GNV はすでに、エプスタイン文書の暴露に関する複数の記事を発信している。エプスタイン文書とは、アメリカの金融業者ジェフリー・エプスタイン氏に関連する大量の電子メールやその他の文書群であり、2025~2026 年にアメリカ政府によって公開されたものである。本記事では、2011 年にリビアで起きた反乱と、それによりムアンマル・カダフィ政権が打倒される過程をめぐって、エプスタイン氏とその関係者らのあいだで交わされたメールに焦点を当てる。
これらのメールからは、紛争および政権交代から利益を得るための、さまざまな方策を議論している様子がうかがえる。こうした一時点の断片を検証することにより、個人や企業が紛争、不安定化、権力移行からいかにして利益を得うるのか、そのメカニズムを探る機会が与えられる。そこから明らかになるのは、エプスタイン氏本人のいかがわしい行為そのものというよりも、むしろ世界中どの紛争地にも存在しうるであろう、便乗的なアクターたちから成る、より広範な生態系の姿である。
道路上を進む反政府勢力、2011 年 4 月(写真:Rosen Ivanov Iliev / Shutterstock.com)
目次
リビア蜂起
リビアでの紛争は、「アラブの春」と呼ばれるようになる一連の出来事の文脈のなかで起きた。政府汚職や経済的困窮などへの大規模な抗議行動は、2010 年 12 月にはじめてチュニジアで本格化し、ほどなくして中東および北アフリカ地域の他国へと急速に拡大した。数週間のうちに、チュニジアとエジプトでは、数十年にわたって権力の座にあった支配者たちが打倒された。
2011 年 2 月には、リビアでも抗議行動が勃発した。しかし近隣諸国とは異なり、カダフィ氏による長期支配は、すぐには終わりを迎えなかった。政府は抗議行動を武力で弾圧し、その対応として、抗議者側も武装しはじめた。状況は武力紛争へと悪化していく。反政府勢力は、リビア東部の大半を急速に掌握した。抗議者への暴力に対する対応として、多くの西側諸国政府は、自国領内に保有されていたリビア政府資産を凍結した。
2011 年 3 月、抗議行動の勃発から 1 か月も経たないうちに、自らを移行国民評議会(TNC、のちに国民移行評議会、NTC と訳される)と名乗るグループが、リビア唯一の代表であると宣言した。同月、北大西洋条約機構(NATO)が軍事介入を行い、米欧の部隊がリビア国内の多数の標的に対して空爆を開始した。
その後も数か月にわたり戦闘は続いた。5 月には、TNC は首都トリポリから 200 キロに満たない西部都市ミスラタを完全に掌握した。世界各国の政府が相次いで、TNC をリビア国民の正当な代表として承認すると発表しはじめた。
戦争で破壊された建物(写真:Nenad Novacic / Shutterstock.com)
エプスタイン氏に持ち込まれた「好機」
2011 年 6 月、反政府勢力が首都奪取に迫っているように見えた時期、エプスタイン氏は、旧知のグレゴリー・ブラウン氏と再会した。ブラウン氏は金融サービス企業の会長兼 CEO を務めており、エプスタイン氏とは 30 年以上の付き合いがあったが、ここ数年は会っていなかった。
ブラウン氏は、リビアにおける TNC 支援にあたり、エプスタイン氏の協力を求めていることを明確にした。その詳細は、同月後半に送ったメールで説明されている。TNC には、現金と人道支援が緊急に必要であったという。また TNC は、国外で凍結されているリビア政府資産(およびカダフィ氏本人とその側近が個人的に保有する資産)へのアクセスを得ようとしていた。政府資産だけでも 800 億米ドル超に上ると考えられていた。ブラウン氏は、権力者との人脈を幅広くもつエプスタイン氏のネットワークをよく知っており、TNC に代わってそうした資産へのアクセスを確保するうえでの支援を求めた。
ブラウン氏は、多くの政府が TNC をリビアの代表として公式に承認しており、カダフィ氏は「殺されるか捕らえられるかするのは時間の問題」に過ぎないと強調した。また、豊富な石油・ガス埋蔵量と国外で凍結されている資金を踏まえると、リビアは裕福な国であり、人道支援は返済されると指摘した。さらに重要なこととして、TNC を支援することにより、戦後復興に充てられると見積もられていた 1000 億米ドル超の資金の一部へとアクセスできるようになると示唆した。「いま助けてくれる友人たちは、列の一番前に並べられる」というわけだ。
エプスタイン氏は、この提案の実行可能性について懐疑的な様子を見せた。しかしブラウン氏は翌月、TNC が国外のリビア資金を取り戻すのを支援した場合に得られるであろう利益の試算を示したメールを送っている。そこには、「これらの資金の 5~10%を特定・回収し、その 10~25%を報酬として受け取ることができれば、我々は何十億米ドルという話をしていることになる」と記されていた。
しかし「本当のご褒美」は、TNC が権力を掌握し、戦後復興に 1000 億米ドル超と見積もられる資金を投じはじめる際に、TNC にとっての「頼れる連中」となることだとされた。ブラウン氏はまた、資金の特定と回収を支援できるイギリス・イスラエル情報機関の友人がいることもほのめかしていた。
2011 年のブラウン氏からエプスタイン氏へのメール(DOJ: EFTA00915647)
好機は霧散?
