援額は群を抜いている。また、これまでにほとんどの難民に対して扉を閉ざしてきた政府が、突如として、ウクライナ難民だけを対象に積極的に受け入れる姿勢をとっている。
しかし、積極的な対応をみせているのは中央政府だけではない。独自の取り組みでウクライナに対する支援を決めている自治体、企業、市民団体、報道機関、宗教団体などが日本各地に現れている。さらに、各地の様々なモニュメントやお城などの観光地がウクライナの国旗の色でライトアップされ、支援のメッセージとして発信されている。
世論の関心も極めて強い。執筆現在、SNS上では「#nowar」「#stopwar」といった反戦メッセージが含まれたハッシュタグが飛び交っている。また、人々が検索エンジンである単語をどれほど検索しているのかを調べることができるグーグル・トレンドというツールで「人道支援」や「nowar」などのキーワードを検索すると、下記の図のように、過去5年間でみても異例の関心の高さが表れている。
このように、近年、世界各地での紛争による被害者に対して注目がほとんどなかった中、ウクライナに対して異例とも言える高い関心が寄せられている。
紛争報道、人道報道
紛争の対応において、中央政府には様々な戦略的、経済的、外交的思惑はあるとしても、自治体、企業、世論までが大きく動き出す背景にはメディアの存在もあるだろう。つまり、メディアがウクライナ問題を大きく報じる、かつ被害者への同情を引く取り上げ方をする結果、この問題が極めて重要だという認識が社会の各方面で定着されていくという仕組みは考えられる。
世界全体が抱える人道問題の現状と実際の報道が作り出すイメージの大きなアンバランスを示すために、報道量を細かく分析する必要はないのかもしれない。執筆現在、各社の新聞、テレビ(ニュース、解説、ワイドショー番組を含み)、インターネット・ニュースなどにおけるウクライナ報道量が、近年発生した他の紛争関連報道量とは桁違いというのは明らかである。ウクライナのための募金活動に協力している報道機関もあれば、客観的な報道を超えて、反戦的なメッセージを積極的に発信するニュース番組もある。しかしそうした中で、他国の紛争に関する報道量を確認し、比較しておくことには、日本の紛争報道の偏向性を確認する作業において価値のあるものとなろう。
そこで、ウクライナ紛争に関する報道量と、近年甚大な人道危機を抱えているコンゴ民主共和国と、イエメン紛争に関する報道量について、いくつかの角度から比較してみたい。これらの3つの紛争には類似点がある。ウクライナ紛争の最新の段階は、2022年2月に隣国ロシアの突然の侵攻から始まった。同じように、コンゴ民主共和国の紛争は1998年8月に隣国ルワンダとウガンダの突然の侵攻から始まった。イエメンでも、2014年に中央政府が反政府勢力に倒されたものの、その数カ月後の2015年には隣国サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)が率いる連合による突然の空爆および侵攻を経験している。
今回、朝日新聞と読売新聞において上記3つの紛争関連報道を分析した(※2)。まず、国名が言及されている記事数を検索してみた。コンゴ民主共和国とイエメンにおいては侵攻の開始から5年分の記事数を、ウクライナにおいては、侵攻から1ヶ月分の報道のみを計った。調査期間が異なるものの、報道量の差は明らかであった。特に、読売新聞においては、ウクライナに関する1ヶ月分の記事数(1,075件)はイエメン紛争に関するの5年分記事数の2.5倍(395件)にも及び、コンゴ民主共和国に関する5年分の記事数の4倍(240件)であった。続いて、人道問題の観点から計るために、同じ3か国について、国名および「人道」というキーワードを含む記事も検索してみた。コンゴ民主共和国とイエメンは広く捉え、過去30年分の報道、ウクライナに関しては2022年1月からの約3ヶ月分の報道を計った。ここでも大きな差がみられた。3ヶ月分の朝日新聞の報道では「ウクライナ」と「人道」が含まれた記事は140件だったのに対し、30年分の報道では、「イエメン」と「人道」は121件、「コンゴ民主共和国」と「人道」は22件だった。
イエメン紛争やコンゴ民主共和国紛争がいかに報道されていないかについては、過去のGNVの調査からも明らかである。例えば、読売新聞を対象にした調査では、クリミア半島をめぐりロシアがウクライナに侵攻した2014年の1年分のウクライナ関連報道は、当時のイエメン紛争に関する3年分の報道の10倍以上もあった。また、毎日新聞を対象にした調査では、イエメンに侵攻したサウジアラビアに関する報道について、2018年のサッカーワールドカップとサウジアラビアを関連付けた報道量が、イエメン介入に関する報道量を上回っていたことが分かった。コンゴ民主共和国に関する朝日新聞、毎日新聞、読売新聞を対象にした2017年分の調査では、読売新聞では、コンゴ民主共和国に関する報道はイギリス王室に関する報道の半分以下で、朝日新聞と毎日新聞においては、これらに関する報道量には大きな差はなかった。
しかしこのような報道の格差はウクライナだけにとどまらない。1990年代のボスニア紛争やコソボ紛争などの他のヨーロッパでの紛争に関しても、規模に関してはそれらに比べてはるかに大きいアフリカにおける紛争よりも人道的観点から報じられていた(※4)。また、格差が生じているのは紛争に関する報道だけではない。難民の数やテロによる犠牲者数においてヨーロッパが占める割合は、それぞれ世界全体の数パーセント程度だが、難民においてもテロにおいても、これらの問題とヨーロッパを関連付ける報道量が、全体の半分以上だと示す調査も、過去のGNVの記事で紹介した。人種差別に関する報道ですら、アメリカやヨーロッパで生起している問題が報道の大部分を占める。
報道するか否かの決め手とは?
