2022年9月14日、キルギスとタジキスタンの間で軍事衝突が発生し、その後の1週間で民間人37人を含む少なくとも100人以上が死亡した。だが、実はこの両国の紛争はこれが初めてというわけではない。そして、キルギスとタジキスタンの2カ国の間のみで紛争が続いているというわけでもない。今回の軍事衝突の背後には、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンの3か国にまたがる、フェルガナ盆地と呼ばれている地域、そしてさらに中央アジアの不安定さがある。今回はそのような不安定を作り出している諸問題について見ていこう。
目次
歴史的展開
まず、今回の主な舞台となるフェルガナ盆地とはどんなところなのか見てみよう。フェルガナ盆地は、キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンの3か国のそれぞれ一部分に属している。地形的には、北西はチャトカル山脈とクラマ山脈、北東はフェルガナ山脈、南はアレイ山脈とトルキスタン山脈に囲まれた、およそ22,000平方キロメートルの広さを持つ盆地である。降水量は少ないが、川があり灌漑は発達しているため、綿や果物などの農作物や生糸が生産されている。
この地域はシルクロードの重要な中継地であり、かつてはキャラバンと呼ばれる、荷物をラクダで運ぶ商人が活躍していた。また、商品の取引だけでなく文化の交流もあり、中国の陶芸と機織りの技術も発達していた。そして、周囲が山脈に囲まれているという地政学上の特性がフェルガナ盆地を守る天然の防壁として機能し、かつてこの地域は周辺の地域に比べて平穏であり、住民の生活水準もいくらか高かった。これらの要因により、フェルガナ盆地に多くの移民が来ることになった。さらに、この地域は歴史的に、ペルシア帝国、モンゴルのチャガタイ・ハン国、コーカンド・ハン国、ロシア帝国などの、統一された政治体制のもとに組み込まれていたため、フェルガナ盆地内部に国境はなく、人々は自由に周辺地域に移動することができた。その結果、フェルガナ盆地では多様なバックグラウンドを持つ人々が入り乱れることになった。
1920年頃にフェルガナ盆地はソ連の支配に入ったが、この時に「共通する言語・領土・経済生活・文化」を持った「人々のコミュニティ」を構成すべきだという考えのもと、ソ連はこれらの基準に従ってソ連内に自治共和国や州を作ろうとした。(※1)。この動きにより、それまでひとまとまりだったフェルガナ盆地が3つの国に分割されることになった。それらが今のキルギス、タジキスタン、ウズベキスタンである。ただし、当時は3国ともソ連の構成国であり、ソ連内部の国境はあまり機能していなかったため、大きな問題にはならなかった。
しかし、ソ連が崩壊して1991年に独立した後、各国の国境は実際に機能し始めた。だがこのとき各国が決めた国境線は、曖昧な物だった。というのも、ソ連は国境を何度も改定しており、各国はその中で自国に都合の良い国境を採用したからだ。また、独立直後はまだ厳格な管理がなされていたわけではなく、人や物は比較的自由に行き来することができていた。一方で、思いがけない独立の中で不安定な状況に陥った中央アジアの国もあった。例えば、タジキスタンでは1992年から5年にもわたる大規模な武力紛争が発生した。この紛争では、新しく独立したタジキスタンという国家の主導権とその資源、そしてその国が進む方向を巡って政治家や地方の有力者、過激派組織などの様々な利益集団が参戦し、1997年に紛争が終わるまでの間でおよそ4万人から12万人が死亡したと推定されている。
また、ウズベキスタンでは、1999年に首都のタシケントで当時のウズベキスタン大統領を狙った爆発事件が発生した(※2)。ウズベキスタン政府はこの事件を過激派によるものだと考え、過激派が国内に侵入するのを防ぐために、国境に地雷を設置することで国境管理を厳格にした。また、ここには当時ウズベキスタンでとられていた保護的な経済政策を達成するという目的もあった。これは地雷政策と呼ばれ、数十人の民間人がこの地雷により死亡した(※3)。