2011 年 7 月 15 日、アメリカ政府は TNC をリビアの正当な統治当局として公式に承認した。これにより、アメリカ国内に保有されていた340 億米ドルのリビア資産への TNC のアクセスが開かれることになった。この時点でブラウン氏は、利益獲得へ至る道筋が他者に奪われたように見えたことから、エプスタイン氏が動かなかったことへの苛立ちを表明している。彼はこう書いている。「1 か月前、私が提案したときにあなたが動いていれば、今日、我々は今回の成功の一端は自分たちの功績だと言えただろうし、これら 300 億ドルの大部分を TNC の管理下にあるより安全な場所へ移すのを手助けできていただろう。言うまでもなく、手数料で何千万ドルも稼いでいたはずだ。」
反政府勢力がトリポリに迫るなか、ブラウン氏はなおも、計画実行への参加をエプスタイン氏に迫った。8 月には、「これは素晴らしい冒険であり、友人たちと分かち合える新しい話をたくさんもたらしてくれるだろうし、大量の金を稼がせてくれる」と書いている。
エプスタイン氏は、混沌とした状況が、自分たちの利益になるような形で収束するとは確信できない様子だった。ブラウン氏宛てのあるメールでは、「誰も彼もが自分こそが支配していると主張している…君が最もよいコネを持っているのは、一体誰なんだ」と書いている。また、アメリカ国民としての自分たちが置かれるであろう監視の目と、それに伴うリスクを踏まえると、「完全にクリーンで」ないかたちで行動することはしないと述べてもいる。
とはいえ、エプスタイン氏がこの件に明らかに関心を持っていたこと、そしてブラウン氏とともにプロセスを前進させる用意があったことも確かだ。彼は、ブラウン氏が紹介ししょうとしていた TNC 関係者とニューヨークかパリで会うことを提案し、そのために自家用ジェット機の使用も申し出た。9 月には、フランスとイギリスがパリで主催した「新生リビア支援国際会議」に出席したと主張しているが、どのような立場で参加したのかは定かでない。
ブラウン氏はさらに、同じ月に開かれる国連総会の開会に合わせ、TNC 指導者の代表団をニューヨークに連れてくる費用をエプスタイン氏に拠出してほしいと求めた。しかしエプスタイン氏は、適切な身元確認が行われていない人物を資金援助することはできないとして、これを拒んでいる。
TNC 代表者と当時のイギリス外相との会談、2011 年 5 月(写真:Foreign, Commonwealth & Development Office / Flickr[CC BY 2.0])
2011 年 10 月 20 日、カダフィ氏は殺害され、その 3 日後、TNC 議長ムスタファ・アブドル・ジャリル氏が、リビアの解放を宣言した。その直後、ブラウン氏はリビアは「ビジネスチャンスで溢れている」と書き送り、同年 12 月には、先へ「進みたい」のであれば電話をくれとエプスタイン氏に求めている。しかしこの段階では、当初想定されていた最も収益性の高い機会の多くは、すでに失われてしまっていたように見えた。
新政権、新たな利潤獲得経路
リビアへの介入を試みるなかで、ブラウン氏が主眼を置いていたのは、凍結もしくは失われた政府資金の回収と、戦後復興に費やされると想定されていた資金であった。しかし、リビアにおけるカダフィ政権の崩壊と、政権関係者による政治的・経済的権力の喪失は、リビア国内で経済活動に関する意思決定を担う新たな人々の登場を意味し、そこには他にも機会が存在した。
エプスタイン氏の別の知り合いは、この点にチャンスを見いだし、エプスタイン氏のネットワークを活用したいと考えていた。カダフィ政権崩壊からおよそ 1 か月後、金融サービスに携わる別の人物、ビル・コノバー氏がエプスタイン氏に連絡を取ってきた。コノバー氏は、自分は「リビアの新政府におけるビジネス全般への完全なアクセス」を持っており、「いくつか紹介するだけで相当額の手数料が得られる」と主張した。彼は、至急会いたいと望んでいた。
コノバー氏は、ミスラタを拠点に広範なビジネスを展開する有力企業体、エルダラット・グループとのビジネス関係に、エプスタイン氏を引き込もうとした。コノバー氏によれば、このグループは「リビア国内の紛争の真ん中にあったが、最終的に勝ち残った」存在だったという。彼はまた、同グループがリビアにおけるヒュンダイ自動車の販売代理店になることを目指して同社に送った提案文書をエプスタイン氏に共有している。