上記のデータから、武力紛争がもたらす「人道問題」に関する報道の決め手は人命ではないという矛盾は明らかである。人間がどれほど亡くなっているのかではなく、どこのどのような人間が亡くなっているのかが肝心のようだ。しかしそれはなぜなのだろうか。なぜ数ある世界の紛争の中でウクライナ人だけが我々の注目と同情に値するとされているのだろうか。
まず、安全保障上、または政治経済上の利害関係はひとつの大きな要素であろう。ウクライナ紛争の当事者であるロシアは核兵器を持っている一種の大国であり、日本との間にも領土問題がある。また、日本の同盟国で、大国のアメリカもウクライナに介入してきた経緯があり、今回の紛争においてはアメリカ自身の責任や関心が強く、それが日本のメディアにとっても関心の高さにつながっていると考える。
もとから、日本のメディアはアメリカに大きく注目しており、アメリカ政府に寄り添う傾向が強い。日本のメディアはロシアによるウクライナへの一方的な侵攻に対して強く批判しているが、アメリカによる旧ユーゴ、アフガニスタン、イラクなどへの一方的な侵攻に対する批判は極めて消極的なものだったと言える。また、紛争報道、さらには国際報道全般においても、日本のメディアがアメリカ政府やアメリカのメディアの優先順位を追う傾向をうかがうことができる。
しかし、ウクライナでの紛争への関心が単なる冷酷な利害関係に基づいているのであれば、日本のメディアが被害者への同情を引くような人的被害ばかりを強調して報じる必要はない。ではなぜ、「人道的な」報道がこれほど多いのだろうか。アメリカ政府や軍事産業が、国益の追求のために、敵対勢力となっているロシアを悪魔化しようと、メディアに向けてその残酷さをアピールするということはひとつのの可能性として考えられる。政府関係者によるメディアへの影響は決してめずらしい現象ではない。こうしたアメリカメディアの報道が日本のメディアの議題設定に大きな影響を与えているとも考えられる。しかし、この問題を単純な善悪ストーリーとして語ることは必ずしもアメリカ政府の影響だけではない。日本に限った話ではないが、利益を追求する商業メディアは視聴率・購読者数を競合から勝ち取るためにも、このようなストーリー展開を採用しているとも考えられる。
しかしこれだけでは、ウクライナに対する日本のメディアの注目度の高さについて説明できない。メディアが報道するかどうかの判断基準の一部に、肌の色や所属する民族、宗教、もしくは社会経済的地位が含まれると考えられる。欧米の対ウクライナ報道では、ウクライナでの被害者が「我々」に「似ている」ことを理由に問題の重大性を強調する失言が複数記録されている。この点に関し、日本は歴史的にも文化的にも他国と大きな隔たりがあり、日本に暮らす多くの人々は、ウクライナが歩んできた歴史や民族、宗教的価値観を共有しているわけではない。しかし、欧米と同様に日本のメディアにも肌の色や社会経済的地位をもとにした暗黙の優先順位がみられていると考えられる。これは、日本の一般的な国際報道において、サハラ以南アフリカをはじめとする低所得地域に対する報道量が極めて少ないことに鑑みても明らかである。また、今回のウクライナ難民の受け入れを話題に、このような人種差別をメディアを通じて正当化するコメンテーターもいるようだ(※4)。
真の人道主義へ
上記のようなことを踏まえると、現在のウクライナに対して行われている日本のアクションは「人道」という言葉に値するかが疑わしくなる。赤十字によれば、「人道」とは「人間の生命は尊重されなければならないし、苦しんでいる者は、敵味方の別なく救われなければならない」ことである。困難の中にある人を助けるという行動自体は当然、その人々を「救う」ことになるのだが、特定の人やグループを意図的に選出し、限定的に支援を与えるという行為は果たして人道的と言えるのだろうか。
