世界で最古の職業とは何だろうか。一説によるとそれは、性的サービスを提供し対価を得る行為、売春であるという。売春は世界中の様々な地域、様々な文化の中で行われてきた。現代においても性産業の規模は大きく、売春による収益は世界全体で1,860億米ドルに上るという推定もある。この記事では、今もなお世界中で多様な形態で行われている性産業について、諸課題や法整備、従事者の権利といった観点からみていく。
目次
性産業とは何か
そもそも性産業とは何だろうか。性産業は、性的な商品やサービス、パフォーマンスを対価として金品を得る人々や組織のことを指す。産業形態は大まかに分類すると、性的な画像や映像、文章を配信、出版するなどして商品としたポルノグラフィ、性的なパフォーマンスの実演を鑑賞するショーやクラブ、人との性的行為を行う売春などである。これらの境界は曖昧な場合もあり、性的なショーの後に売春が行われる例もある。その他にも、性的な商品を販売するアダルトグッズショップ、他国で性的サービスを消費することを目的としたセックスツーリズムなども存在し、非常に多様な産業形態である。
性産業は変化を続けており、その要因の一つは性の商品化である。性の商品化により、性的な商品やサービスの形態が増加、多様化し、性的なイメージを用いた広告の流通も盛んになっている。また、技術の変化も性産業の変化につながっている。インターネットの発展により、オンライン上でのポルノグラフィの普及が進んでおり、個人によって性的な動画などが配信されるオンラインプラットフォームなども存在する。このようなインターネット上の性的な商品やサービスには合法、違法を問わず様々なものがある。
性産業の中でも多様な形態で行われているのが売春だ。売春の代表的な形態には、街娼(路上売春)、売春宿、エスコート・サービスなどがある。街娼とは公共の場で客引きを行う売春形態であり、多くの場合、客引きや値段交渉は街娼が多く集う場所、いわゆる街娼スポットで行われ、性取引はホテルや駐車場などで行われる。街娼には売春斡旋業者が関わっている場合もある。売春宿は性的サービスを提供する施設であり、第三者の斡旋業者などによって管理されている。エスコート・サービスとはホテルや個人宅などで客に交際や性的サービスを提供する売春形態である。
この記事では性産業の中でも売春に焦点を当て、その問題点や法整備をみていく。
セックスワーカーという呼称
近年、性産業従事者はセックスワーカーと呼ばれるようになってきた。この呼称は、売春という言葉に内包される犯罪的、不道徳といったイメージを払拭し、セックスワークを労働として捉える動きの中で広まってきた。国際人権NGOであるアムネスティ・インターナショナルによると、セックスワークの定義は、「買う側と売る側が合意した条件に基づく成人間の同意による性サービス(性行為を含む)と何らかの形の報酬との交換」とされている。またセックスワーカーの定義は「すべてのジェンダーの成人(18歳以上)で、定期または不定期で、金銭や物品と引き換えに同意に基づく性サービスを提供する人」である。未成年は性的サービスの取引に合意できる立場にないため、セックスワーカーの定義には含まれない。
定義にもある通り、セックスワークには女性、男性やトランスジェンダー(※1)など、多様なジェンダーの従事者がいる。顧客のジェンダーも多様である。
セックスワーカーがセックスワークに従事する理由は人により様々であるが、主な動機は生計を立てるためであるという。数ある職の中からセックスワークを選択する理由として、セックスワークの賃金の高さ、労働時間の融通が利くこと、経済的困窮や職業の選択肢が限定的であることなどが挙げられる。その他、自分のセクシュアリティを探求するためにセックスワークを追求する人もいるという。
さらに、同一の労働をする男女間での賃金格差や、移民の収入の低さなど富の不平等な分配という構造的な問題の結果、セックスワーカーになることを選択する人もいる。
性産業に関わる諸問題
