国際労働機関(ILO)の推定では仕事関連の病気や事故によって世界中で毎日6,000人以上が命を落としているという。これは1年に換算すると230万人が亡くなり、交通事故、武力紛争、殺人事件やその他自然死ではない主要原因による死者数の2倍以上の数字となっている。さらには、命に別状は無いが仕事上で引き起こされた事故や病気は1年間で4億件にのぼり、多くの場合、労働者は長期間の欠勤を余儀なくされる。このように、業務上の安全が十分確保されていないことによる経済的負担は、世界全体でのGDPの4%に匹敵すると推計されている。労働力の大きさに関連して、状況が最も悪い地域は、サハラ以南のアフリカや旧ソ連や南アジアである。
仕事関連の死亡事故はいわゆる「3K」(汚い、危険、きつい)の業務で生じており、そのような労働環境は世界の最貧困地域では一般的なものである。この記事では3Kの一例として海洋船舶の解体に注目する。現場となるのは、最も影響を受けている南アジアである。
船舶解体とは?
使われなくなった船はどのように処理されるのか。伝統的には、使用できなくなった船はいわゆる船の墓場で朽ちていった。しかし、今日の船の墓場では、廃棄物処理規制の影響で金属がリサイクルできるような方法での解体がなされている。このやり方は「船舶解体」と呼ばれ、部品となるナットやボルトの一つ、金属板の一枚に至るまでリサイクルされる。
船舶解体の作業は世界の最貧困諸国で数十万人が動員され、その中ではインド、バングラデシュ、パキスタンが群を抜いている。「船舶解体プラットホーム(Shipbreaking Platform)」というNGOがまとめた最新の統計によると、廃棄された海洋船舶の4分の3以上がこれらの国の海岸で解体されることになるという。船舶数ではなく重量(トン)を計測基準とすれば南アジアの割合はさらに大きくなる。中国やトルコが後に続き、その他の地域が占める割合はほぼ皆無である。
なぜ船舶解体場は3Kなのか?人的費用について
環境に優しいように思われるかもしれないが、船舶解体は無責任になされた場合には大変危険なものとなる。そして不幸なことに、従来ではそのようなやり方がまかり通って来た。2016年はこの産業史上最もひどい年となった。11月1日、パキスタンのガダニの海岸に引き上げられたタンカーが爆発して炎上し、少なくとも28人が即死し、50人以上が負傷した。また、同年バングラデシュでは22人が死亡し、29人の労働者が手足を失うなどの重傷で苦しんだ。多くの事故が報道されていないこと(多くの場合、事故が隠されている)を考慮すれば、実際の数はずっと多くなっている。
これらの国では、労働者が負傷し亡くなることの影響はとりわけ大きい。その理由は、出生率が高いことで一世帯あたりの人数が世界でも最大となる傾向があり、船舶解体の現場で働く多くの男性は、5人以上の家族を養うための、主たる、もしくは唯一の稼ぎ手だからだ。
解体現場での負傷や死傷がこれほど高い理由は事故以外にも存在する。現在のリサイクル方法は国際労働機関(ILO)や国際海事機関(IMO)によって認可されていないとみなされている。作業にあたって、大きな海洋船舶を適切に処理するための安全装置を欠いていることが労働者の不慮の事故を招いている。ほとんどの船舶にはアスベスト、ポリ塩化ビフェニル、トリブチルスズ、フロンガスなどの危険物質が多量に含まれており、それらは中皮腫や肺ガンといった生命に深刻な病気につながる。
さらに悪いことには、度重なる事故や劣悪で危険な労働状況に加え、船舶解体現場での労働時間と給与が現代の奴隷制と呼ばれうる状況を現している。例えば、バングラデシュ東部の都市チッタゴンは、世界最大の船舶解体現場でありバングラデシュ全体で使用される鉄の60%を産出しているが、その労働者の多くは1日14時間のシフトで週6日勤務しており、給与は1日5USドル以下である。ほとんどが地方から移住し、作業現場近くの人で溢れた掘っ建て小屋で暮らしている。船舶解体に用いられる技術は進んでおらず、若い男性が大鎚とメタルカッターのみを使用して船を解体するには数ヶ月を要することがある。