今回のウクライナとその国民に注がれている注目と同情は、地理的距離、国籍、民族アイデンティティ、使用言語の異なる人々に対して、人間の感情が揺さぶられ、心を動かされることがあると捉えることもできる。つまり、遠く離れた人々の苦しみについての情報が入ってくれば、関心が高まることもある。イエメンやコンゴ民主共和国に対しても、報道量やその伝え方次第で購読者や視聴者の心に響くことも考えられるのではないか。国境や肌の色の違いにかかわらず、人道主義が真に社会、そして世界に浸透していくことを願うばかりである。
※1 データ公開状態の関係で、対象期間は2022年1月1日から3月25日まで。
※2 朝日新聞の聞蔵IIビジュアル、読売新聞の読売新聞 ヨミダス歴史館のデータベースを利用し、朝刊夕刊の全国版を検索対象にした。
※3 1993年4月から2022年3月までの30年間で「ボスニア」と「人道」が言及された記事は474件。「コソボ」と「人道」が言及された記事は461件。
※4 日本テレビ、深層ニュース(2022年3月23日)の番組では、慶應義塾大学の鶴岡路人氏はこの現状に対して、以下のように発言した。「なかなかセンシティブな問題なんだと思います。と言いますのも、やはり2015年のシリアのときはですね、あのときも実はシリア人だけではなくてアフガニスタン人なんかも多かったわけですけれども、やはりヨーロッパ人にとっては、異文化な人たちが来たと、そういう扱いだったと思うんですね。それに対して今回は、特にポーランドから見ればですねウクライナは隣国でありまして、ヨーロッパ全体から見てもですね、やはりヨーロッパの同胞ということで、はっきり言ってしまうと、見た目も似ているし、同胞であるということなんだと思います。ですから、その結果として、今回非常にこのまあ歓迎ムードといいますか、少なくとも受け入れに関して非常(異常?)に積極的で連帯を示すということになっています。で、ここだけ言いますと、じゃあヨーロッパ人ていうのは、そうやって人種差別しているんですかと、ヨーロッパ人だったら受け入れるけれども中東からは受け入れないんですかというふうになってしまうんですけれども、それは現実として、やはりこれだけの人数が入ってくるということは国民がどれだけ受け入れる用意があるのかということに関わってきますので、べき論ではないんだと思うんですね。シリア人もウクライナ人も同等に扱うべきだと、もちろんその規範としてはそうなんだと思いますけれども、やはり政治の現実、国民の現実というものを考えたときに、それは問題としては存在しつつも、とりあえず今このウクライナに対して連帯を示すということ自体は否定すべきことではないということなんだと思います。」
ライター:Virgil Hawkins
後学のために一点気になったことがあり、コメントさせて頂きます。
日本の報道における問題点はある程度分かりましたが、では欧米諸国では、すべての紛争について均等に報道されているのでしょうか。中東は?中国では?理想的な報道がされている国やマスメディアはあるのでしょうか。また、そうした報道はどの程度国民に届いていると言えるのでしょうか。
ご多用のことと存じますが、もしデータや論文等でお示し頂ける部分がございましたらでしたらご教示頂けると幸甚です。
ロシア、ウクライナのことは確かに盛んに報道されていますが、実際の所ロシア、ウクライナ内部にも報道されていない、見過ごされている人々が多々有るのではないでしょうか
↓リベラル系のメディアですらモスクワの声しか拾わず戦争に駆り出される貧しい辺境の人々を主体的な人間として捉えていないとする批判
https://twitter.com/karizo2022/status/1523156967388487681
チェチェン紛争だってそうです
最近為されたばかりのイエメン内戦の停戦などの途上国の紛争情報が軽視されているのには憂慮を覚えますが、大国の中のにも報道されない声があるので、そうした点を記事にしていただけると嬉しいです。
度々ウクライナ色の洋服でテレビに出てきたり、涙目で「人道的」な発言をする高橋杉雄氏がまさにそうですよね・・・
世界のあらゆる戦争を無視して、ウクライナ国民だけを同情の対象として扱う。
https://www.youtube.com/watch?v=xJcPA1e0Wd4
まったくおかしな話ですよね。