一方で、キルギスとタジキスタンはより緩やかな国境管理体制をとった。2002年から2021年までで、キルギスとタジキスタンの970キロメートルにわたる境目のうち、500キロメートルほどしか国境が確定されていない。これは、お互いの関係を良好に維持しておきたい両国政府が国境確定に対してあまり関心がないためとも考えられていた。実際この地域の紛争は、住民レベルの争いから始まり、それがエスカレートして国境軍が出動し、やがて代表者が根本的な原因を解決しないまま一応の合意に至り、停戦に至るというパターンが多く、常に国家が積極的に紛争に関わっていたわけではなかった。
しかし、2000年代に入って以降、両国の国境に対する姿勢は変化してきているようだ。2003年から2013年の10年間で両国の国境管理は強化された。これにより、今まで見逃されていたような小さな違反や小競り合いをした住民が国境軍の標的となり、より軍事衝突が起きやすい環境になったと主張されている。またそのような衝突により、両国はさらに国境軍を強化させるという悪循環ができているという。
しかし、国境の曖昧さと国境管理の強化はこの地域で起こる紛争の根本原因とはいえない。フェルガナ盆地、さらにそれを超えてキルギス、タジキスタン、ウズベキスタンの3カ国に広がる問題がこの地域の不安定を招き、そこに国境の問題が絡んだ結果、衝突が発生したと考えられる。その諸問題について、貧困・政治・過激派・薬物に分けて考えていく。また、この地域では水についても大きな問題があるが、こちらについてはGNVの過去の記事を参照していただきたい。
貧困問題
まずはフェルガナ盆地の貧困の現状について見ていく。ここでは1日を5.5米ドル以下で生活している人々の割合を貧困率とする(※4)。2019年から2020年のキルギスのフェルガナ盆地での貧困率は74%から84%の地域が多く確認できた。なお、キルギス全体の貧困率は、2019年で53%であることから、フェルガナ盆地の地域の貧困率が特に高いことがわかる。また、キルギス領以外の地域を見てもフェルガナ盆地の貧困レベルは全体的に高いことが報告されている。
このようなフェルガナ盆地の貧困問題を分析するために、中央アジア全体の貧困を先に見てから、特にフェルガナ盆地を貧困にしている要因を見ていくことにしよう。
まず、中央アジアの貧困問題を知るにはソ連時代からの歴史的な流れを追っていく必要がある。中央アジア諸地域にとって、ソ連の中央政府は主要な収入源であり、ソ連の中心のロシアは主要な市場であった。実際に、1980年代後半から1990年代前半にかけて、タジキスタンはGDPの約40%に相当する金額をソ連政府から受け取っていたと推定されている。
ソ連が崩壊すると、中央アジアの国々はソ連からの資金やソ連内部の貿易の恩恵を受け取れなくなった。さらに、銀行以外の国内収入源が欠如していたことや国際市場へのアクセスが限定的だったことにより、中央アジア諸国は財政安定化のために財政構造改革を行う必要があったと指摘された。その一環で、多くの諸国の政府は国営企業への補助金などの支出を減らすことになった。このように、政府からの支出の減少と市場へのアクセスの制限により、中央アジア地域の生産高は劇的に減少した。またソ連の崩壊により、中央アジアの多くの工業企業はロシアという従来の市場を失い、新しい市場での条件下で競争することができなかった。この地域で定番であった綿花栽培についても、世界的な綿花価格の下落により、もはや安定した収入源とは言えないものになっている。
次に、特にフェルガナ盆地を貧困にしている要因を見ていく。現在、フェルガナ地域は中央アジアで最も人口密度の高い地域となっており、その人口密度はキルギス全体の12倍と言われている。このような過密問題は、土地や水などの資源の不足や失業率の増加を引き起こした。
