2026年7月、コンゴ民主共和国(DRC)政府は、ルワンダ解放民主勢力(FDLR)として知られる武装組織と、後者に武装解除と動員解除を約束させる議定書に署名したと発表した。
同組織の名称は現在の政権からルワンダを「解放」することを掲げているが、FDLRは主としてDRC領内で軍事活動を行ってきた。ルワンダ政府はこの議定書を一蹴している。FDLRは1994年のルワンダ虐殺に起源を持つため、ルワンダは同組織を深刻な安全保障上の脅威であり、DRC政府と協力してきた集団だとみなしている。ルワンダ側は、2025年にDRCとルワンダの間で締結されたアメリカ仲介の合意は、FDLRとの交渉ではなく、FDLRの無力化を求めていると主張している。
FDLRは、DRCで活動する数十に及ぶ非国家武装集団の一つに過ぎず、またDRCとルワンダの間の対立点の一つに過ぎない。さらに、DRCに安全保障上の懸念を抱いているのはルワンダだけではない。DRCは西ヨーロッパとほぼ同じ広さの国であり、9つの国と国境を接している。
本記事は、DRCにおける紛争の概要を示すことを目的としている。
反乱軍の兵士(写真:Steve Evans / Flickr[CC BY-NC 2.0])
目次
紛争の背景
DRCの東部国境、特にルワンダ、ブルンジ、ウガンダとの国境地帯は、長らく移動、交流、緊張が集中する場所であった。例えば、現在のDRC東部へのルワンダからの移住の波は、植民地時代以前までさかのぼる。国境線が引かれ独立国家が形成された後も、同じ民族的アイデンティティを持つ人々が国境の両側に残された。年月を経て、民族的アイデンティティの混在と移住は、誰が市民権を持つ権利があるのか、誰が土地に対する権利を持つのか、誰が政治権力へアクセスできるのかをめぐる衝突を引き起こしてきた。
1993年、ブルンジで大量虐殺が発生し、翌年にはルワンダでジェノサイドが起きた。いずれの場合も殺害は民族的な線引きに沿って行われ、いずれもこの地域に存在していた緊張をさらに悪化させた。ルワンダ虐殺では、虐殺の加害者たちが難民とともにルワンダからDRC東部(当時ザイールと呼ばれていた)へと逃亡した。この加害者の一部が、後にFDLRを結成することとなる。
ルワンダは、難民キャンプの軍事化がもたらす脅威を理由に、1996年に隣国への侵攻を開始した。ルワンダにはウガンダやブルンジなどが加わり、現地の反政府勢力とともに国内を進軍した。彼らは翌年に政府を打倒し、ザイールはコンゴ民主共和国(DRC)に改名された。
ルワンダ、ウガンダ、ブルンジは、彼らが権力の座につけるのを助けたDRCの新政府に満足しなかった。彼らは1998年に再び侵攻した。今回はDRC政府側にアンゴラ、ジンバブエ、チャド、ナミビアが加わり、短期間のうちに7ヶ国の外国軍がコンゴ領で戦う事態となった。戦闘は膠着状態に陥り、国は事実上東西に分断された。東部は外国の占領軍と現地反政府勢力が支配することとなった。この紛争の規模と国際的性格から、この紛争は「アフリカの第一次世界大戦」と呼ばれるようになった。
やがて和平合意が実現し、2003年までに外国軍の撤退が完了した。これにより直接的な外国の関与はなくなったが、DRC国内には多数の現地武装勢力が残り、DRC政府や時には互いに対して戦闘を続けた。これらの勢力の一部は外国からの支援を受け、政府軍を押し返して広大な領域を掌握することに成功した。他方で、政府権力とその存在感の低下によって生じた権力の空白の中で生まれた、地域の自警団的民兵とみなせる集団もある。こうした民兵の一部は、政府軍と同盟関係を結んでいる。

主要な非国家武装組織
DRCで最も強力な非国家武装組織は、「3月23日運動」またはM23運動である。FDLRと同様にM23もルワンダと密接な関係を持つが、両者は対立する陣営に属している。FDLRは当初、フツ族を自認する人々が優勢であり、ルワンダのポスト・ジェノサイド政権に強く反対していた。一方M23は、おおむねツチ族と自己認識する人々から成ると見なされており、ルワンダ政府と明確に同盟関係にある。降伏寸前に見えるFDLRとは対照的に、相対的な不活発状態から2021年に再浮上したM23は、DRC東部国境における強大な勢力となっている。
