1964年から1973年の間、ベトナム戦争と並行し、ラオスはアメリカから空爆を受けた。空爆の回数は約58万回。驚くべきことに、時間に換算すると9年間、8分に1回の空爆が行われたことになる。落とされた爆弾の量は200万トンを越える。当時のラオスの人口で計算すると、1人当たり 1トンの爆弾が落とされたことになる。ラオスは「一人当たりの空爆の数が世界で最も多い国」なのだ。
その余波は現代にも残っている。土壌に残る不発弾(UXO)による被害が、戦争から約40年経った今でも問題となっている。また、空爆が残した不発弾やクラスター爆弾のケース、その他爆弾の残骸の量があまりにも多すぎて、特に農村部ではその残骸をそのまま生活用具に使ったり、あるいは再加工しスプーンやアクセサリーにし、観光客に売って収入を得る「爆弾残骸ビジネス」が存在する。しかし爆弾処理を行うのは専門家ではなく、専門知識を持たない村人がほとんどである。村人や子供は爆弾の残骸を拾っている最中や再加工中に不発弾被害に合う危険性がある。しかし貧困部に住む人々によって不発弾の利用は生活の糧となっており、簡単にやめることができないのだ。
空爆の歴史的経緯
フランスの植民地支配下に置かれていたラオスは、1953年に独立を果たした。しかしラオス国内で独立後の政治主導権をめぐってラオス王国政府と共産主義勢力であるラオス愛国戦線(パテト・ラオ)が対立し、紛争が勃発した。アメリカ政府は王国政府を支援する一方で、愛国戦線に抵抗した。同時期に、隣国のベトナムではベトナム戦争が起こっていた。アメリカの支援する南ベトナム軍と北ベトナムの支援する南ベトナム解放民族戦線が争った。この間、北ベトナムはパテト・ラオに支援をする一方で王国政府に圧力をかけていた。アメリカは、当初は直接的な軍事介入を避け、中央情報局(CIA)が中心となり、ラオス北部における北ベトナムの作戦を妨害するために、ラオスの山岳部隊にゲリラ訓練を施した。しかしベトナム戦争において北ベトナムの優位が高まると、1964年にラオスでの秘密作戦の一環として空爆を決行した。
目的は大きく分けて2つあった。1つ目は、共産主義勢力であるパテト・ラオへの攻撃だ。当時冷戦時代だったことを考慮に入れると、アメリカは北ベトナムの影響によるラオスの共産主義化を断ち切る必要があったのだ。2つ目は、北ベトナムから南ベトナム解放民族戦線への兵力・戦争物資の供給路線である「ホーチミンルート」を打ち切ることだ。ベトナム戦争において北ベトナム・南ベトナムを隔てていた非武装地帯は非常に厳重な警戒元に置かれており、非武装地帯を経由して北ベトナムから南ベトナムへの支援を行うことは不可能だった。そこで北ベトナムは、ラオス・カンボジアを通って南ベトナムに至る山道などに構成される「ホーチミンルート」を使用するようになったのだ。ラオスでの秘密作戦を機にCIAは従来の非常に小さな諜報機関から、大きな力を持つ準軍事機関へと形を変えていくこととなった。
また、ラオスは爆弾の投棄地としても利用された。タイでの米軍基地からベトナムに向かったアメリカの空爆機がベトナムでの本来のターゲットを爆撃できなかった際、爆弾を積んだまま着陸することができないので帰路にあったラオスに爆弾を投棄したのだ。
不発弾の現状
不発弾について大きな原因となっているのはクラスター爆弾だ。クラスター爆弾は1つの爆弾の中に数百もの小爆弾が内包されていて、それらが空中で飛散する仕組みになっている。この小爆弾はすべてが爆発する訳ではなく、多くの不発弾が発生する。ラオスでは1964〜1973年の間に約2億7,000万個のクラスター爆弾による小爆弾が落とされた。そのうち約8,000万個、つまり約30%が本土に残っている。不発弾被害にあった人の数は1964年から2008年の間で5万人以上、そのうち戦後の被害者数は2万人にのぼる。5万人の被害者のうち40%は子供だ。不発弾は小さく見た目がおもちゃのように見えることもあり、子供は大人に比べると被害に遭いやすい。被害は人的なものだけではない。不発弾が土壌に残っていることで土地の利用コストが高くなり、また土地開発の際のリスクが大きくなる。したがって土地利用が制限され、インフラ整備や農業活動が制限される。農業活動に関しては、危険の中でも農業を行わなければならない家庭がほとんどである。