また、フェルガナ盆地に限った話ではないが、キルギスやタジキスタン、ウズベキスタンでは収入を得るために、ロシアに出稼ぎに行く若者も多い。2014年時点で、中央アジアからロシアへの出稼ぎ労働者の数は800万人にも及んでいたと推定されている(※5)。しかし、2009年の世界金融危機や2014年に起こったロシア通貨のルーブルの下落、そしてロシアの外国人労働者制限により、多くの移民労働者たちは帰国せざるを得なくなり、フェルガナ盆地での人口過密はさらに進んだ。
加えて、新型コロナウイルスのパンデミック以降は国境移動が制限され、国外からの送金も減少したことで貧困はさらに進んだ。また、各国は、パンデミックの際に越境を制限する措置をとったものの、国境が曖昧で管理が行き届いていないため、国境を管理する役人の裁量行為と汚職が増加し、小規模取引を営む商人や住民は移動に賄賂が必要になったという見解がある。
ここまで見てきたように、フェルガナ盆地は自然環境を見ると恵まれた地域であるにもかかわらず、中央アジア全体での経済低迷に加えて、過密問題などの要因により貧困レベルが高い地域となっている。
政治的問題
前述のような複雑な歴史から、フェルガナ盆地のコミュニティは多様なものになっている。政治家たちはこの状況にナショナリズムとポピュリズム的手法を利用して自身の権力基盤を固めたいという思惑があると指摘されている。ここではいくつかの事例を取り上げて政治と紛争について考えていきたい。
1990年、フェルガナ盆地にあるキルギス第2の都市であるオシュで、大規模な衝突が発生した。オシュはキルギス領ではあるが、ウズベク系住民が多数派を占めており、経済的に大きな力を持っていた。しかし、山地からフェルガナ盆地に移り住むキルギス系住民が増加していく中で、キルギス政府はキルギス系住民を優遇するナショナリズム的な政策を実施したため、これに反対するウズベク系住民の間で反感が高まった。さらにここにコミュニティ間の雇用や政治参加の不平等などの問題も重なり、ウズベク系住民とキルギス系住民との間で衝突が発生した。この紛争による死者数は、少なくとも220人が確認されており、推定では600人から1,200人が死亡したとも言われている。
2005年には、キルギスでチューリップ革命と呼ばれる出来事が発生し、当時のキルギス大統領だったアスカル・アカエフ氏が大統領を辞任した(※6)。この後に新しく大統領になったクルマンベク・バキエフ氏のもとで汚職や権威主義は進行した。また、バキエフ氏は自身の出身地であるフェルガナ盆地を含む、キルギス南部を優遇する政策を打ち出したが、これはウズベク系住民とキルギスの北部出身者の立場を悪化させた。キルギスの首都ビシュケクでは、2010年4月にバキエフ氏に反対する人々と警察の間で85人が犠牲となる衝突が発生した。この事件でバキエフ氏は権力の座から追い出されたが、その後フェルガナ盆地でバキエフ氏の支持者が抗議を始め、6月にキルギス系住民とウズベク系住民の間で衝突が発生した。正確な死傷者数は不明だが、およそ900人が死亡したという主張もなされている。
一方、キルギスとタジキスタンの間では、フェルガナ盆地で小規模な紛争(※7)が多く発生している。2012年頃からの10年間で問題は深刻化し、この期間で150件以上の衝突が記録されている。この紛争の要因として、国境の両側の人口増加に対する資源の限界や、前述のような国境管理の厳格化が挙げられる。そして特にここ数年で紛争はさらにエスカレートしているようだ。2021年、大規模な軍事衝突が発生し、約50人が死亡した。そして2022年9月、冒頭で触れたようにキルギスとタジキスタンの間で100人以上が死亡した紛争が発生した。急速に激化する紛争には、資源の不足とは別の、政治的な要因が考えられる。
例えば、タジキスタン政府は国内の問題(※8)から国民の気を逸らすためにあえて外国との紛争を起こしたという見方がある。また、キルギス当局者の話として、タジキスタンはロシアを味方につけようとしていたという主張もなされている。近年キルギスは、中国とウズベキスタンとともにロシアを迂回してヨーロッパへ行くルートを通る鉄道を建設しようとしたり、ロシア・ウクライナ紛争で中立的な態度を取ったりしている。このようなキルギスのロシアに対する煮え切らない態度によって、タジキスタンはロシアを味方につけ、紛争を有利に進めることができると考え、タジキスタンの紛争への姿勢がより積極的になった可能性がある。