この組織は、これまでにいくつもの形を経てきた。M23となる以前、この組織は「人民防衛国民会議(CNDP)」として知られ、地域の支配的勢力であった。再浮上して以降、M23は北キブ州と南キブ州の大部分、さらには両州の州都をも掌握している。M23はルワンダの支援を受けており、数千人規模のルワンダ軍がDRC領内に展開しているとみられている。2023年、M23は他の9つの武装勢力と合流し、コンゴ川同盟(AFC)を結成した。
東部DRCには、さまざまな程度で領域や影響力を持つ他の武装勢力も多数存在する。例えば、「コンゴ開発協同組合(CODECO)」と呼ばれる組織は、北東部のイトゥリ州で主として活動している。同組織は政府軍と戦っており、最近では、2025年末に出現した新たな勢力である「人民革命協約(CRP)」と衝突している。DRCとウガンダの国境地帯で活動するもう一つの武装勢力は、連合民主軍(ADF)であり、多数の民間人に対する攻撃と結びついた過激派組織である。
人道上の問題
30年にわたる紛争は、すでに極めて深刻であったDRCの人道状況を一段と悪化させている。紛争の始まりは、モブツ・セセ・セコによる数十年の権威主義的統治の終焉と重なっており、その間、国土の大部分は開発がほとんど進まなかった。その前には、ベルギーとその国王による壊滅的かつ極めて搾取的な植民地支配を経験している。
避難民(北キブ州、2012年)(写真:MONUSCO, Sylvain Liechti / Wikimedia Commons[CC BY-SA 2.0])
その結果、紛争を免れ政府支配下にある地域でさえ、公共サービスやインフラへの資金供給は限られたままであり、貧困は深く根を下ろしている。紛争に直面してきた地域では、その状況はさらに悲惨である。紛争の最初の9年間(1998~2007年)だけを対象とした疫学調査では、紛争による死者数はおよそ540万人と推計された。これは、朝鮮戦争以降で世界最悪の死者数を伴う紛争となる。死者の大多数は、紛争に関連した病気や飢餓によって命を落としている。これ以降、死者数を数えようとする試みはなされていない。
大規模な避難、食料と医療へのアクセス不足は、依然として危機的水準にある。2025年末時点の推計では、近隣諸国に避難しているコンゴ人難民は120万人、国内避難民はさらに580万人に上ると見積もられていた。2026年時点では、国内の2660万人以上が深刻な急性食料不安に直面し、135万人の子どもが重度の急性栄養失調に苦しんでいるとみられている。
民間人の人道的苦難は、単に紛争の副産物というわけではない。多くの場合、民間人は武装勢力による意図的な標的となっている。虐殺は頻繁に報告されており、拉致、拷問、性暴力が横行している。
DRCの人道危機はさらに、2026年に発生したエボラウイルスの流行によって悪化している。この流行は記録上最も拡大スピードが速く、8月時点で4000件以上の感染例と2000件の死亡例が確認されている。この流行への対処は、すでに疲弊している保健サービスにさらなる負担をかけている。
経済上の問題
DRCの大多数の人々が極度の貧困に直面している一方で、この国には多くの富が存在する。紛争が集中している東部は農業に適した肥沃な土地を有し、その地下には貴重な鉱物資源が大量に埋蔵されている。これらには、タンタル、スズ、タングステン、そして金といった「3TG」と呼ばれる鉱物が含まれ、電子機器産業や軍需産業などで利用されている。
カシテライト(スズ石)(写真:Enough Project / Flickr[CC BY-NC-ND 2.0])