さらに 2012 年 3 月には、コノバー氏は、アラブ首長国連邦を拠点とする巨大コングロマリット(アル・オタイバ・グループ)と、現地パートナーを務める在外リビア人一家(サアド家)を巻き込んだリビアでのビジネスについて話したいとエプスタイン氏にメールを送っている。彼は、このグループがリビア革命の「主要な資金的支援者」だったと主張している。コノバー氏は、同グループがリビアへの巨額の投資を行っており、リビア国営電話会社の支配権を握ろうとしているとエプスタイン氏に伝えた。加えて、「GM、キャタピラー、メルセデス、フォルクスワーゲン・アウディ、日産」などの自動車メーカーの販売代理店権を取得しようとしていること、さらに石油掘削の合弁相手も探していることを明かしている。
2012 年のコノバー氏からエプスタインへのメール(DOJ: EFTA01997174)
コノバー氏とエプスタイン氏が、こうしたビジネスにどの程度関与できたのかは不明である。
ゴールドマン・サックス
ほぼ同じ頃、リビアで利益を上げようとするグレゴリー・ブラウン氏の試みは、ついに実りを見せはじめていたようだ。ブラウン氏は、ゴールドマン・サックスを通じた投資でリビア政府が失った大金を回収し、コミッションを得ることを狙っていた。リビアは 2007 年に政府系ファンドを設立し、その運用を委託された金融機関の一つがゴールドマン・サックスだった。同社は 13 億米ドル超の資金運用を任され、通貨取引などに投じた。しかし翌年の世界金融危機の発生により、ファンド資金の98%が失われた。
2012 年 3 月、ブラウン氏は、リビア側にいる関係者が、ゴールドマン・サックスとの示談交渉においてリビアを代表することを TNC から承認されたという「素晴らしいニュース」を、エプスタイン氏に伝えた。これに対しエプスタイン氏は、「あと一歩だ」という 一言で応じている。
しかし、それが実を結ぶことはなかった。その後の経緯は明らかではないが、何らかの理由で先に進めなかったことだけは確かだ。2013 年 3 月、ブラウン氏はエプスタイン氏に対し、この「チャンスを逃してしまった」と嘆いている。この案件自体は、最終的にイギリスの法廷で争われることとなった。2016 年、裁判所はゴールドマン・サックスの主張を認める判断を下し、リビア政府は資金の回収に失敗した。
不安定さはリスクか、それとも好機か?
純粋に利潤追求という観点からすれば、エプスタイン氏がリビアで提案された多くの案件に対して慎重な姿勢を取ったことは、結果的には彼に有利に働いたのかもしれない。TNC は、リビア全土を掌握することができなかった。多くの地域では実効支配が地元民兵の手に残され、2014 年には同国で再び紛争が勃発した。2016 年には、リビア国民軍(LNA)を名乗る勢力が東部を掌握し、2019 年には首都への進軍を開始し、政府奪取寸前まで迫った。現在に至るまで、国は分裂したままである。
市街地の様子(写真:Alan & Flora Botting / Flickr[CC BY-SA 2.0])
とはいえ、だからといってエプスタイン氏が、紛争や治安不安を金銭的利益のために利用することを避けていた、というわけではない。元イスラエル首相エフード・バラク氏とのメールに見られるように、彼はむしろそうした機会を前向きに捉えていたように思われる。ただ 2011 年のリビアに関しては、彼がコミットするのを渋ったのは、取引相手への不信感と、紛争の中で誰が勝ち残るのか見通せないことが背景にあるようだ。
エプスタイン文書を構成するメールに見られるやり取りは、紛争や政治的な動乱から利益を得ようとする個人や企業による、あまりにありふれた現象について、私たちが想像するしかない実態を垣間見る、まれな手がかりを与えてくれる。例えば、リビアとは無関係な2010年のメールでは、コノバー氏はエプスタイン氏に対し、自身の組織の取引チームが「他の数人の通信分野の専門家とともに、まだ銃弾が飛び交うイラクに赴き、バグダッド地域で初の民間携帯電話会社を設立した」と語っている。
明らかに、紛争から利益を得る行為は、兵器取引や高価な鉱物資源の搾取に限られるものではない。こうした経済活動が、さまざまな分野でどのように行われているかに光を当てていくことは、今後も重要な取り組みであり続ける。
執筆:ヴァージル・ホーキンス





















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