過激派問題とその過剰な対策
フェルガナ盆地では、過激派の存在も問題視されている。1992年、ウズベキスタンのフェルガナ盆地の都市であるナマンガンで過激派組織のアドラト党が結成された。アドラト党は極端な解釈をしたイスラム教の法をウズベキスタンに確立することを目的とし、その構成員らはナマンガンの街を見回り、過激な取り締まりや制裁を行なっていたという。これに対して、当時の大統領であったイスラム・カリモフ氏は厳しく処置にあたったが、首謀者の1人であるタヒル・ユルダシェフ氏はタジキスタンへと移り、ウズベキスタンへの攻撃を続けた。また、この勢力は1992年に始まったタジキスタンでの紛争でも参戦した。そして、ユルダシェフ氏らは1998年にアドラト党の後継組織となるウズベキスタン・イスラム運動(IMU)を組織した。IMUは、ウズベキスタンにイスラムの法であるシャリーアを確立するため、ウズベキスタンの政体を破壊し、カリモフ大統領を追放することに専念する組織だとされた。
IMUは、前述の1999年にタシケントで発生した爆破テロや、2014年にタリバンが起こしたパキスタンのカラチ空港でのテロに関与したとされている。また、中央アジアにはこの他にも多くの過激派組織は存在するが、連携しておらず、能力も限定的なので、IMUの派生組織、あるいはアルカイダなどの外国の過激派を模倣した団体と見られる傾向がある。
では、なぜフェルガナ盆地で過激派が活発に活動するのだろうか?それは、地理的、経済的、社会文化的、そして外的要因により、過激派が集まりやすい場所だったからだ。まず地理的には、飛地や不十分な国境管理などにより移動の制限が少なかったことなどが挙げられる。経済的要因としては、フェルガナ盆地には、仕事に就けていない若者が多いことが指摘されている。これは、社会に不満を持っている若者は過激派の思想に影響されやすいと考えられるからだ。また収入を得るために出稼ぎに行った人々もいるが、現地での低い賃金や劣悪な生活環境などによりアイデンティティが傷つけられ、過激派の影響を受けやすくなることも指摘されている。さらに、社会文化的要因として、ソ連時代に無宗教を経験した人々が、かつて信仰されていたイスラム教に回帰するという動きもある。これも過激派を勢いづける要因になっている可能性がある。
外的要因としては、周辺諸国の影響が考えられる。例えば、フェルガナ盆地はアフガニスタンやパキスタンなどの不安定な地域に近いことが挙げられる。また、IMUは1990年代後半にパキスタンの軍統合情報局(ISI)から資金提供を受け、同じくISIが資金援助していたタリバンと協力関係にあったと主張されている。そして、サウジアラビアの急進主義勢力は、教育やモスクの建造、過激主義的な書物を広めることなどを通じた広報活動をしている。サウジアラビアはフェルガナ盆地だけではなく、世界中で過激的とされる思想の普及を支援しており、その額は過去50年で860億米ドルにも及ぶという。
一方、フェルガナ盆地を含む中央アジアの住民が外国へ行き、過激派として戦闘に参加していたということも確認されている。正確な数字ははっきりしていないが、過激派研究国際センター(ICSR)によると、ウズベキスタンからは500人以上の市民がシリアとイラクでスンニ派過激組織に参加したという。また、キルギス内務省は500人以上の市民がシリアとイラクにいたことを確認したとしている。
また、過激派の活動そのものだけではなく、過激派に対する反応も地域の不安定化を助長している。例えば、組織名に「ウズベキスタン」を持つIMUの活発な活動により、過激派やテロなどの問題がウズベク系住民の問題だとみなされる例がある。フェルガナ盆地はタジキスタンやキルギスでも多くのウズベク系住民が住んでいるため、このような偏見が広がるとウズベク系住民と他のコミュニティの間で衝突が起こりやすくなる危険がある。