性産業はその性質上、様々な問題をはらんでいる。その一つが性感染症であり、中でもHIV(※2)の感染拡大が問題となっている。女性セックスワーカーのHIV感染リスクは、セックスワーカーでない女性の30倍であると推定されている。さらに、男性セックスワーカーのHIV感染率も問題視されている。トランスジェンダーのセックスワーカーのHIV有病率はシスジェンダー(※3)のセックスワーカーの有病率の20倍以上であるという調査結果もでている。
HIV/AIDS以外にも、梅毒やその他の性感染症、ウイルス性肝炎の感染拡大がみられている。これらの感染症への治療や予防措置は早急に取られる必要がある一方で、セックスワーカーに対するスティグマ、偏見、差別が問題をより複雑にしている。医療従事者などによってセックスワーカーがHIV拡散者などの烙印を押されることがあり、その結果、医療へのアクセスが難しくなっているケースがあるのだ。
また、セックスワーカーへの暴力も重大な問題である。セックスワーカーに対する暴力は多数報告されており、ある調査ではケニアのモンバサの女性セックスワーカーの約79%、イギリスのリバプールで街娼を行うセックスワーカーの約80%が、仕事に関連する暴力を受けたことがあると回答している。 世界的にみると、平均45~75%のセックスワーカーが、仕事中に性暴力を受けたことがあるという。加害者は顧客だけでなく、警察などの法執行機関などの場合もある。警察からセックスワーカーへの暴力、恐喝、性的虐待などは多くの国で横行している。
貧困と性産業の関係も根深い。セックスワーカーは、貧困や失業によって性産業への従事を余儀なくされている場合も少なくない。貧困状態から性産業従事につながるケースとしては、生計を立てるためにやむを得ずセックスワーカーになる例や、経済的に立場が弱いために性産業に参入したり、性的に搾取されるリスクが高まる例がみられる。また、貧困から抜け出そうとセックスワークに従事する例もある。
経済的に立場が弱い人だけでなく、社会的に立場が弱い人たちもまた、性産業従事を選択する傾向がある。就労許可を持たない非正規移民などが、数少ない収入源の一つとして性産業に従事する例も存在する。さらに、性産業が内包する構造的な問題はセックスワークへの参入過程のみにとどまらない。高所得国の男性が低所得国の女性の性的サービスを消費する例や、性産業従事者の肌の色へのステレオタイプ、肌の色による顧客の経済レベルの変化など様々な問題を抱えている。
性的人身売買
性産業に関連する重大な犯罪の一つに、性的人身売買がある。性的人身売買とは人身売買の一種であり、「商業的性行為を目的とした人の募集、蔵匿、移送など」のことを指す。労働としてのセックスワークには合意が必須であるため、人身売買によって強制された性産業従事はセックスワークの定義からは外れる。性的人身売買でよくある手口には、人身売買業者が被害者に対して性産業以外の職種で働けると嘘の話をもちかけたり、被害者が逃げられないような状況を作り出したしたりした上で無理やり性産業に従事させるといった強要などがある。従事させられる性産業には、売春だけでなく強制結婚やポルノグラフィへの出演強要も含まれる。
性的人身売買は越境するケースも少なくない。性的人身売買の目的地(受け入れ国)として挙げられる国の一つにアラブ首長国連邦があり、アフリカの経済的に困窮している女性などが被害者として多く報告されている。人身売買業者は被害者に渡航費や紹介料など多額の借金を負わせ、返済のためにアラブ首長国連邦での売春を強要するのである。日本(※4)も、性的人身売買の目的地となっている。被害者は主に南アジア、東南アジア、中国、東ヨーロッパ、ロシア、そしてコロンビアなどの出身である。
世界の法整備
様々な問題を抱える性産業だが、法的にはどのようにみなされているのだろうか。性産業に対しての法整備や実態は国や地域によって異なる。グローバル・ネットワーク・オブ・セックスワーク・プロジェクト(NSWP)による法整備マッピングに沿えば、世界の法整備は大まかには犯罪化モデル、非犯罪化モデル、合法化モデルの3つに分類することができる。
