西アフリカでは、約1年半の間に6回ものクーデターが発生した。2020年8月と2021年5月にはマリで、2021年9月にはギニアで、2022年1月にはブルキナファソで、国軍が大統領などの身柄を拘束し、軍事政権を樹立した。政権交代には至っていないものの、2021年3月にはニジェールで、2022年2月にはギニアビサウでクーデター未遂も起きている。この期間、アフリカで発生した8件(※1)のうち6件のクーデターを西アフリカ諸国が経験したことになる。
西アフリカ諸国は15世紀からは奴隷貿易で、19世紀以降はヨーロッパ諸国の植民地として、西洋諸国から搾取され続けた歴史を持つ。1960年代に多くの国が脱植民地化を果たして独立したが、政治的に安定しない国が多く、1990年代までに42件が政権交代に結びつくほど多くのクーデターを経験してきた。その背景には、独立後にも続いた元宗主国からの干渉、冷戦の関連で新たに加わったアメリカとソ連の干渉、そして貧困や債務問題を挙げることができる。
冷戦が終結し、複数政党制に基づく大統領選挙が増えてきた1990年代を境に、クーデターの数は減少傾向にあった。しかしこのように、近年、多くのクーデターが再び発生している。その西アフリカでは一体何が起こっているのだろうか。
民衆の不満を利用する権力欲?
2020年代に入って、クーデターがまず発生したのはマリだった。マリは1960年にフランスから独立した国である。その後、クーデターによる政変や一党独裁体制を経験してきたが、1991年のクーデターで樹立したアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ暫定政権が民主化を進め、1992年から10年間続いたアルファ・ウマル・コナレ政権、2002年から2012年まで続いたトゥーレ政権は比較的安定した政権運営を行ってきた。
しかし2012年、独立を求めるトゥアレグ人によるマリ北部での武装蜂起、及び過激派の介入により北部の都市は占領され、中央政府の対応力不足に不満を持った国軍は同年3月にクーデターを起こし、トゥーレ政権は打倒された。2013年9月に樹立したイブラヒム・ブバカール・ケイタ政権は汚職、統治能力の欠如により国民の間で不満がたまっていた。例えば、7.5%と歴史的な投票率の低さを記録した2020年3月の議会選挙におけるケイタ政権の不正疑惑(※2)を背景に、「6月5日運動-愛国勢力結集」(M5-RFP)によるデモが何度も行われていた。その間も北部で武力紛争は続いてきた。
このように政権の正統性が低下している最中、2020年8月18日に国軍によるクーデターが発生した。軍の一部が大統領公邸を襲撃し、ケイタ大統領とその息子や政府高官を拘束した。ケイタ大統領は辞任し議会は解散され、代わりに軍部が設立した国民救済委員会(CNSP)が権力を掌握し、暫定政府の暫定大統領に元軍人のバ・ヌダウ元国防大臣、暫定副大統領にアシミ・ゴイタ大佐が就任した。
当初、汚職や不正選挙に失望していた国民は、若い陸軍将校が率いる軍事政権に希望を抱いていたが、改革を実現するという軍事政権による国民への約束は守られなかった。暫定政権に文民政権の要素を部分的に取り入れ、軍部によるコントロールが低下してくると、2021年5月にはクーデター内のクーデターとも言われるかたちで、当時の暫定大統領と暫定首相が拘束され、アシミ・ゴイタ大佐が暫定大統領に就任した。
これにより樹立した新しい政権も、M5-RFPが提出した憲章案を修正したり、文民政権移行を認めたはずが、防衛大臣を首相にしたり、治安と安全保障にしか権限を与えられていなかったゴイタ大統領が立法機関の人事権を得るなど、国民のための統治とはかけ離れているのが現状だ。
このようにマリでは、民衆の失望を利用してクーデターを成功させた軍が新たな圧政を敷いている状況下にある。

クーデターの様子、ギニア(写真:Aboubacarkhoraa / Wikimedia [CC BY-SA 4.0])
