気候変動は私たちの住む地球の姿を大きく変えようとしている。この来たるべき変化に対し、持てる者はしばらくの間うまく対応するだろう。しかし、持たざる者はより一層貧困に陥り、生活苦にあえぐ。気候変動は、今すでに二分化されたこの世界の格差をさらに広げているのである。それによって導かれるのは新たなる「分離」、「気候アパルトヘイト(climate apartheid)」だ。なかでも大富豪たちはこの「生存競争」にせっせと備え始めており、想像を超えるような計画をしていると囁かれている。
目次
気候アパルトヘイトとは何か
「アパルトヘイト」という言葉自体は、耳新しくないかもしれない。アパルトヘイトとは本来、アフリカーンス語(※1)で「分離」「隔離」を意味する語であり、かつて南アフリカ共和国で行われていた人種隔離政策(※2)を指すことが多い。しかし、南アフリカ共和国でのアパルトヘイトは幸い歴史上の話にすぎず、気候アパルトヘイトとは異なった「分離」を意味する。気候アパルトヘイトは、富裕層と貧困層とで気候変動の引き起こすさまざまな問題に対応する能力が異なり、そのためある種の分離が発生すること、さらに結果として現在の貧富格差を広げてしまう現象のことである。この言葉を初めて使用したのは国際連合人権理事会であるが、発表された報告書には「富裕層がお金を支払うことで猛暑、飢え、武力紛争をしのぎ、残りの人々がそれらを被る状況」と定義されている。気候変動が目をそらせない問題になっていることは周知されつつあり、それは地球の姿だけでなく、私たちの生活や社会の在り方を大きく変えてしまう。気候アパルトヘイトもその一つであるわけだが、実際、どのようにしてこの問題が生じるのだろうか。
そもそも気候変動は、人間の活動によって、産業革命時から地球の平均気温が約1℃(現時点で)上昇していることに起因している。これにより猛暑や異常気象、海面上昇、頻繁な森林火災などが発生しており、多くの人の生活が脅かされている。猛暑の中では空調なしの生活が難しくなり、熱中症やそれに伴う病気など健康上の問題が増える。例えば中米では、気温上昇のため多くのプランテーション労働者たちが脱水症状を起こしており、それが原因で腎臓病が増えている。また、極端な豪雨や雨不足により、洪水・干ばつが頻繁に起こることで食糧供給が不安定になり、飢えを深刻化させてしまう。そして海面上昇によって海岸地域や低地が浸水すれば、住処を追われる人々が続出する。例えば、バングラデシュは洪水や海面上昇の被害が世界でトップレベルに深刻であり、2019年の大洪水では感染症も流行した。気候変動がゆえに今のままでは生活できなくなる人々は移動を余儀なくされ、「気候難民」となりさらなる貧困や移民問題を招くのである。
研究によって推測されている気候変動の実質的な影響を見てみよう。気候変動による海面上昇や砂漠化・異常気象のため、2050年までには1億5千万から2億人もの気候難民が発生すると予想されている。また気候アパルトヘイトが進むことで、2030年までに1億2千万人の人々が貧困に陥るという国連の報告書も発表されている。気候変動はここ50年における開発、保健、貧困対策などの進歩を巻き戻してしまう可能性さえあるという。国連の特別調査員であり、人権の専門家であるフィリップ・オールストン氏は、国連による気候変動への対策は「明らかに不十分」であり、このままでは人権だけでなく、民主主義や法の支配さえも脅かされると示唆した。
これらの事態を一時的にもうまく逃れるには、金銭的余裕がものを言う。お金のない貧困層から気候変動に対応できなくなる一方で、富裕層だけがこの事態をうまく対処できる。富裕層は貧困層に比べ、気候変動に対応するための選択肢が多く用意されているということだ。ここで言う富裕層とは単に資産家を意味するものではなく、常にエアコンや丈夫な家、ライフラインや食糧へのアクセスがある工業先進国に住む人々を含む。彼らは貧困層と違って科学技術に頼ったり、値上がりした食糧を手に入れたり、より涼しく標高の高い地域に移動したりするための費用を負担するだけの金銭的余裕があるのだ。しかし、気候変動へ対応するのにかかる諸経費を負担できない貧困層は、その害を真正面から被る。かくして新たなるアパルトヘイトが生まれるのである。国連による持続可能な開発目標(SDGs)に掲げられた理念「誰一人取り残さない」は、早くも失敗に終わりそうだと批判された。
ここには特筆すべき矛盾が存在する。気候変動を引き起こしている温室効果ガス排出量のうち半分は、世界で最も裕福な10%の人間によって排出されてきたものであり、一方で最貧層(総人口のうち35億人)が責任を負うのはたった10%未満なのだ。だが皮肉なことに、気候変動が引き起こす害のうち75%を被ってしまうのは後者の貧困層である。つまり気候変動の原因を作った人々は勝ち残り、責任のない人々が苦しむのだ。さらに、気候変動という問題の存在だけで、貧富の格差を25%悪化させているという研究もある。気候は人の生産性を大きく左右させる一因であり、例えば熱帯地域にあるモーリタニアやニジェールなどは、気温が上昇していなければ一人当たりGDPが現在よりも40%高かったと予想される。一方、元から比較的に涼しい気候であった先進国の一部では、気温が上昇したことで生産性が増したのである。このような状況では、問題の根本解決を図らない限り気候変動・気候アパルトヘイトに拍車をかけかねず、特に先進国にはこの負の連鎖を断ち切る責任があると言える。しかしながら、これは富裕層のなかでもトップに君臨する大富豪たちにとっての脅威では必ずしもない。彼らは少々大それた計画を用意しているようだ。