そして、政府が認めていない「非公式」なイスラム教に対する迫害や過剰な取り締まりも問題となっている。例えば、ウズベキスタンでは先に述べた1999年の爆破テロを口実に、カリモフ政権は宗教関係者や野党の党員を取り締まり、数千人を投獄した。また、キルギスでは、過激とされる書物を所持していただけで犯罪とみなすような厳しい取り締まりで、何百人もの人々を有罪にしたと人権団体から批判された。タジキスタンでは、ラフモン大統領が過激派を連想させるような宗教的な服を着たり、髭を長く伸ばしたりしないように国民に指示した。また、学校でのベールの着用や、未成年者のモスクでの礼拝を禁止した。
薬物問題
フェルガナ盆地とその周辺では薬物の密売も大きな問題となっている。国連薬物犯罪事務所(UNDOC)は、世界のアヘンとヘロインの供給の80%が、アフガニスタンから3つの主要なルートを通ってアジアとヨーロッパに流れていると推定している。そして、中央アジアはそのうちの北部ルートにあたり、2010年にはアフガニスタンで生産されたアヘンの15%、ヘロインの20%がタジキスタンを経由したと推定されている。薬物中毒者も多く、キルギスのオシュでは2012年の時点で1,400人の薬物中毒者が登録されていたが、実数はその10倍ぐらいだと考えられている。また、薬物注射を原因とするHIV感染も多く報告されている。さらに、薬物中毒者は薬物を手に入れるために強盗をすることもあり、地域の治安を悪化させている。このように、薬物は中央アジアで大きな問題となっている。ここには国境問題や貧困、過激派の活動、政府の汚職などが絡んだ複雑な関係がある。それぞれについて、順を追って見ていこう。
まず、国境が曖昧な地域があるフェルガナ盆地は、薬物の密輸を容易にしてしまう。また、国境が確定している地域であっても、中央アジアは山岳地域が多く、国境管理も行き届いていないため、密輸を完全に防ぐことは難しい。そして、低所得者が多いフェルガナ盆地は、住民が薬物を扱うビジネスに巻き込まれやすい環境だ。
また、薬物は過激派の資金源にもなっている。1990年代後半には、IMUは薬物取引企業として知られるようになっており、そのビジネスはテロ活動の資金源とされていた。それを裏付けるように、中央アジアでの大きなテロ活動は、確立された薬物ルート上で起こっている。
さらに、これを取り締まる側であるはずの政府にも問題がある。タジキスタンの一部の法執行機関の職員は薬物売買を監督し、押収した薬物をいわゆる運び屋に提供し、さらには協力関係にある売人を保護したり、その競争相手を逮捕したりしているという(※9)。また、キルギスでは一部の国境警備隊や警察などが薬物の密売に関与している一方、タジキスタンでは政府高官など、より高いレベルまで関与しているとする見方もある。そしてタジキスタンが薬物取引から得られる収入は、同国のGDPの約30%に相当すると考えられている。
一方、このような薬物問題の対策において、中国やロシア、欧州連合(EU)、国連などはタジキスタンと協力関係を結んだり資金援助を行ったりしている。その中でもアメリカは、タジキスタンの安全保障支援に2001年から2億米ドル近くの資金を費やしてきた。しかし、援助資金の多くはタジキスタンの国家安全保障委員会が管理しており、その資金の流れについての情報は公開されていない。そして、このような支援が逆に国家と薬物取引の関係を深めたと考えられている。例えば、国境管理が厳格になると、薬物取引のルートが限定され、当局は賄賂を得やすくなる。その結果、違法取引がより体系化することにつながる。
今後の展望
これまで見てきたように、フェルガナ盆地はその複雑な国境や歴史背景に加え、中央アジア全体に関わる貧困、政治、過激派組織、薬物などの多様な問題があり、これらが地域を不安定にしていると言える。そしてその不安定な状況が冒頭で見た大規模な紛争につながったと考えられる。では、この先これらの問題は解決できるだろうか?