ラオス政府機関の2015年の年間レポートによると、2008年の年間総被害者数は302人。被害者数は年々減少しており、2013年以降は50人を下回っている。NGO等の行っている不発弾除去や不発弾に関するリスク教育の成果は出ていると言えよう。しかしながら、戦後40年間で除去された、もしくは破壊された不発弾は全体の1%に満たない。世界のクラスター爆弾の不発弾被害の半数以上がラオスで起こっているという現状がある。
問題への対策
ラオス政府は1996年に国連開発計画(UNDP)の援助を得て、国営の不発弾除去機関としてUXO Laoを設立した。国営機関だけでなく、NGOや国際機関も不発弾問題への取り組みに大きな役割を果たしている。その例として、世界40カ国以上で不発弾・地雷の除去活動をしている Mines Advisory Group(MAG)、イギリスで設立された地雷除去NGOの HALO Trustなどがある。これらの機関は地雷除去だけでなく、不発弾に関するリスク教育にも大きく貢献している。さらに国営・非国営を含め幅広く不発弾除去活動を監査する機関として2005年には不発弾処理活動の国営監査機関の UXO-NRAが設立された。この機関の2015年の年間報告によると、この年に25万人以上に対しリスク教育が行われている。
アメリカは、1993年から2016年にかけて年間平均で490万ドルの支援をしている。しかしながらこの額は全く十分ではない。爆撃の際には一日に約1,330万ドルが費やされていることからもそのギャップが分かるだろう。アメリカからの支援には2016年に新しい展望が見られた。オバマ大統領が現職米大統領として初めてラオスを訪問。「ラオス、アメリカ間の歴史を顧みると、アメリカはラオスを支援する道義的責任がある」と述べ、今後3年間で不発弾撤去に年間3,000万ドルの支援をすると宣言した。2016年以前の年間平均支援額490万ドルと比較すると、大幅な増額である。
残るクラスター爆弾の問題
将来に渡って甚大な被害をもたらすクラスター爆弾に対し、国際的規制の動きが強まっている。その最たる例が、2008年に署名、2010年に発効されたクラスター爆弾禁止条約である。この条約の背景には、対人地雷条約による成果と勢いもあり、世界200以上の市民団体・NGOの連合体である「クラスター爆弾連合」による活動も貢献した。この条約はクラスター爆弾の保有、製造、使用および移動を全面的に禁止したものであり、現在94カ国が批准している。一方で、アメリカ、中国、ロシア等の大国が加盟していないなど課題も残っている。また、この条約は非批准国でのクラスター爆弾使用の抑制を加盟国に義務づけるものでありながら、2010年以降非締約国7カ国でクラスター爆弾の使用が確認されている。その大半はイエメンとシリアで使われている。
アメリカのラオス支援において大幅な動きが見られた一方で、米国防総省は2017年にクラスター爆弾使用に関する新政策を発表した。その中で、2019年までにクラスター爆弾の使用を中止することを義務づけた従来の計画を撤回する 見通しであることが明らかになった。覚書において、「現行のクラスター爆弾に取って代わる高度で信頼性の高い爆薬が導入されるまで、効果的かつ必要な戦力としてクラスター爆弾を保持する」と言及している。
ラオスをはじめ、世界各地で眠っている不発弾は今も被害をもたらし続けている。ラオスの不発弾問題は、ラオス政府、国 際機関、NGOなどの努力や、アメリカからの支援額が増えたことで改善する可能性はある。しかし、未だ除去された不発弾は全体の1%以下という現実がある。世界全体でのクラスター爆弾対策は、条約締結による進展がありながらもその威力と効果から手放そうとしない大国も多い。現在も使われているクラスター爆弾の撲滅への道のりは遠い。
ライター:Eiko Asano
グラフィック:Hinako Hosokawa
はじめまして, 私はラオス生まれ, 3才の時, 両親とラオスから逃げ出し, その後タイ▶台湾▶日本とフランスに移住した難民・華僑です, 最近こちらの記事を拝見させていただき, 当時のラオスの大変さや, 両親の苦労を今知りました, 素晴らしい記事をありがとうございました