インド洋に位置するスリランカ民主社会主義共和国(Democratic Socialist Republic of Sri Lanka、以下「スリランカ」と表記)の歴史は移住から始まった。シンハラ人、タミル人、ムーア人、ブェッダ人、バーガー人などの様々な移住者の子孫で成り立っているスリランカでは、1948年イギリスから独立した後、国内の政治的な対立が問題となってきた。
その主な原因は言語が違う二つの民族(シンハラとタミル)間の政治闘争であった。人口の過半数を占めるシンハラ系勢力が政府の中心となり、シンハラ語を唯一の公用語とし、仏教を中心とする国家にするための統合政策を追求するなど、ヒンドゥー教徒が多くタミル語を話すタミル人の権利を制限した。さらに、シンハラ系住民を優先する土地政策も導入した。
このような政策への反発は、1970年代にタミル人の独立運動に発展した。1981年、ジャフナ公共図書館の放火事件をきっかけに、1983年にはタミルイーラム開放のトラ(Liberation Tigers of Tamil Elam、以下「LTTE」と表記)がジャフナで政府軍13人を殺害する事件が発生するなど、このような衝突は全国的な規模へ拡大した。
LTTEは殆どのタミル系反政府勢力を統合し、特にタミルの人口率が高い北部と東部を中心に影響力を広げた。LTTEは自爆テロを行うなど過激な路線で、1993年には当時の大統領のラナシンハ・プレマダーサを暗殺した。翌年に就任したチャンドリカ・クマーラトゥンガ大統領はLTTEとの平和的な交渉を模索し、2002年にはノルウェー政府の仲裁により休戦協定が締結された。
2005年には強硬派のマヒンダ・ラージャパクサが大統領に就任し、2006年に紛争が再発した。その後、政府は全ての軍事力を動員しLTTEを武力で追い込み、壊滅させた。長期に渡り続いてきたスリランカ紛争は2009年に事実上、LTTE勢力の敗北で終結した。
26年間の紛争でおよそ8万から10万の人々が犠牲になったと推算されている。2011年の国連報告書によると、政府軍の空爆などの作戦で最大4万のタミル人が命を落としたとされている。
紛争は政府側の一方的な勝利で終わったため、その後のスリランカ国内情勢に不安を残した。政府は、LTTEの元兵士だけではなく、一般のタミル系住民も敵視する姿勢をとり、多くのタミル系住民を拘束したり、国内避難民キャンプからの出入りに対して厳しく制限をかけたりした。さらに、スリランカ国内全体においても、言論の自由を厳しく制限し、抑圧し続けた。また、「テロ予防法」を乱用し、監視や安易な逮捕を繰り替えした。
このような状況の下で、当時の国連事務総長はスリランカを直接訪ね、スリランカ政府と共に長期の紛争で荒廃した地域・社会を健全な形で再建させ、紛争の原因であった民族間の衝突も緩和していくことに合意した。その合意では、ラージャパクサ政権はおよそ30万人という大量の国内避難民に対し人道的な支援と早期の帰還が約束した。
しかし、国内避難民の再定着まで積極的支援を約束したラージャパクサ大統領の公約が忠実に実行されたとは言い難い。キャンプでの劣悪な環境や抑圧は、その後も続いた。紛争が終結したにもかかわらず、根本的な問題は解消されてはいなかったのである。
このように、長期の紛争に加え、終結後も「平和」とは言えないスリランカだったが、2015年1月に行われた大統領選挙を機に新たな展開を迎えている。三選を狙っていた与党ラージャパクサ大統領と野党連合のマイトリパラ・シリセーナ候補の対決となった大統領選挙において、現職大統領のラージャパクサ候補が約47.8%、野党連合のシリセーナ候補が約51.3%の得票を記録し、シリセーナ野党連合候補が当選した。これは予想外の結果であった。
シリセーナ氏はラージャパクサ元大統領と同じシンハラ人でありながら、タミル人を含む少数派の票も集めた。民族や宗教といった壁を超え、スリランカの人々がラージャパクサ政権で見られていた軍国主義と権威主義の傾向、そして一部の富裕層を優先させる政策へ反発していたことが、シリセーナの当選に繋がったと言えるだろう。
新政権はその後、スリランカ社会に大きな変化をもたらした。その一つとして、旧政権の問題として長く批判されてきた言論規制が大きく緩和されたことが挙げられ、その進歩は人権団体(Human Rights Watch)から高評価を得た。具体的にはジャーナリストに対する攻撃や活動への妨害が大きく減り、ウェブサイトに対するアクセス規制が撤廃された。
特にシリセーナ政権の下で、国内避難民に対する政策も大きく前進した。シリセーナ大統領は2016年1月の時点で、紛争終結からおよそ6年が過ぎたにもかかわらず、まだキャンプ生活を続けている約10万のタミル人が再定着できるように、住宅用の土地を用意することを明らかにした。シリセーナ大統領は直接キャンプを訪問し、「この問題」を解決したいという強い意思を表明した。このような大統領の発言は、野党のタミル国民連合(TNA)にも肯定的に受け入れられた。
また、紛争当時から政府が反政府勢力を抑圧するための「テロ予防法」の下で裁かれた事件に対する再捜査も行われ始めた。さらに、「テロ予防法」自体の見直しも発表された。こうした新政権の動きは以前の政権とは違う歩みを見せており、世界からも注目を集めている。
しかし、「テロ予防法」の代わりとなる新しい「対テロ法案」が2016年10月に公になったが、この法案は旧法案から指摘されてきた問題を解決するどころか、政府によるさらなる人権侵害を可能にする内容となっていると批判されている。
解決することが困難な課題について進歩が見られたものの、依然として問題は残っている。しかしながら、2015年の政権交代により、「平和」を構築するための政策が積極的に進められるようになり、新たな活路が見出されたことは間違いない。スリランカでの人権と社会の多様性が守られるように、一層の努力が求められている。
ライター:Yerim Lee
グラフィック:Yerim Lee, Taihei Toda