政治的問題については、為政者以外の勢力が声を上げることで解決につながるということが考えられるが、権威主義的な体制が確立した中央アジア諸国では難しいだろう。また薬物問題については、表面的には対策が取られているように見えるが、特にタジキスタンにおいては国家ぐるみの薬物取引が確立していると指摘されているため、短期的な解決は難しいだろう。そして過激派組織については、シリアやイラクなどで過激派組織に参加していた中央アジア出身の人々が近年帰還してきたことで、中央アジアでの活動が再び活発になる可能性があるという指摘もある。
一方、近年フェルガナ盆地での投資が進みつつあるようだ。例えば、ウズベキスタンではスマートシティ(※10)の複合施設の建設を目指す中国企業が4億7,500万米ドルの投資を準備している。また、キルギスとウズベキスタンは、まだ解決しなければならない問題は多いが、フェルガナを通り、中国へとつながる鉄道の建設を構想している。そしてタジキスタンでは、ロシアから約200万米ドルの資金援助を受けて国連が若年層などを対象にした経済支援を行う、というような取り組みもある。
フェルガナ盆地での紛争の可能性は、この地域、ひいては中央アジアにまたがる諸問題が解決しない限り残り続けることになる。一方で、フェルガナ盆地への投資は進みつつあるが、これが実際に貧困問題を解決するかどうかの判断にはもう少し時間が必要だ。中央アジア、そしてフェルガナ盆地の今後に注目していきたい。
※1 この国境は、フェルガナ盆地の人々が団結してソ連に対抗することがないよう、ソ連があえてフェルガナ盆地を3つの国に分割したという側面も持つと考えられている。さらに、地方の権力者も望ましい地域を自身の管轄権に入れようとしてソ連政府にロビー活動を行った。このように複数のアクターによる主張が反映された結果、ソ連時代のフェルガナ盆地は複数の飛地を抱える複雑な国境線が引かれることになった。
※2 この爆発で大統領には被害がなかったが、16人の死者を含む150人近くの被害者が出た。
※3 2020年、ウズベキスタンとタジキスタンの国境にある地雷の撤去が完了したという報道があった。
※4 GNVで貧困率を扱う場合は、通常エシカルな貧困ラインとされる1日7.4米ドル以下で暮らす人々の割合を採用しているが、今回は国家ではなくフェルガナ盆地という地域を対象にするにあたり、CAREC INSTITUTE の数字を参照したところ、上記の基準での貧困率のデータは入手困難となったため、1日あたり5.5米ドル以下という基準で比較を行った。
※5 2014年のロシア政府の発表では、旧ソ連の中央アジア諸国からロシアに来た出稼ぎ労働者は450万人とされたが、非合法な出稼ぎ労働者の数は370万人程と推定されている。
※6 この出来事は、キルギス内部での南北対立も大きく関連している。北部出身のアカエフ氏は同郷の北部出身者を優遇しており、フェルガナ盆地を含む南部出身者は権力から遠ざけられていたと主張されていた。
※7 ここでいう「小規模な紛争」とは、水や土地の利用を巡って意見が分かれ、住民が石を投げたり財産を破壊したりするというような住民どうしの衝突が起こり、それに対処するために国境軍が出動し、代表者が話し合いを行ったのち、根本的な問題を解決しないままとりあえずの停戦合意がなされる、というものである。
※8 主な国内の問題として、ゴルノ・バダフシャン自治州の暴動が挙げられる。ゴルノ・バダフシャン自治州とは、フェルガナ盆地の外側にあり、タジキスタンに属する地域である。タジキスタン政府は近年ゴルノ・バダフシャン自治州に対して強権的な弾圧を行っていたが、2022年5月、これに反対するデモに対して当局が暴力的な取り締まりを行ったことで暴動が発生し、数十人が死亡した。また、タジキスタンのメディアはこの出来事について報道しないように当局から指示されているという報道もなされている。
※9 タジキスタン当局は小規模な薬物業者を対象に取り締まっていると主張されている。これは、取り締まりの実績の数を増やすことで、政府と協力関係にある大規模な業者との関係を隠すためだと考えられている。
※10 スマートシティとは、情報通信技術(ICT)を利用してサービスの質や福祉を向上させる都市のことである。ウズベキスタン政府はICTを活用したシステムを中国から積極的に導入している。
ライター:Seita Morimoto
グラフィック:Mayuko Hanafusa
フェルガナ盆地という名前は世界史でしか聞いたことがありませんでしたが、これほどの問題を抱えているとは知りませんでした。特に衝撃的だったのは薬物問題で、取引量もさることながら政府が取引に関わっている可能性があることです。もしこれが真実であれば、ギャングまがいのことを国家がやっていることになると思います。また、薬物は健康被害だけでなく、過激派を助長したり経済的に負の影響をもたらしたりもするので、国家として百害あって一利なしの薬物取引から一刻も早く手を引くべきだと思います。