メールやチャット、通話履歴、メモ帳、連絡先など、スマートフォン上のあらゆる情報が知らないうちに他人の手に渡り、カメラやマイクのオン/オフは遠隔で操作されて常に覗かれている。2021年7月、そのような恐ろしい事態を可能にする「ペガサス」というスパイウェア(※1)が、様々な国の政治家や活動家、ジャーナリストなどの端末に潜んでいたことが明らかになった。ペガサスの標的となった後にジャーナリストが殺害されたり逮捕されたりする事例も挙がっており、機密情報を扱うジャーナリストにとって大きな脅威となっている。
一方で、この事件は別の見方もできる。ペガサスのターゲットの一部はジャーナリストであったが、ペガサスに関する問題を明らかにしたのもジャーナリストであったのだ。ジャーナリストや報道機関同士で連携して調査を行い、発覚後からも続々と新たな事実を伝えている。
現在に至るまで、不正や不都合な真実を隠そうとする国家等と、それらを暴こうとするジャーナリストの間で様々な軋轢が生じてきた。様々な技術が進歩する現代では、報道の自由が保障されているはずの国でさえ、その自由が脅かされる状況がある。権力に対する「番犬」的な役割を担うともされるジャーナリストや報道機関はどのように国家権力に立ち向かっているのだろうか。そして国家権力は彼らに対してどのような動きを見せているのだろうか。当記事では、とくに技術の進歩がジャーナリズムにどのような影響を与えているのかを、原則として報道の自由が保障されていると考えられている国の事例を中心に取り上げ、また、それらに関する日本の報道にも着目する。
目次
リークとジャーナリスト
権力の「番犬」とも呼ばれるジャーナリストが権力者の不正などを暴く際にまず重要となるのがリークである。不正を含む機密情報は多くの場合限られた者にのみ閲覧や管理が許され、ジャーナリストや市民が触れる機会は皆無に等しい。しかし、ひとたび限られた内部者からの情報がもたらされれば、ジャーナリストはその情報を基に分析を加えて調査報道(※2)を行い、世界中に不正を発信することができる。インターネットなどの情報技術が普及する以前は、情報提供者はリークしたい情報を紙などの状態で物理的に持ち出す必要があったが、現在ではデータの状態でやり取りすることが可能になった。
しかし、リークをする人の大半は身元を特定されたくないと考えている。それは、様々な重い処罰を受ける可能性があるからである。例えば、アメリカ国家安全保障局(NSA)やイギリスの政府通信部(GCHQ)などによるインターネットや電話回線の傍受、ハッキングなどの情報収集を告発したエドワード・スノーデン氏は、2013年に情報漏洩罪などの複数の容疑をかけられ、ロシアに亡命した。また、イラク・アフガニスタンにおける戦争に関する米軍の機密情報をリークした元陸軍情報分析官のチェルシー(旧名:ブラッドリー)・マニング氏も情報漏洩など20の罪で2013年に有罪判決を受け、拘置所では非人権的な扱いを受けた。情報提供によって不正が明らかになるのと引き換えに告発者が大きな代償を背負うとなっては、そのリスクに怯えてリークは減ってしまう。リークが減ると、ジャーナリストや市民は真実を知る手段を一つ失ってしまうのだ。
リークした者が罪に問われることにもわかるように、リークやそれを受けての報道には倫理的・法的問題が付きまとい、全面的に支持されているわけではない。また、リークには内部の情報を閲覧できる者からの提供だけでなく、ハッキングによる違法な情報収集によってもたらされたものも含まれている。「ハッカーからの投稿を歓迎」している情報発信者もあるが、ハッキングのほとんどは多くの国で犯罪行為とされており、ハッカーが違法に得た情報を公開することについては賛否が分かれている。内部告発も含め、倫理的・法的観点から見ればリークが一概に「正しい」ことだとはいえないが、こうした「違法」行為によって不正や汚職などの公益に反する権力者の動きが明らかになった事例も多い。情報を公開することによる公益性が高ければ、情報源が違法な手段で得た情報を報道に利用することが世界的にジャーナリズムでの一般的な傾向となっている。