気候アパルトヘイトの上流階級
このアパルトヘイトの中でも、とりわけ上流階級はすでに策を講じている。大金持ちたちは、人口が少なく住みやすい場所に新たな拠点を設けたり、地下壕を建設、さらにはプライベートの消防隊を雇うなどの備えを用意しているのだ。例えば、決済サービスを提供する大手企業PayPal(ペイパル)の創業者であるピーター・ティール氏は、有事の際にニュージーランドに移住できるよう現地の市民権と土地を確保した。実はニュージーランドは涼しい気候で人口も少なく、気候難民の集まりにくい孤立した地域であることから、他の資産家たちにも人気の「逃げ場」になっている。また、フェイスブック社の元プロダクトマネージャーであるアントニオ・ガルシア・マルティネスが米国の一部の森林を買い取り、発電機や何千セットもの弾薬を備蓄していることも報じられた。ここでも、安心・安全の居住に適した地域に金持ちが集まり、住みづらい場所に貧困層が取り残されてしまうという気候アパルトヘイトが顕著になってしまう。
このような「準備家(prepper)(※3)」たちの懸念は底知れぬものだ。貨幣に価値がなくなってしまった時のために貴金属やビットコインなどの仮想通貨を購入したり、さらには2つ目のパスポートを手にいれる方法を模索している者もいる。このように、大富豪たちが気候変動だけにとどまらない、来たるべき「最悪の事態」を憂慮して周到な準備をし始めていることが、アメリカのメディア研究者であるダグラス・ラシュコフ氏の記事でも暴露された。それによると、彼らは食糧供給網に自分たちしか知らない特別なロックをかけることや、生存を保障するのと引き換えに奴隷に近いような労働力を雇う、または(開発可能であるならば)警備ロボットを確保し、自身の財産を守るのに利用することなど、想像を絶するような策謀をめぐらせている。また、チェコ共和国には世界最大の地下壕「オッピドゥム」が建設されており、大富豪専用の避難シェルターとして、地上が大惨事に見舞われても彼らの身を守ることができる。同じような避難所はドイツやアメリカなどにも建設されている。
富豪たちの単独行動による防災には実例がある。2012年に大型のハリケーンがニューヨークを襲った際、多くの低所得者が電力や医療へのアクセスを断たれたなかで、大手金融グループのゴールドマン・サックス社の本部は自分たちで準備した土囊(どのう)や発電機によって甚大な被害を免れることができたのである。また、アメリカでは2018年に大規模な山火事が起こり、それに対してセレブであるキム・カーダシアンがソーシャルメディア上で声明を発表し同情を集めた。しかし彼女がプライベートで消防士を雇い、自身の豪邸を大火から守ったことには一切言及しなかったのである。このように公共サービスが間に合わなくても、大金持ちは個人的に人を雇うことで、災害を生き延びる術を手に入れるのである。
気候変動は各国の政策にも影響を及ぼしている。アメリカ大統領のドナルド・トランプ氏による「壁」の建設計画や、イギリスの欧州連合離脱(ブレグジット)などの政策は、萌芽しつつあるこの気候問題への初期反応なのではないかという指摘がある。2019年9月に大型ハリケーンがバハマを直撃した際にも、多数の人々が家を失いライフラインを絶たれた状況で、トランプ氏は被災者の受け入れに難色を示し拒否した。
気候変動の責任
以上で見てきたような「気候アパルトヘイト」を止める術はないのだろうか。先述のフィリップ・オールストン氏によれば、この問題を解決するには世界経済の構造を大きく変える必要があるだけでなく、各国政府や国連、人権団体が率先して気候変動への対策だけに徹するほかないようだ。また、具体的な対策としては炭素税が有効だとも言われている。産業が、なんの代償もなく二酸化炭素を排出することを許さないという狙いだ。しかも再生可能エネルギーへの切り替えは決して非現実的なものではなく、長期的に見ればコストの削減にも繋がるということがスタンフォード大学での研究で分かっている。それによると産業が再生可能エネルギーに移行することで、現在の化石燃料を使った体制よりも全体のコストを4分の1に抑えられるという。
しかし、富豪たちの計画を暴露したラシュコフ氏も指摘しているように、富豪たちはこのいかがわしい未来を一瞬で良い方向に変えられるほどの富と権力を持ち合わせているはずだ。それにも関わらず、気候変動を悪化させてきた責任をいとも簡単に逃れているのはいかがなものかと問わずにはいられない。2015年のパリ協定(※4)では2030年までに二酸化炭素の排出量を減らすという取り決めがなされたが、排出量は今も増えているのが現状だ。そして、先進国の企業・大富豪たちが気候変動に加担してきた責任を横目にタックスヘイブンを利用した租税回避をしており、消防などの肝心な公共サービスにとって必要な税金の不足に繋がっていることも問題視しなければならない。アンフェアトレードなど不公平な経済関係が続いていることも後進国をさらに貧困化させている原因の一つだ。