もう一つ、政権不信による正統性の低下がクーデター成功の一因となったのがギニアでのクーデターである。ギニアは1958年にフランスから独立した国である。独立から1984年まで、セク・トゥーレ政権の独裁が続いたが、同年に無血クーデターで政権についたランサナ・コンテ大佐が複数政党制が導入された。2008年にも無血クーデターが起き、2010年に野党指導者であったアルファ・コンデ氏の政権が樹立した。
2010年の就任から2期10年の長期政権を維持したコンデ大統領は、2020年3月に憲法を改訂し、3選を禁じる規定を廃して再選を果たした。大統領の座に居残ろうとするこの憲法改訂は国民の反感を買い、野党及びその支持者による反政府デモが頻発、時には死者を出すこともあった。
そのような状況下、2021年9月5日に首都コナクリでママディ・ドゥンボウヤ大佐が率いる国軍の特殊部隊がコンデ大統領を自宅で拘束した。国軍により設立された国家和解発展委員会(CNRD)が政権を掌握し、ドゥンブヤ大佐が暫定大統領に就任した。
クーデター後の首都では人々がバルコニーから歓声を上げ、市民社会グループが祝賀の集会を組織するなど、政変を歓迎する様子が見られた。CNRDはクーデターの理由を政治腐敗と貧困を解決するためと説明し、民政移行に向けた新憲章の策定、自由な選挙の約束、クーデターに続く混乱を避ける経済政策などを実施した。このように一部に期待はあるものの、人権侵害や汚職などで有名なギニア国軍の文化や、民主化移行に向けた交渉(※3)が難航している状況などを考えたとき、政治腐敗や貧困の脱却や民政移行の進捗に悲観的な見方も多い。
民衆が政治に失望し、これを解決するとのお題目を唱えながら成功したクーデターであるものの、ドゥンボウヤ氏率いる暫定的な軍事政権は、国民の期待に応えるような政治を実施できているとは考え難いのが現状である。

反政府デモ、ギニア(写真:Aboubacarkhoraa / Wikimedia [CC BY-SA 4.0])
過激派による政情悪化
このように、民衆の不満を利用してクーデターが行われるケースがある中、原因となっているのは政権の汚職、不正などである。一方、地域的な事情として、イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)やイスラム国(IS)などの過激派の存在を見過ごすことはできない。
AQIMは1990年代後半にアルジェリア北部で設立された過激派集団で、当初はアルジェリア国内でテロ攻撃を繰り返していた。2000年代に入り、次第に国境を越えて活動するようになり、麻薬の密売などで資金源を確保すると、活動範囲をマリ、ニジェール、そしてブルキナファソなどへ拡大していった。例えば、上記のようにマリにはアンサール・ディーン(AD)と呼ばれるマリ北部を中心に活動する過激派グループが生まれ、AQIMとの連携により、AQIMの活動拡大の一躍を担ってきたところもある。
これらの地域をはじめとするサヘル地帯には、IS関連組織である「ISIL大サハラ」なども活動しており、各国軍や民間人に対するテロ攻撃が行われたり、過激派同士で活動地域を巡る争いが起きたりするなど、治安は悪化の一途を辿っている。過激派の影響範囲は南下してトーゴとコートジボワールにも拡大しており、ギニアでも、クーデターにより過激派の攻撃に対して脆弱になることが危惧されている。
世界テロ指数(GTI)によれば、テロリズムによる死者数の48%がサハラ以南のアフリカに集中しており、そのうちニジェール、マリ、ブルキナファソではテロによる死亡者数が増加している。マリでは過激派グループの攻撃が軍事政権支配後に30%増える(2020年と2021年の比較)など、今後も悲観的な状況が続く見込みである。先述したマリもその影響を受けた国であるが、マリの隣国ブルキナファソでも過激派の活動が活発的になり、クーデターの一因となった。拡大した紛争によって、ブルキナファソだけでも7,000人以上が死亡し、140万人以上が避難し、350万人以上が人道支援を必要とする状況にあり、国民の間でもロシュ・カボレ政権の治安維持能力を疑問視する声が高まっていた。