DRCの文脈において、これらの鉱物はしばしば「紛争鉱物」と呼ばれる。武装勢力は、こうした鉱物が産出される鉱山や、それらを国外へ搬出するための輸送ルートの支配権を巡って争う。ルワンダ、ウガンダ、ブルンジは、DRC産の鉱物から利益を得ていると考えられている。非国家武装勢力にとって、鉱物は運動を武装・維持するために必要な収入源である。国家主体にとって鉱山の支配は政府の歳入となり得る一方、汚職に関与する官僚を富ませる手段ともなり得る。
武装勢力は、鉱山を直接支配していない場合でも、採掘に従事する組織や個人に税を課す。これは、武装勢力が支配する領域で行う広義の非公式課税システムの一部であり、単に武装勢力が支配する道路上に検問所を設け、通行料や税金を徴収するという形をとることもある。
外国勢力の介入
DRC紛争の主要な国際的側面は1998年から2003年の間に見られたが、現在もDRCにはさまざまな外国軍が駐留している。
国連平和維持部隊は1999年からDRCに展開している。当初は国連コンゴ平和維持活動(MONUC)として配備され、最盛期には2万2000人を超える要員を抱えていた。2010年には国連コンゴ民主共和国安定化ミッション(MONUSCO)へと移行し、現在は約1万人の部隊が展開している。これらは名目上は中立的な平和維持要員であるものの、DRC政府軍と足並みをそろえ、特定の非国家武装勢力に対する軍事作戦を共同で実施している。
パトロール中の平和維持要員(写真:United Nations / Flickr[CC BY-NC-ND 2.0])
DRCはまた、DRC政府に軍事支援を行う地域部隊も受け入れてきた。以前は東部に東アフリカ共同体地域部隊(EACRF)が展開していたが、期待が満たされなかったことから、その展開は2023年末に終了した。これらの部隊が撤退する頃、DRC政府は南部アフリカ開発共同体(SADC)からの部隊を歓迎した。SADCコンゴ民主共和国ミッション(SAMIDRC)は2023年12月に展開され、マラウイ、南アフリカ共和国、タンザニアの部隊から構成されている。
DRCの隣国3ヶ国も、DRC領内に部隊を展開していると考えられている。すでに述べたように、M23反乱軍を支援する形でルワンダ軍がDRCに駐留していると報じられているが、ルワンダはこれを公式には否定している。ウガンダとブルンジもDRCに部隊を展開しているが、ルワンダとは異なり、これらの部隊はDRC政府の許可を得て入国している。ウガンダはDRCとウガンダの双方を脅かすADF反乱勢力を追い、ブルンジはDRCに拠点を置くブルンジ人反政府勢力を標的としている。
一部では、2021年にM23が再浮上した背景には、ルワンダとウガンダの間の対立があると主張されている。2021年のウガンダ軍のDRCへの進駐や、DRCでの道路建設に関する協力強化は、ルワンダにとって脅威と受け止められ、M23再浮上を装った新たな介入を促した可能性がある。
ブカブとキブ湖(写真:Omri Eliyahu / Shutterstock.com)
終わりは見えているのか?
DRCにおける紛争は、近年さまざまな仲介努力の対象となってきた。アフリカ連合(AU)は調停に関与しており、同機構の平和安全保障理事会は和平プロセスを前進させる方策を議論する場として機能している。2025年には、AUは東アフリカ共同体(EAC)とSADCという地域機構と取り組みを統合した。
アンゴラ、カタール、アメリカといった個々の国による仲介の試みも行われてきた。冒頭で触れたように、米国の仲介は2025年にDRCとルワンダの間の合意につながった。しかし2026年になっても、DRC軍とM23の戦闘は、外交努力が強化される中でなお、衰えることなく続いている。
DRCで紛争が始まってから30年が経過した。その終わりがいつ訪れるのかは、依然として見通せない。
執筆:Virgil Hawkins
グラフィック:Mohammad Istiaq Jawad





















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