情報技術の発達や電子機器の普及によってリークがしやすくなったとはいえ、メールに添付するなどの方法ではリークした人間の身元が特定されやすい。そこで、リークした人間の匿名性を守るようなシステムが開発されている。その代表例ともいえるのが「ウィキリークス(WikiLeaks)」である。ウィキリークスとは、内部告発システムを開発し運営している2006年に設立された非営利組織である。政府や企業の透明性こそが権力の濫用を防ぐという理念のもと、主に内部告発を通じて得た情報を公開してきた。ウィキリークスが画期的だったのは、告発者の匿名性が徹底して確保されている点にある。独自に開発した暗号化技術システムを導入しており、情報を受け取るウィキリークスすら情報提供者の身元を知ることはできないほど厳重なのだ。ウィキリークスはこれまでに、アフガン戦争(7万5千点)、イラク戦争(40万点)、アメリカの外交公電(25万点)、環太平洋パートナーシップ(TPP)協定の草案など1,000万件以上の文書やその分析結果を公表してきた。ウィキリークスが世界的に有名になるきっかけともなった、イラクで米軍ヘリが一般市民に向けて発砲する動画を含め、これらのウィキリークスの暴露によって様々な不正や不義が明らかになった。ウィキリークスは以前には報道機関とコラボレーションして発信することもあったが、基本的にはサイト上で直接情報を公開している。
2018年に結成された「DDoSecrets (分散型秘密の妨害:Distributed Denial of Secrets)」という非営利組織も、「トーア(Tor)」と呼ばれるデータを匿名で送信できるとされるシステムを使用し、提供を受けた情報を公開する活動を行っている。公開された情報に対して徹底的な調査や何らかの結論を示すことは団体としては行わず、必要とするジャーナリストや市民へ提供することであくまでもジャーナリズム体系の一部として機能することを目的としている。
また、報道機関も各々情報提供者が安全にリークできる仕組みを整備し始めている。ニューヨークタイムズ紙やガーディアン紙など世界で50以上の報道機関が導入している「セキュアドロップ(SecureDrop)」というシステムは、匿名の情報提供者から安全に情報を受け取ることができるシステムであり、無料で利用できる。技術の進歩とともに、リークはより匿名性が高く、リークする者の安全を考慮した形で電子的に安全に行われるようになっているのだ。
国境なきジャーナリスト間のコラボ
報道の自由を守り、情報収集力や分析力、発信力などを高めてより質のいい調査報道を展開するため、世界各国のジャーナリストは進歩した通信技術を活用して連携体制をとっている。先述したウィキリークスやスノーデン氏も様々な報道機関と連携し真実を伝えてきた。時にそのような連携は組織化もされている。代表的な調査報道の連合としては、「国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)」がある。ICIJのネットワークには、100の国と地域の267人のジャーナリストが参加し、100以上の報道機関と連携している。パナマ文書に関するリークが有名だが、パナマ文書以外にも中国リークスやルクセンブルクリークス、パラダイス文書などの世界中の富裕層や企業によるタックスヘイブンを利用した秘密裏の取引や租税回避・脱税についての調査報道を行ってきた。他にも、西アフリカリークス、ルアンダリークスなど世界中の政治家や大企業に関わる汚職や不正について暴露している。
