大小様々の十字架が無数に立ち並ぶ。ここはバルト3国のひとつ、リトアニアの郊外にある十字架の丘である。
この地のはじまりは、リトアニアがロシア帝国の支配下にあった19世紀に遡る。1831年のロシアに対する蜂起の後、犠牲者への追悼として十字架を立て始めたとされている。その後もリトアニアの人々は十字架を持ってこの丘を訪れた。そこには戦争による犠牲者の追悼や平和への祈り、カトリック教への忠誠に加えて宗主国に対する非暴力の抵抗など様々な想いが込められている。
この地は現在無形文化遺産に登録されており、今後もリトアニアの歴史とリトアニア人の想いを引き継いでいくだろう。
リトアニアについてもっと知る→「バルト3国:移民が人口問題を解決する?」
(写真: A.Davey / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])