最後に、このように過酷な環境で働くことが精神面へ与える影響は言及すらされることがない。紛争以外では、貧困や厳しい生活と日々対峙し続けることが発展途上国の人々が抑うつ状態になる主な原因である。発展途上国における抑うつ状態に焦点が当てられるようになったのはごく最近のことであり、高い人的費用を伴う深刻な問題と認識されている。発展途上国では医療機関へのアクセスが限られており、人々は精神面での問題を抱えても多くので場合そのように診断されず、処置もなされない。しかしながら、そのような問題こそが世界全体の生産性や人々の健康、生命を損なっているのだと指摘した最近の研究もある。インドの地方で行われた調査によれば、脅威に晒された1,000人のうち、そのほぼ半数にあたる430人が抑うつ状態にあるとされた。インドの地方を対象にした別の調査では、地域全体の39.6%の人が軽度から中程度の抑うつ状態に苦しんでいた。これらは、船舶解体の現場のような望ましくない労働状況がもたらす影響がいかに大きいかを示している。
誰の責任?
船舶解体産業における無責任な管理に対しては、南アジアに海洋船舶を棄てた船舶所有者と船舶解体現場監督者の双方がその責を負う。他方で、利益を求める船舶所有者は高い水準でのリサイクルを施そうとするよりは、南アジアの解体現場に売却するのを好む。そうすることにより、1隻あたり100万~400万米ドルを余分に得られるからである。船舶所有者は、廃棄仲介業者を経由することで自らの責任を転嫁する。事実上、バングラデシュ、パキスタン、インドの海岸に引き上げられることになった船は、全てキャッシュ・バイヤーを経由している。
しかし、一年で解体される900隻の海洋船舶はどこから来るのか。2016年では、ギリシャ、中国、ドイツ、韓国、日本である。欧州連合(EU)全体では、2016年に放棄された全ての船舶のうち43%を占め、EU法の規定では、EU籍の船舶はアジアの海岸で解体されることを禁じているものの、船舶所有者は容易に船籍を交換することができるのでに実際の効果は薄い。ギリシャの海運企業は、2016年での南アジアの船舶解体場に最も多くの船舶を売っているが、継続的に、汚く危険な船舶解体を選択している。ギリシャ政府の後援もあり、所有者たちは解体労働者や環境に対する法的責任を拒み続けている。他国における船舶所有者の状況も似た状況である。
全世界の商業船の21%がパナマ国籍、12%がリベリア国籍であることを踏まえ、なぜ先に挙げた国々が最大の廃棄主体なのかと思う人がいるかもしれない。その理由は、「便宜置籍(船)」という慣行にあり、船舶所有者が自国ではない国の船籍を登録するというものだ。この処置により、船舶所有者は自身の国が課す規制、例えばより厳格な安全水準を課すものなどを回避することができる。また、経営費を削減し、船員の労働条件や給与の確保を目的とする法律をかいくぐることも可能となる。
興味深いことに、2008年の段階では、世界の商船の半数を超えるものが先に挙げたパナマやリベリアなどの便宜置籍船国の下に登録されていた。したがって、見かけ上は、放棄される船舶はこれら2国のものなのだが、それら船舶の実質的な所有者、実際に受益する者は大抵の場合上記の5カ国に属している。船舶数ではなく重量(トン)で計測すると、ギリシャは以前から世界最大の船舶所有国であったが、10年前に日本に追い抜かれた。日本が最大の船団となり、ドイツと中国がそれぞれ3番目と4番目となった。便宜置籍船としての観点から見ると、2014年の国連貿易開発会議(UNCTAD)の調査によれば、日本はまたも世界最大の重量であり、その92%が外国の船籍を有していた。
しかしながら、繰り返しになるが、船舶所有者が全ての責任を負うわけでないと指摘して置く必要がある。南アジアの船舶解体に関しては、基本的労働権や国際的な廃棄物取引に関する法律のみならず、国際的環境保護基準が尊重されていないことがよく知られている。上述したように、これら解体場での労働は搾取の一例とも現代の奴隷制度とさえも言い得るし、そこでの経営者には大きな責任が存在するのである。
解決策はあるのか?