冒頭で挙げたスパイウェア「ペガサス」も、国際人権NGOのアムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)と世界各国17の報道機関、80人以上のジャーナリストが参加する「禁断の報道(Forbidden Stories)」による「ペガサス・プロジェクト」によって全容解明が進められている。禁断の報道とは、ジャーナリストが脅迫や殺害、逮捕などを受けて、進めてきた調査の継続が困難な事態に陥った場合に、その調査を別のジャーナリストたちが代わりに継続し、公表することを目的とするジャーナリストのネットワークである。ジャーナリスト間の協働は、調査の効率や質を向上させることができる。さらに、万が一調査に関わっているジャーナリストの誰か1人の口が封じられたとしても、他のジャーナリストが調査を引き継いだり、情報を世間に伝えることができるのだと示すことができる。このようなジャーナリストの連帯によって、ジャーナリズムが権力に屈せず事実を明らかにしようとする姿勢を示すこともできるだろう。
妨げられるリーク
ジャーナリストが様々な技術を駆使して真実を暴く一方で、国家側ではそうしたジャーナリストの仕事を妨げるような動きをみせている。特にリークに関しては、先述したように国家機密などのリークは多くの国で違法行為として定められている。アメリカでは、第一次世界大戦下で成立した、軍に危害を与えるために情報を漏洩することを防ぐ目的の「スパイ法」があるが、適用事例はほとんどなかった。しかし、バラク・オバマ政権下では公益のためにリークした人間にも適用し始めた。例えば、元中央情報局(CIA)職員のジョン・キリアコウ氏は、アメリカのテレビ局に刑務所で行われていた水責めなどの違法な尋問方法について話したことに関連して、2013年にスパイ法違反などの容疑で逮捕された。国家の安全保障を脅かす情報漏洩やスパイ行為と、不正行為を公にしようとする内部告発の境界線は曖昧な場合もあるが、公益性のある情報がリークされて不正が明るみになったとしても、「スパイ」法に基づいて逮捕される可能性がある。
また、リークを受け取り発信した人間に対する訴追も大きな問題となっている。2019年、ウィキリークスの創設者であるジュリアン・アサンジ氏は、先述したマニング氏によるリークに関連して、アメリカからスパイ法違反など18の容疑で起訴された。容疑には、マニング氏との共謀や幇助、教唆、さらにはただ単にリークされた情報を公開した行為にもスパイ法が適用されている。情報源にさらなる情報を求めたり、その情報源の身元を保護しようとする行為、特に受け取った情報を公開する行為は、アサンジ氏に限らずジャーナリストや報道機関が通常の職務として行うものである。アサンジ氏が有罪判決を受ければ、ジャーナリストのいわば「通常」の仕事が「違法」と扱われる前例がつくられてしまうとして問題になっている。
アサンジ氏は、スウェーデンで別件での逮捕状が出た後、アメリカに身柄を引き渡されることをおそれ、エクアドルに亡命を申請し7年間在イギリスエクアドル大使館に保護されていた。その後エクアドルの大統領が変わったことなどもあって政府との関係が悪化し、2019年に大使館でイギリスの警察に逮捕された。2021年9月現在、イギリスの刑務所で拘束されており、アメリカは身柄の引き渡しを求めている。イギリスの裁判所は現在のところ政治的判断を避け、アメリカへ引き渡せばアサンジ氏が自殺する可能性があるとして引き渡しを認めていないが、アメリカは上訴している。 アサンジ氏の有罪が確定し罪に問われることで「リークを公開するだけで犯罪になる」という前例を作りかねない、報道の自由を脅かす重要な事件であるということができるだろう。
受け取ったリークを発信するジャーナリストへの妨害は、アメリカに限った話ではない。オーストラリアでは、国営のテレビ局がオーストラリアの特殊部隊がアフガニスタンで非武装の民間人を殺害したという政府文書を入手し公表したことに関連して、2019年、警察がこのテレビ局の家宅捜索を行った。令状は、記者のメモやメール、さらにパスワードの公表を求めており、文書の入手先を探し出そうとしたと考えられる。また、南アフリカでは、機密とされる政府資料を受け取ったジャーナリストや編集者が処罰される可能性のある法律が2011年に可決された。日本でも同様に、2013年に特定秘密保護法が制定され、「特定秘密」とされた情報の漏洩、違法な取得やそれらの共謀、教唆、煽動等に対する罰則規定も定められた。つまりこの法律によってリークした人間だけでなく受け取るジャーナリストも罪に問われる可能性があるのだ。法案提出時から、政権による恣意的運用や報道の自由、取材の自由が失われるとして反対の声も多かった。イギリスの公式秘密法でも、政府関係者が機密情報を暴露することやジャーナリストがそれを公表することは犯罪とされる。さらに最近では情報漏洩が新技術によって行われていることを危惧して1989年以来変更されていない公式秘密法の適用範囲を広げ罰則を強めようとする動きがあり、メディア団体は強く反対している。