まず犯罪化モデルとは、性的サービスの購入、販売、組織化などに懲罰的措置が取られるモデルである。細かくは①販売の犯罪化、②組織化の犯罪化、③購入および販売の犯罪化、④販売および組織化の犯罪化、⑤購入および組織化の犯罪化、⑥購入、販売、および組織化の犯罪化の6パターンに分類することができる(※5)。犯罪化モデルを採用していても、犯罪化されている性的サービスの定義が国によって異なったり、法律が形骸化したりして、実質的には性産業が横行している場合も多く存在する。そのため、法整備の分類は同じでも、実態は大きく異なる可能性がある。
①販売のみの犯罪化を採用している国はパラグアイの一部地域のみである。また②組織化の犯罪化を採用している国はコロンビア、ベネズエラ、チリなどの中南米諸国、チャド、アンゴラ、モザンビークなどのアフリカ諸国、アジアではキルギス、ヨーロッパではエストニアなどである。③購入および販売の犯罪化を採用している国はアフガニスタンのみ(※6)である。④販売および組織化の犯罪化を採用している国はヨーロッパの多くの国、南アジアおよび東南アジアの多くの国、アフリカの多くの国、オーストラリアの一部、中南米ではメキシコ、ブラジル、ガイアナなどである。⑤購入および組織化の犯罪化を採用しているのはスウェーデン、ノルウェー、アイスランドなどである。このモデルでは、購入、組織を犯罪化することで実質的に性的サービスの売買を禁止しているが、販売者への懲罰的措置を取らないことが特徴である。⑥購入、販売、および組織化の犯罪化を採用している国は、アメリカ、南米ではアルゼンチン、アフリカではエジプト、スーダン、南アフリカ共和国など、中東諸国、アジアではネパール、ベトナム、中国、日本、韓国、北朝鮮、ヨーロッパではフィンランド、イギリス、フランス、またオーストラリアの一部などである。
合法化モデルとは、法律で決められた範囲の性的サービスの購入、販売、組織化が合法であるモデルである。このモデルでは、国がセックスワークに関する法律を定め、そこから逸脱した行為は違法とされる。採用している国は、オランダ、ドイツ、オースストリア、スイス、トルコ、ギリシャ、オーストラリアの一部、アメリカのネバダ州、南米のボリビア、ペルー、ウルグアイ、エクアドルなどである。例としてドイツでは、地方自治体がセックスワークの手法や場所を制限(※7)でき、それ以外の方法でセックスワークが行われた場合は罰金や懲役などが課される可能性がある。実際に自由にセックスワークが行われる場所は狭い範囲に限られている。
非犯罪化モデルでは、合意の上の成年同士による性的サービスの購入、販売、および組織化に対する懲罰的措置を取らない。セックスワークの非犯罪化の目的は、セックスワークを労働市場と統合することや、犯罪化や合法化の法規制によって悪化しやすくなるセックスワーカーの労働条件を改善することである。現在はニュージーランドやオーストラリアの一部の州で採用されている。
性産業の非犯罪化をめぐる議論
このように性産業の法整備状況は国によって異なっており、最適な法整備に関する意見も分かれている。中でも非犯罪化モデルに対しては見解が分かれている。
非犯罪化を推奨する意見として、犯罪化や一部の合法化モデル下での法規制は、安全面や健康面などからセックスワーカーの権利を脅かすというものがある。安全面において、犯罪化モデル下では、セックスワーカーはセックスワークによって暴力などを受けた場合に、警察に保護を求めることが難しくなり、安全が確保されにくい。また、性的サービスの購入が犯罪化されている場合、顧客は自身にとって安全な場所を取引場所として指定するため、セックスワーカーの安全確保が難しくなる。また組織化が犯罪化されている場合は、セックスワーカーが共同の安全な場所で協力しながら労働することや、警備を雇うことが難しくなり、結果的に労働の安全が守られないのである。また、合法化モデル下でのセックスワーカーの権利を尊重していない法規制などへの批判も存在する。