クーデターの様子、ブルキナファソのテレビ局にて(写真:Prachatal / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
そのような中、ブルキナファソでは2022年1月23日、過激派へ適切に対処できていないとして反乱を起こした国軍兵士らが、カボレ大統領の身柄を拘束し、サンダオゴ・ダミバ中佐を中心とした軍・治安組織による「防衛と復興のための愛国運動」(MPSR)の樹立を宣言した。
しかし新たに樹立した軍事政権は、過激派には複数の異なる民族グループが関与していることもわかっているにも関わらず、特定の民族のみを過激派の構成員であると決めつけて圧力をかける傾向がある。それらの民族に対して国軍が行った事件について人権NGOや外国政府が調査を要請するも、政府は応じてこなかった。結果として、弾圧とも言える状況に失望した人々が過激派に参加するケースもあると言う。政変後の軍事政権の志向性からも、このような状況が今後改善する見込みは低い。
大国の干渉
クーデターが発生したマリ、ギニア、ブルキナファソの元宗主国であるフランスやアメリカによる軍事介入も目立つ。以前からこの地域に軍を多く派遣してきたフランスだが、2013年以降、マリを中心に軍事介入した。2013年のセルヴァル作戦や2014年のバルカン作戦などが挙げられる。その後も、「対テロ」という名目でブルキナファソやマリの他に、モーリタニア、ニジェール、チャドの5カ国が構成するG5サヘル越境合同軍と協働するなどの関与をしてきた。アメリカも同地域への介入が目立つ。複数の基地を展開させたり、当該国への軍事支援も行ってきた。例えば、2018年と2019年のブルキナファソに対する軍事支援は総額1億米ドルなるとの試算もある。
また、これらの軍事支援がクーデター成功に一躍貢献した可能性もある。アメリカはブルキナファソの軍隊と警察に広範な訓練を提供してきたが、2022年のブルキナファソのクーデターのリーダーであるポール・アンリ・サンダオゴ・ダミバ中佐は、アメリカが支援する軍事訓練に参加してきた経歴を持つ。またブルキナファソでは2014年にもクーデターが起きていたが、これを主導したアイザック・ジダ中尉は、米国の軍事情報訓練コースにも参加した軍人である。また、マリのゴイタ大佐、ギニアのドゥンブヤ大佐、ブルキナファソのダミバ大佐は2019年に行われた米国主導の軍事演習に参加しており、ドゥンブヤ氏とダミバ氏は2017年にパリで実施された軍事訓練にも参加していた。共同軍事演習の場がクーデターなどを計画する軍人同士の交流の場になっていることが懸念されている。
そもそも、「対テロ」という名目で介入してきたフランスとアメリカだが、その裏には鉱物資源の入手や政治的な影響力の拡大といった狙いもあるという指摘がある。西アフリカは資源豊かな国が多く、ガーナ、マリ、ブルキナファソでは合計275トン以上の金が生産され、ギニアは世界最大のボーキサイト埋蔵量を誇り、ニジェールは世界のウラン生産量の5%を占めている。大国からすれば、反民主主義の政権であろうと、これらの資源へのアクセスが確保できれば協力関係を築くことが考えられる。

米軍による軍事訓練、ニジェール(写真:US Africa Command / Flickr [CC BY 2.0])
この分脈でロシアの存在も近年目立つ。ワグナーグループをはじめとするロシアの民間軍事会社が西アフリカへ進出しており、ロシア軍事産業への依存を生み出してアフリカの資源にアクセスすることが狙いだとされている。クーデターが発生する数週間前のブルキナファソでは、ダミバ大佐が反政府勢力に対してワグナーグループの活用を提案したが、カボレ前大統領がそれを断っていた。その背景には、マリにおけるワグナーグループの進出を西側諸国が非難していたため、西側諸国とロシアの面倒な関係に巻き込まれたくない、とのカボレ前大統領の思惑もあったと考えられる。しかし結果として、2回も提案を断ったことから、国軍の反感を高めることになったと言えよう。