船舶解体作業で搾取が存在している状況を考えると、我々は解体場を廃止すべきではないかと思うかもしれない。だが、解決策はそんなに単純ではない。南アジアには膨大な数の人間が存在し、貧困が蔓延している。それらが悪循環をつくりだし、船舶解体産業に限らず、労働者が消耗品として扱われるようになっている。インド、パキスタン、バングラデシュは世界人口の23%を超える人口を有し、人口密度は驚くほど高くなっている。
バングラデシュを例とすると、人口はロシアの人口よりも多いが、面積は115分の1である。そして、およそ5分の1が現在でも極貧状態で暮らしている。極貧状態の定義は世界銀行のものを用い、2011年時点での米ドルで測った購買力平価で1日を2USドルに満たない金額で生活している状態を指す。これを踏まえると、船舶解体産業やその他アパレル産業などでの業務委託は、多くの極貧状態の人々が生計を立てる手段を提供しており、これらの産業を廃止することで世界最貧困地域での労働者を窮地に追いやることになるかもしれない。
したがって、船舶解体場を閉鎖するのではなく、有効で拘束力のある法的枠組みを構築することがより理に適った解決策であろう。残念ながら進捗はほとんど見られない。労働者団体からの圧力があり、2009年、国連の国際海事機関は、46ページの「船舶の安全かつ環境上適正な再生利用のための香港国際条約(HKC)」を採択した。条約は船舶所有者と国家に対して、人体の健康や安全、そして環境へ悪影響を及ぼさないことを要請し、船舶解体産業における有害物質の適切な利用および処理に関するガイドラインを定めている。
これは10年前のものなのだが、条約の発効要件が満たされていないために発効には至っていない。発効要件として、商船船腹量の合計が世界全体の40%以上となるような15カ国以上による署名が定められている。現在は世界の商船船腹量の20%を占める6カ国のみが条約に批准しており、それらはベルギー、デンマーク、フランス、ノルウェー、パナマ、コンゴ共和国である。しかし、最大の廃棄国であるギリシャ、中国、ドイツ、韓国、日本などは含まれておらず、これらのどの国も条約に署名しておらず、批准もしていない。さらに、たとえ必要な国によって批准されたとしても、発効までには24ヶ月を要する。
GMS社(※1)の非業務執行取締役であるニコス・ミケリスは、今後5年から7年以内に条約が発効する可能性が高く、2018年には条約に賛同する国が増え始めると予想している。彼はすでにいくつかの進展が見られることを強調する。その例として、インドのアランにある120の解体場のうち41箇所がHKCの定めた基準を満たしていること、他の15箇所がより安全できれいな労働環境へ向けて改善していること、またマースクなどの主要な海運企業が個々の解体場と取り決めを結んでいることが挙げられる。しかし、あらゆる側面に対する一層の取組みが必要なのは明白だ。現状に対する真の変化が生じるまでに、南アジアの船舶解体場ではあとどれ程の犠牲者が出るのだろうか。
ライター:Yani Karavasilev
翻訳: Ryo Kobayashi
※1 GMSによると、「GMSは、世界最大にして、唯一、船舶リサイクルを目的とするキャッシュ・バイヤーとしてISO 9001を取得した。GMSはまた、船舶のリサイクル産業において最も高い水準で企業の社会的責任(CSR)を達成するために、キャッシュ・バイヤーとしては最初で唯一、「自然に優しい船舶リサイクル計画」Green Ship Recycling Program (GSRP)を発展させた。」