犯罪化はセックスワーカーがHIV予防や治療を含む保健サービスにアクセスしづらくなるなどの健康面での影響を及ぼすという報告もある。実際にサハラ以南アフリカを対象とした研究では、セックスワークが一部合法化された国に比べ、犯罪化された国では、セックスワーカーのHIV感染率が7倍以上だった。
セックスワークの非犯罪化を推奨しているのは、国際人権団体であるアムネスティ・インターナショナルや国際連合エイズ合同計画(UNAIDS)などである。アムネスティ・インターナショナルによると、目指すべき非犯罪化とは、セックスワークに対するすべての規制の撤廃ではなく、セックスワーカーを搾取や虐待から守る法律の整備を行っていくことであるという。
非犯罪化推進派がセックスワークを仕事として認め、セックスワーカーが安全に仕事をする権利を守るという方向を目指しているのに対し、売春は内在的に暴力的なものであり、非犯罪化が搾取を助長するという主張もある。これらを支持している人の中には、宗教関係者や元セックスワーカー、一部のフェミニストなどもいる。例えばカトリック教会には売春に反対するスタンスをとっており、イスラム教でも売春は禁じられている。(※8)また、フェミニズムにおける性産業に対する姿勢は様々であり、中には性産業を女性のセクシュアリティを客体化する行為として批判する声もある。
セックスワーカーの権利を守るためには
近年、セックスワーカーの人権を擁護する動きが活発化している。セックスワーカーが安全に仕事をする権利を守るために活動する団体は世界中に多数存在しており、1992年からはグローバル・ネットワーク・オブ・セックスワーク・プロジェクト(NSWP)という会員制組織が発足し、それらの団体をつなぐ活動を行っている。NSWPは、セックスワークを労働として認めること、セックスワーカーに対する犯罪化や法的抑圧に反対すること、セックスワーカーの協同および自己決定を支援することという3つの理念に基づいて活動している。NSWPが設立に携わったレッドアンブレラファンド(赤い傘基金)というセックスワーカーの権利を支援するための世界的な基金も存在する。赤い傘のマークは、セックスワーカーの権利の国際的なシンボルとして用いられている。
現在セックスワークの非犯罪化に踏み切っているのはニュージーランドとオーストラリアの一部地域のみである。ニュージーランドでは2003年からセックスワークが非犯罪化されており、オーストラリアのノーザンテリトリーでは、2020年施行の性産業に関する法案により完全に非犯罪化された。
今後セックスワークの非犯罪化に向かおうとしている国もある。南アフリカでは2022年に内閣がセックスワークを非犯罪化する法案を提出し、パブリックコメントを募集した。しかしこの法案成立は現在延期されている。
今後も世界のセックスワーカーの権利に関する法整備の様子に注目していきたい。
※1 生物学的性と性自認が一致しない人。
※2 ヒト免疫不全ウイルス。体の免疫系を攻撃するウイルスであり、治療を行わないとAIDS(後天性免疫不全症候群)になる恐れがある。
※3 生物学的性と性自認が一致する人。
※4日本では性的人身売買である未成年の性産業従事も多くみられる。女子高生が成年男性と散歩や会話をし、ラブホテルに行くJKビジネスや、金銭目的で未成年者と成年が性行為等を行う援助交際、また芸能事務所を騙った未成年者へのポルノ出演の強要など、様々な手口が存在し、未成年者が性的に搾取されている。
※5 NSWPの分類では本記事で取り上げた分類の他、性的サービスの販売が合法化されているが組織化は犯罪化されているモデルも存在し、少数の国で採用されている。
※6 2012年の情報であり、タリバンによる政権奪還前の状況である。
※7 ドイツでは、セックスワークを合法でできる都市や地域、区画が法律で定められている。地方自治体による規制も様々であり、例としてミュンヘンやフランクフルトなどでは、セックスワーカーが顧客の家や自宅でセックスワークをすることが禁じられている。
※8 イスラム圏では一時的な結婚という制度があり、一時的に売春を可能とする規定も存在する。
ライター:MIKI Yuna