このようにロシアが進出していく傾向にある一方で、西側諸国は撤退傾向にある。特にフランス軍は、一時期5,000人をサヘル地域に展開していたものの、2022年2月にマリから撤退することを発表した。2021年半ばにマリがロシアの民間軍事会社の派遣に合意したことや、フランス軍の派遣に対する国民の怒りなどが撤退の要因となっている。
しかし、たとえ、諸外国による介入には紛争やテロ行為を止める意図があったとしても、軍事力のみでできることではない。これらの根底にある貧困問題や腐敗などが取り除かれない限り、この問題は解決に向かうことはなりだろう。諸外国とその企業は、資源の搾取などに関与していることもあり、大国自体の行動を見直さなければ問題が解決しないといった側面もある。また、アフリカ大陸外からの大国の他に、地域機構である西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)やアフリカ連合(AU)による対応も見られる。しかし現在も、解決への道筋を示せていない状況にある。
クーデターから考える課題と解決
このように、アフリカ諸国の政治エリート側における汚職や不正、貧困問題、また過激派の影響が、国民の不満を高め、国軍によるクーデターの成功を高める契機や要因になっている現状がある。これまでは西側諸国が強く関与してきた地域であるが、ロシアによる介入もみられる。また、軍事介入ではないものの、中国、また一部の中東諸国が豊富な資源を求めて国軍側へのアプローチを行っている。
現時点で、クーデターが起きた西アフリカ諸国では、国軍が取って代わった暫定政権は民政移行する気配はなく、汚職や貧困への対策、治安を強化する道筋も暗いままである。一時的に一部の市民の歓迎を受けた国もあるが、時間の経過とともに市民の不満が再び高まってくることは容易に想像がつく。

ECOWASの会合(写真:Présidence de la République du Bénin / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
その一方で過激派の影響範囲も拡大しており、今後の政情不安に拍車をかける恐れがある。2022年2月、ギニアビサウのクーデターが失敗したあとに招集されたECOWASの会議の場において、ナナ・アクフォ=アド議長はクーデターについて「伝染性」と表現し、地域全体への脅威を訴えた通り、地域的な政情不安が懸念されている。
まずは西側諸国、ECOWASをはじめとする、西アフリカ諸国の国民からは時に冷ややかな視線を浴びるアクターが、しかしながら民政移行のロードマップ(※4)に関して粘り強く交渉を進めていくことが重要との指摘がある。例え偽善的でも、クーデターに対して懸念を表明し、非難し続けることで、文政移行の正統性を主張し、軍事政権との交渉の主導権の一部を握ることもできる。
しかし軍事政権は外交ルールの外側で行動する主体でもあるため、消極的な姿勢は地域外交の停滞を生じ、さらなる治安の悪化を招きかねない。貧困問題の一因となっている多重債務など、対処すべき問題は他にも山積している現状がある。軍事政権への経済制裁は時に必要な戦術となり得るが、国民への影響や、各国の孤立化を避けることとのバランスが必要となる。政治エリートへの幻想や、軍事政権の政治的な情報操作もあり、経済制裁は国民への攻撃とみなされることもあるからだ。
今後もこの地域での進展に注目し続けたい。
※1 同期間内に、スーダンでもチャドでもクーデターが発生している。
※2 投票所を閉鎖に追い込む暴力事件が幾度も発生し、野党の指導者が誘拐され、憲法裁判所が31議席の選挙結果を覆す判決を下すなど、多くの不正疑惑があった。
※3 野党、市民社会組織、マリの元イスラム評議会議長マフムード・ディッコ氏を指示する人によって構成されている。
※4 西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)という地域機構との間で民政移行へ向けたロードマップについて協議が行われているが進捗が遅く、交渉を長引かせて独裁的な軍事政権を維持するための手段とも見られる。
ライター:Sho Tanaka
グラフィック:Takumi Kuriyama