妨げられるオンラインでの報道
通信技術の進歩、普及は報道の発信の場を放送や紙媒体からインターネットへと広げてきた。しかし、国家によるインターネット空間の監視や制限も強まってきている。以前から報道をはじめとする情報統制が極めて厳しく、報道の自由があるとは言い難い中国では、インターネットの普及は閉ざされた世界とつながるチャンスかと思われた。しかし実際には大規模なインターネット上での検閲やアクセス遮断が日常的に行われ、ジャーナリストが政府に批判的な報道を発信したり、市民がそれについて調べることは容易ではない。さらに、SNSなどを通じてのインタビューや記者会見などの取材活動も2014年に禁止された。インターネットの監視や規制を担う当局の他に、インターネット事業を扱う企業にも自主検閲を求め、大量に人を雇い政権にとって「有害」なコンテンツを削除していく人海戦術がとられている。また、「有害」なキーワードを検出してアクセスをブロックするなどの最新の技術も用いられている。さらに、直接的な政府批判だけではなく地方の政治家の腐敗をSNSなどで暴露したことでもジャーナリストが拘束されるケースも多く発生しており、インターネット上でもあらゆる報道が困難な状況にある。
フィリピンで2020年に可決された反テロ法は、曖昧で広範な「テロ」の定義に基づいて、当局は令状なしで最大24日間、「公共の安全を損なう行為」をした者の拘束を可能にするものであった。インターネット上での表現にもこの法律は適用され、政府に批判的な発言や報道をすれば逮捕される可能性がある。また他にも「サイバー名誉棄損罪」がニュースサイトで政府に批判的な報道をした機関やジャーナリストに対して適用される事例がある。なかには法律成立前に投稿した記事の一部のスペルを成立後に修正したことによって適用対象とされたケースもあり、国家による恣意的な法律の利用が問題となっている。
報道の自由に対する逆境は、新型コロナウイルス感染症の世界的な大流行によってさらに強まっている。感染予防のため各国で実施されている行動制限などにより、取材活動が困難になったことに加え、接触の追跡など携帯電話の位置情報データが政府機関によって利用されることでジャーナリストの機密が侵害されることも警戒されている。また、パンデミックの混乱を利用して「虚偽」情報の発信に対する罰則を設けるなど、報道の自由を抑圧するような法律を成立させている国もある。実際、2020年にはブラジルやマレーシア、ハンガリーなど複数の国で、「フェイクニュース」に対応するための動きがみられる。しかしそれらは、取り締まられる対象が不明瞭な「反フェイクニュース法」などのオンライン上の批判的な発信者を政府が恣意的に処罰できる法律を整備したり、「フェイクニュース」を取り締まるという名目で、政府にとって都合の悪い情報を配信するサイトなどにアクセスできないようにしたりしているもので、報道の自由の抑圧が懸念される。
技術によるジャーナリストへの攻撃の事例