ただ「勝ち組」として生き残るのではなく、気候アパルトヘイトで苦しむ貧困層の損害を最小限にとどめるよう取り組み、コストを負担するのが先進国・富裕層の責任ではないだろうか。そして、気候変動そのものが差し迫った危機であることだけでなく、付随する気候アパルトヘイトが世界の秩序を歪めてしまうことを正しく認識し、国際社会で対策を打つ潮流を作るのが得策だとも思われる。いずれは富裕層も、富や権力だけでは気候変動から逃げ切れなくなってしまうことは明らかだ。各国政府や企業、国際機関が事態を深刻に受け止め、問題の優先順位を高くし、提言だけでなく実質的な対策を打つことが早急に望まれる。
※1 アフリカーンス語:南アフリカ共和国における公用語の一つであり、オランダ語から派生した言語。
※2 人種隔離政策:白人と非白人を分けて統治し、非白人を差別・隔離することなどを規定した政策。1948年から1994年まで南アフリカ共和国で行われていた。
※3 Prepper:起こりうるさまざまな緊急事態や政治的・社会的混乱に対して積極的に準備を行う人々。「prepare(準備する)」を語源としている。
※4 パリ協定:2015年、気候変動を抑制するため、多国間で具体的な数値による取り決めのもとで採択された。産業革命時と比べた気温上昇を2℃未満に抑えること、各国における2030年までの二酸化炭素排出量の削減目標などが設定されたが、アメリカはすでに脱退を宣言している。
ライター:Mina Kosaka
SNSでも発信しています!
フォローはこちらから↓
気候アパルトヘイトは初めて聞きました。とても面白くて読みやすい記事でした。私も金銭的余裕がある人々こそが貧困層の被害を防ぐようしていくべきだと思いました。
先進国が石炭や石油など、化石燃料業界に多大な補助金を出し続けています。
日本はアメリカに続いて、2番目に多い:
https://www.nrdc.org/experts/han-chen/japan-second-worst-g7-reforming-fossil-fuel-subsidies
こんな状況が続いている限り、気候変動対策への貢献はただのパフォーマンスとしか思えません。
なぜ、このような現状は報道されないのだろうか?
早くみんなが気づかないといけないことが目の前に来てるんですよね。
そういうことでしょう。
いつも勉強のためにみなさんの記事を読ませていただいています。ありがとうございます。環境問題について、今のままてまはダメだという認識はあっても、どうすればいいか分からないっていうのが正直な気持ちです。私は所謂、大手企業勤めなのですが、会社では「発展しつづけなければ、安定はなし」と言われます。そういう、誰が作り出したのか分からない、止めらない、見えない大きな渦の中にいます。イチ個人としては、これ以上の発展はいらないだろうと思うのですが、企業人としては世の中の消費活動を促して商売をしないといけません。それが私の中でいつも葛藤を産みます。何か根本的に社会の仕組みを変えないと、解決していかないですよね。私はIT関連の仕事なので、技術先行で何か世の中の仕組み変えられるかもしれない!と前向きに考えてはいるのですが、利益を追求する業務とのバランスが難しいのと、社内の人間も取引先の企業も環境への関心の低く、なかなかハードルが高いです。泣
よくわかります。人間がよりよい生活を求めている以上、どうしようもない部分はあると思います。
しかし、社会経済の方向転換にコミットすれば、ある程度の「発展」を守り、まだ救われるチャンスはあると思います。例えば、気候変動を止めるために、根本的な・本格的なレベルで、化石燃料をベースにした経済から、再生可能エネルギーに切り替えることが必要があります。大きな改革となります。そのプロセスにおいて、大きな経済成長は見込まれるのではないかと考えられています。アメリカの民主党から出てきているGreen New Dealがその例です。例えば、太陽光発電や風力発電などに、大きな資金を流していくことで経済成長が発生するというような考え方です。
このような改革・作業において、IT企業の役割はかなり重要なのではないでしょうか?
皆は地球の危機に気付いているのかな?これからこの危機への対策を求めないと。
もちろん企業や富裕層にも責任はあると思いますが、先進国に住んでいる私たちにも責任があると思います。
私たちも今までの生活も変える必要もあるでしょう。
富裕層の人々がここまで自己を守るためにお金と労力を費やしていることを初めて知りました。課題はたくさんあり、解決は困難だと思いますが、まず、人々がこの事実を知っていくことが必要だと感じました。
気候アパルトヘイトという言葉は初めて知りましたが、とても皮肉ですね。
ドイツをはじめヨーロッパの国では、環境問題を公約の最優先事項として掲げている政党が選挙で躍進しているイメージがありますが、日本でそのような現象が起こらないのはなぜでしょうか。