不都合な真実の暴露を防ごうとする政府が利用できる対策は、法律や捜索差押などだけではない。先進技術を使うこともあるのだ。冒頭で触れたスパイウェア「ペガサス」は、イスラエルのサイバー企業、NSOグループによって開発され、名目上は犯罪やテロの捜査支援のためのもので、イスラエル国防相の承認を受けた政府にのみ販売されている。しかし2021年、アムネスティ・インターナショナルによってペガサスのターゲット候補だとされる5万件に及ぶ電話番号のリストがリークされた。このリストには政治家や人権活動家、そしてジャーナリストの電話番号が含まれていた。NSOグループは、このリストの人選に特別な意味はないとしたうえで多くの疑惑を全面的に否定しているが、NSOグループの顧客にとって関心のある番号がリストアップされていると考えられている。アゼルバイジャン、バーレーン、ハンガリー、インド、カザフスタン、メキシコ、モロッコ、ルワンダ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦の10カ国が主要な顧客とされ、情報統制が厳しく、強権的な政権の支配を維持するため人権侵害を数多く犯してきた国が数多く含まれている。ペガサスは、ユーザーがメール等に添付されているリンクを押してしまうなど何らかのアクションを起こさなくても感染し、感染すればスマートフォンなどの端末上のあらゆる情報や機能にアクセスされてしまう。しかし、感染したことに端末保持者が気付いたり、そうしたアクセスがあったことを調査の段階で確認することが難しく、全容解明には至っていない。
ジャーナリストがこのスパイウェアの標的となることで、差し迫った命の危険にさらされているケースも少なくない。例えば、政府に批判的な報道をしていたサウジアラビアの記者、ジャマル・カショギ氏が殺害された事件では、後にカショギ氏の婚約者の携帯電話がスパイウェアのターゲットになっていたことが分かった。また、モロッコのジャーナリスト、オマール・ラディ氏は当局に逮捕された後、ペガサスの攻撃を受けて監視下に置かれていたとされる。メキシコでは、フリージャーナリストのセシリオ・ピネダ・ビルト氏が州警察と政治家を非難する報道をした後に殺害されたのだが、彼の携帯電話もまたペガサスのターゲットとなっていた。実際にペガサスによって情報が抜き取られていたかは不明だが、ペガサスを利用すれば居場所の特定も技術的には可能である。他にも様々な国で活動するジャーナリストが標的となっており、特にインドでは30人以上のジャーナリストがリストに含まれていたとされる。
ジャーナリストの脅威となるスパイウェアは、決してペガサスだけではない。技術の進歩とともに開発が進み、スパイウェアはより複雑に、そして安価になっている。政府によるジャーナリストや市民に対する監視ツールとして、導入されやすくなっているのだ。世界中のジャーナリストの携帯電話は常に監視される危険に冒され、同時にジャーナリスト自身も危険に冒されていると考えるべきかもしれない。
日本の報道は事の重大さを認識できているのか
世界各地のジャーナリストにとって大きな脅威であるペガサスについては、大手三紙(読売新聞・朝日新聞・毎日新聞)はどこも米紙の報道を受けての第一報と、続く3、4件の関連報道に留まった(※3)。ペガサスに関する問題は複雑で、調査には技術的な知識や広範な取材網が必要になるため、独自の報道を展開することは困難になる。しかし、米紙を含め他国の報道機関が相次いで出している続報を見逃している点については検討が必要だろう。
リークを受け取り発信したジャーナリストが起訴された事例であるアサンジ氏については、アサンジ氏の進退はジャーナリズムの今後にとって、報道の自由が守られるかどうかの重要なポイントであるにもかかわらず、大手三紙の反応は乏しかった(※4)。唯一、朝日新聞では社説で「知る権利の圧迫を憂う」と題して、アサンジ氏の事例のような国家安全保障を盾にした言論の抑圧は「他人事ではない」と問題意識を示している。しかし、アサンジ氏に対するスパイ法適用に関連する他3件の記事や毎日新聞の2件の記事では、スパイ法で起訴されたという事実のみの報道か、「機密情報の暴露が同法違反とされれば報道機関の活動にも影響するとの懸念も出ている」といった、他人事のような報道に留まっていた。読売新聞ではスパイ法に関連する報道はみられなかった。アサンジ氏のアメリカへの身柄引き渡しを求めるイギリスでの裁判についても、報道の自由を懸念するような記事はなかった。アサンジ氏の起訴は日本の報道機関にとっても決して他人事ではない。報道上も関係が深いアメリカで前例がつくられてしまえば、日本でも同様に「リークの公開は犯罪」だとして法律の下でジャーナリストや報道機関が起訴されるかもしれない。どのように扱われるかによって世界の報道の自由が大きく揺らぐともいえるこの一件を、日本の報道機関も注視する必要があるだろう。
また情報提供をしようとする者にとって、日本の報道機関は安全とは言い難いことも指摘できる。新聞や雑誌、テレビなどの媒体のほとんどが自社のサイトで情報提供を呼びかけているが、情報提供者の保護については、「取材源は必ず守ります」というような文言はみられるものの、ハッキングや政府から情報開示の要請があった場合などに対してどの程度対策をとっているのかは明らかではない。先述したセキュアドロップやそれに代わるような高い安全性・匿名性を保障するリークシステムを日本の報道機関が一社も導入していないことには、情報提供者の保護に対する意識の低さが伺える。
まとめ:明日は我が身
ここまで見てきたように、技術の進歩はジャーナリズムにとってプラスにもマイナスにも働いている。インターネットや通信技術の向上は、ある一面を見ればジャーナリストの情報収集を助けて権力の「番犬」としての機能を支え、その発信源を広げているが、別の側面ではジャーナリストを脅かしその仕事を妨害する原因となっている。ジャーナリストが技術によってさらに不正を暴こうと力をつける一方で、報道の自由を謳う国々においてすら、権力者は最先端の技術と法律などを駆使しジャーナリストの働きを妨害しようとしている。
権力者の秘密が公益性に違反する場合でも、それを暴くジャーナリストはプライバシーを侵害し、あるいは国家の安全保障を脅かすスパイといえるのだろうか。今後もさらに技術が進歩していくと考えられるなかで、公益性に反する権力者の暴走を防ぎ、不正を許さない社会を実現するためには、報道の自由をいかに守りながら最先端の技術を活用できるかが重要であると思われる。そのためにも、世界各国で近年強まりつつある報道機関やジャーナリストに対する国家の抑圧的な態度を許さないという姿勢を世界の報道機関や市民で共有していく必要があるだろう。そして、他国での報道の自由の侵害も「明日は我が身」として危機感を抱いてグローバルな視点をもつことが大切ではないだろうか。
※1 スパイウェアとは、コンピュータ、スマートフォンなどの電子機器からインターネットに対して情報を送り出すソフトウェアのことである。多くの場合、そうしたソフトウェアがインストールされていることにユーザーは気づかないまま電子機器を利用し、知らないうちに情報が外部に送信される。
※2 調査報道とは、報道機関やジャーナリストが独自の調査によって問題を発掘し、自らの責任で報道する方法である。
※3 読売新聞、毎日新聞、朝日新聞の紙面検索システム(読売新聞ヨミダス歴史館、毎日新聞マイ索、朝日新聞 聞蔵Ⅱビジュアル)でカウントした。ここでは発行期間や発行形態(地域)を限定せず、見出しまたは文面でスパイウェアであるペガサスに触れているものを1件としている。結果、読売新聞・朝日新聞では4件、毎日新聞では6件であった。(2021年9月2日閲覧 )
※4 読売新聞、毎日新聞、朝日新聞の紙面検索システム(読売新聞ヨミダス歴史館、毎日新聞マイ索、朝日新聞 聞蔵Ⅱビジュアル)で閲覧した。ここでは発行期間や発行形態(地域)を限定せず、見出しまたは文面の内容を確認した。結果、アサンジ氏に対するスパイ法の適用に関して取り上げている記事は、読売新聞では2件(「スパイ法」に直接言及はなく「国防に関わる機密文書を取得・漏えいした罪」と表現している)、朝日新聞では4件、毎日新聞では2件であった。(2021年9月2日閲覧)
ライター:Yumi Ariyoshi
日常的に「報道の自由」ついて心配することはありませんでした。でもこの記事を読んで、自由は保障されているわけではないと感じさせられました。民主政(民主主義?)に影響することなので、1人1人関心を持つべき話題だと感じました。